こんにちは、鹿野一郎です。
今日は2025年7月6日の日曜日です。
ものすごく久し振りの投稿になってしまいました。
去年、バーベルにかける情熱が燃え尽きてしまい、11月のパワーリフティング千葉県大会には、エントリーしませんでした。
そして今年は結局、選手登録もしませんでした。
一時期あれほどまでに燃えていたパワーリフティングについては、まるで別人のように前向きな気持ちが失われました。
これ以上やっても年齢的に記録の向上は無理だと思ってしまったからです。
そう思うと試合に向けたきついトレーニングに向き合おうという気持ちが急速にしぼんで来ました。
でも、何もしない人間になった訳ではないです。
去年の夏からもう一度空手をやりたいというエネルギーがマグマのように吹き出して、練習を再開しました。
道場には通っていません。
自宅で空手の基本稽古をしているだけです。
かつてはパワーリフティングの記録を伸ばしたいという情熱がとても強かったので、空手や柔軟運動などについて一定レベルを保ちたいという意欲がかき消されてわからなくなっていたんです。
でも、パワーリフティング熱が急速に冷めて行ったため、再び空手をやりたいという欲望が表に出て来ました。
道場に通わずに自宅で基本稽古だけをすることに意味があるのか?
と思う人も多いでしょう。
僕も昔だったらそう思ったはずです。
でも僕はもう若くないです。
今年の夏で58歳になります。
この歳になって、若かった頃のように道場に通い、試合に出て、勝つことを目指すという事は、もうないです。
どんなに鍛えても若い頃の戦闘力には及ばない事がわかっているからです。
道場稽古で初めの30分に全員でやる基本稽古を自宅でやるだけの生活を送ってきました。
それだけでもやるとやらないではかなり違いがあると思うので、やることにしました。
去年の8月30日から空手の練習は表計算で管理するようになって、今日まで継続的にやっています。
練習のメニューは1ヶ月ごとに見直していますが、概ね拡大の一途を辿っています。
最近では空手の練習にも柔軟運動にも1時間半はかかるようになっています。
ジムには週に1回のペースで通っていましたが、6月一杯で辞めました。
今年に入ってから6月に至るまで、ジムには行くものの、自宅のバーベル、ダンベルを扱う事はなく、すっかりほこりをかぶってしまいました。
その姿を見ていられないので、自分のバーベルとダンベルでトレーニングをする事にしました。
かつてのようなスクワット、ベンチプレス、デッドリフトの自己ベストを更新するためのトレーニングではありません。
どちらかというとバルクアップを目的としたトレーニングですが、それだって今以上の筋量を手にするのは難しいでしょう。
現状を維持することすら難しいのではないかと思います。
筋肉や筋力を失う事は寂しい事だと思いますが、それ以上に今は空手の技を向上させ、柔軟性を向上させる喜びの方が僕には大きいので、空手を中心とする生活をしています。
今日は今年に入ってからの半年間を簡単に振り返りたいと思います。

今年に入ってからの空手の練習について
空手の練習を表計算で管理するようになったのは去年の8月30日でした。
あの頃は蹴り10種目、突き5種目、裏拳3種目、肘打ち3種目、受け4種目と準軟運動をやっていました。
空手の練習があまりにも久し振りすぎて、突きは突いても引く事ができませんでした。
蹴りも蹴っても引く事ができず、前蹴りを20発も蹴ると足がパンパンになってしまいました。
突きも全くダメで上段のワンツーを繰り出そうにも、突きが引けないのでものすごくぎこちなかったです。
9月の頃は上記の合計25種目を毎日やる事ができず、どんどん借金が溜まっていきました。
でもやればやるほど体が動くようになるので、やっていて不様な思いはしましたが、楽しかったです。
やっぱり向上しているのが実感できると楽しいです。
10月の終わりになった頃、日々の練習のメニューは以下のようになりました。
突き6種目、裏拳4種目、受け7種目、手刀打ち4種目、肘打ち4種目、蹴り14種目、柔軟運動5種目。
9月と比べるとかなり増えていますが、体力もついてきて体も動くようになってきたので、日々のメニューを確実にこなせるようになりました。
この頃から、過去のメニューのやり残しをやって行くことにしました。
借金の返済です。
9月と10月でにたまった借金は種目によっては膨大な量でしたが、それでも日々返済できるだけの体力がついてきました。
11月の末に借金の返済が全て終わり、無借金生活に入りました。
現在は突き14種目、裏拳4種目、受け13種目、手刀打ち4種目、肘打ち4種目、蹴り17種目、柔軟運動8種目をこなしています。
去年の9月から比べたら2倍以上の量です。
これだけの量を毎日こなせるぐらいに体力が戻ってきました。
若かった頃、僕は必ず左前に構えていたので、練習もすべて左前でやっていました。
左足が前、右足が後ろの立ち方です。
でもこれはとても良くないことだと思うようになり、今は左前だけでなく、右前でも同じように練習しています。
右前のワンツーは、やった事がない種目だったので、最初はものすごくぎこちなかったですが、今では少しはマシになりました。
昔は左の中段回し蹴りが弱いという悩みを抱えていましたが、今は左もだいぶ強く蹴る事ができるようになりました。
やっぱり継続は力なりだと思います。
体が動くようになると、戦い方のイメージも変わってきます。
バーベルのブログに書いた事があると思いますが、実際に起きた事件を自分の身に起きる事と想定して、戦い方を考えた事があります。
仕事帰りに1人で歩いていたら男女6人組の若者に囲まれて金を出すように要求される、そのうち1人はバットを持っている、という状況です。
実際に襲われた若い男性はぼこぼこにされた挙句に財布を盗まれて、クレジットカードでキャッシングまでされたそうです。
もし僕がそのような状況に遭遇してしまったらどうするか?
これを考えたのは空手の練習を再開した直後でした。
おそらく空手の練習を再開する前だったら、そのような状況になっても戦うという判断はしなかったでしょう。
大声を出して、「強盗だー!警察を呼んでー!!警察、警察ー!!!」と叫べば6人組は逃走するでしょう。
それが一番現実的な対応だと思いますが、もし戦うならどうするか、と考えました。
やるならバットを持っている相手を真っ先に襲ってバットを奪うべきでしょう。
ではどうやってバットを奪うか?
当時の僕には、相手に確実にヒットさせて、しかも相手に相応のダメージを与えられる技は飛び蹴りしかありませんでした。
飛び蹴りは子供の頃から遊びでやっていたので得意な蹴りです。
大昔、「闘え!ドラゴン」という子供向けのドラマがあって、それが大好きだったので、よく真似をして飛び蹴りをしていました。
闘え!ドラゴンは1974年の7月から12月まで放送されたドラマで、主演は倉田保昭さんでした。
1974年ということは、僕は7歳だったことになります。
あの当時は倉田保昭さんが大好きでした。
まだブルース・リーも知らなかったので、ヌンチャクといえば倉田保昭さんと思っていました。
僕は飛び蹴りも右で蹴る事しかできないので、蹴り方は以下のようになります。
左前で立って、右足を前に踏み出し、次に左足を前に踏み出したら、この左足で床を蹴ってジャンプし、右足で相手の顔面を蹴ります。
これは不意打ちにはかなり効果的な技だと思います。
去年の秋頃の僕は6人組に囲まれたら相当な恐怖を感じたでしょう。
だから不意打ちでバットを持っている男を倒し、バットを奪うことを考えたのです。
一番効果的なのは飛び蹴りでした。

でも年末には考えが変わりました。
わざわざ飛び蹴りなんかしなくても、普通に足刀横蹴りで良いではないかと思うようになりました。
これは大きな違いです。
秋の頃は、まだ体が硬くて相手の顔を足刀横蹴りで蹴るなんて事は出来なかったのでしょう。
だから飛び蹴りをするしかないと考えたんですが、飛ばなくても相手の顔まで足が届くなら、飛ぶ必要はないです。
さらに春頃になると、足刀横蹴りを顔面に喰らわせる必要もないのではないかと思うようになりました。
相手がバットを持っていると言っても、剣道のようにバットを振りかぶった状態で向かってくる訳ではないでしょう。
6人組で1人のおっさんを囲み、自分がバットを持っているとなったら普通はおっさんが攻撃して来るとは思わないでしょう。
となればバットの持ち方も、片手でグリップを持って、先端は地面に置いているとか、あるいは右手でグリップを握って、右手で真芯のあたりを持っているような感じになると思います。
それだったらいきなり上段突きを決めても良いし、下段回し蹴りを決めてから上段を突いても良いでしょう。
これは試合ではなく、護身のためのルール無用の戦いなので、相手が無防備な立ち方をしているならば、金的を蹴り上げるのが最も効果的だと思います。
偉そうなことを書いていますが、不意打ちならばこういう事ができると思います。
ご丁寧に宣戦布告をしてしまったら、相手も戦闘モードに入るので、6人相手ではかなり厳しいです。
しかもそのうち1人がバットを持っているとなったらかなり厳しいです
きっとやられてしまうでしょう。
やるとなったら不意打ちしかないですね。
でも極真空手の黒帯の人達ならば、6人相手に宣戦布告をしてから戦っても簡単に勝つと思います。
あの人達は本当にバケモノです。
僕は極真空手の茶帯でしたが、茶帯と黒帯の違いは、白帯と茶帯の違いぐらいあると思います。
帯は下から順に、白、オレンジ、青、黄色、緑、茶色、黒となりますが、黒帯の人々の強さは別次元です。
6人相手に宣戦布告してからでも絶対に勝てると思います。
僕もそのぐらいの強さを身につけたかったんですが、若い頃どんなに頑張っても届きませんでした。
今の僕の戦闘力は30代半ばで茶帯を取った時の戦闘力にははるかに及びませんが、それでも去年の今頃と比べたら大分良くなっていると思います。
相手がバットを持っていても、振りかぶって構えていないならば、先制攻撃で相手を鎮圧するのは難しくないと思っています。
空手の練習を続けるにあたって、目標はあります。
突きや蹴りの威力をもっと強くしたいです。
自宅で1人で練習しているだけなので、スパーリングやミット打ちなどは出来ないです。
ただ、突きと蹴りの威力を増して、相手を一撃で倒せるようになりたいです。
バットを持った相手を1発の下段回し蹴りで倒せるぐらいになれたら良いですね。
最近の柔軟運動について
柔軟運動って、普通はやらないですよね。
健康のために運動をしている人はたくさんいますが、柔軟運動ってあんまりしないですよね。
ここで僕が言う柔軟運動とは、結構本気の柔軟運動の事で、軽めのストレッチとは別物のつもりで言っています。
ここで言う柔軟運動は、前屈をするなら腹がぺったりと太ももにつくようになり、左右開脚をするならきっちり180度まで開き、前後開脚もきっちり180度まで開き、ブリッジをする時は肘も膝も伸びる状態を目指す柔軟運動のつもりです。
筋トレ前の体をほぐすストレッチとは目的が違います。
こういう柔軟運動をする人はすごく少ないと思います。
まあ、あんまり必要ないですからね。
でも僕は中学の頃から柔軟運動をするようになりました。
理由はジャッキー・チェンへの憧れでした。
ジャッキー・チェンの映画はかなり見ましたが、初期の映画ではその柔軟性もかなり披露されていて、僕もあんなふうになりたいと思って柔軟運動をしました。
中学生の頃、股割りができるようになりました。
そう、股割りと言っても通じない人が多い事が最近になってわかってきたので、ちょっとだけ説明します。
股割りとは膝を伸ばしたまま左右の脚を180度まで開くことを言います。
以前、職場で同僚と股割りについて話をしたんですが、それはとても噛み合わない会話でした。
会話は以下のような感じでした。
「最近、柔軟運動を再開したんですが、股割りができないんですよ。」
「どうして出来ないんですか?」
「え?それは体が硬いからですよ。」
「じゃあ、どうやったら股割りができるようになるんですか?」
「え?それはひとえに、股割りをし続けることですよ。」
僕はこの会話で、「どうして股割りが出来ないんですか?」という質問がとても不思議でした。
世の中のほとんどの人は股割りが出来ないのではないか?
股割りが出来る人なんて、ベンチプレスで100kgをあげられる人よりも少ないのではないか?
と思いました。
どうやらその同僚は、僕がいう股割りが180度の開脚の事だとわかっていなかったんだと思います。
おそらく同僚も僕の返事を聞いて変だなと思ったと思います。
どうやったら股割りができるようになるかと尋ねて、返事が股割りをし続けるというのは普通に考えたらおかしいですよね?
出来ないんじゃなかったの?となってしまうと思います。
これは僕の説明不足で、180度まで開かなくても可能な限り開いて、痛いのを我慢して徐々に柔らかくしていくと答えないとダメでしたね。
股割りというのは脚を左右に180度開くことだと思っていましたが、Googleで股割りの意味を調べたら以下のようになっていました。
「股割り」は、相撲の稽古で行われる柔軟運動の一つで、股関節の可動域を広げるためのものです。
具体的には、両足を大きく開いて座り、上半身を前に倒すことで、内もも(内転筋)のストレッチを行います
おかしいですね。
180度まで脚を開くのが股割りだと思っていたんですが、違うようですね。
ではここでは180度まで開脚することを「完全な股割り」と定義させてもらいます。
去年の8月から柔軟運動はやってきましたが、初めのうちは空手のおまけでやっていた感じでした。

ようやく「完全な股割り」は出来るようになりましたが、まだ痛くて仕方ないので、もっと柔らかくしたいです。
なので最近は柔軟運動を空手の練習より熱心にやっています。
当たり前のことですが、やっぱり柔軟運動は毎日やらないとダメですね。
仕事が忙しい日はどうしてもできなくて、4日振りに股割りをやってみたけれど、なんとか180度開いてよかった、なんて言っているようではダメなんですね。
毎日やらなければダメだと自分に強く言い聞かせて、ここ1週間は空手の練習よりも柔軟運動を優先しています。
すると確かに柔らかくなって来ました。
先月まで僕は股を開いて行って、左右のふくらはぎが畳につくようになったら一応オーケーとみなしていましたが、最近になって、とうとう膝の内側が畳につくようになりました。
ようやくこれで「完全な股割り」ができるようになりました。
でも、まだまだです。
股割りは可能な限り開く事を60秒3セットやっていますが、3セット目の後半30秒でようやく膝の内側が畳につくようになるという感じです。
とにかく痛くて仕方ないです。
もっと柔らかくなれば2セット目で膝の内側が畳につくようになり、さらに柔らかくなれば1セット目で膝の内側が畳につくようになるでしょう。
そして痛みも全く感じないでしょう。
中学、高校の頃はそのぐらいの柔軟性はありました。
なんとか取り返したいです。
前後開脚は若い頃苦手で、どうしても180度開きませんでした。
特に右足が前の時が固くて、痛かったです。
でも最近は毎日ちゃんとやっているので、前後開脚については人生で今が一番柔らかいです。
まだ完全に180度開いているわけではないですが、続ければいずれそこまで到達できると思っています。
ブリッジも最近やっています。
ブリッジと言ってもベンチプレスのブリッジではないです。
床に足と手をついてへそを天に突き出し、体をアーチ状に反るあれです。
今の能力では20秒続けるのが精一杯ですが、始めた頃よりは上体が反るようになって、肘や膝が伸びるようになって来ました。
なんで柔軟運動をするのかというと、自分より背の高い相手の顔を蹴る事ができるようになるためです。
今の柔軟性でも自分より背の高い相手に上段回し蹴りを喰らわせることはできます。
でも、掛け蹴りや後ろ回し蹴りではまだそこまで足があがりません。
今よりもっと体が柔らかくならないと、相手の顔まで届かないと思います。
それと後蹴りですね。
今の僕の柔軟性では、後蹴りは相手の水月(みぞおちのこと)までしか足が上がりません。
後蹴りで相手の顔を蹴る事ができるためには、かなりの柔軟性がないとダメだと思います。
ジャッキー・チェンやブルース・リーは映画の中でそれを自由自在にやっているので、そうとうな体の柔らかさだったのでしょう。
最近の筋トレについて
最近、筋トレは自宅でやっています。
でも筋トレというのはおこがましいです。
筋トレごっこという感じでしょうか。
自宅のバーベルとダンベルで大体以下の種目をやっています。
バーベルカール 40kg10回3セット
ライイング・トライセップ・エクステンション 45kg10回3セット
フロアプレス 80kg10回3セット
ショルダープレス 45kg10回3セット
ベントオーバーロー 80kg10回3セット
サイドレイズ 17kg10回3セット
かつて、燃えていた頃は週に5日から6日はトレーニングをしていましたが、今は週に1回だけです。
一応やっているという感じです。
なんでこんな事になってしまうかというと、時間がないからです。
空手の練習と柔軟運動をすると、筋トレをする時間が取れなくなりました。
パワーリフティングの試合に初めて出たのは2016年の12月でしたが、その後は試合に出る度に記録を更新する事が目標になりました。
そしてその目標を達成するために熱心にトレーニングをしました。
パワーリフティングを始めるまでは時々空手の練習や柔軟運動もしていましたが、それらは全くしなくなりました。
スクワットやデッドリフトを気合い入れてやると、ほぼ毎日脚が筋肉痛になっていたので、蹴りの練習はできないし、柔軟運動も痛くて出来なくなりました。
それでもパワーリフティングの記録を更新するために、それらの犠牲はいとわずにトレーニングに打ち込んできました。
本気になって取り組めばトータルで500kgは簡単に超えられるだろうと思っていましたが、実際には455kgが限界でした。
74kg級での僕の公式記録のベストは、ベンチプレスが107.5kg、スクワットが175kg、デッドリフトが185kgでした。
ジムで出した記録はベンチプレスが110kg、スクワットが185kg、デッドリフトが195kgでしたが、試合になると74kgまで体重を落とさなければならないので、それで力が出なくなりました。
一時は記録を伸ばすために83kg級に転向することも考えましたが、やっぱり74kg級で記録向上を目指そうと考えるようになりました。
そして、一応自分としてはやるだけやって、もうこれ以上伸びないという気持ちになりました。
それでパワーリフティングの火は消えました。
僕は大学生になったぐらいから周囲の人々からマッチョ、ガタイが良いと言われて来ました。
時としてそれが辛い時もありました。
僕なんか全然大した事ないのに、周りの人が勝手に人を超人みたいに言う事が辛かった事もありました。
ならば本当に超人になってやろうじゃないかと思ってパワーリフティングを始めましたが、いくら頑張っても凡人のままでした。
でも、すっきりした気持ちはあります。
やるだけやったという気分です。
僕は頑張っても千葉県記録を更新する事ができませんでした。
あ、そうですよ。
千葉県記録ですよ。
この千葉県記録が最近大幅に更新されて、僕の手の届かないところに行ってしまったので、火が消えたという捉え方もできます。
僕が燃えていた時は、千葉県の74kg級のマスターズ2(50歳代の部)の記録はベンチプレスが112.5kg、スクワットが180kg、デッドリフトが190kgだったと思います。
どれも手が届きそうだったので、次こそは記録を塗り替えてやる!と燃えていましたが、最近急激に74kg級マスターズ2のレベルが上がり、全く手が届かなくなりました。
現在の記録はベンチプレスが122.5kg、スクワットが192.5kg、デッドリフトが235kgです。
全く届かなくなったので、情熱の火が消えたという側面もあると思います。
まだあります。
ジャパンクラシックマスターズの標準記録が変更されて、僕には縁のない話になってしまった事も影響しているでしょう。
ジャパンクラシックマスターズというのはノーギアの全国大会で、標準記録を上回っていないと出場する事ができません。
かつて74kg級の標準記録は410kgだったと思います。
僕はこの記録はクリアしていたので、出ようと思えば全国大会に出られる状態でした。
ですが、ある時標準記録が大幅に引き上げられました。
僕に記憶が確かなら、74kg級のマスターズ2は480kgに引き上げられたはずです。
これでは出る事ができません。
これで情熱の火が消えたという側面もあると思います。
今調べてみたら74kg級マスターズ2の標準記録は460kgですね。
僕の記憶が間違っていたのか、または再び変更されたのかも知れないです。
460kgなら自己ベストプラス5kgです。
なんか届きそうな気もしますね。
今はまだ空手の練習と柔軟運動の炎が燃え盛っているので、筋トレは後回しになると思いますが、いずれ空手の練習や柔軟運動で納得できる能力を手に入れたら、再び気持ちがバーベルに向かうかも知れないです。
どうなるかは正直なところわかりません。
空手の技が自由に繰り出せるようになって、体も柔らかくなったとして、もしかしたらランニングをしようと思うようになるかも知れないです。
やっぱり走れないより走れる方が何かと良いですからね。
この先どうなっていくかはわからないですが、筋トレをやめるつもりはないです。
やっぱり腕が細くなったり、肩が小さくなったりするのは嫌ですからね。
なんとかして続けたいと思います。

通信制高校に通い始めた娘について
うちの娘は中学1年生の秋から不登校になっていました。
今は高校1年生になり、一応通信制高校に通っています。
通信制高校に通っているというと、多くの人が次のように言います。
え?通信制でしょ?自宅でパソコンで授業を受けるんじゃないの?
確かにそういう完全通信制もありますが、あまり主流ではありません。
通信制と言いながら、実は通う方が主流になっています。
娘が通っている高校にはいくつかのコースがあります。
週5日コース、週3日コース、週1回コース、月1回コース、完全通信コースです。
娘は月1回コースに在籍しています。
でも月に1回しか学校に行かない訳ではなく、結局週に2回ぐらいは行かないと卒業できないようになっています。
月に1回というのはホームルームが月に1回あるという事です。
通信制高校の単位を取るためには、授業に出て、レポートを提出して、テストを受けて合格しなければならないです。
卒業に必要は単位は74単位です。
科目数で言うと40科目ぐらいでしょうか?
例えば現代の国語という科目では、授業には1年間で2時間出席することが求められます。
レポートというのは独自の研究成果をまとめた論文ではなく、言って仕舞えば宿題のプリントです。
現代の国語の場合はレポートが6枚課されます。
レポートを6枚提出してすべて60点を超えていると試験を受ける資格が手に入ります。
60点を下回った場合は期日までに再提出することになります。
試験は前期試験と後期試験で、年に2回あります。
そのどちらかに合格すれば単位が取れます。
試験はレポートの内容から全く同じ問題が出されます。
そして合格点は100点満点で30点です。
試験に不合格になると、後日再試験があります。
だれがどう考えても、単位を取れないはずがないんですが、不登校だった子達にとってはこれでも結構なハードルのようです。
うちの娘は現状では出席日数もレポートの提出状況も足りていません。
なんとか3年で卒業して欲しいので、親としては落ち着かないです。
中学1年の秋から卒業まで、ほとんど中学には行けなかった事を考えると、通信制高校には通ってるだけでもすごい進歩だと思います。
娘は高校よりもアルバイトをとても熱心にやっています。
娘の生活は学校が週1回か2回で、アルバイトが週5日という感じです。
ハンバーガーチェーンの店でひたすらハンバーガーを作っています。
アルバイトが楽しいと言っているので、とても助かってます。
かつては家に引きこもって昼夜逆転の生活をし、常にスマホを見ているだけの暗い人間でしたが、外に出て社会生活を送る事ができるようになりました。
前にもブログで書きましたが、娘は中学3年生の1年間離島留学をしていました。
僕のうちは千葉県佐倉市にありますが、瀬戸内海の離島にあるフリースクールに1年間入所し、他の不登校の中学生7人と共同生活をしていました。
自分たちで食事を作り、洗濯をし、掃除をする生活を送っていました。
島の運動会や文化祭などに参加させてもらい、畑仕事を手伝ったり、釣りや漁をしたり、和菓子の作り方、うどんの打ち方などいろいろ教わって来ました。
あの離島留学がなかったら、娘は今でも昼夜逆転の引きこもりで、誰とも会う事がなく、スマホだけが友達の生活をしていたかも知れません。
フリースクールにはとても感謝しています。
でも、子供を持つと心配事は絶えないですね。
通信制高校を3年で卒業できるのだろうか?
卒業後は専門学校に通うと言っているけれど、果たして通えるのだろうか?
など、勝手に色々考えてしまいます。
まあ、最近はこんな感じの生活をしています。
僕は30歳になる時は、20歳になった時よりも筋力がありました。
40歳になる時に、30歳の時より筋力があることはありえないだろうと思っていましたが、実際には40歳の僕の方がかなり強くなっていました。
さすがに50歳になったらもう衰えているだろうと思っていましたが、50歳になった時の僕は40歳の時よりさらに強い筋力を手にしていました。
あと2年ちょっとで60歳になりますが、もう無理です。
60歳になった時の僕は50歳の僕より絶対弱くなっていると思います。
もう限界を悟り、上を目指さなくなったので、その路線での向上はあきらめています。
でも、空手の練習をやり、柔軟運動をやり、可能ならランニングもして、筋トレも続けて、トータル的な健康は維持したいと思っています。

ありがとうございました。