こんにちは、鹿野一郎です。
僕は昭和62年(1987年)4月に東京理科大学に入学しました。
校舎は神楽坂です。住所は神楽坂ですが、最寄り駅は総武線の飯田橋です。
昔に比べると今は随分きれいになりましたが、それでも狭いことに変わりはないです。
上の文章で、「校舎は神楽坂」と書きました。
普通だったら、「キャンパスは神楽坂」と書くところだと思いますが、東京理科大学のあの校舎はとてもキャンパスといえるものではありません。
ビルが立ち並んでいるだけで、広い土地などないからです。
ビルとビルの間は公道なので、一般の車が入ってくることもありました。
飯田橋の二つ隣の駅の四谷には上智大学がありますが、あちらはちゃんとしたキャンパスがあって、とても大学らしかったです。
何回か行った事がありますが、僕が在学中には上智大学にはアイドルの早見優さんや西田ひかるさんが通っていて、東京理科大学とは段違いの華やかさでした。
それに比べて東京理科大は、男だらけの大学でした。
僕は理学部の物理学科でしたが、130人中男子が122人という厳しい環境でした。
大学のサークル活動は面白かったですが、授業はとても難しくて苦痛でした。
高校までは学校の勉強が簡単過ぎて退屈でしたが、大学では難し過ぎて、とても苦痛でした。
1 大学のトレーニングルーム
当時は1号館の地下にトレーニングルームがあったので、そこでトレーニングをするようになりました。
それまではトレーニングと言ったら、自宅にあるダンベル1個で腕や肩を鍛えるか、腕立て伏せをするぐらいでした。
トレーニングルームは狭かったですが、トレーニングルームを見るのは初めてだったので、当時は狭いという感覚は一切ありませんでした。
もう35年も前の記憶なので、はっきりしない部分もありますが、トレーニングルームの広さは、7メートル四方ぐらいだったと思います。
そこにトレッドミル(人間が走るためのベルトコンベアー)が一台と、ウエイトトレーニングのマシーンが置いてありました。
フリーウエイト(バーベルやダンベル)はありませんでした。
昔はジムでもフリーウエイトを置くところはとても少なかったです。
理由は危険だからでしょう。
トレーニングマシーンとバーベル、ダンベルでは、マシーンの方がはるかに怪我の危険性が少ないと思います。
そういう理由で昔はフリーウエイトが少なかったんだと思います。
マシーンは全てケーブルマシーンで、ピンの抜き差しで重さを調整するタイプのものでした。
ベンチプレス、ショルダープレス、ラットプル、スクワットなどがあったように思います。
当時はまだトレーニングマシーンに不慣れだったので、ベンチプレスのマシーンの横で腕立て伏せをしたりしていました(笑)。
昔はトレーニングルームは1号館の地下にありました。1号館というのは17階建ての一番高いビルで、総武線の車内からでもよく見えます。
2021年の現在では、トレーニングルームは5号館の地下3階に移ったようです。
5号館と言われてもどの建物か覚えていないし、そもそも地下3階なんていう場所が存在する頃すら知りませんでした。
2 ワンダーフォーゲル部の先輩
初めてトレーニングルームに行った時は、ワンダーフォーゲル部の先輩に連れて行ってもらいました。
ワンダーフォーゲル部と言ってもわからない人が多いと思いますので、簡単に説明します。
ワンダーフォーゲル部は山を歩く部活動で、巨大なリュックサック(キスリングと言います)を担いで山を歩き、テントを張って食事を作り、寝泊りをします。
山岳部との違いは、ザイルなどを使った厳しい登山をしないところだと思います。
山岳部は山を登る部活動で、ワンダーフォーゲル部は山を歩く部活動でした。
でもとてもきつかったです。
山に入ると1週間ぐらい山の上にいるんですが、風呂に入れないことはまだ良いとして、一番キツかったのは水が飲めない事でした。
喉が乾くと先輩がウイスキーを勧めて来ます。
絶対に水は飲ませてくれませんでした。
本当にきつい部活で、僕は一年生の前期一杯でやめてしまいました。
僕にとっては初めて見るマシーンばかりで、とても新鮮でした。そして使い方はわかりませんでした。
先輩はまずベンチプレスのやり方を教えてくれました。
僕はこの時、生まれて初めてベンチプレスという言葉を聞きました。
ベンチプレスが、メンチプレスに聞こえたので、メンチカツに似た食べ物なのだろうと思いました(笑)。
これは本当の話で、決してネタではありません。
ベンチに寝転んで、両手でバーを握って上に押しあげる、あれです。
バーベルではなく、マシーンなので、バーは右手用と左手用に分かれています。
なので、ベンチに寝転ぶときに、後頭部をシャフトにぶつける心配がありませんでした(笑)。
トレーニングルームのベンチプレスの重りは全部で65kgでした。
65kgなら簡単に挙がるだろうと思いましたが、やってみるとびくともしませんでした。
それが信じられなくて、何がなんでも挙げてやろうと何度も挑戦しましたが、一番下のプレートは1mmたりとも持ち上がりませんでした。
当時はそれが悔しくて悔しくて仕方なかったです。
一番下のプレートだけ接着剤で固定してあるのではないかと思っていました。
続いて先輩が、「手本を見せてやる!」と言って、挑戦しましたが、先輩も全くあげる事が出来ませんでした。
先輩は、「調子が良い時は全部あがるんだけどな。」と言っていました。
プレートを減らしてやってみると、65kgの状態から1枚減らせば挙げられる事がわかりました。
3 ベンチプレスマシーンを制覇
それから頻繁にトレーニングルームに通うようになったんですが、ある日、すごい人を見かけました。
黒縁メガネをかけて、長髪で長身の中年男性が上半身裸でそのベンチプレスのマシーンをやっていたんですが、一番重い65kgを軽々と何回も挙げていたんです。
とても驚いたので、部室に戻って先輩にその話をしたら、先輩は笑いながら、「図書館のおじさんだよ。」と教えてくれました。
大学の図書館に勤務している人だそうです。
その人を見て、ますます自分も全て挙げられるようになってみせると決意を固くし、それから数ヶ月かかって全て挙げられるようになりました。
初めのうちは、先輩のように調子が良ければ全部挙がるという感じだったのですが、やがてどんなコンディションでも挙がるようになりました。
大学のトレーニングルームで覚えているのはこれぐらいです。
僕の学生生活の中では、大学のトレーニングルームは決して中心的に使っていたジムではなく、最初に経験したジムという位置づけになります。
4 トレーニングルームのシャワー
トレーニングルームの脇にはシャワーがありました。
独立したシャワー室ではなく、ただ薄いカーテンで仕切られているだけのシャワーでした。
あのシャワーは、女子だったら絶対に使わないでしょう。
カーテンがめくれるだけで、トレーニングをしている人から丸見えでしたからね。
ちなみに僕もそのシャワーは一回も使ったことがありませんでした。
トレーニングで汗をかいたと思うんですが、あの当時は汗をかいたらシャワーを浴びるという感覚ではなかったです。
若い人には理解しがたいことだと思いますが、昭和五十年代の日本人は毎日風呂に入るのは夏場だけで、冬は1日おきに入っていました。
冬はそれほど汗をかかないから風呂は1日おきで良いというのが、世の常識だったと言って差し支えないでしょう。
トレーニング後にシャワーを浴びるという習慣は、僕にはありませんでした。
大学生の頃に連載されていた「めぞん一刻」という漫画(高橋留美子原作)では、一刻館の管理人さん(若い女性)が、三鷹コーチのいるテニスクラブで、練習の後にシャワーを浴びるシーンが何度も出てきます。
決していやらしいシーンではなく、シャワーを浴びながら考え事などをしている事が多かったと思います。
それを読んで、当時の僕は、「何故練習の後にシャワーを浴びるのだろうか。昨夜、風呂に入らなかったのだろうか。」と思っていました。
トレーニングルームのシャワーを使うのはトレーニングで汗をかいた人よりも、研究室に泊まり込んでいる人の方が多かったです。
当時の東京理科大学は別名東京留年大学と言っても言い過ぎでないぐらい、留年する人が多かったです。
留年しないためには必死に勉強しなければならず、3年生、4年生になると大学に泊まり込みで研究をする人も少なくなかったんです。
そういう人々がシャワーを使っていました。
僕はトレーニングをしながら、そういう人々を白い目で見ていました。
トレーニングもしないくせにシャワーだけ使うとはどういう神経なんだ!と思っていたんです。
自分がシャワーを使うわけでもないのだから、何も気にすることはないはずなのに、変な事で腹を立てていました。
5 女の子と一緒にトレーニグルームへ
一度だけ、混声合唱団の女の子と一緒にそのトレーニングルームに行った事があります。
僕は部活動の掛け持ちをしていて、ワンダーフォーゲル部に在籍しながら、混声合唱団にも入っていました。
その合唱団の女の子がどんなところから知らないから見てみたいというのです。
でも一人だと怖いから一緒に行って欲しいと頼まれました。
若いって、良いですね。
僕ともう一人の友達で案内すると、やはりその子は最初は色々と驚いていました。
そして驚くことを聞かされました。
大学側から、女子はトレーニングルームには一人で行かないようにと説明を受けていたそうです。理由は危険だからだそうです。
まあ、確かに女の子が一人でトレーニングルームに行くのはあの時代では珍しかったでしょう。
どんな怪我をするか分からないから、危険だと思いました。
でも、大学側がいう危険というのは、怪我をする危険ではなく、男子学生に襲われる危険だったそうです。
それを聞いて僕と友達は怒り爆発です。
なんという事だ!そんな事がある訳がないだろ!と口から火を吐きそうになりました。
そもそも、根暗とオタクとガリ勉しかいない東京理科大学に、女の子を襲う男なんている訳ないだろ!
しかもよりによってトレーニングルームで襲うなんて、センスなさすぎるだろ!
あの時代は草食男子などという言葉はなく、「男はみんな狼」と言われていましたが、いくらなんでもそれはひどいと思いました。
もう35年も昔の話です。
結局その女の子は、見学だけしてトレーニングをせずに引き払いました。
その後、僕はあまり大学に行かなくなったので、トレーニングの場所は大学のトレーニングルームではなく、バイト先に近い市民体育館のトレーニングルームに移りました。
ありがとうございました。
ジムの思い出その2へつづく