コロナにやられてメッタメタ

その他

こんにちは、鹿野一郎です。
今日は2023年7月23日の日曜日です。

とうとうコロナに感染してしまいました。
我が家では中学2年の娘が今年の5月に初めて感染しました。
その時は、僕も妻も感染しなかったんですが、今回は僕が母からもらって来てしまい、それを妻にうつしてしまいました。

職場では半数以上の人がコロナを経験していると思いますが、感染した人の多くはたった1日、7度程度の熱が出ただけで済んだと話していたので、コロナのことは気にしていませんでした。

7月15日の土曜日、母が病院でコロナの確定診断を受け、帰りにバス停で倒れ、救急搬送されました。
倒れた理由はコロナではなく、熱中症でした。
僕が病院まで迎えに行き、母を引き取って実家に送り届け、落ち着くまで一緒にいたんですが、ここで移りました。

発症したのは月曜日の夜でした。
咳が出るようになり、タンも出るようになったのでおかしいなと思いました。
もしかしたらコロナに感染したのかも知れないと思いました。

翌日の火曜日、朝起きると具合が悪くて仕事に行ける気がしませんでした。
熱を測ると起き抜けなのに8度9分もありました。
とにかく体がキツかったので、今日は授業をするのは無理だと判断しました。
すぐに予備校に電話して、代講をお願いしました。
これが地獄の始まりでした。

あ、そうそう。
タイトルの「コロナにやられてメッタメタ」って、どこかで聞いたことありますか?
これは1975年に放送されたアニメ「ガンバの冒険」(声の出演 野沢雅子、内海賢二、富山敬 他)の第4話のタイトル「嵐にやられてメッタメタ」から取りました。
わかるわけないですよね。
なぜかこの「嵐にやられてメッタメタ」というタイトルが好きで、いつか使いたいと思っていたんです。


ガンバの冒険は子供の頃テレビで見ていました。
大学生の頃には全話ビデオで持っていましたが、経年劣化ですべてゴミになりました。

火曜日と水曜日は文字通り地獄でした。

火曜日、朝の9時に予備校の教務に電話をして、コロナ陽性の母を迎えに行って自分も感染したと伝えました。


この日は浪人の授業2つと、高校生の授業1つがあったんですが、すべて代講になりました。
本当に体調が悪くて、布団から出るのも一苦労という感じでした。
駅まで歩いて行って、電車で校舎まで行くなんて不可能な話でした。
それにそんな事をしたらクラスターを起こしてしまいます。
家で大人しく寝ている以外に道はありませんでした。


予備校側からは病院に行くように言われましたが、明日にして欲しいと頼んでこの日はずっと寝ていることにしました。


布団から出るのも難儀するほどに体調が悪くて、病院に行くのは無理だったんです。

部屋のシャッターは下ろしたまま、布団に戻り、寝ては目覚め、寝ては目覚めを繰り返していました。
熱は9度5分まで上がりました。
とにかく眠かったです。


そしてやたらと咳が出ました。
咳をするたびにベントオーバーローで痛めた腰に響き、とても苦しかったです。
あの腰の痛みが本当に余計でした。
ぎっくり腰とコロナのダブルパンチです。

実家で母はコロナに感染して、喉の痛みで夜は一睡もできなかったと言っていました。
それを僕は完全に他人事として聞き流していましたが、水曜日に身を以て理解することになりました。

水曜日は本当に地獄でした。


火曜日の咳と腰痛のダブルパンチもかなりキツかったですが、水曜日の喉の痛みは本当に激烈でした。
唾を飲み込む度に喉が裂けそうな激痛に耐えなければなりませんでした。
水を飲むのもそうです。
何かを飲み込む時には激痛を覚悟しなければならないんです。


夕方にはさらにひどくなって、何もしなくてもヒリヒリヒリヒリ喉が痛くて、苦しかったです。

それでも夜は2、3時間は寝る事ができました。
痛みで一睡もできないという事はありませんでした。

二日間、寝込んでいる間、娘から借りている「名探偵コナン」を読んだり、テレビを見たりしていましたが、「コナン」も話が難しくなると読むのが辛くなって来ます。
事件が起きて、大変だという展開のところはスイスイ読めますが、話が煮詰まって謎解きが行われるところになると、思考力がついていけなくなり、文字数の多さに疲れてしまって、いったん休憩という感じでした。

僕が寝たきりで苦しんでいる時、妻がいろいろと世話をしてくれて、とても助かりました。
まずは、咳を抑える薬(漢方)、解熱剤、喉の痛みを取る薬(漢方)、うがい薬を僕の部屋に持って来てくれました。


他に食べるものもすべて僕の部屋に持って来てくれました。
もしあの状態で一人暮らしだったらかなり厳しかっただろうなと思います。

家族に移さないために、ゴミはすべて僕の寝室の中に置いたままにし、外には出しませんでした。
脱いだ服も部屋に貯めておき、外に出しませんでした。
食べ終わった食器も部屋に置いておくつもりだったんですが、それには妻が反対し、洗ってくれました。


受け渡しは寝室の扉の前に置いて立ち去るという要領で、顔を合わせないようにしていました。

この火曜日と水曜日の完全寝たきり生活の二日間に何を食べたのか、よく思い出せません。
おぼろげに覚えている限りでは、火曜日の最初の食事はロールパン5個とプリンだったような気がします。


次の食事は僕が妻に頼んで、寿司とうな重を用意してもらいました。
寿司を食べた時にものすごく変な味がしたんですが、それは僕の味覚が変化していたからです。
でもその時はまだわかりませんでした。
多分火曜日の食事はこれだけだったと思います。

水曜日の最初の食事はインスタントラーメンにしました。
サッポロ一番しょうゆ味でしたが、これを食べる事によって、味覚や呼吸器に異常がある事がはっきりわかりました。
まず、湯気が気持ち悪くて咳き込んでしまいます。
空気中にコショウが飛散しているのでないかと思うぐらいに、ちょっとでも息を吸うと咳き込んでしまいました。


また、麺を口に加えた時も普通ではありませんでした。
口の内壁全体が、熱に反応してピリピリと痺れるようで、バクバク食べる事が出来ませんでした。
味は感じるんですが、味よりも熱による痺れの方が強かったです。

この日の2回目の食事はスパゲッティーにしたんですが、やはり同じでした。
口の中が熱に反応して痺れる感じです。
スパゲッティーはラーメンほど湯気を出さないので、咳き込むことはありませんでした。
なので、ラーメンよりはるかに食べやすかったです。

コロナで寝込んでいる間は、白米を食べたいと思いませんでした。
いつも食べている、鳥に胸肉、サバ缶、納豆も全く食べたいとは思いませんでした。
結果として炭水化物ばっかり食べていました。

火曜日、水曜日、木曜日は風呂に入る元気もなく、入りませんでした。
火曜日などは歯を磨く元気もありませんでした。
コロナがこんなに重い病気だとは思っていませんでした。
まさに聞いた話と経験は雲泥の差でした。

富士急ハイランドに行く予定でしたが、見送りました。

7月22日の土曜日から翌日の日曜日にかけて、つまり今日にかけて富士急ハイランドに行く予定でした。
去年と同じ6人のメンバーで1泊で富士急ハイランドに行く予定でしたが、僕はキャンセルしました。
メンバーはうちの娘と友達のサリーちゃん(中2)、サリーちゃんのお姉さん(高3)、お姉さんの友達(高3)と、サリーちゃんのお父さん、僕です。


今回は一棟丸ごと宿を借りて、お姉さんとその友達がキッチンで料理を振る舞ってくれる予定でした。
2人は高校の調理科の同級生です。


調理科の女子高生が作ってくれる料理を旅先で食べるなんて、とても楽しみでしたが、木曜日の朝に、お父さんに連絡して僕は辞退すると伝えました。


おそらく土曜日までには僕は元気になると思いましたが、他者に感染させる能力がしばらく持続するようなので、行く訳には行きませんでした。
娘にも事情を話して、1人で行ってもらう事にしました。

なんとか娘には移さずに済み、娘は無事に富士急ハイランドに出発しました。


富士急ハイランドでは今月20日にZOKKONという新しいジェットコースターがオープンしたばかりなので、絶対に行きたかったですが、残念です。

行かれなかったのは残念ですが、うれしかった事も2つありました。
一つは娘から、一緒に行こうよと言ってもらえた事です。
もう一つは、この夏の間に絶対に富士急ハイランドに行くつもりだと娘に宣言したら、じゃあ自分も一緒に行くと娘が言ってくれた事です。
これは嬉しかったです。

富士急ハイランドの電子チケットは一度買ったらどんな理由があってもキャンセルできないので、僕の分の代金はパーになります。
まあ、病気になったのは僕の責任なので、払い戻しができないことに不満はありませんよ。

木曜日に妻も発症してしまいました。

木曜日になって、僕の熱は7度台前半まで下がりました。
火曜日と水曜日はずっと39度台でしたが、木曜日になって熱が下がりました。
激烈なる喉の痛みも落ち着いて、普通の痛みになっていました。

朝起きると妻が9度近い熱を出してバタンキューになってしまったので、愛犬の散歩は僕が行くしかありませんでした。


娘はまだ寝ていたし、起こして娘にコロナを移してしまっても困るので、僕が行きました。
マスクをしてなるべく人に会わないように気をつけて歩きました。
まる二日間、シャッターを締め切った部屋で過ごしていたので、久し振りに外に出てやたらと景色が綺麗に見えました。


歩いていても時折ひどい咳が出ます。
そうするとしばらくの間、歩けなくなって立ち止まってしまいます。
あまり遠くへ行って体調が悪くなったらいけないので、家の近くを歩くようにしました。
いつもは1回の愛犬の散歩で6000歩から8000歩は歩くんですが、3000歩くらいで気持ち悪くなって来たので、家に戻りました。

部屋のシャッターを開け、布団を畳んで、部屋のゴミを捨て、掃除機をかけました。
でもそれをやるとすごく眠くなって来たので、畳の上に大の字になって横になっていました。
どのくらいの時間寝ていたのかわかりませんが、妻が倒れていて家事は僕がすべてやらなければならないので、今度は下の部屋に掃除機をかけることにしました。

すると洗濯物が恐ろしく変な干し方で室内に干してあります。
誰がこれをやったんだ?と思いましたが、妻は寝たきりだったので、娘がやってくたようです。
それにしても下手な干し方でした。

金曜日になってようやく平熱に下がりました。

木曜日の僕は7度台半ばの熱が1日続いて、なかなか6度台に突入しませんでした。
金曜日になってようやく6度台の平熱になりました。
まだ咳は激しく出ていましたが、腰の痛みはなくなっていました。
もしかしたらあの腰の痛みはベントオーバーローでやったぎっくり腰ではなく、コロナの症状の一つだったのかもしれないです。

妻は金曜日も部屋で寝たきりでした。
僕と違って熱が9度を超えることはなかったんですが、ずっと8度台をキープしていました。

この日はハンドグリップと7.5kgのプレートを下に持って行って、ハンドグリップ、プレートリストカールをやりました。


ハンドグリップは6回10セットで合計60回、プレートリストカールは、中腰に屈んで、手首を膝に固定して30回5セットやりました。
まだバーベルを使ってがんがんトレーニングができるほどには元気になっていませんでした。
でもなんらかのトレーニングはしたかったので、前腕種目だけやりました。

土曜日の朝、体重を測ってびっくり。

土曜日、娘が富士急ハイランドに出発する日です。
友達のサリーちゃんの家まで歩いて行って、そこから車で連れて行ってもらいます。
本当は僕も一緒に歩いて行くはずでした。


娘の見送りをするため、6時に目覚ましで起きました。
娘が出かけた後、食器を洗って、洗濯機を回して、久し振りに体重を測りました。

計画体重では、明日の日曜日に76.5kg以下になっていなければなりません。
果たしてどうか?と思って体重計に乗ってみると、なんと75.7kgでした。


ずっと寝込んでいて全く運動していないのに、嘘みたいに体重が減っていました。

ちなみに減量を開始したのは6月14日の水曜日でその日の体重は79.5kgでした。
そこから減量を開始して、つまみ食いは一切やめました。


お酒はやめていませんが、火曜日から金曜日までは体調不良のためお酒を飲めませんでした。

先週の日曜日は計画体重が77.0kgで、実際の体重が76.8kgでした。
翌日の月曜日には77.1kgになり、火曜日から金曜日まではコロナのため体重を測っていませんでした。
そして土曜日がいきなり75.7kgでした。
病気というのはすごいですね。
こんなに体重が減るなんて信じられないです。

土曜日の夜から封印していたお酒を解禁しました。
それぐらいに元気になりました。

日曜日の朝、体重を測ってもっとびっくり。

今朝、体重計に乗ってみると、なんと74.7kgでした。
昨日の75.7kgも驚きでしたが、もっと驚きました。
絶対に増えると思っていたのに減っていたからです。
しかも昨夜は缶チューハイを1リットル飲んでいるんです。
信じられないです。

もう体はすっかり元気になりましたが、まだ咳が止まらないです。
火曜日に1学期の浪人の最後の授業があるので、それまでには咳が止まって欲しいです。

妻は今日になってようやく平熱まで下がりましたが、夜になってまた少しぶり返しています。
妻が全快するのにはもう少し時間がかかりそうです。

今回はコロナで僕と妻が同時に倒れて大変な思いをしました。
電車の中でマスクをしている人を見ると、なぜマスクをしているんだろうかと不思議に思っていましたが、その考えを改めました。
ああいう思いをしたくないからマスクをしているんでしょう。
僕だってもう2度とごめんです。


当分の間は僕も電車の中でマスクをつけることになると思います。

5年ほど前に、インフルエンザにかかって親戚一同で行くはずだった正月旅行を吹っ飛ばしてしまった事があります。
その時はまだ小さかった娘にもうつしてしまい、最悪でした。
あの時の苦しみと今回のコロナの苦しみを比べると、10対11で、今回のコロナの方がきつかったです。
なんと言ってもきつかったのはあの激烈なる喉の痛みです。
本当にきつかったです。

コロナのことを、インフルエンザの10倍辛いという人もいますが、僕にしてみれば10倍ではなく、1.1倍でした。
10倍もきつかったら、多分あの世に行っていると思います。

夜中に突然急変して死んだりしないかと、不安を感じた事もありましたが、なんとか元気になりました。


妻とも話しましたが、もう健康が当たり前の年ではなくなりました。
健康は、努力を続けなければ維持できないものと思って、日々食事、運動、睡眠に気を使って生活していきたいと思います。

今回はこんなところです。
ありがとうございました。

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