僕は中学生の頃から、社会人前半まで太っていました。
デブでした。
小学生の頃は、少しぽっちゃりしている程度だったと思います。
その頃は人からデブと言われる事はありませんでした。
中学に入ると、太り始めました。
中学1年の秋の頃は、体重が50kgでした。
1 中学生の頃から太り始める
中学2年になると背も伸びて体重も増えます。
身長は164cmになり(低いです)、体重は60kgまで増えました。
体重を毎日計っていたわけではないのですが、ある日何かの用で整骨院にいき、そこで体重を測ったら60kgでした。
整骨院の先生は「すごいな!」と言って苦笑いしていました。
今思えば、なぜそういうリアクションだったのか、わかりません。
164cm、60kgの中学二年生男子って、そんなに太っているんでしょうか?
今の僕は全くそう思いません。
中学3年になると食欲が増して、明らかに食べる量が増えました。
母親が心配するほどに食べるようになりました。
夕方、学校から帰ると腹が減るので、小腹満たしにバターロールを2袋食べるようになりました。
たくさん食べると眠くなるので、土日などは食べたら昼寝をしていました。
ひどい時は朝ごはんを食べた後、そのまま寝てしまっていました。
母親が心配する通り、僕の体重はどんどん増えていき、75kgに達しました。
この頃は完全にデブでした。
横から見ても、腹がポコンと出っ張っているのがはっきりとわかりました。
夏にTシャツ一枚の格好になると、露骨に腹が出ているのがわかりました。
なので夏場に外出するのはとても嫌でした。
この頃から、口の悪い男子からはデブと言われるようになりました。
太っていたのは事実ですが、今思えば、デブという言葉を他人から浴びせられ続けるのは、精神衛生上とてもマイナスですね。
当時は別にデブと言われてもなんとも思っていませんでしたが、それでもおそらく深層ではネガティブな精神構造が少しずつ作られていたような気がします。
2高校受験で失敗して生まれ変わる
高校受験に失敗し、滑り止めだった高校に進学しました。
受験で失敗した事は、僕に大きな変化をもたらしました。
これからはちゃんと勉強して学力を身につけようと思ったのです。
それで高校時代は、我ながらよく勉強しました。
毎日6時間の勉強をし、高校一年の終わりまでには高校3年分の数学を一通りやり抜きました。
もちろん完全に身についているわけがないですが、とりあえず一通りやりました。
高校受験での失敗が、そのぐらい僕という人間を大きく変えました。
中学の頃は勉強なんかしたくなくて、親の足音が聞こえたら勉強した振りをしているだけでした。
都合の悪いことは全て人のせいにして、自分勝手でわがままで、我ながらひどい人間だったと思います。
でも高校受験で大失敗したことで、すっかり別人になってしまい、自分のことは全て自分で責任を取るようになったと思います。
この時、だらしない自分の体型にも決別するべく、減量を始めました。
僕が高校一年生の時の話なので、昭和58年の話です。
当時はまだダイエットという言葉を僕は知りませんでした。
もしかしたらまだそういう言葉はなかったのかも知れません。
僕が知っていた減量といえば、「あしたのジョー」の、力石徹の減量です。
力石徹の減量は凄まじかったですね。
テレビでアニメを見ていて圧倒されました。
食事はトマト一個で、水を飲まないためにジムや寮の水道を全て針金で縛ってしまいます。
もちろん水を飲まないためです。
当時は水と言ったら水道水で、まだミネラルウォーターなどありませんでした。
ペットボトルもありませんでした。水は水道から出るもので、店で買ってくるという認識はなかったです。
力石徹は最後は物置に閉じこもって飲まず食わずの日々を送ります。
あの当時のプロボクサーが本当にそういう減量をしていたのかは疑問ですが、何も知識がない少年だった僕には、あまりにも衝撃的でした。
力石徹は自分の階級であるウェルター級から、ライバル矢吹丈のいるバンタム級に転向しました。
上限体重はウェルター級が66.678kgで、バンタム級が53.524kgです。
その差は約13kgです!
これはかなり過酷な減量ですね。
ボクサーは通常、試合に向けて減量し、ギリギリまで絞った体重で計量をします。
なので、ウェルター級のボクサーは、普段はおそらく70kg以上とか75kg以上のの体重なんだと思います。
勝手な想像ですが多分そのぐらいだろうと思います。
試合に向けて66.678kgまで減らす訳ですが、それにプラス13kgともなれば、命がけの減量になってしまうんですね。
それにしても、あれはとんでもない減量でした。
一歩間違えれば、自殺です。
まさか、それをそのまま真似するわけには行きませんから、食事はしていましたが、量はかなり減らしました。
はっきりと覚えている訳ではありませんが、食べる量はおそらく3分の1ぐらいまで減ったと思います。
高校にはそれまで電車で通っていましたが、自転車で行く事にしました。
往復で15km程度の道のりでした。
食べる量が減るととにかく腹が減って仕方ありません。
本当に空腹との戦いでした。
高校時代は自転車通学だけでなく、ランニングも始めたので、体重は効果的に減りました。
77kgあった体重は61.5kgまで減りましたが、おそらく2、3ヶ月でこのぐらい体重が落ちたと思います。
あの当時は何も知識がなかったので、これが急激すぎる減量だという認識は全くありませんでした。
3 痩せてよかったこと
痩せてよかった事はたくさんありました。
まず、汗の量が劇的に減りました。
夏場など、自転車をこいで学校に着くと、もう汗だくで、ワイシャツがビショビショでした。
非常に嫌でしたが、痩せるとそれはなくなりました。
吹き出物も、減量を始めたら全て引っ込みました。
また、人からデブと言われなくなっただけでなく、どうやって痩せたのか教えてくれと言われるようになりました。
学校の先生方からも、一体何があったんだ?と驚かれました。
この時の減量は、とにかく空腹に耐えて食事の量を減らす、これに尽きました。
この当時は減量に関する知識はほとんどゼロだったので、大変な苦痛に耐えていました。
それが減量だと思っていたのです。
4 リバウンドは止められない
さて、減量が終わって、この後は体重を維持し続けようと考えましたが、それは出来ませんでした。
維持するつもりの体重がどんどん増えていき、見事にリバウンドしました。
結局、痩せていた期間というのはわずか半年程度だったように思います。
体重がどんどん減っていき、ウエストが日に日にすっきりしていく時は、それが嬉しくて空腹に耐えられましたが、維持する段階になると、前向きな変化がないので、我慢が出来なくなったのです。
このようにして、僕の高校時代の減量は一時的に成功しましたが、結局元に戻りました。
減量をするならば、最初から長期的な視点がなければダメですよね。
筋肉を減らさずに、脂肪を落とすならば、1ヶ月あたり2kg程度の減量に止めるべきだそうです。
ボディービルダーはほぼみんなそういうペースで減量しているようです。
なので減量幅が10kgならば、5ヶ月は減量期間が必要になりますた。
僕は高校時代には15.5kgも体重を落とした訳ですが、2、3ヶ月でそこまで落とすのは無茶というもんです。
8ヶ月ぐらいかけてゆっくりやるべきでした。
しかも、ただ食事の量を減らすだけでなく、きちんとタンパク質、炭水化物、脂肪の摂取量も意識して計画的に栄養を取るべきでした。
何も知らなかったので、精神論でけで突破してしまった訳です。
認めたくないものですね。若さゆえの過ちというものを。
ありがとうございました。