明日は卒業式です。佐倉の歴史と初心者の筋トレについて少し。

ただの日記

こんにちは、鹿野一郎です。
今日は2022年3月16日の水曜日です。
一昨日、昨日と2日続けてジムでトレーニングをしたので、今日は何もトレーニングはしませんでした。
今日やった事と言えば、ネクタイを買った事、散髪に行った事ぐらいでした。
今日はだらけた1日でした。

明日は娘の小学校の卒業式です。

明日、娘が小学校を卒業します。
娘はハカマを着て卒業式に出席します。
僕と妻はスーツを着て出席します。
僕は普段はスーツを着ないので、入学式以来6年振りのスーツです。
少しキツくなっていましたが、まだ着る事が出来ます。


入学式の日の日記にも、ジャケットがきついと書いてありました。
6年後の卒業式では、スーツを買い替えなければならないほど、体をバルクアップさせたいと書いてありますが、そこまでにはなりませんでした。
きついですが、着る事はできます。
こうなったら、3年後の中学の卒業式ではジャケットが着られなくなるぐらいに体を大きくしたいです。

ズボンも少しキツくなっていました。
これは筋トレで脚が太くなったからではなくて、食べ過ぎてウエストが太くなったからです。
不名誉な事です。
ズボンを履いてみたのは5日前ですが、調度今減量中なので、おそらくもうキツくないと思います。
多分、明日は普通に履けると思います。

でも、ふと気づいてみると、ネクタイがありません。
僕は若い頃はスーツを着て仕事に行っていました。
そのころはネクタイをたくさん持っていて、おそらく40本以上ありました。
でも30代の半ば頃から、普段着で仕事に行くようになり、スーツを着なくなりました。
なので、ある時にスーツは今持っている一着を残して全て捨ててしまいました。
その後、さらに数年してから、ネクタイだけ取っておいても仕方ないと思い、入学式で締めた1本を残して全て捨ててしまいました。
若い頃、ネクタイには結構お金をかけたので、捨てるのは心苦しかったですが、あっても仕方ないので、処分しました。

入学式で締めたネクタイが、家の中のどこかにあるはずなんですが、どこをどう探しても見つかりませんでした。
午前中、2階の廊下のクローゼットの中を徹底的に探したら、ベルトとネクタイピンが出てきました。
ならば、ネクタイもここにあるはずだと思ったんですが、見つかりませんでした。
自分の部屋のクローゼットを探してもなく、1階の洗面所のクローゼットを探してもないです。
絶対に捨てる訳ないんですが、どうしても見つからないので、新しいものを買うことにしました。


明日締めたら次は中学の入学式で、その次は卒業式です。
高校の入学式には果たして僕は出席するんでしょうか?

僕が高校に入るときは、母は入学式に出ましたが、父は来ませんでした。
高校の卒業式も、大学の入学式もそうでした。
そして大学の卒業式は、僕自身が欠席しました。
僕は大学に6年通いましたが、大学に行くのが嫌で嫌で、卒業式なんて、クソ喰らえ!と思っていました。
もう馬鹿馬鹿しくて、後日教務課に行って卒業証書だけ貰えば良いと思っていました。
実際に、後日、教務課の窓口で卒業証書を貰ったんですが、それを広げて見た時には感動しました。

鹿野一郎
鹿野一郎

もうこれで二度とこの地獄の大学に来なくて良いんだ。
これでようやく牢獄から解放されるんだ。

と思いました。

卒業式に親として出るのは、疲れそうで嫌だなと思っていましたが、コロナのおかげで、在校生は誰も出ないし、来賓もいないので、かなり短時間で式は終わるでしょう。
とても助かります。
卒業式での、来賓のスピーチほど苦痛なものはないです。
しかもうちの娘の小学校は、入学式の時がそうでしたが、来賓客がやたらと多く、1人当たりの話もとても長かったです。
来賓客はざっと1ダースはいたと思います。
実に迷惑でした。


明日の卒業式は、卒業生も60人足らずなので、時間はかからないと思います。
式次第をみると70分で終わる予定のようです。
もっと短縮出来ないものでしょうか。

入学式の時は、ビデオカメラと三脚を持っていき、撮影に励んでいましたが、明日はビデオカメラも持っていかないと思います。
子供の成長に反比例して、ビデオや写真を撮らなくなりますね。
最近は、風景とバーベル、ダンベルの写真ばかり撮っています。

自分のバーベル

その後、床屋さんに行ってきました。

明日が卒業式だという事と、髪がずいぶん伸びていた事より、今日は床屋さんに行きました。
床屋さんには、僕が男の一人旅で鳥取砂丘に行ったと話しました。
すると、床屋さんも男の一人旅で箱根に行ってきたといいます。
お互いに、本当に久し振りの一人旅です。
床屋さんも言っていましたが、一人旅は全てをリフレッシュする事ができて、とても重要だと思います。


独身の時って、こんなに自由だったっけ?と思うぐらいに自分を解放する事ができて、ストレスが全部吹っ飛んだような気がします。
できれば、夏にもどこかに行きたいです。

床屋さんによると、今年は印旛沼ふるさと広場でのチューリップ祭りが開催されるそうです。
去年、一昨年はコロナで中止になりましたが、今年は出来るようです。
あれはおそらく佐倉市としては、印旛沼の花火大会と並ぶビッグイベントです。
チューリップの数の多さなら、おそらくハウステンボスにも負けないと思います。
興味のある方は、是非ともいらしてください。
(ふるさと広場に風車が建てられたのは、ハウステンボスの真似だと思いますが)

書く事がないので、佐倉の歴史について少し

京成電鉄は、上野と成田をつなぐ私鉄ですが、京成の「京」は東京の「京」で、京成の「成」は成田の「成」です。
この京成電鉄に、「宗吾参道」という駅があります。
宗吾霊堂に続く参道に近い駅なので、宗吾参道です。

宗吾霊堂というのは、お寺のようなものですが、僕は行った事がありません。
宗吾霊堂の前を通った事なら100回以上ありますが、中に入った事はありません。

2000年のシドニーオリンピックの女子マラソンで金メダルを取った高橋尚子さんは、オリンピックの前に小出監督と共に、宗吾霊堂を訪問したそうです。
また、僕の友達のPOSOが奥さんと初めて会った場所は宗吾霊堂でした。

宗吾霊堂というのがどういう場所なのか長いこと知らなかったんですが、佐倉市に住むようになって、自然に身につきました。
昔、おそらく江戸時代だと思いますが、佐倉宗吾という役人(本名は違うようですが、よく知りません。)が農民から年貢を取り立てていたんですが、その年はかなりの不作だったそうです。
農民たちが本当に困窮している様を見かねて、藩の上層部に年貢の減額を申し出たそうです。
でも却下されてしまったので、佐倉宗吾は江戸へ出て、将軍に直談判しようと決意したそうです。
当時は、地方の役人が将軍に直談判するというのは重い罪で、本人のみならず、家族まで処刑されるほどだったそうです。


でも、佐倉宗吾はそれを承知で江戸へ出て、将軍徳川家綱に直談判し、処刑されたそうです。
後に家族も処刑されたそうですが、佐倉宗吾の直談判により、農民への重税は緩和されたという伝説があります。
佐倉宗吾は佐倉市では英雄となり、その霊を祀るために宗吾霊堂が建てられたようです。

これはどこまでが本当で、どこからが作り話なのかはよくわからない話です。
このストーリーが空想だという説もインターネットで見つけたこともあります。
おそらく、アイザック・ニュートンが、りんごが木から落ちるのを見て万有引力の法則を発見したとか、ガリレオ・ガリレイがイタリアのピサの斜塔からさまざまな重さの球体を落下させて、重力加速度が一定であることを証明したというエピソードと同じ程度の言い伝えなのではないかと思っています。

臼井城址公園から見た西印旛沼です。

ここまでは知っていたんですが、最近になってあることを知りました。
印旛沼には北印旛沼と西印旛沼の二つがあります。
二つは自然な水路でつながっていますが、大きく蛇行して大回りし、水の流れが遅いために、人力で印旛沼捷水路という水路を直線で作り、北印旛沼から西印旛沼に水が円滑に流れるようにしてあります。
でも、印旛沼は昔はもっと大きな一つの沼でした。
水害を防ぐためや、農地の拡大のために埋めたてられ、今の形になりました。
おそらく江戸時代の印旛沼は今の2倍ぐらいの大きさがあったと思います。
どこかのサイトで、大正時代の印旛沼の写真を見た事がありますが、今の倍ぐらいありました。

今でも印旛沼の面積は、実は富士五湖の山中湖より大きいんです。
印旛沼の面積は9.43平方キロメートルで、山中湖は6.57平方キロメートルです。
おそらく、江戸時代には20平方キロメートルはあったのではないかと、僕は思っています。

今、北印旛沼と印旛沼捷水路の境目に、甚兵衛大橋という橋がかかっています。
大橋と言いますが、それほど大きな橋ではありません。
車道しかなくて、片側1車線です。
橋の長さは、おそらく100mから150mぐらいではないでしょうか?

ある日、なぜあの橋が甚兵衛大橋というのか調べてみたら、あの佐倉宗吾の言い伝えと深いつながりがある事がわかって、驚きました。
昔は橋なんかなかったので、印旛沼を渡るのに船を使っていました。
船頭さんが甚兵衛さんで、甚兵衛の渡しと言われていたそうです。

佐倉宗吾が江戸へ出ると知れ渡った時、絶対に印旛沼を渡らせてはいけないと、お触れが出たそうです。
そのため船は鎖で繋がれ、出せなくなったと言います。


雪の降る寒い日に、佐倉宗吾が甚平衛の所に現れて、どうしても船を出してくれと頼んだそうです。
初めはダメだと断っていた甚平衛も、佐倉宗吾の情熱に負けて、鎖を解き、船を出したそうです。
佐倉宗吾を対岸に送り届けた後、藩の命令に反いたことを悔いて、甚兵衛は入水自殺をしてしまったそうです。

現在は、甚平衛の渡しがあった場所に橋がかけられ、甚兵衛大橋と名付けられたと言います。
甚兵衛大橋は、これまでに100回以上通った事がありましたが、そんなエピソードがあったとは知りませんでした。
成田市体育館にトレーニングに行くときは、毎回甚兵衛大橋を渡っていました。
昨日も通りました。

これらの話は、宗吾霊堂に行けば、詳しくわかるようです。
当時の様子を再現した人形などが展示してあって、詳しい解説があるようです。
それは偶然、ある人のブログを読んで知りました。
その方は、宗吾霊堂を訪問した事を記事にまとめていました。
地元なのに全く知らなくて、ショックを受けました。
近いうちに宗吾霊堂に行ってみたいと思います。
妻にも話しましたが、興味なさそうだったので、きっと1人で行くことになると思います。

成田山の風景
これは成田さんであって、宗吾霊堂ではありません。宗吾霊堂の写真は今度撮ります。

書く事がないので、筋トレ初心者の方向けに少し

書く事がないので、これからジムに通って筋トレをゼロから始めようという方に向けて、僕の意見を述べさせていただきます。

鹿野一郎
鹿野一郎

いきなりバーベル、ダンベルを扱うより、マシーンから始めた方が良いと思いますよ。

それが僕の意見です。
今はどこのジムに行ってもバーベルやダンベルのフリーウエイトがあると思います。
それをみると、バーベルでベンチプレスをしたくなると思います。
多くの筋トレ経験者の方も、マシーンよりバーベルで始めた方が良いと述べています。
でも、僕の意見は違います。
まずはマシーンからやった方が良いと思います。
理由は、マシーンの方が挫折しにくいと思うからです。
マシーンは、ベンチプレスでも、ショルダープレスでも、軌道が決まっているので、ただ押せば良いです。


でもバーベルを使ったベンチプレスは違います。
バーベルを上に押そうとしても、前後にふらついたりして、初めのうちはとてもやりにくいです。
それだけでなく、今は情報過多の時代なので、体を反ってブリッジを組みましょうとか、胸を張って肩甲骨を寄せましょうとか、その状態で肩甲骨を下にさげましょうとか、手首の向きはこうで、手幅はこうで、足の向きはこうでと、やかまし過ぎるほどのアドバイス、注意事項があります。
筋トレを始めた初心者にいきなりそんな事を要求しても無駄だと僕は思います。
まさに、過ぎたるは及ばざるが如しです。

それだったら、マシーンを使ってとにかく強く押す事だけを心がけてトレーニングをした方が良いと思います。
スクワットもバーベルを担いでスクワットをするより、レッグプレスのマシーンをやった方が良いと思います。

成田市体育館のベンチプレスマシーン
成田市体育館のベンチプレスマシーンです。


初心者にとって、一番重要なのは、とにかく続ける事です。
まずは黙って1年続ける。
細かい話はそれからで良いと思います。
気合を入れて1年もトレーニングすれば、ベンチプレスのマシーンで、全てのおもりを使っても物足りなくなるかも知れないです。
バーベルに移行するのは、それからで良いと思いますよ。

ベンチプレスのマシーンで100kgあげられる人でも、バーベルでベンチプレスをするとなると、80kgが挙がらない可能性があります。
とにかく初めはバーベルがふらついてしまって、おっかなびっくりのトレーニングになると思います。
でも、慣れればすぐにちゃんと安定したフォームで出来るようになります。
安定したフォームで、100kgぐらい挙げられるようになったら、そこで初めてブリッジを組むとか、肩甲骨を寄せるとか、そういう事を意識すれば良いと思います。

そんなこと言っても、最初に変な癖がついてしまったら矯正するのが大変なんじゃないの?
やっぱり最初からバーベルを使って、正しいフォームを意識してやった方が良いんじゃないの?

という人もいると思いますが、僕はそう思いません。
僕自身がそうでしたが、バーベルに慣れてからフォームを矯正するのは、なんて事ないです。
悪い癖がつくというのは無駄な心配だと思います。

それよりも、初心者なのに細かいことに気を使いすぎて、トレーニングが煩わしくなり、辞めてしまうリスクの方が何倍も大きいと思うので、まずはマシーンを全部あげられるようになりましょうというのが僕の意見です。

成田市体育館のカーフレイズマシーン(左)とレッグプレスマシーン(右)です。

今日は本当に書く事がなかったので、あれこれ好きに書かせていただきました。
ありがとうございました。

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