こんにちは、鹿野一郎です。
昭和63年(1988年)3月から、大学生だった僕は千葉市内の学習塾でアルバイトを始めました。
小学生、中学生に、算数、数学を教えるようになりました。
大学生ですが、スーツにネクタイで授業をします。
塾のアルバイトはとても楽しくて、週に5日もやっていました。
そうなるとだんだん大学には行かなくなってしまい、トレーニングの場所は、大学の地下のトレーニングルームではなく、塾の近くの公共の体育館になりました。
車を持っていたので、塾や体育館には車で行っていました。
そう、週に5日も塾でアルバイトをしていると、お金が貯まるので、車の免許をとって、48回払いで車を買う事が出来たんです。
今思えば、バブルな大学生でした。
千葉市みつわ台体育館
僕が通っていたのは、みつわ台体育館という体育館です。
僕は車で通っていましたが、公共交通機関で行くならば、千葉駅から千葉都市モノレールでみつわ台下車です。
千葉都市モノレールには何度か乗ったことがありますが、モノレール自体がとても珍しいと思います。
僕が知る限りでは、千葉県でモノレールと言ったら、この千葉都市モノレールと、佐倉市のユーカリが丘線だけです。
みつわ台体育館の利用料金はとても安く、150円とか200円ぐらいだったと思います。
およそ30年前の話ですが。
入り口を入るとすぐに体育館の広いスペースがありますが、一番奥に扉があって、その扉を開けると廊下が伸びています。
扉には窓がないので、物置でもあるのかと思っていましたが、実はその奥にトレーニングルームがあったんです。
廊下の左側にはシャワールームがあり、右側には使われていない部屋がありました。
トレーニングルームは廊下の左側で、シャワールームより奥にあります。
初めて入ったときは、こんなところにトレーニングルームがあったのか、と驚きました。
それぐらいわかりにくい場所にあります。
大学のトレーニングルームより、みつわ台体育館のトレーニングルームの方が広いし機材も多くて扱いやすかったので、トレーニングはこのみつわ台体育館でするようになりました。
置いてあった機材は、全てマシーンで、ベンチプレス、ショルダープレス、カール、ラットプル、スクワット、腹筋台などがありました。
他にエアロバイクが数台置いてありました。
何故か消化器が置いてあったので、腹筋台で腹筋をする時は、頭の後に消化器を抱えて、重りの代わりにしていました(笑)。
あまりにやりにくいので、自宅からダンベルのプレートを持って行くこともありました。
最初のうちは僕は一人でそこでトレーニングをしていましたが、次第に一緒にトレーニングをする仲間も増えました。
みつわ台体育館でのトレーニング
僕の学生時代の中心的になトレーニングジムは、このみつわ台体育館でした。
ここには本当によく通いました。
ベンチプレスのマシーンは、プレートが全部で122kgまであったような気がします。
もちろん、バーベルではなく、マシーンなので、重さは正確ではありません。
みつわ台体育館に通い始めた頃は、ベンチプレスのプレートを全て挙げることは出来ませんでしたが、何年も通ううちに、全部挙げられるだけの力がつきました。
スクワットのマシーンも、全てのプレートを挙げられるようになりました。
スクワットというより、レッグプレスという方が正しいでしょう。
椅子に座って、二つのペダルに足をかけ、両足でペダルを押してプレートを持ち上げるんです。
ペダルは二つありましたが、左右の脚に別々に負荷がかかるわけではなく、つながっていました。
プレートは全部で227kgだったと思いますが、なんとか全部挙げられるようになりました。
ただし、てこの原理が関わってくるので、脚力が本当に227kgwあったのかというと、そうではなかったと思います。
ある日、僕がみつわ台体育館でのトレーニングを終えて帰ろうとしたとき、出口のところで体育館のジムのおじさんに声をかけられました。
「すごい体してるね。一体どこでそんなに鍛え上げたの?」
すごい体と言われたのは嬉しかったですが、質問の意味がわかりませんでした。
たった今、トレーニングを終えて帰るところなのに、このおじさんは何を言っているのだろうかと思いました。
「ずっと、ここで鍛えているんですけど」というと、「へえ。あんな機材でもそんな体になるんだ。」と言われました。
当時の僕はみつわ台体育館の機材が貧弱だとは思っていなかったので、実に意外な言葉でした。
みつわ台体育館のシャワールームは何回か使ったことがあります。真夏はトレーニングで大汗をかくので、トレーニング後にシャワーを浴びえていました。
シャワールームはタイル張りで、シャワーは2つか3つあったと思います。
全てカーテンで仕切ってあるだけでした。真夏は水しか出ませんでしたが、それは夏だからなんでしょう。
冬に水しか出なかったら、誰も使えませんよね(笑)。
でも、夏でも水しか出ないというのはすごいですね。
今の時代では考えられないです。
今だったら一年中お湯が出るのは当たり前だけど、あの当時はまだそうではなかったんですね。
時代の流れを感じます。
みつわ台体育館でバドミントン
みつわ台体育館にはトレーニングをするために通っていましたが、何回かそこでバドミントンをしたこともあります。
塾で教えていた生徒たちが受験に合格し、高校生になった後、塾に遊びにきて、今度バドミントンをしようという話になり、何人かで遊びに行ったことがあります。
一応、僕は中学時代はバドミントン部にいたんですが、わずか半年でやめてしまったので、高校生にはまるでかないませんでした。
いうのを忘れていましたが、一緒に行った教え子たちは、全員中学、高校とバドミントン部に在籍している子たちでした。
でなければ、バドミントンをしようという話にはなりませんよね。
他にも色々出会いがありました。
トレーニングをしにみつわ台体育館に行ったら、塾の生徒同士がそこでバドミントンをしていたということもありました。
また、トレーニングルームで元教え子にばったり会ったこともありました。
塾から近かったので、そういう思い出もあります。
現在のみつわ台体育館
日記を調べてみたら、僕がみつわ台体育館に行ったのは、2004年9月26日が最後だとわかりました。
僕が大学を卒業したのは1993年で、卒業と同時にみつわ台体育館にも行かなくなったと思っていましたが、2004年まで訪れていたようです。
トレーニングを続けて筋力がつけば、あの設備では物足りなくなり、別の場所へ移るのは自然な流れでした。
ちょうど大学も卒業して塾にも行かなくなったので、自動的にみつわ台にも行かなくなりました。
だからもっと機材が揃っているところにトレーニングの拠点を移したわけですが、みつわ台体育館の機材には慣れていて、扱いやすかったので、たまに顔を出していたんだと思います。
この記事を書いているのは2021年の4月ですが、今回この投稿を書くにあたって、みつわ台体育館のホームページを見てみたら、仰天しました。
すっかり変わってしまっていて、機材が全部入れ替わっていたからです。
昔の面影は全くありませんでした。
当時の機材は、クション部分の色が全てエンジ色で統一されていました。
しかも全ての機材がまるで一つの装置のようにつながっていました。
ベンチプレスもスクワットもショルダープレスも、懸垂台もケーブルマシーンも何もかも一つにつながっていたのです。
独立していたのは腹筋台ぐらいでした。
とても珍しい機材だと思います。
フレームは全て銀色で、マシーンのプレートは黒だったと思います。
ホームページの写真を見ると、今は黒で統一したマシーンやトレッドミルが置いてあるようです。
ホームページには床面積が77.4平米とかいてありました。
ほぼ正方形の部屋だったので、およそ9mかける9mぐらいなのだろうと思います。
とても懐かしいはずの場所なのですが、根本からすっかり変わってしまっているので、久し振りに行っても何も懐かしくないかも知れません。
あの当時のみつわ台体育館のトレーニングルームは、もう僕の記憶の中にしかないのです。
ありがとうございました。
ジムの思い出その3につづく