こんにちは、鹿野一郎です。
今日は2022年の4月3日の日曜日です。
春期講習も今日で終わりです。
今日、テキストの問題で、ヨットが風上に向かって進む原理を扱った問題がありました。
それを解説しながら、昔のことを思い出していました。
僕は昔、モーターボートレンタルのクラブの会員で、休みのたびに東京湾を滑走していました。
八景島シーパラダイス、横浜ベイサイドマリーナには何度も行きました。
上の写真の船は、自衛隊の船です。僕は操縦していません。
1人だけ夏が来ていない人がいるよ
僕は大学を出て、そのまま予備校講師になりました。
1993年のことです。
バブルは崩壊していましたが、まだまだ予備校業界は景気が良かったです。
早く一人前の講師になりたかったし、お金も欲しかったので、若い頃は頼まれた仕事はすべて引き受けて、とても忙しく働いていました。
数年が過ぎ、学生時代の学習塾のアルバイト仲間のスガから連絡が来ました。
昔の塾の教え子の女の子たちが、一緒にディズニーランドに行こうと言っているから、一緒にどうかと誘われました。
塾で教えていた時は中学生でしたが、時が流れてみんな女子大生になっていました。
男は僕とスガの2人で、5人の女子大生を連れてディズニーランドに行きました。
そのときに言われた何気ない一言が、僕に大きな影響を与える事になりました。
それは、
1人だけ夏が来ていない人がいるよ(笑)
という言葉でした。
夏だったので、みんな日焼けしていましたが、僕だけ真っ白だったんです。
僕は来る日もくる日も冷房が効いた教室で、朝から夜まで授業をしていたので、日焼けなんかする訳がなかったんです。
スガは会社員で、システムエンジニアをしていましたが、それでも仲間と海に行ったと言って、黒く焼けていました。
僕はディズニーランドの乗り物に乗りながら、これでいいのか?と自問自答しました。
早く一人前の講師になりたいから、授業はたくさんこなして経験を積みたい。
お金もたくさん欲しいから、バリバリ授業をしたい。
でも、夏だというのに、日焼けすらしないで授業ばかりしているのは、果たして良いことなのか?
ちょうどそのとき、テレビであるドラマが放送されていました。
反町隆史と竹内豊が主演していた、「ビーチボーイズ」というドラマです。
他に、広末涼子、稲盛いずみが出演していました。
ドラマの中で、竹内豊は大手商社のエリートビジネスマンでしたが、仕事でミスをして、会社をやめ、海の家でアルバイトをすることになります。
僕はこのドラマをとても気に入りました。
ビデオテープを全6巻をすべて買い、聖地巡礼をするほど熱中しました。
でも、悲しいかな、経年劣化でやがて何も映らなくなり、ゴミになりました。
ドラマが放送されていたのは1997年です。
ビデオを買ったのも同じ年だったと思います。
ビデオテープをゴミとして捨てたのは、日記を調べてみたら2015年の4月27日でした。
このときに、家にあったビデオテープとレーザーディスクをすべてまとめて捨てています。
ビデオテープは10年は持ったと思いますが、18年は持たなかったという事です。
船舶免許を取る事にしました。
仕事ばかりの生活を見直して、夏はしっかり夏を満喫しようと思うようになり、最初に考えたのはジェットスキーでした。
あれはとても面白そうに見えました。
でも、免許がないと出来ないという事だったので、免許を取ることにしました。
ジェットスキーの値段は、当時の相場で50万円から100万円でした。
買ったらみんな驚くだろうなと思いました。
船舶免許は筆記試験と実技試験があります。
実技試験なんて、合格する訳ないじゃないかと思いましたが、ちゃんと教えてくれる学校があります。
僕はヤマハの講習を受けました。
1997年11月16日の日曜日に学科講習を受け、11月30日の日曜日に実技講習がありました。
費用は83600円だったそうです。
日記を読み返すと、なんでも書いてあります。
11月16日の日記には次のような記述がありました。
新宿でモーターボートの免許の学科講習を受けてきた。 はっきり言って結構大変だ。 テストのために覚えなければならない知識量はおそらく自動車免許の時と変わらないだろう。 4級船舶の免許を持っていれば5トン以下の船を陸から9海里の距離内で運転することが出来る。 つまり、陸伝いに九州や佐渡島まで行くことも可能なのだ。 夜間の航行も出来るのだ。そのため試験が厳しくなるのだ。 単にモーターボートを運転したいだけだったが、話を聞いているうちにどんどん夢が広がってきた。 将来クルーザーに乗って自分の決めたコースで外洋を旅行できたら最高だろう。 1級船舶の免許があれば20トン以下の船で陸から100海里の範囲内を運転出来る。 しかし、それでは伊豆大島に行くこともできない。 教官は1級免許があれば赤道をまたがない範囲でどこへでも行けると言っていたがおそらくそれは違う免許なのだろう。
こうやって日記を読み返すと、当時の気持ちが蘇ってきます。
あの時は若かったし、モーターボートの免許を取るという希望に燃えていました。
自分の将来はバラ色に輝いていると信じていました。
やっぱり、若いというのは良いですね。
そして11月30日の日記には以下のようなことが書いてありました。
朝5時に起きた。
今日は小型4級船舶免許の実技講習の日だった。地図で場所を確認してから電車で出かけた。
行き先は(江戸川河口付近の)妙見島にあるニューポート江戸川というところだ。
場所はすぐにわかった。
初め、教室で簡単な説明があった後、すぐにグループに分けられて後はずっと外だった。
僕は20代半ばくらいの女性と30代後半くらい男性と組むことになった。初めは桟橋でロープの結び方を教わった。
学科講習の時に教わった結び方はすべて覚えていたが、初めて教わる結び方は苦労した。
その後、ボートの点検の仕方を教わって、エンジンの点検、必要な物が積まれているかの点検をした後、いよいよボートで出発した。
初めのうちはエンジンの回転数1000回転くらいでゆっくり進んだが、河口を抜けて海に抜けると最高4500回転くらいでかっ飛ばした。
非常に気持ちのいい物だ。
左手に東京ディズニーランドとそのホテル群を見て、右側には東京湾アクアラインの通風口、右手には横浜ベイブリッジを見てモーターボートを操縦するのだ。
気分は最高だ。
しかし、いろいろ複雑な操作を覚えなければいけないので楽しんでばかりもいられなかった。
結構難しい事もやるので初めのうちはどんどん不安になっていったが、午後も全く同じ事を練習できたのでかなり自信がついた。
心配なのは着岸だけだ。
しかし、4級船舶の免許は学科が95¥%、実技が90¥%の合格率だそうだからまず大丈夫だろう。学科試験は来週の日曜日だ。
楽な試験だが、一応完璧に勉強していこう。
教官は、車やバイクの教官に比べたら遙かに良心的でいい人だった。お陰で楽しい一日を送ることが出来た。
海に出てわかったが、結構いろんな船が行き交っている。
4級船舶では5トンまでの船を操縦できるが、明らかにそれよりも大きい船が結構走っていた。
僕もいつかは1級免許をとりたいと思った。1級免許だと20トンまで操縦できる。
それだけ大きな船になると、船で九州や沖縄に行こうと思っても大丈夫だろう。
もう、本当に夢いっぱいという感じですが、1級免許をとって、自分の船で沖縄に行くなんて、夢物語ですよ。
この頃はまだ現実を知らなかったんですね。
船内にトイレ、キッチン、寝室を備えた船は、とても値段が高いです。
僕が知っているこのクラスの船は、ハトラスという船だけですが、「いつかはハトラス」と言われたほどのクルーザーで、1億円します。
しかも船は持っているだけで、ものすごくお金がかかります。
船はただ係留しているだけだと、スクリューが錆びてダメになってしまいます。
なので、船を大切にしようと思ったら、ちゃんとした陸揚げのマリーナに預ける事になります。
そういう優良マリーナに船を預けると、車でいう駐車料金が、1ヶ月に100万円はかかるそうです。
船を出す時は、クレーンで海まで下ろしますが、そのクレーンによる上げ下ろしが、確か1回5万とか10万とか言っていました。
つまり、桁違いの大金持ちでない限り、個人でクルーザーを持つなんて夢のまた夢です。
海技免状を取得しました。
1997年12月7日、僕は海技免状(船舶免許)の筆記試験を受けました。
その日の日記には次のように書いてありました。
試験が始まるまでずっと問題集に目を通していた。
初めに説明があって、そのあと簡単な身体検査があった。
それから小一時間ばかり休憩があったのでその間にかなり勉強できた。
問題集を読んでいて、僕が標識について誤解していることが発覚し、解決することが出来た。
解決までに結構時間がかかったが、そのときに覚えた物がすべて試験に出たので大成功だった。
試験は前半はほとんどすべてわかった。
後半、法規のところでわからない問題が連発で出てきたが、それでも合格は出来るだろう。
試験開始から25分で僕は退出した。
筆記試験に合格して実技試験を受けますが、実技試験では着岸の時に大失敗し、ものすごく落ち込んだのをはっきりと覚えています。
そのこともすべて日記に書いてありました。
12月14日の日曜日の日記です。
ちょっと長いですが、引用します。
今日は久しぶりに挫折感を味わった。
4級船舶免許の実技試験だったのだが、実技試験に口述試験があり、なんとそれはすべて実技講習では教わらない内容だったのだ。
学科試験に30分の勉強と25分の解答時間(テストは120分だけど)で合格した僕は完全になめていて、行きの電車の中でも実技講習で教わった内容を頭の中で繰り返す程度の対策しかしなかった。
確かに講習の時、帰り際に1本のカセットテープを渡され、「がんばって勉強してください。」と言われたが、僕の家にはテープレコーダーがないので1回も聞かないまま試験会場に行ってしまった。
当日、日の出・日の入りの時刻や干潮、満潮の時刻も聞かれるのだが、それは新聞に載っているからよく見ておくようにと指示されていた。
でも、僕は新聞を取っていない。
だから会場に向かう途中でコンビニエンスストアで新聞を買ったが、何と今日の情報は載っておらず、明日と明後日の情報が載っているだけだった。
それでも日の出・日の入りは1日でそんなに変わるものではないので、おおかた予想ができた。
しかし、干潮満潮は規則性が見いだせず謎となっていた。
試験は3人1組で行うのでぼくが聞かれるのが日の出または日の入りならパス出来ることになる。実技試験は3人でモーターボートに乗り込んで順に操縦したが、ぼくは一番初めだった。
他の人のを見て安全確認の手順などを再確認しようとしていたので動揺した。しかし、操縦はうまくいった。
沖合いで3人交代で試験をし、帰港するとき口述試験が始まった。
ぼくは知らない事ばかり聞かれて半分以上の質問に「わかりません。」と答えてしまった。
しかも「今日の満潮の時刻は何時ですか?」と聞かれて「調べてません。」と答えたのだ。
なんて運が悪いんだ、と思ったが、すべて自業自得であった。口述試験の後、桟橋の着岸する時、またもや3人交代で着岸をした。
ぼくはその時、精神的の崖の底に突き落とされていて、どうせ落ちるんだ!という投げやりな気持ちになっていた。
と言うより、久し振りに味わう挫折感で、惨めでならなかった。
そのため常識では考えられない失敗をしてしまった。
普通は桟橋に30度から45度の角度で進入するのだが、どういうわけか90度の角度で進入してしまった。
まるで特攻隊だ。
あわててハンドルを切っても曲がりきる事はできない。
桟橋に衝突しそうになったのであわててギアをバックに入れて回避した。
しかし、バックに強く入れすぎて桟橋から遠ざかっていく。
ぼくは自分が置かれている状況に完全にイヤになって逃げ出したくなった。
仕方がないので「失敗しました。」と言うと、試験管も他の受験生もあきれていた。
やり直しの機会を与えられたので、何とか気を取りなおして次はうまく決めたが、もう気分は暗黒だった。
船から下りて教室に戻る途中、ほかの2人が慰めてくれたが、それがよけい惨めだった。
着岸で、岸壁に衝突しそうになったことははっきりと覚えていますが、口述試験のことは記憶にありませんでした。
これでも合格したんですから、本当に誰でも合格する試験です。
クルーザーレンタルの会員になりました。
海技免状を取得した後、クルーザーレンタルの会社をいくつか調べて、江戸川河口の妙見島という島にある、ニューポート江戸川というマリンクラブの会員になることにしました。
1998年2月12日の日記に次のように書いてありました。
会員のコースに2種類があり、4級免許保有者対象のものは入会金150万円、保証金40万円、月会費2万円が必要で船は26フィート未満、5トン未満のものが20廷程度あるそうだ。
1級免許保有者対象のものは入会金300万円、保証金150万円、月会費2万円で38フィート未満、20トン未満の船を貸してくれるそうだ。
船を借りるときにかかる費用はガソリン代だけで、会員以外が同乗するときは大人5000円、子ども2500円がかかるそうだ。
入会金が異常に高いが借りる度に料金がかかるわけではないのが良心的といえる。
月会費2万円は結構きついが、クルーザーのレンタル会員になるのだから当然の額と言えるかも知れない。
借りる日と返す日が異なっていても全く問題はないそうだ。
だから大島や八丈島に行くこともオーケーなのだそうだ。
4級免許で乗れる船は、排水量5トン未満です。
僕が実際に操船していたのは、ヤマハのPC26、トヨタのポーナム28という船です。
PC26は全長が26フィートで、8メートル弱です。
ポーナム28は28フィートで、8メートル強です。
おそらくこういう数字ではサイズ感はわからないと思います。
僕は初めてPC26を見た時は、その大きさに驚き、想像と全然違うと思いました。
どちらの船もフライブリッジと言って、キャビンの上にもブリッジがあります。
キャビンの中でも、屋根の上でも操縦できるようになっています。
寒い日や雨の日は中に引っ込み、天気の良い日は上で操船します。
上でハンドルを回せば、キャビンの中のハンドルも同じように回ります。
PC26はマニュアルの船で、年季の入った古い船でした。
それに対してポーナム28はオートマチックの船で、買ったばかりの新品の船でした。
船の操縦は、着岸以外は未経験の初心者でも出来ます。
船舶免許はキャプテンの資格であり、キャプテンが乗っている場合は、誰が操縦しても良いことになっています。
だから、僕だけが免許を持っていて、友達と海に出て、みんなで交代で操船しても違法にはなりません。
また、船舶免許には、自動車と違って、アルコール規定がありません。
なので、酔っ払い運転は合法です。
クラブに入った後は、徹底的に着岸の仕方を練習させられました。
船を借りて海に出るとき、許可が出るまでは必ずクルーが同乗しなければならない決まりでした。
クルーフィーは確か1日26000円だったと思います。
1人で自由にクルーズをしたいのに、クルーによって着岸の練習をさせられます。
免許を取るときにマスターしたからもういいじゃん。
と思っていましたが、とんでもない話です。
潮の流れ、風の向きによって着岸の仕方は千差万別で、十分な経験がないと着岸できません。
もし失敗して、ぶつけてしまったら、その船を買い取らなければなりません。
たしかポーナム28は2600万円だったと思います。
そんなものを買わされたら、泡を吹いて死んでしまいます。
なので、着岸はかなり徹底的に練習しました。
朝から夕方まで、どこにもクルーズに出かけず、ひたすら着岸だけを練習したものでした。
許可が出て、1人で海に出て良くなってからは、横浜ベイサイドマリーナ、八景島シーパラダイスに何度も行きました。
初めはコンパスと参考図(海図のようなものですが、プレジャーボート用に作られた海の地図です)を頼りに操船していましたが、やがて道を覚えてしまって、何も見なくても横浜まで行けるようになりました。
物凄く濃い霧が出て、視界が悪いときは、京浜運河を通って横浜まで行けば、安全でした。
少し遠回りになりますが、間違えて大型船の航路に逆向きに入ってしまうというようなトラブルは絶対に起きません。
クラブにいた頃は、中ノ瀬航路だけは気をつけるように何度も言われていました。
東京湾には大きな航路が4つあったと思いますが、この中ノ瀬航路は大型船が分刻みで通る重要な航路で、プレジャーボートが逆走したら、すぐに海上保安庁の船がやってきて、下手をしたら連行されるので、絶対に入らないようにと何度も言われていました。
八景島にはボートで7回行きました。
予備校講師の仲間で行ったり、教え子のグループを連れて行ったりしました。
いうまでもないですが、教え子のグループを連れて行く時は、男子のグループを連れて行くより、女子のグループを連れて行く方が遥かに楽しかったです。
横浜ベイサイドマリーナには、母と弟も連れて行った事がありますが、母はモーターボートの揺れで完全に体調を崩してしまって、悪いことをしてしまいました。
クラブのイベントにも色々参加しました。
僕が操船したわけではないですが、日帰りのライトトローリングにも参加したし、泊まりがけの伊豆大島への旅にも参加しました。
日帰りの初島(熱海の近くの島)への往復クルージングには、学生時代からの友達のE先生、POSO、さらにE先生の婚約者の女性とその友達の5人で行きました。
あれはとても楽しいクルージングでした。
初めて八景島に行ったのは1998年7月26日でした。
この日の日記には以下のように書いてありました。
やっと休みが来た。 ニューポートに行って船に乗った。 今日からPC26の練習に入った。 クルーはTさんだった。 やはりフライブリッジは最高だ。 今日は八景島に行ったが、非常にいい航海だった。 初めは金谷(千葉県の港)に向かったが、途中で雨が降ってきたので行き先を八景島に変えた。 八景島は最高だった。 浜辺で海水浴を楽しんでいる人もいれば、フリスビーやビーチバレーもやっており、海ではウエイクボードやジェットスキー、ヨットにクルーザーなどが夏を満喫していた。 八景島は入場料という物が無く、中にはただで入れる。 乗り物に乗ったり、水族館に入ろうとするときに初めてお金がかかるのだ。 八景島には高さ107mの世界最大のフリーフォールがある。 いつか乗ってみたい物だ。 八景島でTさんと食事をした後、ランドマークタワーの前でアンカーを打つ練習をし、荒川の河口で寄せの練習をした。 船の上では2人ともずっと上半身裸でいた。 日差しがものすごく強かったので、たった1日で別人のように焼けた。 今日はまさに夏、と言うくらい強い日差しで体は真っ黒に焼けた。 こんなに凄い開放感を味わったのは初めてだった。 生まれて初めて正しい夏の生活をしたような気がする。
この当時は、八景島シーパラダイスにはマリーナがあって、船で乗り付ける事が出来ました。
でも、今は閉鎖されて子供向けのボートのアトラクションが作られています。
八景島にはヨットスクールもありました。
1999年に公開された映画「秘密」は、広末涼子と小林薫が主演していましたが、その映画の中で、広末涼子が八景島シーパラダイスのヨットスクールに通う場面があります。ほんの一瞬ですが、今はもうないスクールの貴重な映像だと思います。
八景島に上陸できなくなったので、昔に比べると東京湾のクルージングは立ち寄りスポットが減って面白くなくなったかも知れないです。
それにしても、楽しそうですね。
実際問題、楽しかったです。
最近の僕は、夏には娘と蓮沼ウォーターガーデンに行くのがルーティーンになっています。
でも、娘ももう中学生になるので、今年の夏はきっと一緒に行ってくれないでしょう。
そうなると夏の楽しみ方をまた考えないと行けないかも知れないです。
船にはいろいろな思い出がありますが、今こうして思い出すのは、海ほたるの周りを一周したときのことです。
その日は女子大生を3人と男子大学生1人を連れて行きました。
海ほたるには大勢の人がいて、小さく見えていました。
そのうち数人がこちらに向かって手を振ってくれたので、女の子たちも手を振りました。
なんか、自分がすごいお金持ちになった気分になりました。
完全に錯覚なんですけどね。
でも、ボートはすぐに飽きます。
僕が東京湾を自由に走り回っていたのはおよそ5年間でした。
車でのドライブと違って、ボートでのクルージングは意外とすぐに飽きるんです。
しかも海に出るのは夏だけです。
夏しか海に出ないのに、毎月会費を払います。
だんだんボートが面白く無くなってきました。
結論を言ってしまうと、最初は自分1人で海に出るのも楽しかったです。
余裕が出ると友達を誘って海に出るようになります。
でも、一通り周りの人を海に連れて行ってしまうと、もうその先がありませんでした。
ものすごくお金持ちの人たちは、ハトラス級のボート2艇で海に出て、浅瀬にアンカーを下ろして、海水浴を楽しんだりしていました。
船でしか行けない浅瀬なので、他の海水浴客はいません。
おそらく2家族で2艇だと思いますが、物凄いお金持ちですよ。
砂浜で遊んでいる小さな子たちを見て、なんという幸運な子達なんだろうと思いました。
完全に親ガチャ成功です。
上でも述べましたが、八景島シーパラダイスにはマリーナがありました。
八景島シーパラダイスのマリーナに船を着岸して、上陸していましたが、あのマリーナは僕にとっては恐ろしく着岸が難しかったです。
言葉で説明するのがすごく難しいんですが、船ごとに決まったマスがあって、きっちりとその中に止めなければならないんです。
例を挙げると、コンクリートの狭いガレージにバックで車を入れる感じです。
ただ、壁につけて止めるより、コンクリートで囲まれた狭いガレージにバックで入れる方が難しいですよね。
船の場合は、潮の流れと風で船が流されるので、車より遥かに難しいんです。
八景島は本当に難しかったです。
一番苦労した時は、八景島に着いて絵から、着岸するまでに1時間近くかかったと思います。
とにかく潮の流れが早く、船を90度回頭してマスに入れようとする間にどんどん流されて、角にぶつけそうになるんです。
マリーナに戻った後、馴染みのクルーのTさんに苦労話をして、どうやったら上手くなれますか?と聞いてみたんですが、実にシンプルな答が返ってきました。
もっと経験を積むしかない、です。
でもそれは本当にその通りです。
旅行などで観光地に行くと、対岸に渡るための簡単な船に乗ることがありますが、その操船があまりにも見事で感動してしまいます。
自分で船を操縦した経験がある身としては、あんな風に自動車みたいに自由自在に着岸、停止できるのは本当に驚きです。
車の運転をしていて、教習車をみると、あまりの遅さにイライラする事がありますが、ベテランのキャプテンから見ると、僕の操船はあんな風に見えるんだと思います。
楽しい5年間でしたが、お金はかかるし、やる事もやり尽くした感じがしたので、クラブを辞めました。
クラブの方々には本当にお世話になり、貴重な経験をさせていただきました。
海技免状は捨ててしまいました。
船に乗らなくなっても、海技免状はしばらくは持っていました。
が、もう2度と船を操縦することはないだろうと思って、ある時、捨ててしまいました。
海技免状というのは、自動車免許と違って、取り消しになる事はありません。
更新の手続きは必要ですが、更新を怠っても、失効する事はありません。
何をやっても取り消し処分もないし、本人が死なない限り、海技免状は有効なんです。
なので、僕がどこかの海事代理士事務所を訪れて、免状の再発行の手続きをすれば、新しい免状をもらえるんだと思います。
今は、免許の区分けが変わって、当時の4級は今の3級に相当するようです。
でも、もう船を操縦することはないと思うので、再発行をするつもりもないです。
僕のモーターボートライフは、終わりました。
とても楽しい時間でした。
今後の人生で、もっと楽しい趣味に出会うことができたら嬉しいです。
筋トレは、モーターボートより楽しいか?と聞かれたら、実に複雑ですね。
筋トレは自分との戦いの要素もあり、自分を高めるための努力が必要です。
それに対してモーターボートは完全にレジャーなので、同列で比べるのは難しいです。
例えば明日、パワーリフティングの試合に出るか、家族でクルージングに行くか?
と聞かれたら、多分クルージングに行くと思います。
でももう八景島には上陸できないんですが。
もし僕がまたクルーザーを操船するようになれば、妻や娘も最初は喜ぶでしょう。
でも、そのためにかかるお金を考えると、妻が同意するはずがないです。
入会金150万円、補償金40万円、月会費2万円ですからね。
それとガソリン代も馬鹿になりませんよ。
船は車よりも遥かにガソリンを食いますからね。
横浜まで往復するだけで1万円以上かかっていたと思います。
やっぱり、もう船を操縦することはないですね。
モーターボートは、もう思い出です。
とても楽しい時間でした。
ありがとうございました。