こんにちは、鹿野一郎です。
今日、2021年7月8日に六年生の娘が千葉県こども病院で手術を受けました。
娘は脚長不等という病気(?)です。
一昨年、2019年の1月に左右の脚の長さが違う事に気づきました。
そして2019年6月に千葉県こども病院で、骨端線成長抑制術という手術を受けました。
長い方の脚が伸びるのをしばらく抑制するために、膝近くの骨の成長線という物を挟むように、エイトプレートという金具を装着する手術です。
膝の左右に一個ずつ金具を埋め込んで、外観からは膝に金具が入っているとは全くわかりませんでした。
運動も普通にできました。
それから2年が経過して、今日それを取り出したんです。
昨日入院し、今日が手術でした。おそらく土曜日か日曜日には退院できるでしょう。
昨日、今日と二日続けて病院に行っていましたが、病院はとても疲れます。
今回の手術のために、僕は昨日、今日、明日の三日間は有給休暇を使わせてもらいました。
元々土曜日から8連休の予定だったんですが、三日間の有給休暇が加わって11連休になりました。
この連休ではみっちりトレーニングをしたいと思っています。
脚の長さが違う!
娘が三年生の冬、自宅で娘と一緒に柔軟運動をしていたら、左右の脚の長さが違う事に気づきました。
最初は姿勢が悪いんだと思って正しく座らせましたが、どうやっても脚の長さが違います。
右脚の方が2cmぐらい長いんです。2019年1月18日の僕の日記には以下のように書いてありました。
夜、風呂上がりに(娘)と柔軟運動をしていたら、(娘)の足の長さが左右で異なることが分かった。右足のほうが2cmぐらい長い。
詳しく見てみると膝の位置ですでに右足のほうが長い。
(娘)に聞くと、今年に入った頃から、直立していてもバランスが悪いという自覚症状があったそうだ。
骨盤矯正などの体操もインターネットで調べてやらせてみましたが、どうやらそういう問題ではないらしいという事がわかってきて、2月2日に地元の整形外科に連れて行きました。
その日の日記には以下のように書いてあります。
今日病院でわかった事は、(娘)の足は右が長くて左が短く、右が細くて左が太いと言う事。それと背骨が傾いて曲がっている事だ。
傾きの角度は14.7度だというのは覚えているが、左右のどちらに傾いているのかはよく覚えていない。
普通に考えて右足が長いなら、骨盤が右上がりに傾くはずなので、背骨は左に傾くように伸びるはずだ。
それを鉛直にするために右向きに反る事になるはずだ。
つまり、背骨を円弧に例えると、円の中心は右手側になるはずだ。
それを腹側から撮ったレントゲン写真で見ると、左右が逆になって、画面の左側が円弧の中心になるはずだ。
でもどっちに傾いていたか良く覚えていない。
先生は背骨を伸ばすように、体を右に傾けるストレッチをするように言ったが、それでは逆のような気がする。
それと先生は骨盤の傾きは無視できると言ったが、僕には骨盤も右上がりになっていたように見えた。
聖隷佐倉市民病院の側湾症外来
この四日後、今度は聖霊佐倉市民病院の側湾症外来を訪ねました。
その日の日記には次のような事が書いてありました。
レントゲンで(娘)の脚の骨の長さを正確に測ってもらったが、右の方が左より2cmから3cm長いそうだ。
つまり、(娘)の脚の長さの違いは、骨盤のゆがみが原因ではなく、骨の長さそのものが違っていたのだ。
そのせいで骨盤が傾き、結果として背骨も曲がっているのだ。
側湾症外来に行ったのだが、(娘)の背骨は側湾症と断定するほどは曲がっていないそうだ。
なので半年後にまた行って様子を見るという事になった。
側湾症外来の患者には女の子が多かった。というより女の子ばかりだったという方が正しいと思う。
下は小学生から上は高校生まで、女の子ばかりだった。
患者の中には体に装具を付けている子もいた。装具を付けたお陰で側湾症が改善したという高校生ぐらいの子もいたし、診察の結果、今後装具を付けなければならなくなったという中学生ぐらいの女の子もいた。脚の骨の長さが違うことへの対応について、成長が終った大人の場合は、短い方の足の靴にソールを入れて高さを調整するという方法をとるが、成長期の子供の場合どうするのが適切かは、側湾症外来ではわからないといわれた。
そして、千葉県こども病院に紹介状を書くから行くようにと勧められた。
家に帰って調べてみると、千葉県こども病院というのは誉田にある病院で、紹介状がないと受け付けない病院だそうだ。
こどもの治療に関してはかなりレベルが高く、海外からも研修のために医師が訪れるそうだ。
千葉県こども病院
千葉県こども病院に行ったのは2月12日でした。
その日の日記には以下のような事が書いてありました。
千葉県こども病院の先生は非常に詳しい先生で、今後の治療方針が明確になってとても良かった。
(娘)の脚の骨は右が左より24mm長い。
そのため骨盤も傾いていて右が左より17mm高い。
左脚に1cmの厚みのソールを履かせて立った姿勢でレントゲンを撮ると、背骨のゆがみは目に見えて少なくなっており、座らせてレントゲンを撮ると背骨はほぼまっすぐだった。
つまり、背骨の湾曲はまだ固定化していないので、足に1cmのソールを入れるだけで解消できるそうだ。
脚の長さが違う事が原因で骨盤が傾いて、背骨が湾曲していた。
では脚の長さは何故違うのか?可能性は三つあるそうだ。
(1)右脚に血の固まりなどが出来て血流がよくなり過ぎて右脚だけ成長している可能性
(2)左脚に成長を妨げる悪い原因がある可能性
(3)右脚にも左脚にもなんの問題もない可能性だそうだ。
レントゲン写真ではそこまで細かい事はわからないので、25日の月曜日にMRIを撮る事になった。
千葉県こども病院の先生の話では、レントゲンで見る限り、右足が伸びる原因も左脚が伸びない原因も特に見当たらないので、おそらく何も原因がないだろうということだ。でも念のためにMRIを撮るという。
もし右脚や左脚に原因が見つかった場合はその原因を取り除く事が必要になると思うが、可能性が低いということなので、ここでは考えない事にする。
何も問題が無かったときにどうするかというと、選択肢は二つだそうだ。
一つは左脚にソールを履かせて様子を見ること。
もう一つは右足にエイトプレートという金具を打ちこむ手術をして右足の成長を物理的に遅らせることだそうだ。
その手術では通常一週間の入院が必要になるが、わずか三日で退院した子もいれば、四週間入院していた子もいたそうだ。
退院後は普段と変わらない生活が出来、運動も出来るそうだ。
ただし、この手術にもリスクはあるという。
エイトプレートを取り除いた後、右脚がリバウンドをするように急激に伸びる可能性もあれば、エイトプレートを取り除いても伸びなくなってしまう可能性もあるので、いつ外すかは慎重に見極めるそうだ。もし手術をしないで経過観察をする場合は、ずっと左脚にソールを入れて暮らす事になる。
成長とともに左右差が解消されれば儲け物で、問題は自然消滅する。
左右差が変わらない場合は、一生ソールを履いて生活する事になると思う。
そして左右差が拡大する場合は手術が必要になると言う。
この場合の手術には二通りがあり、長い方の脚の骨を切断するか、短い方の脚の骨を切断し、引き伸ばして元の状態より長い状態でくっつくようにするかだそうだ。
どちらの場合も大変な手術になり、長ければ半年ぐらい入院する事になるそうだ。
とくに脚を伸ばす場合は脚の外側にごつい金属製の留め具をはめ続けたまま生活する事になるようなので、入院中も非常に不便な暮らしになるだろう。
そんな大手術をするぐらいなら、早めに対処しておいた方が良いと思う。先生の話では、膝にエイトプレートを打ちこんで成長を遅らせる方法は、(娘)がまだ九歳だから可能な治療法で、中学生以降だったら使えない方法だそうだ。
MRIで異常なしの結果が出た場合、エイトプレートを打ち込むか、経過観察をするか。
これは家族で決めなければならない問題だ。
最初にいった整形外科の先生は、経験則では左右差は拡大も縮小もせず、そのまま行く人が多いそうだ。
(娘)がそのようになった場合は一生ソールを履き続ける事になる。
それが嫌だから手術をしたいと大人になってから思った場合は、大手術をしなければならなくなる。
非常に判断の難しい問題だが、当の(娘)は極めて強力にエイトプレートを装着する手術を望んでいる。
脚の長さが違って歩きにくい、「気をつけ」をしにくいのが嫌なのだそうだ。
(娘)がそういうならば僕と(妻)が止める事は出来ないので、本当にそういう処置をすることになるのだろう。
ここでやる事になった手術が、骨端線成長抑制術というものです。
9歳の娘の膝に金具を埋め込む手術をするというのは、僕や妻にとってはとても辛い決断でした。
でも、「なっつの脚の記録」というブログを見つけ、精神的にかなり救われました。
このブログには同じく脚長不等で骨端線成長抑制術を受けた時の様子が細かく記されていて、娘がどのようになるのかをはっきりとイメージする事ができたからです。これならなんとかやれそうだ、と思えました。
手術の日 2019年6月10日
娘の右膝の半月板にはなんらかの問題があり、それが脚長不等の原因になっている可能性がある事がわかってきました。
そして手術の日の日記には以下のように書いてあります。
2019年6月10日です。
1時25分に看護婦さんが迎えに来て、4人で三階の手術室に下りて行った。
僕と(妻)はそこで(娘)とお別れになった。(娘)は三人の麻酔科の先生と一人の看護婦さんとともに手術室の中に消えて行った。
僕たちは7階のエレベーターホールの待ちあいコーナーで待つ事になった。
おそらく4時半には終わるだろうと思っていたが、手術は長引いて、5時半までかかった。
その間に僕と(妻)は交代で昼ご飯を食べに行ったり、休憩に行ったり、本を読んだりしてとにかく時間を潰した。
外は激しい雨がずっと降っていた。5時半になって手術が終わったと知らせがあったので、僕たちは3階に降りて行き、先生の話を聞いた。
手術は成功し、エイトプレートは(娘)の膝に打ちこまれた。
そのレントゲン写真も見せてもらったが、(娘)の脚にあの金具が入っていると思うと、少し辛いものがあった。
先生の話では、(娘)の右膝の半月板は水平断裂を起こしていたそうだ。
半月板の一部が水平方向に一部二枚に裂けていて、切れ端が膝の動きに合わせてめくれたりもとに戻ったりしていたそうだ。
そのため膝を曲げ伸ばしすると膝の中で何かがこりこり動いている感覚があり、内部で音がする原因になっていたそうだ。
手術ではこの切れ端の部分を取り除いたそうだ。半月板が縦や横に断裂するのはよくある話なのだが、水平断裂は珍しいそうだ。
特に激しいスポーツをやっている訳ではないし、何か大きな怪我をした訳でもないのに何故水平断裂が起こったのか、とても不思議だと話していた。
手術の前までは(娘)の膝のMRIに映っていた丸い映像がガングリオンなのか、半月板の切れ端なのかわからなかった。
今回手術をすればはっきりわかるという事だったし、もし半月板が切れているならば、その部分は取り除くという方針だったので、その方針通りに処置してくれた事になる。1時半から5時半という長い手術だったが、無事に成功して良かった。
先生には本当に感謝している。先生の話の後、僕たちは再び7階のエレベーターホールの待ちあいコーナーに戻り、(娘)が回復室で麻酔が覚めるのを待っていた。
6時には(娘)の意識が戻るだろうと言われたが、6時を過ぎても何の連絡もなく、連絡があったのは6時半だった。
麻酔が覚めないのではないかと,(妻)はひどく心配していた。
6時半に再び3階に降りて行くと、(娘)はベッドに寝た状態でそこにいた。
麻酔がかなり効いているようで、意識はあるがはっきりはしていなかった。
しきりに膝が痛いと言っていた。
そこには麻酔科の先生がいて、説明してくれたが、2種類の麻酔薬と、鎮痛剤を使い分けて、なるべく痛みが出ないように対処して行くそうだ。
(娘)の額にはシールを貼っていたような跡があったが、先生の説明では脳波を見る為に電極を4つ貼っていたそうだ。
(娘)が本当に寝ているかどうかは、脳波計を見ながら判断していたそうだ。
(娘)の右手には人差し指のところに何らかのチューブが取り付けてあって、指の部分は赤く光っていた。
これは以前にもどこかで見た事があるが、よく覚えていない。(娘)は顔も手も血の気が引いて、白くなっていたように思う。
手術の前はしきりに空腹を訴えていたが、麻酔が効いていて食欲はなくなったそうだ。
点滴で麻酔を打ったはずだが、手術台では気体の麻酔薬をマスクで吸ったそうだ。
一息吸い込む度に眠くなり、10回呼吸する前に意識がなくなっていたそうだ。
術後の経過
娘は翌日には別人のように元気になりましたが、半月板を切ったため、とても痛そうにしていました。
エイトプレートを埋め込む手術よりも、半月板を切る方が痛いそうです。
翌日は風呂に入る事ができなかったので、ベッドの上で看護婦さんが二人がかりで娘の体と髪を洗ってくれました。
ベッドの上でどうやって頭を洗うのか不思議でなりませんが、できたそうです。
手術の3日後には松葉杖を使って歩けるようになりました。
なのでこの日から、食事、トイレ、風呂に行くのに車椅子は使わずに松葉杖で歩いていくようになりました。
手術の5日後には片方の松葉杖で歩けるようになり、靴も自分で履けるようになりました。
風呂もトイレも一切看護婦さんの補助を必要としなくなりました。
でもまだ膝は痛くて曲げられませんでした。
手術の7日後には膝は120度ぐらいまで曲がるようになりました。ただし、真っ直ぐに伸ばした状態を180度としています。
リハビリ室の階段もスタスタと登れるようになり、手術をした右足に全体重をかけることも出来るようになりました。
この日、6月17日の日記に以下のような記述がありました。
インターネット上に「なっつの脚の記録」というブログがある。
なっつという子は(娘)より二つ年上の女の子で、幼稚園の年長の時に骨端線成長抑制術をし、おそらく二年生ぐらいの時に一度取り外している。
そして四年生で二度目の手術をし、現在も続行中だ。
その子は脚の左右差が3.5cmあったが、一回目の抑制術で2.2cmまで縮まり、今は二回目を続行中だ。
その子のお母さんがかなり詳しいブログを残してくれているので、術後の回復の様子がかなり詳しく分かる。
大体手術から十日ぐらいで痛みを感じなくなり、歩けるようになるらしい。
術後一ヶ月になると運動を再開できたそうだ。わずかにびっこを引いているが、はた目にはわからないぐらいになったそうだ。
しかし、この時点でもまだ正座をすることは出来ず、膝の角度は45度ぐらいまでしか曲がらないそうだ。
退院
そして娘はこの次の日の6月18日に退院しました。
翌日の6月19日(水)は学校を休み、20日の木曜日から学校に行きました。
この日は僕が車で娘を学校まで送って行きました。
この日の日記には次のように書いてあります。
学校についてから(娘)の荷物を持って昇降口へあるいて行くと、保健の先生(女性)が待っていて、(娘)を迎えてくれた。
事情を全て知っていたので、おそらく(娘)を待っていたのだろう。
僕は(娘)に付き添って教室まで行くつもりだったが、先生が付き添ってくれると言うので、荷物をすべて預けて僕は帰ってきた。
あれだけ受け入れ態勢がしっかりしていれば何の心配もないだろう。
学校生活で一番心配していたのは、(娘)が松葉杖で階段を上り下りしているときに、ふざけあっている男子と接触して階段から落下する事だったが、(娘)は職員専用の階段を使わせてもらえる事になっているし、保険の先生が付き添ってくれるので、何も心配はないだろう。
とても安心だ。
6月22日(術後12日目)にはもう松葉杖を使わなくなりました。
それから脚の長さを定期的に検査して、左右の脚の長さが逆転し、24mm短かった左足が、右足より6mm長くなったので、とうとうエイトプレートを取り出す事になりました。
手術は7月8日、今日でした。
2回目の手術、エイトプレートの取り出し
2年前と今日では娘の体は別人のように大きくなりました。
身長は134cmから148cmまで伸びました。
2回目の手術だし、今度は半月板を切ることもないので、痛みはとても小さいだろうと考えていました。
それに骨にビスを4本打ち込むより、打ってあるビスを抜く方が痛くないのは当たり前ですよね。
なので、2年前と比べると精神的にはとても楽で、何も心配していませんでした。
昨日は入院の日でしたが、恐ろしく疲れました。
10時に病院に行って、5時まで病院にいました。
初めの1時間は、脚のレントゲンを撮ったり、採血をしたりして動きがありましたが、残りの6時間は7階の病室でひたすら待つだけでした。
看護婦さんからの説明、薬剤師さんからの説明、執刀医の先生からの説明、麻酔科医の先生からの説明を聞くためですが、全員が一度に来てくれるわけではありません。皆さん忙しいので、順番に仕事をこなし、来られるときに来てくれるという感じでした。
僕と妻、娘はいつ来るかわからない先生たちをひたすら病室で待っていました。
パイプ椅子に座ったまま待ち続けるのは本当に精神的にキツかったです。
2年前は個室だったので、リラックスできましたが、今回は4人部屋です。
他にも小さい女の子とお父さんがいたので、リラックスはできません。
冷房は入っていますが、コロナの感染拡大防止のために窓が開放されているので、とても暑かったです。
全ての説明が終わって、帰る頃には、僕は疲労困憊していました。
筋トレを3時間ぶっ続けでやった時と同じぐらい疲れました。
娘は入院したので、そのまま病院に置いて帰りました。
そして今日は、なんと朝の8時に病院に来るように言われていたので、僕は5時起きで犬の散歩に行きました。
手術の開始は12時半ごろの予定でした。
でも予定が早まって11時半には手術が始まりました。
二回目だし、今回は半月板もないので、娘も全く緊張していませんでした。
手術の流れは、麻酔で寝かせるのに1時間、手術自体が1時間から1時間半ぐらい、麻酔から覚すのに1時間で、合計3時間から3時間半と聞いていました。
なので僕は待合室にパソコンを持ち込んで原稿仕事をしていたんですが、手術が始まってから1時間45分後に、手術が終わったという知らせがありました。
あまりの速さに驚きました。
2年前は手術後の説明のとき、先生は汗だくで疲れているのがはっきりとわかりましたが、今日はそんなことは全くなく、余裕の表情でした。
娘の膝から取り出したエイトプレートを見せてもらいましたが、予想より大きくて驚きました。
まさにビスです。あんなものを骨に打ち込まれたら痛いだろうなと思いました。
普通のプラスドライバーで締めたのか、それとも電動ドライバーを使ったのかは知りませんが、意識がある状態でそんな事をされたら気を失ってしまうのではないでしょうか。
ビスの長さは24mmでした。
エイトプレートは元々は平板だったと思いますが、骨が伸びる力でひんまげられたため、少し反っています。
これまでレントゲン写真を定期的に見てきましたが、最初はコの字型だったエイトプレートが、だんだんと広がって変形していくのがわかりました。
それだけ骨が伸びる力は強いという事なんでしょうね。
今日、手術後の娘はとても眠そうにしていました。
膝は全く痛くないと言っていました。現に膝は150度ぐらいまでは曲げられていました。
おそらく明日には歩けるようになるだろうと言っていましたが、本当にそんなに順調に回復するのでしょうか。
でも、なっつさんも二回目の手術の時は回復が早くて、手術の翌日には一人でトイレに行っていたそうです。
明日からもしばらく病院に通いますが、今日の手術で一段落しました。
今後も成長期が終わるまでは経過観察が続くと思いますが、もう何事も問題が起こらないでほしいです。
2023年4月の追記
今日は2023年の4月16日です。
2021年の7月に娘の膝に埋め込まれたエイトプレートを取り出してから、1年と9ヶ月が経過しました。
術後は経過観察をしていますが、徐々に期間が長くなって、最近は6ヶ月に一回病院で診てもらっています。
脚の長さは、24mm長かった右が5mm短い状態のまま推移しています。
左右差が10mm以内ならば正常ということなので、全て順調に来ています。
娘は中学2年になり、身長は154cmまで伸びました。
もうすぐ背が止まると思うので、おそらくそれで経過観察も終わりになると思います。
手術で切った傷跡ですが、今の段階ではかなりはっきり残っています。
何も知らない人が見たら、「どうしたの?その傷?」と聞かずにはいられないぐらいはっきりと残っています。
ただし、娘の場合は骨端線成長抑制術の他に、半月板の切断手術も同時にやっていて、そっちの手術の傷の方が大きいです。
骨端線成長抑制術だけだったら、傷の大きさは枝豆ぐらいの大きさのものが左右に一個ずつ残る程度だと思います。
5年後、10年後を考えた時、この傷がどのくらい目立たなくなっていくのかはわかりません。
でも、今回の手術をしたことによって、24mmもあった娘の脚長不等は解消しました。
やって良かったと思っています。
もし脚長不等のお子さんを持つ人がいるならば、特別な事情がない限り、この骨端線成長抑制術については前向きに検討した方が良いと思います。
手術の前は左の靴にソウルを入れて高さを調整していましたが、あのような不自由とはもう無縁になれました。
あとは、なるべく傷が回復して、わからない状態に近づいていってほしいと思うところです。
ありがとうございました。