こんにちは、鹿野一郎です。
今日は2024年5月13日の月曜日です。
昨日、パワーリフティング千葉県大会が開催されました。
僕は74kg級マスターズ2の部にエントリーしていましたが、出場を断念しました。
理由は体重を落とし切れなかったからです。
試合当日の朝の体重は74.8kgでした。
これで断念しました。
これまで11回の試合に出て来ましたが、体重が落とせなくて出場を断念したのは初めての事です。
このバーベルブログに何度も、目標は金メダルと書き続けてきて、このザマです。
ブログを読んで下さっている数人の方々には申し訳ないです。
散々大口を叩いておいて、とてもみっともない終わり方をしました。
本当に申し訳ありません。
とても不思議な事があります。
当日の朝も、そして一晩明けて今日になっても、悔しいという気持ちがほとんど全くない事です。
ようやく義務から解放されて自由になれたようにすら感じています。
なぜ悔しいという気持ちが起こってこないのか、自分なりに考えてみました。
おそらく以下の要素が関係していると思います。
(1)島の運動会に参加して体重が大幅に増えた。
(2)強い2人がエントリーして、金メダルの可能性がほぼゼロになった。
(3)島の運動会に参加して強い衝撃を受け、戦闘意欲が失われた。
(4)4月7日だと思っていた試合が5月12日と知って気持ちが半分折れた。
(5)10年飼っていたセキセイインコに目の前で死なれて、命、人生について考えた。
(6)50歳の日の日記を読み返してみて、ここが限界かも知れないと思った。
これらのことが複雑に絡み合って、悔しいという気持ちが全く湧いてこないのだと思います。
試合に出られなかったのに、今はやり切ったという充足すら感じています。
これまで半年間ずっと金メダルのためにトレーニングをして来て、試合のために食事も制限して来ました。
それらの制限が全てなくなり、自由になりました。
これから何をして生きていこうか?
と思ってしまったぐらいです。
もちろん、筋トレは続けます。
パワーリフティングの試合にも出ますが、何かが大きく変わりました。
試合前の体重の推移
5月に入ってから試合当日までの体重の推移は以下の通りです。
朝起きて、トイレに行ってからパンツ一丁で測定しました。
試合の検量の時と同じ格好です。
5月01日(水)75.6kg
5月02日(木)75.5kg 島の運動会に向けて出発した日
5月03日(金)測定せず 島の運動会当日
5月04日(土)77.4kg
5月05日(日)76.3kg
5月06日(月)76.1kg
5月07日(火)76.1kg
5月08日(水)75.7kg
5月09日(木)74.9kg この辺りから食事制限を厳しくしました
5月10日(金)74.7kg
5月11日(土)74.7kg
5月12日(日)74.8kg まさかの増加!!
試合の前日は夜8時に床につきました。
目覚ましは5時半にセットしましたが、夜中の1時半にトイレに起きたらそのまま眠れなくなり、布団の中で起きていました。
5時に布団を抜け出して体重を測ってみると、75.0kgでした。
終わった
と思いました。
が、靴下を脱いでいないことに気がついて、靴下を脱いで計り直すと74.8kgでした。
靴下って意外と重いんだなと思い、今度は靴下を手に持って体重を測ってみると、やっぱり75.0kgでした。
時刻は午前5時です。
検量は11時なので、あと6時間あります。
経験的に言えることですが、僕の場合は飲まず食わずでいれば大体1時間で100g体重が落ちます。
主に排泄が原因だと思いますが、呼吸による水分の放出も関係しているかも知れないです。
なので、飲まず食わずで試合会場に行けば検量は74.2kgでアウトという可能性が高いです。
軽くジョギングをして汗を流せば200gぐらい減らせるでしょうから、検量を突破できない事はなかったと思います。
実際、同じチームには当日の朝1kgオーバーしていたのに、検量をパスした人がいます。
でも、昨日の僕はもうあれ以上空腹に耐える事は出来ませんでした。
夜中の1時半に目を覚ましてから、5時に布団を抜け出すまで、ずっとおなかがグーグーなっていました。
あと6時間何も食べられないというだけならまだギリギリ我慢出来たかも知れないですが、さらにジョギングをして汗をかくなんて、耐えられないと思いました。
しばらく思案した後、まずは愛犬の散歩に行く事にしました。
長めに1時間の散歩をして、それから体重を測ってみようと思いました。
歩きながら色々な事を考えましたが、もうこの時点で今日の試合は無理だろうと思っていました。
検量をパス出来るかどうかも怪しいし、パスしても力が出ないのではないかと思っていました。
ぐるぐると色々な事を考えて、散歩の後の体重が74.6kg以下だったら会場に行き、74.7kg以上だったら試合を断念することにしました。
およそ1時間、色々な事を考えました。
日曜日の早朝の愛犬の散歩はとても気持ちよかったです。
家に戻って再びパンツ一丁になって体重計に乗ると、なんと74.9kgに増えていました。
なんで?
と思いましたが、冷静に思い出してみると朝一番の体重が74.8kgだった時点で、もう半分以上諦めていて、前の日の残りのコーヒーを飲んでしまっていました。
それで体重が増えたんです。
この時点で試合を欠場することが決まりました。
あっけない最後でした。
2階の自分の部屋に上がって行き、用意しておいたスポーツバッグの中から吊りパン、パワーベルト、リストラップ、リストストラップ、チョーク、Tシャツ、ハイソックス、スクワット用シューズ、デッドリフト用シューズを取り出して片付け、検量後に食べようと買っておいたパンを持って下に降りて行き、むしゃむしゃと食べました。
まさかそれを自宅で食べる事になるとは思いませんでした。
少し前までは検量で体重がオーバーしても、オープンという形で試合に出る事は出来ました。
順位はつかないけれども、記録は自分の物になるという事だったと思います。
でもルールが改正されて、体重がオーバーしたら失格になり、出場できなくなっているので、行きませんでした。
ここから下は、言い訳の連続です。
僕が何故今回こんな無様な負け方をしたのに悔しいと感じないのか、その理由を述べたいと思います。
島の運動会
一つ前のブログにも書きましたが、中学3年生の娘が離島留学している先の島の運動会に参加しました。
5月3日の事でした。
僕の家は千葉県佐倉市にあり、運動会の開催地は瀬戸内海に浮かぶ岡山県の島なので、前日は宿泊しました。
当日、港から島に向かう船は大混雑していました。
島の住民は20名程度しかいなくて高齢化が進んでいるんですが、島の運動会に合わせて子供、孫、ひ孫達が一斉に帰省して来たんです。
みんな久し振りに会うので、笑顔で会話が弾んでいました。
僕は1ヶ月振りに娘に会う事ができて嬉しかったですが、それ以上の島の雰囲気が素晴らしくて圧倒されました。
運動会には僕も参加しましたが、とにかく明るくて楽しい運動会でした。
僕は小学5年生まで社宅で育ちましたが、その社宅は広い敷地にボロい一軒家が7つ建っているとても古いものでした。
そこは7つの家で一つの家族というような暮らし振りでした。
やがて会社が社宅の土地を手放す事になったので、うちはその社宅を出て千葉県船橋市に引っ越しました。
僕は29歳の時に家を出て千葉県佐倉市に家を構えました。
あの当時の社宅の暮らしをまざまざと思い出し、今でもあの社宅があったらどうなっていただろうと考えました。
正月やお盆にはみんなが一斉に帰省して、島の方々と同じように近況報告をしたり、昔話に花を咲かせるのでしょう。
素晴らしく楽しいだろうなと想像しました。
そのような雰囲気の中で、減量のために食事を控えることが出来なくて、その日は間食で出されたパン、昼食のカレーライスを全て食べ、子供達が運動会で取ってきたお菓子まで食べてしまいました。
でもあの雰囲気に抗うことは僕には出来ませんでした。
帰りの新幹線では駅弁ののり弁を食べました。
でも運動会とのり弁で、75.5kgだった体重は77.4kgまで増えました。
試合まであと8日でリミットを3.4kg超えていました。
厳しい状況でしたが、何とかなると思いました。
あの島で娘は炊事、洗濯、掃除をしながら暮らしています。
1ヶ月で随分と明るくなったと感じましたが、1年もいたらかなり変わるでしょう。
僕もあの島で暮らしたいと思ったくらいです。
あそこで1年間暮らせば、娘には間違いなくプラスになるだろうし、そうなれば妻や僕も救われると思いました。
娘の反抗期、不登校、引きこもりは我が家ではどうにも解決できない問題で、もうすがるところはこの離島留学しかなかったんです。
もし選考に漏れて今でも娘が家にいたら、おそらく妻は精神的に持たずに倒れていたのではないか、と思います。
そのような状況からかなり好転したので、体重の増加ぐらいなんでもないと思いました。
4月7日だと思っていた試合の開催日が5月12日でした。
去年の12月10日の千葉県大会では、当時170kgが自己ベストだったスクワットで175kgを成功させ、自己ベストを更新しました。
とても嬉しかったです。
試技上で初めてガッツポーズをしました。
その試合では当然優勝できるものと思っていましたが、最後のデッドリフトの180kgが挙がらなくて2位になりました。
試合当日は金メダルを逃した事よりもスクワットで175kgを成功させた方が嬉しかったです。
でも、次の日になって金メダルを逃した悔しさが込み上げてきて、次の試合では絶対に金メダルを取ると誓いました。
パワーリフティングでは銀メダルは2個持っていますが、金メダルはないんです。
マスターズ2で2回優勝していますが、僕が優勝した時に限ってメダルが出なくて賞状しか貰えなかったんです。
どうしても金メダルが欲しくてその日から計画的にトレーニングを始めました。
次の試合は4月7日の日曜日だろうと予想を立てて、その日から16週間気合を入れてトレーニングを始めました。
試合まであと14週間、あと12週間という気持ちでトレーニングをしていました。
ところが2月21日千葉県協会のホームページを見てみると、4月7日に国体予選の試合を開催し、マスターズの試合は5月12日に開催すると発表されていました。
あと6週間のつもりでいたのに、あと11週間に変わってしまいました。
これは結構精神的にやられました。
別に協会が日程を変更した訳ではなく、自分で勝手に4月7日と思い込んでいただけなので、単なる自爆なんですが、これまではずっと4月の第一日曜日だったので、5月開催は完全に予想外でした。
スクワット、デッドリフトの両方を毎週しっかりやるのは僕にとっては結構な苦しみで、それがあと6週間ではなく11週間になったことで、緊張の糸が少し緩みました。
これは間違い無いです。
50歳の誕生日の日記
僕は19歳の時から日記をつけているんですが、何気なく50歳の誕生日の日記を読み返すことになりました。
毎年誕生日の日記は長いんですが、20歳、30歳、40歳、50歳の日記は特に長いです。
色々な事が書いてありますが、筋トレに関してはまさか50歳にして40歳よりパワーアップしているとは思ってもいなかったと書かれています。
それは40歳になった時にも同じような事を書いています。
でも60歳で今よりパワーアップしているはずはなく、おそらく50代の半ば頃で頭打ちになるだろうと書いてありました。
僕は今56歳です。
その予想が当たるなら、もうそろそろ年齢的な限界ということになります。
去年は12月にスクワットで自己ベストを更新しました。
今回の試合は全ての種目で自己ベストの更新を目指していました。
目標はスクワット180kg、ベンチプレス110kg、デッドリフト190kgでした。
全部成功すればトータル480kgで、455kgから大幅に自己ベストが伸びます。
試技の重量は以下のようになるはずでした。
スクワット 160kg、170kg、180kg
ベンチプレス 100kg、105kg、110kg
デッドリフト 170kg、180kg、190kg
全部成功すれば良いですが、減量のラストスパートがきつくて前日には強い脱力感も感じていたので、目標達成は難しいかと思いました。
もし第三試技を全て失敗すれば、スクワット170kg、ベンチプレス105kg、デッドリフト180kgで、トータル455kgです。
このトータル455kgは現在の自己ベストと同じ記録です。
まさしく年齢的な限界だと自ら証明するような形になってしまいます。
この50代半ばから横ばいになるだろうという予想が暗い暗示としてのしかかりました。
もう、どんなに鍛えても強くならない年齢に差し掛かったのかと思うと、とても悲しいし、認めたくなかったです。
セキセイインコのヨコちゃんの死
5月9日の木曜日、長年飼っていたセキセイインコのヨコちゃんが死んでしまいました。
10歳でした。
その日の昼、僕が書斎で予備校の授業の準備をしていると、下から妻の声が聞こえてきました。
ヨコちゃん、大丈夫?
ヨコちゃん、大丈夫?
あまりにも繰り返すので、そろそろ危ないのかと思って下に降りて行きました。
妻は鳥かごの前で両手の上にヨコちゃんを乗せていました。
ヨコちゃんはぐったりしています。
もう死んじゃったのかと思いましたが、微かに動いています。
妻は涙と鼻水を垂らしながら、ヨコちゃん、今までありがとうと繰り返すようになりました。
何度も呼びかけると、ヨコちゃんは軽く2、3回羽ばたきをしようとしました。
そして頭を起こし、しばらくしてぐったりと頭を下ろしました。
僕も一緒になって、ヨコちゃん、今までありがとうと言い続けました。
目に涙がたまりました。
やがてまた頭を持ち上げたと思うと、ぐったりとし、次第に目が細くなって行きました。
死んでしまったのかな?
妻によると心臓が動いているそうです。
見た目にはもうほとんど動きがありません。
僕は出勤の前に風呂に入る必要があったので、風呂に入りました。
風呂から出て戻ってくると、妻はまだそこにいて両手の上にヨコちゃんを乗せています。
もう死んじゃったみたい、冷たくなってきたと言います。
僕は一晩様子を見て明日庭に埋めようと提案しました。
妻もそれに同意してくれました。
ヨコちゃんが妻の手のひらの上で静かに旅立つのを見て、僕は自分もこうやって死にたいと思いました。
もちろん今すぐではありません。
長生きをするつもりですが、死ぬ時はああやって眠るように、安らかに逝きたいと思いました。
ヨコちゃんはジョイフル本田のペットワールドで買って来たセキセイインコで、うちに来たのは2014年5月10日でした。
亡くなったのは2024年5月9日です。
ピッタリ10年間我が家で暮らして、あの世に旅立ちました。
ヨコちゃんの死を目の当たりにして僕は思いました。
僕は100歳で死にたい。
明日が101歳の誕生日という日に、自宅で老衰で死にたいと思いました。
火事で焼かれて死ぬとか、船の沈没で死ぬとか、飛行機の墜落で死ぬとか、自動車事故、列車事故で死ぬとかではなく、老衰で自宅で死にたいと思いました。
病気になって病院で管に繋がれたまま死ぬのは絶対に嫌だと思いました。
死ぬのは自宅がいい。
ヨコちゃんが旅立った、あのリビングルームで眠るように逝きたいと思いました。
ヨコちゃんは翌日の昼に庭に埋葬しました。
妻は土をかけながら、ヨコちゃんゆっくり休んでね、土に返って空に羽ばたいてね、と言っていました。
忘れていましたが、この家の庭にはかつて飼っていたペット達が多数眠っています。
ヨコちゃんの他には、かつて飼っていたカブトムシがおよそ200匹、金魚が7匹、ザリガニが1匹埋まっています。
それを思うと、一生この家を離れることなく、この家で死にたいと思うようになりました。
我が家の愛犬は今9歳です。
普通に考えれば僕や妻より先に死にます。
法律が許すならば、愛犬が亡くなった時も庭に埋葬したいと思っています。
そしてもし可能なら、僕が死んだ時も庭に埋めて欲しいです。
まあ、これだけは絶対に不可能だと思いますが。
犯罪になってしまいますからね。
100歳まで健康で、意識も記憶もはっきりしていて、階段の上り下りもスタスタできる状態でいたいです。
そして最後はヨコちゃんのように眠るように旅立ちたいです。
今後の展望
試合には出ていませんが、試合が終わってみると自由を手に入れたような気がしています。
もう毎週水曜日と土曜日にジムに行って、スクワット、ベンチプレス、デッドリフトはしなくても良いです。
弁当を作って職場に持っていく必要もないです。
食べてはいけないもの、飲んではいけないものもないし、毎朝体重を測る必要もないです。
全くの自由になりました。
試合には出ていませんが、今回のトレーニングは今までのどのトレーニングよりも計画的に行われ、ほとんどサボる事なくやってきました。
自分としては100点満点の頑張りだったと思っています。
でも、最後に急激に減量して力が出なくなり、それでも落としきれなくて出場できないという終わり方でした。
それでもトレーニングをやり遂げたという充足を感じています。
はて、これからどうやって生きていこうか?と思いました。
これまでの半年は金メダルを取るために生きてきました。
これからはどうしようか?
仕事には行きますが、仕事以外に特にやることがないなと思います。
7月14日には学生時代から35年の付き合いの仲間で新橋に集まり、麻雀と飲み会をします。
去年の1月から始まった恒例行事で今回が7回目だと思います。
他は8月13日に娘とその友達、友達のお父さんと三重県のナガシマスパーランドに行こうという話があります。
どちらもとても楽しみなイベントです。
筋トレは気分次第でやっていこうと思います。
義務を背負うようなトレーニングは当分したくないです。
今後のパワーリフティングの試合は、記録更新を前提とするのではなく、記録が伸びないことを前提に考えた方が無難な気がします。
それでもあえて記録更新を狙う、更新できたら万々歳というスタンスで良いかなと思います。
9月15日に千葉県でマスターズの試合がありますが、これには出ません。
8月には太るイベントがたくさんあるはずなので、9月では74kg級に出られないと思うからです。
11月24日に一般部の千葉県大会がありますが、これに出ようと思います。
でもそのためのトレーニングが9月から始めます。
減量も9月1日から始めます。
3ヶ月近くあれば、無理なく体重を落とせるでしょう。
8月末までは自由気ままに気分に任せてトレーニングをしたいです。
ここまでずっとビッグ3しかしてこなくて、腕が細くなってしまっているので、腕トレをバリバリやりたいです。
肩も鍛えたいです。
今年はまだショルダープレスをやっていません。
ベンチプレスはパワーアップのためではなく、バルクアップのためにやります。
スクワットとデッドリフトはしばらくやらないです。
それよりレッグエクステンション、レッグカールをやりたいです。
11月24日の試合では、あくまでも今の気分ですが、ベンチプレスとデッドリフトの自己ベスト更新を目指したいと考えています。
ベンチプレス110kg、デッドリフト190kgです。
スクワットはいいです。
僕にとってスクワットとデッドリフトを両方ともきっちりやるのは本当に負担が大きくて、苦しいんです。
だから次はスクワットは外して、デッドリフトとベンチプレスでの記録更新を目指したいです。
そのぐらいでちょうど良いです。
僕としては。
今回、不甲斐ない結果に終わりましたが、予想外に僕は充足しています。
こんな言い訳ばかりの文章に最後までお付き合いいただき、ありがとうございました。
やがてまた闘士が蘇るでしょう。
そうなったら爆発的にトレーニングをしたいです。
今は少し休みます。
ありがとうございました。