こんにちは。鹿野一郎です。
僕は大宮のゴールドジムに3回行ったことがあります。
2011年の8月1日、8月4日、2012年の1月21日の3回です。
僕は千葉県民なので、大宮はとても遠い街です。
普通だったらまず行かない街ですが、仕事の都合で大宮に行き、ゴールドジムでトレーニングをしました。
今回はこの時の思い出を語りたいと思います。
1 大宮という街
僕は予備校で講師をしています。
毎週、決まった曜日に決まった校舎で授業をします。
埼玉県の校舎は南浦和に行っていました。
講習期間になると普段とは違うスケジュールで仕事をすることになりますが、例えば都内の校舎から南浦和の校舎へ移動して授業をするのに、空き時間がとても長い場合は、
大宮まで出てしまってゴールドジムでトレーニングをすることが可能だったんです。
上にあげた、2011年8月1日、8月4日というのは夏期講習中で、2012年の1月21日は直前講習の期間です。
南浦和には毎週行っていましたが、大宮という街は全く初めてだったので、どういうところなのか自分なりに想像していました。
僕にとって大宮という街の認識は、東武野田線(2021年6月時点では東武アーバンパークラインと改名しています)の終点というイメージしかなかったので、最果ての地を想像していました。
埼玉県民の皆様、すいません。
東武野田線は、僕が子供の頃から進化し続けていて、どんどん良くなっていますが、僕は長い間そのことを知りませんでした。
ずっと、東武野田線はローカル私鉄の代表格のように思っていたので、その終点となると、地の果てというイメージだったのです。
2 東武野田線
ちょっと説明させて下さい。
僕が千葉県に引っ越したのは昭和53年、11歳の時でした。
東武野田線に初めて乗ったのは、小学校の社会見学で野田の醤油工場を見学に行った時でした。
野田の駅を降りるとあたり一帯に醤油の匂いが立ち込めていて、とても驚きました。
その次に東武野田線に乗ったのはおそらく大学一年生の時だったと思います。
僕は大学が東京理科大学で、校舎は飯田橋だったんですが、一年生は入学直後に野田キャンパスで一泊のコンピューター研修を受けるしきたりがありました。
なので大学の仲間と東武野田線で野田キャンパスの最寄り駅の「運河」まで行きました。
運河駅のホームには大きく、東京理科大学下車駅という看板が出ていました。
駅を出ると本当に運河がありましたが、運河の他は何もありませんでした。
東武野田線は船橋から大宮まで運行していますが、柏が一つの中継ポイントになっていました。
船橋から大宮行きに乗った場合、電車はひたすら大宮に向かって一方向に進むのではなく、柏で停車すると、今度は来た方向へ戻っていきます。
これは、初めて乗る人は誰でも驚く状況でした。
「大宮行きって書いてあったのに、柏行きだったのか?船橋に逆戻りか?」と思います。
でもそうではなく、折り返すように見えながらも違う線路に入ってちゃんと大宮に向かうんです。
僕の記憶では、当時は柏から大宮までは全て単線だったと思います。(違っていたらすいません)
なので上りと下りの電車がすれ違う時は必ず駅のホームでした。
線路上ですれ違う事はできないからです。
柏から大宮まで遠いのに単線なので、とても長い時間がかかっていました。
その当時は、東武野田線というと、船橋と柏の間はまだマシで、柏と大宮の間は、ザ・ローカル線という認識でした。
社会人になった後も僕は柏に仕事で毎週行っていましたが、柏から先は全く行く用事がなかったので、いつまでも単線のままだと思っていました。
この当時は船橋と柏の間でも、六実で必ず電車がすれ違うようになっていました。真冬などは長時間ドアを開けっぱなしなので、とても寒かったです。
船橋・柏間は単線ではなかったと思いますが、なぜか六実では電車のすれ違いが行われていました。
それから年月がすぎ、気づいてみるといつの間にか、六実でのすれ違いのための長時間停車はなくなっていました。
「東武野田線も随分進歩したもんだなあ。」と思っていました。
ところがある日、柏駅で驚くものを見ました。
それは大宮行きの急行列車でした!最初は信じられませんでした。
単線なのになんで急行が走るんだ?意味がわからないと思いました。が、とっくのとうに柏と大宮の間は単線ではなくなっていました。
それどころか各駅停車と急行列車が走る路線へと進化していたのです。
それを知って驚愕しました。
てっきり、船橋・柏間の方が、柏・大宮間よりマシだと思ってましたが、実は逆転されていたのです。
昔は柏から大宮まで東武野田線を使うというのは、余程暇な人だけだったと思いますが、急行列車が走るようになって、状況は一変していました。
もう少し東武野田線の話をさせて下さい。
2014年4月から東武野田線は、東武アーバンパークラインと改名しました。
何のこっちゃ?という感じでしたが、今では東武アーバンパークラインが正式名称のようです。
そして、とても驚いたのは、2020年3月に船橋・柏間にも急行列車が走るようになった事です!
船橋から柏までには、船橋、新船橋、塚田、馬込沢、鎌ヶ谷、新鎌ヶ谷、六実、高柳、逆井、増尾、新柏、柏という12個の駅がありますが、急行に乗ると船橋の次が新鎌ヶ谷、次が六実で、その次が柏になるんです。
船橋から柏まで、それまでは33分かかっていましたが、急行が走るようになって18分で行けるようになりました。
これは毎週柏まで行く人間にとってはとてもありがたい事でした。
昔の単線から考えると、まるで別の鉄道になりました。
東武野田線は今でも進歩し続けているんです。
3 大都会だった大宮
寄り道がすごすぎましたが、ここでようやく話が大宮に戻ります。
2011年当時の僕の認識では、大宮という街は柏から延々と単線に乗った挙句にたどり着く、この世の果てという認識でした。
ところが、京浜東北線で大宮に着いてみると、想像を超える大都会で、頭の中の失礼なイメージは吹き飛びました。
降りる駅を間違えたのかとすら思いました。(失礼ですね)
あまりにも拓けていて、ゴールドジムに行くのにどっち側の出口に向かえば良いのかすらわかりませんでした。
考えてみれば大宮というのは新幹線が止まる駅です。
地の果てなんていうイメージは間違いにも程があったんです。
なんとかゴールドジムを探し当てて、トレーニングを始めましたが、僕には大宮のゴールドジムの記憶はほとんどありません。
ビルの中にあって、エスカレーターを登ってジムに行ったということぐらいしか覚えていません。
というのもこの2011年は、娘がまだ1歳で、子育てが大変だった時期なので、ジムでトレーニングをすること自体が難しかったのです。
2011年の自宅以外でのトレーニングは、2011年は4月4日に大塚のゴールドジムと、この大宮のゴールドジムの3回だけです。
一年で4回しかジムに行けないほど、トレーニングができていませんでした。
4 東日本大震災
また話がそれますが、この2011年は3月11日に東日本大震災がありました。
その二日後、何気なくスーパーマーケットに立ち寄ったら、陳列棚がみんな空っぽになっているのを見て衝撃が走りました。
ガソリンスタンドにも車の行列ができ、ガソリンが買えなくなりました。
ニュースでは、放射性物質が水道に混入したから、水道の水は飲まないで下さいと言っていました。
計画停電が行われ、電車も昼間は室内灯を消して走るようになったので、駅のホームに入ると暗くなって本も読めなくなりました。
夏になると節電熱中症なんていう言葉まで出来ました。
そんな状況の中で子育てをしていたので、トレーニングどころでは無かったんですね。
でも、久し振りにジムに行ってバーベルを持ち、筋肉を使うと、生き返る気持ちがしました。
この当時はゴールドジムと言ったら千葉県では幕張と成田、埼玉県ではおそらく大宮にしかなかったと思います。
なのでゴールドジムと言えば、無条件にありがたい存在でした。
ゴールドジムに行きさえすれば、機材の不足や重量の不足はなかったんです。
ゴールドジムはとにかくありがたい存在でした。
なので、大宮のゴールドジムの機材や内装などについても、特に感想や意見などはなく、全てをありがたく受け入れていたと思います。
5 増え続けるゴールドジム
今はゴールドジムがそこら中にあり、設備が店舗によって大きく異なっている状況なので、同じゴールドジム内でも優劣の差が出てしまい、ここはどう、あそこはどうというような感想や意見を持つようになってしまいました。
でもあの当時はとにかくゴールドジムはありがたい存在で、ゴールドジムに行けることがとても幸せな事でした。
一年で4回しかジムに行けないならば、はっきり言ってパワーアップの面でも、ボディーメイクの面でも意味はないです。
でも、精神的なリフレッシュの効果は絶大でした。なんと言ってもゴールドジムですからね。
この2011年に、大宮のゴールドジムでどういうトレーニングをしていたのかは、記録が全て残っていますが、ほとんとトレーニングと呼べるようなものではありません。
完全にリハビリのレベルです。
もしゴールドジムが大宮になかったら、仕事の合間の長い空き時間を、どこかのカフェで潰していたのでしょう。
それを考えると本当にジムに行ける事は大きな喜びでした。
もう大宮のゴールドジムには10年も行っていませんが、今(2021年6月)はどうなっているのでしょうか。
ホームページを見てみると、機材は結構揃っているようですね。
パワーラックが3台、ベンチプレス台が4台、スミスマシーンが2台あるようなので、津田沼と同等の設備のようです。
6 さいたまスーパーアリーナのゴールドジム
この4年後、2015年に新しくできた、ゴールドジムさいたまスーパーアリーナに行くことになりますが、あれを見てしまうと、大宮が貧弱に思えてしまいました。
さいたまスーパーアリーナのゴールドジムに初めて行った時の感動はよく覚えています。
自分はこんな凄いところでトレーニングをするのか!という興奮がありました。
さいたまスーパーアリーナと大宮は駅が隣なので、スーパーアリーナができてしまったら、大宮には行かなくなりました。
僕はゴールドジムの会員ではなく、毎回ビジターとして通っていたので、行く場所はすぐに自由に変更できたんです。
7 最後に
大宮のゴールドムに行った回数は少なかったですが、行くたびに精神的に心底リフレッシュができて、震災直後の不安定な世の中で子育てをしていた僕のとっては本当にありがたい場所でした。
ありがとうございました。