こんにちは、鹿野一郎です。
今日は2022年11月23日の水曜日です。
パワーリフティング関東大会が終わって17日が経過しましたが、試合前と比べてすっかり別人になってしまいました。
筋トレに対する意欲が、かなり少なくなりました。
ブログの更新もすっかりと怠ってしまっています。
正直なところ、仕事に行く意欲も以前に比べて格段に低くなりました。
減量もどうでもよくなり、食欲に正直に従うようになってしまっています。
原因はわかっています。
中学一年生の娘が不登校になってしまったからです。
全く信じられない事です。
自分の娘が不登校になるなんて。
最初に娘が学校を休んだのは、10月18日の火曜日でした。
この日、娘は寝坊をし、8時近くなっても起きて来ませんでした。
普段は僕が6時15分に起きて、朝食の準備をし、娘は食事の準備ができる頃に下に降りて来ます。
でも、その日は大きく寝坊をしました。
これまでにも何回か寝坊はありましたが、僕が起こしに行って学校に送り出していました。
妻は、恐ろしく朝が弱い人で、娘が学校に行く頃に起きて来ます。
娘が学校に行く時、玄関で見送りをし、続いて妻と2人でダイニングの窓から見送りをしていました。
でも10月18日の火曜日は、僕は娘を起こしませんでした。
自力で起きられず、僕に起こされる事が続いていた上に、起こしてもらってお礼を言うのではなく、迷惑そうに言われた事に腹を立てたからです。
一度遅刻すれば、寝坊はなくなるだろうと思っていました。
7時半を過ぎて妻が起きて来てもまだ娘は寝ています。
僕は腹が立っていたので、放っておけば良いと思っていましたが、妻は娘を起こしに行きました。
すると、頭が痛いから学校を休むと言ったそうです。
結局その日は本当に学校を休みました。
これが娘が学校に行かなくなった最初の日でした。
10月16日の日曜日に家庭でちょっとした揉め事がありました。
寝坊したから仮病を使って学校を休むとは、考えが甘すぎると思いました。
それは妻も同じ意見でした。
でもその前に、僕はそもそも頭痛というのがほとんど理解できません。
今までの55年間の人生を振り返って、頭痛というのは強い二日酔いの時しか経験がないからです。
頭が痛いから学校に行かれない。頭が痛いから仕事に行かれない。
そんな事が本当にあるとは信じられませんでした。
翌日の10月19日の水曜日も頭痛で学校を休みました。
水曜日は塾がある日だったんですが、塾まで休みました。
学校を2日休む事になって妻と僕の頭にある考えが浮かびました。
それは10月16日の日曜日に家庭内で起こったちょっとしたトラブルです。
娘はその日、僕と妻に叱られた後、部屋にこもって鎮痛剤を7錠も飲んでしまいました。
これが頭痛の原因だと考えました。
その日は僕は、通っているジムの第一回最強王者決定戦のために、成田まで出かけていました。
夜に帰宅して、3人で晩ご飯を食べている時に問題が発生しました。
最初のうちは、主に僕と娘で試合の様子について話して、楽しい雰囲気で食事をしていたんですが、妻が娘が最近門限を守らないと言い始めた事で、食卓の雰囲気はガラリと変わりました。
娘と我々の間では、これまでにも門限やゲームの時間、パソコンの時間を巡って何度も小さなバトルをしてきました。
門限は冬の間は4時半、夏の間は5時で、1日あたりのゲームの時間は、平日1時間まで、土日は2時間までとしていました。
パソコンも同様に、平日は1時間、土日は2時間にしていました。
パソコンというは、以前僕が使っていたiMacの事です。
今は新しいものに買い換えたので、古いものはリビングに置いてあります。
それを娘が使っていて、主に友達とのLINEのやりとりやYouTubeの試聴に使っています。
ゲームの時間はもともとは1日30分だったんですが、短すぎるという娘からの懇願を受けて、平日は1時間、土日は2時間にしました。ただし、条件があって、土日に必ず愛犬の散歩に行く事を求めました。
それができなかった場合は、土日も1時間にする事にしました。
余った時間の繰り越しや、時間の前借りは認めない事もはっきりと決めました。
娘は卓球部に所属しているんですが、部活を終えて帰ってくると、5時半ぐらいになります。
そして水曜日、金曜日、土曜日は塾があります。
塾のある日は6時過ぎに家を出て、9時半過ぎに家に戻ります。
つまり、塾がある日はほとんどゲームもパソコンもできない訳です。
妻はゲームの時間が長すぎると不満を持っていたようですが、僕は塾のある日はできないのだから、このぐらいで良いと思っていました。
その日、娘と揉め事になったのはゲームの時間ではなく、門限についてでした。
平日と土曜日は、学校と部活があるので門限はほとんど関係ありませんが、問題になるのは日曜日と祝日です。
4時半に帰ってくるように言っても娘が厳しすぎると反発するので、妻は一部折れて、5時まで外で遊んで良いとしました。
でも、それも次第に守れなくなって、その日は7時近くまで帰らなかったそうです。
それによって妻と娘の間で門限を巡ってバトルが始まりました。
僕は最初のうちは黙って聞いていましたが、だんだん娘も妻もヒートアップして、特に娘の態度がひどくなっていきました。
親に対してその言い方はないだろと、僕も初めて口を挟みました。
その時はそれで収まったと思ったんですが、食事も終えて、風呂にも入った後、妻が僕の部屋にやってきて心配そうに言います。
娘が薬の箱をしばらくあさっていて、なんらかの薬を部屋に持ち込んだというんです。
もしかしたらオーバードーズでもするんじゃないかと心配していました。
なので、僕は娘の部屋をノックしました。
後には妻がいます。
娘から返事があったので、ドアを開けると断ってからゆっくりと開けました。
娘はベッドの上に座ったまま、目に涙を浮かべていました。
何があったのかと尋ねても、別になんでもないといいます。
門限も今まで通りで良いと言います。
でも、明らかに様子がおかしいので、そこで僕も心配になりました。
妻は後から娘に声をかけます。
薬を部屋に持ち込んだのではないか?
大量に飲んだのではないか?
それはとても体に悪い事だとわかっているのか?
という感じで、尋問口調でまくしたてます。
僕は娘と2人で話したいから、下に行っててくれと妻に言いました。
妻はしばらくは抵抗しましたが、やがて納得して下に降りて行きました。
妻がいなくなった後、僕は廊下に座り込んで、娘に何があったのかを尋ねました。
薬を7錠飲んだと言います。
なんの薬かと聞いたら、わからないと言います。
不満な事があるなら何でも言ってみろというといろいろ話が出て来ました。
要点をまとめると以下の二つでした。
(1)うちは子供に対する規制が厳しすぎる。よその子はもっと自由だ。 (2)自分に対していろいろと期待をするのはやめてほしい。ほっといて欲しい。
(1)は妻に対する不満です。そして(2)は僕に対する不満です。
娘からはいろいろな話を長時間に渡って聞きましたが、最後に娘が言ったのは、妻に出て行って欲しいという事でした。
これまでにもいろいろな事がありましたが、妻が娘に過剰に干渉しているのは僕の目から見ても明らかでした。
専業主婦なので、考える事は娘の事ばかりなのでしょう。
なのでこれまでに何度か、パートタイムなどで働いて、外に出るように促しましたが、聞き入れてくれません。
もう娘も中学生なので、例えば妻が週に3日ぐらい家を空けても問題はないと思います。
外に出れば、楽しい事や、腹が立つ事などがあるだろうから、娘に過剰に関わる事も解消されると思います。
でも、いろいろ理由をつけて、仕事には出ません。
門限については、娘の要求は僕や妻の常識を超えていました。
門限が4時半なんていうのは小学生の話であって、友達は夜の8時や9時まで公園やショッピングモールで楽しく遊んでいると言います。
そこで知り合った世代も地域も違う人々と仲良くなって楽しく過ごしていると言います。
極端な例だと断った上で娘は言いますが、小学生の時に仲の良かったウサギちゃんは、夜の12時まで遊んで帰っても、親から怒られないと言います。
娘もそれは極端な例だと理解していますが、それに引き換えうちは厳しすぎると言います。
自分に対して勝手に期待しないで欲しいというのは、僕に対する不満です。
親の期待が重荷になるのは、僕も子供の頃に経験しているのでよくわかります。
でも、僕の母が僕に対してしていたのと比べたら、僕は娘に対してはほとんど何もしていないに等しいと思っています。
まあ、それでも本人が嫌だと感じているならば、僕がさらに抑える必要があるんですが。
僕はこれまで娘に勉強しろと言った事は一度もないです。
でも、勉強するように誘導した事は何度もあります。
娘が5年生だった夏休みのある日、中学に行きたくないと言い出しました。
理由を聞くと制服を着たくないからだと言います。
最初のうちは聞き流していましたが、娘が何度もそれをいうので僕もちょっと調べてみました。
千葉県で制服を着なくても良い中学校は果たしてあるのだろうかと思いました。
制服を着なくても良い高校ならいくつか知っていましたが、中学となるとまるでわかりません。
調べてみたら一つだけありました。
千葉大附属中学校です。
ここに通うためには試験を受けて合格しなければなりません。
娘にそのように伝えたら、ある日、一緒に愛犬の散歩をしている時に、娘が受験をすると言い出しました。
どうしてもその学校に通いたいから塾に通わせて欲しいと言われました。
それで娘は2学期から塾に通い始めました。
塾からもらったテキストはとても分厚くて種類も多かったです。
別に渋谷幕張とか東邦大附属東邦とか、市川を目指している訳ではないのに、それでもこんなにやらなければならないのかと驚きました。
僕は予備校で高校生や浪人生に物理を教えているんですが、中学受験は大学受験より大変なのではないかと思いました。
塾に通うならば、テキストはちゃんと全部できるようになって欲しいと思ったので、娘と話し合った上で、僕が塾のテキストから宿題を出し、6年生になるまでに5年生のテキストをすべてマスターできるように計画を立てました。
その上で毎週土曜日に90分、僕が娘の勉強を見る事にしました。
9月から初めて1学期、2学期のテキストをすべてマスターしようと思ったら、1週間にこなさなければならない量はとても多かったです。
それでもやるしかないと思って、僕は国語、算数、理科、社会から毎週10ページ以上の宿題を出しました。
娘の勉強を見始めて、娘は国語、理科、社会に関しては僕が小学生だった頃よりはるかに出来ると思いました。
僕は小学校1年生の時から毎日隣に母がつきっきりで毎日2時間勉強させられていました。
あの当時の母は鬼より怖くて、逆らう事はできませんでした。
竹の物差しで机をビシビシ叩きながら、怒られていました。
その苦い経験があるので、娘には勉強が嫌になったらいつでもやめて良いと言っていました。
主に算数を見ていましたが、昔僕が母にやらされていた地獄の問題集に比べると簡単だなと思いました。
地獄の問題集の名は、「自由自在」です。
厚さが5cm以上ある分厚い本で、恐ろしく難しい問題が並んでいました。
まるで解けないので、やりたくなかったですが、鬼より怖い母に逆らえなかったので、仕方なくやっていました。
娘に算数を教えていて、昔の僕より物わかりが良いと感じました。
これはちゃんと勉強すれば、僕より良い大学に行けるだろうと感じました。
そして僕は娘に期待するようになりました。
9月から二人三脚で勉強し、算数の問題も着実にこなしてどんどん出来るようになっていきました。
自力で解けなかった問題は、解けるようになるまで何度でもやらせました。
解けない問題は毎週着実に減っていき、後少しで全部終わろうとしていました1月の事です。
娘は突然、受験を辞めると言い出しました。
こんなに勉強が大変なら制服を着て学校に行く方がマシだと言います。
受験までまだ1年ありましたが、これだけの勉強を1年も続けるのはイヤになったそうです。
娘が辞めると言い出したらそれで終わりなので、受験をやめ、塾もやめ、僕とのマンツーマンの勉強も終わりました。
そして地元の中学校に入学しました。
中学生になって再び塾に通う事にしましたが、今度の塾は娘にとても合っていたようで、勉強が面白くなって来たと言うようになりました。
塾の宿題をこなすだけでなく、さらに自発的に勉強するようになり、すごい塾だと思いました。
成績もどんどん上がって行き、この調子でいけば将来は明るいと思っていました。
僕は娘に対して、勉強しろとか、良い高校に行けと言った事はないですが、具体的な名前を挙げて、これらの高校に行けたらとても良いと思うとか、娘はやれば出来るとはよく言っていました。
娘は本当に頑張って勉強していたと思います。
成績もどんどん上がって行ったんですが、おそらく本人としてはもっと行けると考えていたんでしょう。
数ヶ月勉強すれば学年トップになれると思っていたようです。
いくらなんでもそれは無理ですよ。
小学校の頃ほとんど勉強していなかったんですから、順調に行っても中学3年の終わりに学年のトップレベルに入れるかどうかという感じだと思っていました。
それでも娘は、自分がこんなに頑張ったのに、成績がちょっとしか上がらなかったと考えるようになり、だんだん勉強が重荷になって来たようです。
僕だって、スクワット、ベンチプレス、デッドリフトをやっても、やっても、やっても、やっても記録がほとんど伸びないのに、諦めずに続けて来ました。
もう少し頑張れないものかと思います。
僕は娘の話を聞いて、もう今後は娘には高校の話をしないようにしようと決めました。
僕の期待が重荷で、薬を7錠も飲んでしまうなんて、精神的に弱すぎると思いましたが、弱いならそれを受け入れる事にしました。
娘から一通り話を聞いて、下に降りて行きました。
妻に娘の言い分を伝えようとすると、妻はすぐに怒り出して、私はそんな事は言っていない!それは娘が悪いからだ!という調子で反論します。
妻に話を聞く気がない様子だったので、しかたなく結論を先に伝えました。
もちろん、その後も大変なことになりましたが、ここでは省略します。
鎮痛剤7錠
娘は僕と妻から門限について叱られた事から、鎮痛剤を7錠も飲みました。
水は飲んでいないはずです。
それが原因で頭痛になりました。
翌日の月曜日は普通に学校に行きましたが、1日頭が痛くて調子が悪かったそうです。
そして火曜日から学校に行かなくなりました。
水曜日、頭痛の原因を診てもらうために娘を病院に連れて行きました。
僕は車の中で待ち、病院には妻と娘の2人で入って行きました。
随分と長い時間待たされましたが、鎮痛剤の過剰摂取で頭痛が発生するのはよくある事だそうです。
でも、薬の影響はもう切れているはずなので、頭痛の原因は精神的なものにあると言われたそうです。
娘に話を聞くと、妻が先生から、
子供がオーバードーズをするのは、親が子供をちゃんと見ていないからだ!!!
って言われて、めっちゃ怒られてたと言います。
同じことを30回ぐらい言われていたと言います。
それを聞いて娘はどう思ったのかと尋ねたら、ママが反省してくれたから少しすっきりしたと答えました。
鎮痛剤というのは僕はよくわかりません。
インターネットで調べてみたら、鎮痛剤を1ヶ月に10錠飲む状態が3ヶ月続いたら過剰摂取だそうです。
その場合、体にいろいろな作用が現れるそうで、その中に頭痛もありました。
それを子供が1日に水もなしに7錠も飲めば、頭痛も発生するでしょう。
おそらくこれに懲りて、2度と同じ真似はしなくなると思います。
僕の話になりますが、右肩の痛みで整形外科に行ったら、痛み止めの薬をもらいました。
朝昼晩と1日3錠飲んでいましたが、嘘のようにきれいに痛みがなくなりました。
あれは鎮痛剤ではなかったのでしょうか?
1週間に21錠も飲んでいましたが、僕にはなんの副作用もありませんでした。
ちょっと薬のことはわかりません。
よその子は偉いと思います。
娘が不登校になってしまって、最初のうちはそれが受けいられませんでした。
まさかうちの子が不登校になるなんて。
そんな気持ちがありました。
もしこのままずっと学校に行かれなかったら、高校にも行かないのだろうか?
ということは中学を出たら働くのだろうか?
いや、もっとひどい場合は、そのまま引きこもりになってしまって、一生親の世話になるつもりなのか?
そう考えると、暗黒の気分になりました。
娘は普通に高校に進学し、大学に進学し、就職して、結婚して、子供を産むものと思っていました。
まさかうちの子が引きこもりになるのか?そんなバカな!そんな事があるはずがない!という思いが頭をぐるぐるめぐりました。
予備校に行くと大学受験を目指す浪人生、高校生がたくさんいます。
彼らを相手に授業をするのが辛く感じました。
この子たちは本当に立派だな。
浪人までして志望校を目指すなんて。
そういう思いがこみ上げて来ます。
下のクラスの浪人生になると、授業がそもそもちんぷんかんぷんで、座っているだけの生徒もいます。
中には眠気に襲われて、起きているのが精一杯という生徒もいます。
以前はそういう生徒をだらしないと思っていました。
どうして向上心がないんだ。
そんな事で社会に出てからやっていけるのか?と思っていましたが、自分の子供が不登校になってしまうとそういう生徒たちでも、教室に来ているだけ偉いと思うようになりました。
大勢の浪人生、高校生に大学受験の指導をするのが辛くなって来ました。
今は11月の下旬で、受験生が一番精神的にきつい時期です。
それを思うと、彼らは本当によく頑張っていると思います。
妻も同じようなことを言っていましたが、妻は僕より重症です。
道を歩いているランドセルを背負った小学生を見るだけで、涙が出てくるそうです。
それを僕に話す妻の目にも涙が浮かんでいました。
父親と母親の違いもあると思います。
さらに専業主婦で、子供のことばかり考えているというのもあると思います。
普通に登下校する小学生を見て涙が出てくるというのは、聞いているこっちも辛いです。
たまには外出もしていました。
娘は不登校になりましたが、部屋に篭って出てこないわけではありません。
10月23日の日曜日には娘は友達のサリーちゃんと買い物に出かけました。
ハロウィンのお祭りに来ていく衣装を買うためです。
僕が車で送って行きました。
10月30日には娘はサリーちゃんとハロウィンに祭りに行き、その次の週は1週間ちゃんと学校に行く事ができました。
でも、11月1日の火曜日からまた不登校になりました。
11月3日の文化の日には、家族三人で九十九里の本須賀海岸に遊びに行きました。
娘にとっても、妻にとっても良い気晴らしになったと思います。
僕にも良い気晴らしになりました。
11月5日の土曜日には娘は学校の友達とカラオケに行きました。
それだけの元気があるなら学校に行けるのではないかと思いましたが、無理でした。
11月11日の金曜日は、友達のサリーちゃんと一緒に夕方に犬の散歩に行きました。
サリーちゃんも犬を飼っているので、2人と2匹で散歩に行っていたようです。
翌日の11月12日は僕と娘の2人で、成田の高級焼肉店に食事に行きました。
素晴らしく美味しい店でした。
あれはもう焼肉屋ではなく、レストランでした。
娘も大喜びで、たくさん写真を撮っていました。
めっちゃおしゃれな店で、めっちゃおいしかったよと妻に伝えていました。
ママも一緒に来ればよかったのに、と何度も言っていました。
コースの焼肉は1人13800円でした。
11月13日の日曜日は僕と娘の2人で僕に実家に帰りました。
父は86歳で要介護5の寝たきりですが、前日にリハビリのために入院していたため、実家には母だけがいました。
不登校のことは言いませんでしたが、母はすぐに娘の元気がないのを見抜きました。
11月17日の木曜日は、夕方にサリーちゃんがうちを訪ねてくれて、娘とサリーちゃんと2匹の犬で散歩に出かけました。
そして11月20日の日曜日には娘がサリーちゃんの家に遊びに行きました。
今回はこの辺で。
まだまだ書くことはたくさんあるんですが、今回はこの辺でひとまず終わりにさせていただきます。
本当はこんな暗い投稿はしたくないんですが、この問題を避けて普通に筋トレの文章を書く事ができないんです。
これからもブログを続けていこうと思ったら、今心の中にある暗いものを全て吐き出してしまってからでないと、何も書けないと思います。
なので、申し訳ないですが、しばらくはこのような暗い不登校の話が続いてしまうと思います。
この後は、離島留学の話を書くつもりでしたが、ちょっと集中力と体力の限界なので、今回はこの辺で終わりにさせていただきます。
最後に一つだけ。
不登校は僕とは無関係な問題だと思っていましたが、突然現れました。
これは誰にとっても同じかも知れないです。
娘は体力優良児で、人見知りもしません。
思ったことははっきりと言うタイプで、とても活発です。
なのに突然学校に行かれなくなってしまいました。
落とし穴に落ちた気分です。
これがいつ終わるのか、それとも終わらないのか、それもわかりません。
娘がこのまま引きこもりになってしまうのかと思うと、この世の終わりのような気がしますが、そこは娘を信じることにします。
そこまでは行かないはずだと。
いつかどこかで立ち直ってくれるはずだと、信じるしかないです。
だから信じることにします。
暗い話を最後まで読んでいただき、ありがとうございました。
失礼します。