こんにちは、鹿野一郎です。
今回は、今から30年以上前に初めてデッドリフトをやった頃の話をしたいと思います。
大昔のことなので、記憶もちょっと曖昧なんですが。
1 チャック・ウィルソンのトレーニングバイブル
僕は大学生の時に、外国人タレントで、ベンチプレスチャンピオンのチャック・ウィルソンの「トレーニングバイブル」という本を買いました。
この本で初めてウエイトトレーニングについての体系的な説明に触れました。
それまでは腕立て伏せや腹筋運動を疲れ果てるまでやり続ければ、ムキムキの体になると思っていましたが、この本を読んでそれが大間違いであることを知りました。
最大筋力の7割から8割程度の重さで、10回3セットを基本としてセットを組むべきという説明を読んだ時は本当に驚きました。
そんなにちょっとで良いの?という思いでした。
また、超回復理論に基づいて、トレーニングは二日に一回か、三日に一回程度にするべきという話も驚きでした。
毎日トレーニングをしなければ意味がないと思っていたからです。
2 学校でやっていた背筋運動に意味はある?
そしてこの本で初めて「デッドリフト」という種目を知りました。
背中を鍛える種目です。
それまで学校の体育の授業では、背筋運動というのをやっていました。
床にうつ伏せに寝て、手を腰の上で組んで、相方に足首を押さえてもらって、上体を反らせて頭を挙げる種目です。
あれは子供ながらに不思議でした。
一体何の意味があるんだろうと思っていました。
まだ腹筋運動ならば、やればやるほど疲れるので、トレーニングになっているんだなと自覚できましたが、背筋運動はその気になれば永遠に続けられるぐらい楽だったので、本当に意味がわかりませんでした。
もしかしたら今の若い人々はもう学校でそんな事はやっていないかも知れないですね。
ウサギ跳びが廃止された頃に、もしかしたら背筋運動も廃止されたかも知れないです。
昔は足腰を鍛えるのにウサギ跳びが一番と言われていましたが、膝に悪影響がある上に何の効果もないことがわかって廃止になりました。
もしかしたら背筋運動も同じ運命を辿ったかも知れないです。
3 初めてのデッドリフト
デッドリフトはバーベルを使って背中の筋肉を鍛える種目です。
足元にバーベルを置いて、それを両手で掴み、上体を起こしながらバーベルを引き上げて、体が直立になり、バーベルが腰の位置に来るまでが動作の内容です。
あとはバーベルを足元に置き、それを繰り返します。
本を読んだ時、これで背中が鍛えられるのかな?と思いました。
僕はその頃は、千葉市のみつわ台体育館のトレーニングルームでトレーニングをしていました。
当時のトレーニングルームと2021年現在のトレーニングルームでは、機材が全て変わっていて、全く別の場所ですが、当時はプレート式のケーブルマシーンが何台かありました。
ベンチプレスのマシーンもありました。
最近ではベンチプレスのマシーンは、椅子に座って、バーを前方に押すものが主流だと思いますが、当時みつわ台体育館にあったのは、ベンチに仰向けに寝て、マシーンのバーを上に押し上げるタイプのものでした。
昔のベンチプレスのマシーンはこういうタイプのものが主流でした。
4 経験のない疲れ、痺れ
バーベルはなかったので、このベンチプレスのマシーンを使ってデッドリフトをしてみました。
靴を脱いで、ベンチの上に立ち、デッドリフトの要領でバーを引いてみました。
どのくらいの重さにすれば良いのかわからなかったので、最初は60kgぐらいでやってみました。
その重さで10回3セットをやったら、背中が、ジンジン言い始めました。
なんとも言えない嫌な感覚で、これまで経験した事がない疲れというか、痺れのようなものでした。
「これはきつい!」と思い、寝転んでえび反りになり、なんとかして楽な姿勢は取れないかとのたうちまわる事になりました。
でも、これを続けていけば背筋は間違いなく鍛えられると思いました。
次の時からはもう少しプレートを軽くして、やるようにしました。
デッドリフトと比べると、学校でやっていた背筋運動なんていうのは単なる体操で、全くトレーニングではありません。
これが本当の背中のトレーニングなのかと、そのとき思いました。
5 友達にもやらせる
ある日、僕を空手の世界に引き込んだ、学生時代のバイト仲間(学習塾の先生)と一緒にみつわ台体育館に行ったので、友達にデッドリフトの説明をしてから、40kgで10回3セットやるように勧めました。
彼は意味がわからないというようなそぶりで始めましたが、3セット終わった時は、最初の時の僕と同じように、えび反りになってのたうちまわって、背中が燃えていると言っていました(笑)。
一体学校でやっていたあの背筋運動とは何だったのでしょうか。
全く意味があるとは思えません。
一体どういう経緯で学校の体育の授業であれを取り入れることになったんでしょうか。
6 やり続ければ強くなる
その後、きちんと継続的にデッドリフトをするようになり、どんどん強くなって行ったのを覚えています。
みつわ台体育館のベンチプレスのマシーンのプレートは全部で120kgぐらいだったと思います。
よく覚えていませんが、おそらくそれを全部引けるぐらいには強くなっていたと思います。
ただ、重り全部を使って10回3セットできたのかと言われたら、それはちょっとわかりません。
何せ昔のことなので、覚えていません。
その後、トレーニングの場所は、みつわ台体育館から、成田市体育館に移りました。
成田市体育館にはバーベルがありましたが、バーベルを使ってデッドリフトをするのは面倒に感じたので、それ以来長い間やらなくなりました。
初めてのトレーニングというのは、とにかくひどい筋肉痛になりますよね。
僕はデッドリフトの衝撃が大きかったですが、思い出してみれば、初めてプレスダウンをやった翌日の上腕三頭筋の筋肉痛も酷かったです。
腹筋台を使った腹筋も結構キツかったと思います。
最近は世の中で「体幹を鍛える」という言葉をよく聞きますが、体幹を鍛えるならば、デッドリフトはうってつけだと思います。
健康のためにも全人類がデッドリフトをやったほうが良いと思います。
7 老師との出会い
僕はこの成田市体育館で、僕をパワーリフティングの世界に引き込んだ、老師と知り合いました。
老師からパワーリフティングという競技を聞かされたとき、デッドリフトが種目に入っているのを知って驚きました。
スクワット、ベンチプレス、デッドリフトの合計重量で順位を競うのがパワーリフティングです。
この話を聞いたとき、デッドリフトで一体何kg挙げられるんだろうと思って、やってみました。
その日、僕は初めてバーベルでデッドリフトをしましたが、結果は150kgでした。
当時の僕はこれをずいぶん自慢に思っていました。
8 パワーリフティングを始める
それから月日が流れて、2016年からパワーリフティングを始めましたが、最初の頃は、この150kgが上がらず、120kgぐらいからトレーニングをしました。
若い頃は若かったし、太っていて体重もあったので、150kgが引けたんでしょう。
もう若くなく、体型もマシになった49歳の時には150kgというのは無理な重さでした。
でも毎週きっちりデッドリフトをするようになって、2016年の初試合では、160kgを引き切りました。
パワーリフティングの試合に向けて、きちんとデッドリフトをするようになった頃から、体幹がとても強くなったような気がしています。
デッドリフトは健康に過ごしたい全ての人がやるべき種目だと思います。
ありがございました。