ジムの思い出 その5(成田市体育館 前編)(1993年、友達との合同トレーニングを始める)

成田市体育館 ジム

平成5年(1993年)、4月13日。
友達のPOSOと一緒に一度だけ成田市体育館のトレーニングルームで合同トレーニングをしました。
合同トレーニングはこの後しばらく続きましたが、成田市体育館でやったのは最初の一回だけでした。
それは当時の成田市体育館の機材がとても貧弱て、しかも使いにくかったからです。

1993年は僕が社会人になった年でした。
大学を卒業した僕は、予備校講師として働いていました。
一年目の新人の非常勤講師はそんなにたくさん仕事がもらえるものではなく、僕の場合は予備校の仕事は週に二日しかありませんでした。
だから残りの日は、大学時代にアルバイトで働いていた小中学生向けの学習塾の仕事をしていました。
予備校と学習塾の掛け持ちは、大学を出てから3年間続けていました。

POSOはその学習塾で知り合った友達で、僕より4歳年上の男性です。
彼は中学、高校、大学の10年間テニスをやっていました。
彼は知り合った時はすでに大学を卒業していましたが、事情があって学習塾でアルバイトをしていました。
僕が25歳、POSOが29歳の時、一緒にトレーニングをしたいとPOSOが言い出したので、合同トレーニングをすることにしました。
その当時、僕は船橋に住んでいて、POSOは佐原に住んでいました。
集まりやすい場所はどこかと考えて、成田市体育館に決めました。
船橋から成田というと恐ろしく遠い感じがするかも知れませんが、僕の家は船橋市の東の外れだったので、464号線をぶっ飛ばせば、成田までは車で50分程度で行けました。え?遠いですか?

ちなみに、千葉ニュータウンを横断するあの道路は1993年当時はまだ国道464号線ではありませんでした。
道自体も成田までつながっていなくて、今でいう印旛日本医大のところで突き当たりになっていました

POSOと成田市体育館の前で待ち合わせをして、トレーニングルームに入ると、まずとても広いので驚きました。
それまで僕が使っていた、みつわ台体育館のトレーニングルームと比べると、2倍以上の広さがありました。
おそらく部屋の大きさは10mかける15mぐらいでしょうか。
インターネットで調べてみたら、310平方メートルだそうです。
なら、15mかける20mぐらいですね。みつわ台体育館のトレーニングルームの広さは77.4平方メートルということなので、2倍ではなく4倍ですね。
僕の空間把握能力はダメですね。

成田市体育館のトレーニングルームは広かったのですが、1993年当時は全く機材が揃っていませんでした。
まず、トレーニングマシーンが全て油圧式でした。
若い人は油圧式のマシーンなど使ったことがないと思いますが、正直に言ってトレーニング効果はゼロだと思っています。
負荷を軽くしたり重くしたりする事はできません。
例えばベンチプレスのマシーンに座って、レバーを前に押そうとする時、弱く押してもレバーはゆっくりと動きます。
ただ、速く動かそうとしてもなかなか速く動かないので、思い切り力を入れて速く動かそうとすれば、筋力を使えるという代物でした。
そう言えば、今、この文章を書いて思い出しましたが、昔はトレーニングマシーンというと油圧式が主流だったと思います。
今のトレーニングマシーンは、ケーブルマシーンだったらそれ専用のプレートを何枚も備えているし、ハンマーマシーンと呼ばれるものは、バーベルのプレートを付けて重さを自由に調節できますが、あの当時のマシーンにはそういうものがなかったのです。
この当時でもみつわ台体育館にはすでにケーブルマシーンがあったので、この点では成田市体育館の方が大きく遅れていたと言えると思います。
だんだん思い出して来ましたが、油圧式のマシーンのシートの色は全て黄色で統一されていたと思います。

エアロバイクは何台かあったと思います。おそらく腹筋台もあったと思います。
後はバーベルが何本かありました。
バーベルと言ってもシャフトとプレートが固定されていて、重さを変更できないバーベルです。
しかも一番重いのが50kgで、全て銀色でした。
バーベルの重さは5kg刻みだったので、45kg、40kg、35kgなどがありましたが、一番軽いバーベルが何kgだったかは覚えていません。
一番重いバーベルが50kgでは、当時の僕には全くトレーニングになりませんでした。

1993年当時の成田市体育館は、これらのバーベルがトレーニングルームにあるのではなく、トレーニングルームに隣接している物置の中にありました。
なので、バーベルを使おうと思ったら、まず物置からトレーニングルームまでバーベルを持って来なければいけないんですよ。
信じられない話ですよね。
恐ろしいまでに不便でした。
トレーニングルームにはベンチプレスの台が何台かありましたが、ちゃんとした台ではありませんでした。
その当時、成田市体育館にあったベンチプレス台は、シャフトが短いバーベル用のもので、ラックの幅がとても狭いタイプでした。

ベンチのクッション部分の色は黄色だったと思います。
他は全て銀色でした。
この台はとても使いにくかったです。
ベンチプレスをしていると、肩がラックに触れてしまい、どうにも気になるんですよ。
しかも、物置からバーベルを持ってきて、ベンチ台に自分で載せなければいけないんです。
そしてトレーニングが終わったらまたそのバーベルを物置まで持っていかなければならないんですよ。
物置は狭く、多数のバランスボールやフラフープ、何かの競技で使うと思われる得点表、扇風機などが置いてありました。
そこにバーベルが一緒に置いてあるんです。全て壁に立てかけてありました。
本当に今思い出してもすごいジムでした。

なので次の回からは、POSOには遠くなってしまいますが、千葉市のみつわ台体育館まで来てもらうことになりました。
成田での初めてのトレーニングの翌日、学習塾でPOSOに会いましたが、彼は人生史上最悪の筋肉痛になっていました。
朝、顔を洗うのに体が痛くて手が顔に届かなかったと言っていました。
なんとか顔に水をかけて、それで済ませたと言うのです。
また、ワイシャツを着るのに20分もかかったと言っていました(笑)。
あの当時のPOSOには50kgのバーベルは十分な重さだったので、全身をみっちり鍛えて、ひどい筋肉痛になったのです。

参考までに1993年4月13日の僕の日記には以下のように書いてあります。


一時に成田の体育館でPOSOと待ち合わせた。POSOがウエイトトレーニングを始めるというのだ。
成田の体育館の機材は全くなっておらず、ほとんど使い物にならなかった。
仕方がないので、バーベルと鉄アレイを使ってそれらしい事をした。
軽すぎて僕は全くトレーニングにならなかったが、POSOはかなりこたえていたようだ。
柔軟運動もやったが、そっちの方がPOSOには辛かったようだ。
来週はみつわ台体育館でトレーニングする事にした。やはりトレーニングはみつわ台体育館に限る。


この日記を読み返して知りましたが、当時の成田市体育館には鉄アレイがあったんですね。
完全に忘れていました。

成田市体育館にはこの後、しばらく行かなくなり、6年が経過してから毎週通うことになります。
そしてそれ以降は成田市体育館が僕のトレーニングの中心的な場所に変わりました。
成田市体育館は、みつわ台体育館と比べるととても広いです。
トレーニングルームが広いだけでなく、体育館そのものがとても広く、休憩するスペースも十分にあります。
みつわ台体育館の場合は、トレーニングの合間に給水休憩を取ろうと思ったら、体育館の受付の前まで行かなければなりません。
受け付けも決して広くなく、そこに自販機が1台と4人ほどが座れるソファーがありました。
2人がけのソファーが2つ向かい合わせに置いてあったと思うので、誰かがそこを使っていたら、立ったまま水分補給をするしかなかったです。

ですが、成田市体育館はとても広くて、休憩スペースにはおそらく40人ぐらい座れると思います。
ものすごく長いコの字型のソファーが2つか3つ置いてあり、大勢が座れます。
壁が大きな窓になっていて、コの字型のソファーは全て窓に向かって置いてあります。
窓の外には芝生と植木があって、なかなか良い眺めです。
飲み物の自販機も5、6台はあったと思います。

ただ、この1993年当時は、トレーニングルームの扱いが本当にひどくて、本当にオマケのような感じだったので、この当時はこれっきりになってしまいました。
もう18年も前の話です。

後編へつづく

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