山村留学と娘の反抗期

娘の反抗期

この文章は子供を山村留学させた、体験談ではありません。

こんにちは、鹿野一郎です。
今日は12月1日の水曜日です。
2021年もあと1ヶ月になりました。
先週の金曜日にわが家で大きな問題が発生し、とても困惑しました。
妻がかねてから言っていた、山村留学が一つの解決方法になるのではないかと思い、土曜日になって僕も初めて山村留学について調べてみました。
娘に山村留学について説明すると、娘も行くと言うので、話はこれで決まりだと思いました。
これで全ての問題が解決すると思いました。
でも土曜日の夜に、娘が友達と離れたくない気持ちもあるから保留にしたいと言い出しました。
僕はその言い方に僕は腹を立てて、4月になったらこの家を出て行け!と言ってしまいました。
この一言で、事態は大きく変わってしまいました。

山村留学について

娘は今6年生で、あと3ヶ月で卒業します。
一年ほど前から反抗期で、妻に対しては時々辛く当たります。
普段は普通に会話していますが、一度スイッチが入ってしまうと人が変わったように攻撃的になります。
僕に対しては全く反抗的な態度は取らないんですが、妻にはかなりきつい態度を取ってきました。
娘は普段は妻のことを「ママ」と呼びますが、以前喧嘩がヒートアップした時に、「お前」と呼ぶのを聞きました。
喧嘩のあと、娘が落ち着いた頃合いを見計らって、「ママのことをお前と呼ぶのは絶対だめだ。たとえ喧嘩をしていてもそれだけはダメだ。」と話しました。
すると、次の喧嘩からは、お前とは言わなくなり、「あんた」というようになりました。
普段は「ママ」と呼んでいるんですが。

喧嘩が激しくなると、娘は妻に「死ね」といいます。
僕は直接聞いた事はないですが、かなり何度も言われるそうです。
妻は段々疲弊してきて、ある日、山村留学の事を僕に話しました。
留学というので短期的なものだと思っていましたが、山村の中学校に子供を3年間通わせることが出来るんだそうです。
でも、いくらなんでも娘を僻地の山村に1人で行かせるなんてあり得ないので、僕は聞き流していました。
妻には悪いですが。

反抗期の娘、疲弊する妻

妻は娘から「死ね」と言われるのが辛くて仕方ないと言い続けていました。
僕は、自分が中学2年から3年にかけて反抗期だったので、反抗期に解決策はないと思っています。
はっきり覚えていますが、僕は自分の言い分がすべて間違っていて、母親のいうことがすべて正しいのはわかっていました。
わかっていても母親の顔を見ると腹が立って仕方なく、常に怒鳴りつけていました。
学校で友達と過ごしている時間はとても楽しかったんですが、家に帰ると途端に不愉快になったのを覚えています。
何故あれほどの怒りが湧いてくるのかは自分でもわかりませんでした。
自分が間違っていると分かっていても、収まらないんです。
それが反抗期だと思います。

だから妻にもいつも、「反抗期が終るまでやり過ごすしかないよ。」と言っていました。
妻はよく僕に、娘の理不尽な言動や行動を直すにはどうしたらよいのかと尋ねて来ますが、解決方法はないというのが僕の答えでした。

普段は普通に会話しているんですが、ひょんな事で喧嘩が始まってしまうと、手がつけられなくなります。
妻も妻で、応戦せずに黙っていればそれ以上攻撃されないのに、同じレベルで言い返すのでますますエスカレートして行きます。
まるで姉妹喧嘩のようです。

妻はインターネットで反抗期についていろいろ調べているようで、山村留学も妻が僕に教えてくれました。
まあ、僕はずっと聞き流していて、まじめに聞いていなかったんですが。

問題発生

娘は逆上すると、親なんか死ねばいいと言います。
「親」には僕も含まれています。
何故そう思うのかと尋ねると、ゲームもスマホも時間制限が厳し過ぎて何も出来ないんだと言います。
お金さえあれば親なんかいなくたって生きて行けるんだと言った事もあります。
親が生きていることが不快で、消えて欲しいとも言っていました。

普段はこういう事はまったく口にせず、至って普通なんですが、妻との喧嘩が勃発するとこういう発言をするようになります。
そして先週の金曜日にとうとう問題が起こってしまいました。

ゲームの使用時間をめぐって、妻と娘でバトルが発生し、娘が妻に襲いかかったんです。
僕は仕事だったので、その場にはいませんでした。

仕事を終えて電車に乗ると娘から立て続けにLINEが送られてきていました。
それを読んで、とんでもない事になったと思いました。
一刻も早く家に帰りたかったですが、電車がなかなか発車しないので、イライラしてしまいました。

娘のLINEは恐ろしくたくさんありましたが、断片的に拾うと、こんな感じでした。

ママと喧嘩した。
思いきり何発も殴った。
ママをぼこぼこにした。
呼吸が苦しいといってる。
とうとうやってしまった。
こういう日が来ると思っていた。
もうパパ達とは暮らせない。
探さないで。
警察来るかな?
死刑になるかな?
そうすれば悪魔の子は消えるよ。
私なんかいらないんでしょ?
答えて。

家に着くと妻はリビングで横になりながら、お姉さんと電話で話していました。
僕が帰ると電話を切り、何が起こったのかを話し始めました。
妻に聞くと、娘に殴られた記憶はないそうでした。
でも、蹴りがひどかったと言います。
最後は妻が立っていられなくなり、クローゼットの中に倒されたそうです。
すると娘は捨てゼリフを吐いて、クローゼットの扉をぴしゃりと閉めたと言います。

妻は過呼吸に陥り、息が出来なかったと言います。
体の震えが止らず、暗闇で目を閉じても、右上で何かが光っているのが見えたそうです。
体中が痛くて、クローゼットからはい出すのもしんどかったと言います。
まずはお姉さんに電話をし、お姉さんのアドバイスにしたがって、救急車を呼びました。
救急隊員とは1時間ほど話し、病院には行かない事にしたそうです。
その時間に病院に行っても、専門医はいないし、脈拍、血圧、体温は正常で、骨折をしている感じでもなかったので、帰ってもらう事にしたといいます。

妻は、座っていると呼吸が出来ないので、横になったままでいたそうです。
このまま何もなければ良いですが、この後悪い事が起こるんじゃないかと恐ろしくなりました。

妻と一通り話したあと、僕は娘の様子を見に行きました。
娘は2階の自分の部屋にいます。
もしかしたら娘は自分のしたことを悔やんで、自分で自分を傷つけているんじゃないかと思いました。
ノックをしても返事はありません。
もう一度ノックをしても返事がないので、僕はゆっくりと扉を開けました。
最悪の事態になっていないことを祈ってました。
が、娘はベッドにうつぶせに寝て、マンガを読んでいました。
状況が理解できなくなり、頭がフリーズしてしまいましたが、取り合えず僕は娘の部屋に入り、脇に座りました。
何も言わないでずっとそこに座っていると、やがて娘が、「なんでそこにいるの?」とふてくされたように言います。
娘の状況が想像とあまりにも違うので、うろたえました。
そして僕は娘の部屋を出ました。
おそらく何も言わないで出たと思いますが、良く覚えていません。

僕も反抗期は荒れました。
玄関の壁に穴も開けました。
でも親に暴力を振るった事はありませんでした。
娘はそれだけのことをやらかしたのに、あの態度は何だろうか?
一体いつからあんな子になってしまったんだ?
という思いがあり、現実が信じられませんでした。

金曜日の夜は不安な夜でしたが、土曜日の朝、妻はちゃんと目を覚まし、とても安心しました。

僕自身初めて山村留学について調べました

土曜日は妻と二人で出掛けていました。
昨日は急いで帰ってくる為に、車を千葉の駐車場に止めたまま電車で帰宅してしまいました。
昨日は柏と千葉で授業でした。
来るまで千葉に出て駐車場に止め、電車で柏に出て授業をしました。
その後は千葉に戻って授業をするはずだったんですが、とんでもない事になってしまったので、千葉の授業は休講にして貰って、真っ直ぐ帰宅しました。その時はそれでクビになっても構わないと思っていました。

なので、車を取りに行かなければならなかったんです。
妻も一緒に行きました。
家を出るまで娘とは顔を合わせる機会はありませんでした。
普段なら、土日は娘が朝食の準備をしてくれるんですが、今朝は娘は部屋から一歩も出て来ませんでした。
昨夜の事があったので、僕と妻も娘に何も声をかけずに家を出ました。

妻とはいろいろ話しましたが、妻の予想では、もう娘は暴力を振るわなくなるそうです。
根拠はインターネットの掲示板です。
中学生の男子が父親と喧嘩をし、父親に勝ってしまったら、それ以来暴力を振るわなくなったという事例が意外とあるようなんです。
妻も、娘に応戦することは出来たけれど、無抵抗を貫けばやめてくれるだろうと思って、反撃はしなかったそうです。
その結果、かなりひどい状態までやられてしまいましたが、そこまでやれば娘も反省して二度とやらないだろうと言っていました。
僕は相当に気が立っていたので、そんな風には思えなかったんですが。

妻と僕は夕方に帰宅し、僕はそのまますぐに愛犬の散歩に出掛けました。
娘は土曜日にトランポリンの教室に通っているんですが、娘も車で送り迎えしてもらえない事を分かっていたようで、散歩から戻った僕に対して、手を出して、「電車賃、ちょうだい。」と言いました。
その時の娘の顔が、今まで見たことがないような反抗的な表情だったので、僕は拒否しました。
おそらく自分の小遣いで教室まで往復したんだと思います。

娘が出て行ったあと、僕はパソコンで山村留学について調べ始めました。
妻からは何度も聞かされていましたが、一度も自分で調べた事はありません。
でも、今回の事があって、初めて本気になりました。

山村留学は自治体によって温度差があり、熱心なのは長野県、鹿児島県、北海道だそうです。
うちは千葉県なので、鹿児島や北海道はいくらなんでも遠過ぎます。
なので、行かせるなら長野県だと思いました。
長野県では山村留学をやっている団体がいくつかあります。
小学校3年生から中学3年生までを1年単位で受け入れるそうです。
でも1年経過したら継続することも可能で、5年間も山村留学に行った子もいるようです。

山村留学には大きく分けて以下の区分があるようです。

(1)子供が山村留学のセンターで共同生活をして学校に通うもの。

(2)子供が一年の半分を山村留学のセンターで過ごし、残り半分は地元の農家の家に下宿して   学校に通うもの。

(3)親子で長野に移り住んで、学校に通うもの。

山村留学に行くと、学校まで片道2キロから4キロの山道を毎日歩いて往復するそうです。
長野県なので、もしかしたら一年の半分は雪の下かも知れないです。
センターにはテレビもなく、ゲームもありません。
お小遣いもありません。
学校の行事として田んぼや畑の手伝いをするようです。
他に、餅つきやキャンプなどいろいろなプログラムが組まれているようです。
洗濯と掃除は自分でしなければならないそうです。
センターによっては、食事も自分で作らなければならない所もあるようです。

娘は反抗期で、最近はゲームやスマホを使う時間がずるずると長くなっています。
僕も妻もゲームをしないので、娘のそういう姿を見ているのは結構苦痛です。
でも学校の友達はもっと自由にゲームをしているといいます。
両親がゲーム好きの友達は、家に数え切れないほどのゲームソフトがあり、ゲームの端末も1人1台持っているそうです。
娘の友達にはゲームで月に6万円も課金している子もいるそうです。

娘はたまにオンラインで自宅にいながら友達と同じゲームに参加し、共同で敵を殺すようなゲームもしています。
「集まれ動物の森」とか「スーパーマリオ」なら安心して見ていられるんですが、どうも戦争物のゲームは好きになれません。
もちろんクラスの友達にはゲームを全くしない子もたくさんいます。
クラスの半数は中学受験をするそうで、学校の休み時間も勉強しているそうです。

山村留学に行かせたら学力は落ちると思います。
1クラス6人程度しかいないそうなので、脱落者は出ないという話ですが、長野県の山村の中学の授業で脱落しないというレベルでは、首都圏の高校受験では通用しないと思います。
ですが、一年間もテレビ、ゲーム、お小遣いがない生活を送って、田畑の手伝いをしていたら、違った物を沢山身につけて帰ってくるとも思います。
山間部なので、お小遣いを持っていても、使う店がありません。
Googleマップで見ても、本当に山の中でコンビニひとつないところです。
そこで掃除、洗濯、場合によっては炊事までやって生活するのは悪くはないと思いました。

冷静さを失っていたため、メリットしか感じませんでした

調べれば調べるほど、娘を行かせた方が良いと思うようになりました。
娘がトランポリンの教室から帰ってきて、夕飯の時です。
娘はリビングで1人でテレビを見ていましたが、僕はダイニングから娘を呼びました。
そして娘を席に座らせてから、山村留学について詳しく話を聞かせました。

妻の話によると、この時僕は娘にかなり自然に山村留学の話をしていたそうです。
妻はそれをみて、ああ、パパは今回の件はもう許したんだと思ったそうです。
娘は妻から山村留学の話を幾度となく聞かされていたので、知ってはいましたが、詳しい内容は知りませんでした。
片道4キロの山道を毎日歩くとか、一年の半分は雪の下かも知れないとか、ゲームもテレビもなくて、掃除洗濯は自分でしなければならないとか、周りはコンビに一つない山の中だとか、学校行事で田畑の手伝いをするなどの説明をしました。
妻によると説明を聞けば聞くほど娘の顔色は曇って行ったそうです。
僕に呼ばれて、もう許してもらえたと思ったら、凄い話が次々に出てきて、顔色が変わったといいます。
僕は説明に熱中していたのか、娘にそんな変化があったなんて全く気付きませんでした。
そして、さらに続けました。
親なんか死ねばいいと思っていて、お金があれば生きて行けるんだったら、ここに行くのがいいんじゃないか?
そうすれば親と離れられるぞ、と話しました。
僕が「行くか?」と尋ねたら、娘は面倒くさそうに、「うーん」と答えました。
僕は娘が承諾した物と理解しました。

娘に言ってしまったきつい一言

同じ土曜日、娘の山村留学の説明をしたあと、食事をしました。
娘は自分でも山村留学について調べていたようです。
最近の小学生は学校からタブレット端末を借りているので、インターネットで調べることが出来るんです。
娘はお風呂から出たあと、僕の書斎に顔を出しました。
僕はパソコンで山村留学についてさらに詳しく調べていたところでした。

次年度から参加するならば、もう今が申し込みのぎりぎりのタイミングで、行くならば即決しなければならない時期なんだと分かりました。
まずは体験留学に行ってみて、その上で最終判断を下す流れです。
申し込んだあとは書類審査と作文の審査があり、合格したら山村留学に行くことが出来ます。
原則として一年単位ですが、希望すれば延長できるようです。
山村に娘を行かせても、夏休み、冬休み、春休みは家に戻って来ます。
3年間ずっと会えない訳ではありません。
団体によっては月に一度は親が現地に顔を出さなければならない所もあるようです。

書斎に顔を出した娘はかなり軽い調子で次のように言いました。
「山村留学に行ってみたい気持ちもあるけど、友達と別れたくない気持ちの方が強いから、とりあえず保留で」

僕はこの軽い言い方に腹を立てました。
自分がした事が分かっていないのか!という思いでした。
母親を殴り倒しておいてなんだその態度は!という怒りが爆発しました。
山村留学に行きたくないなら、まずは今回のことをきちんと謝って、その上でやっぱり行きたくないですというのが筋なんじゃないのか!
ふざけるな!
という思いが込み上げてきて、次のように言ってしまいました。

「なんだその言い方は!物には言い方があるだろ!4月になったらこの家を出て行ってもらうからな!」

この言葉を聞くと、娘は無言のまま書斎の扉を閉め、しばらく外で立ち尽くしていました。
でも僕は気が立っていたので、ざまあみろとしか思わなかったです。

翌日の日曜日、僕は8時に起きて洗濯をし、愛犬の散歩に行ってから、1人で実家に帰りました。
本当は娘と2人で行くはずだったんですが、連れて行ける状況ではないので、1人で行きました。
母も娘がいないところで、僕と話したいことがあるというので、話はすぐに決まりました。
母は80歳で、85歳の父の介護をしています。
父は4年前に脳梗塞で倒れて、右半身が麻痺し、自宅でほぼ寝たきりの生活をしています。
娘が生まれてから、僕が実家に1人で帰るのは初めての事でした。

僕が自分の家に戻ったのは3時過ぎだったと思います。
朝は娘とも妻とも顔を合わせませんでした。
僕は疲れていたので、寝室に引っ込んでしばらく目をつぶっていました。

人の気配を感じたので、目を開けると、寝室の扉がゆっくりと音もなく閉まるのが見えました。
娘がこっそり僕の様子を伺いに来たんです。
僕はそれに気付きましたが、娘と会話をするつもりはありませんでした。

娘を山村留学に行かせるのが一番良いと思っていたからです。
そして、資料請求をしました。

その日曜日、娘は夕飯の時になっても下に降りて来ませんでした。
妻が階段から「ご飯だよ!」と呼んでも降りて来ません。
僕たちが食事を始めると降りて来ましたが、食事をするためではなく、お風呂に入るためでした。
娘は僕たちと全く顔を合わせませんでした。

今回の件で娘は一応、妻に謝りましたが、それは僕が謝れと言ったからです。
でもその謝り方が、ひどい謝り方で、まるであっかんべーをしながら謝っているような感じでした。
あれでは謝った事にならないと僕は怒っていましたが、そこは妻になだめられました。
娘は反抗期なんだから、ちゃんと心から謝れるはずがない。
反抗期の娘にしてみれば、あれが精一杯の謝り方だったんじゃないのか、と。
そう言われてみればそうです。
僕がいつも妻に言っている事でした。
反抗期なんだから、素直にごめんなさいとは言えるはずがないんです。

でも、娘は僕たちとのかかわりを避けていたので、話をする機会はありませんでした。

月曜日は娘の修学旅行でした

翌日の月曜日は娘の修学旅行でした。
修学旅行といっても新型コロナウィルスのため、日帰りになってしまいました。
日帰りで鴨川シーワールドに行くのが修学旅行です。
朝は6時半に集合ということで、妻が朝早く起きてお弁当を作る事になっていましたが、今回の件があったので、妻も僕も朝は起きない事にしました。
娘には自分でお弁当を作って、持っていくように妻が話したそうです。

月曜日の朝、5時10分に娘の目覚まし時計が鳴りました。
足音が下におりて行き、下でがちゃがちゃやっているのが聞こえます。
僕は娘が家を出るまで寝ていようと思いましたが、次第に娘がかわいそうになってきました。
せっかくの修学旅行なのに、弁当を自分で作らなければならず、両親が見送ってくれないなんていうのは、あまりにもひどいんじゃないのか?
娘のした事は確かに悪いけど、妻は娘が一応謝ったと認めているし、もう暴力は振るわないと思うと言っているんだから、僕はそれを信じるのが正しいのではないかと、思うようになっていました。
布団の中でどうしようかさんざん考えた末、僕は下におりて行きました。
「おはよう!」と声をかけると、「おはよう」という返事がありました。
その後、あろうことか僕は、「山村留学に、行きたいの?」と尋ねてしまいました。
娘はうなずきます。
あとで妻から怒られましたが、これは酷い問答でした。
何度も何度も「行きたいの?」と尋ねられたら、それは「行け!」と言われているのと同じで、「うん」と答えるしかないじゃないかと言われました。
僕は無意識のうちに娘に圧力をかけているんだと言われました。

その後、会話は途切れましたが、やがて妻も降りて来ました。
妻は、娘に家の鍵を渡すために降りて来たといいます。
娘が玄関を出たあと、普段ならダイニングの窓から妻と僕が娘に手を振って、娘も手を振りながら学校に向かいます。
でも今朝は、「行って来ます」の一言もなく、玄関から出たかと思うとすぐに普段と逆側に曲がり、見えなくなってしまいました。

妻と話し合い、自分の言動を心底反省しました

毎週月曜日は僕にとってはジムに行ってトレーニングをする日でしたが、この日は無理でした。
妻といろいろ話し合いました。
この時僕は妻に二つのことを言いました。
一つは、土曜日の夜、娘に「4月になったらこの家を出て言ってもらう!」と言ってしまい、その後娘は扉の向こうで立ち尽くしていた事。
もう一つは、日曜日の昼間、僕が寝ているところを娘が伺いに来た事です。

この話を聞いて、妻が娘の部屋を見に行くと、クローゼットの中がほとんど空っぽになっていました。
多くの服を捨てるつもりのようで、ゴミ袋の中に詰め込んでありました。
これを見て妻も僕も驚きました。
娘は家を追い出されると思い込み、身辺整理を始めたのだろうか?
だとしても何でこんなに急に?
まだ時間はあるし、それに本当に行きたくないならば、話し合いの機会はまだいくらでもあるはずなのに。
それが昭和世代の妻と僕、令和の小学生の娘との違いなんでしょうか?

僕たちが子供だった頃、学校で先生から「出て行け!」と言われても、絶対に出て行かなかったもんです。
先生が許してくれるまで何度でも謝って、許しを請うのが普通でした。
でも平成になって変わって来ました。
僕は予備校講師をしていますが、態度の悪い生徒に「出て行け!」というと、生徒はすんなり出て行くようになりました。
これは周りの先生も言っていた事で、時代が変わったと感じました。
やがて、予備校からは、何があっても「出て行け!」とは言ってはいけないというお達しが出ました。
昔と違って、それを言うと本当に出て行ってしまうので、「出て行け!」というのは解決に繋がる言葉ではなく、より事態を悪化させる言葉になってしまったのです。

妻と僕は娘の事が心配でなりませんでした。
僕は昼過ぎに家を出て仕事に向かいました。
自分の言動を反省し、言ってはいけない言葉だったんだと心から悔いました。

妻によると娘は4時頃には帰って来たそうです。
あれだけの事があったのに、お土産にお菓子を2箱買って来たそうです。
初めは妻が話しかけても何も答えなかったそうですが、パパが反省していたよというと、ぽつりぽつりと話すようになったそうです。
この日、僕が仕事を終えて家に戻ると娘はまだ起きていました。
調度寝るところだったようなので、僕が「おやすみ。」というと、娘の「おやすみ」と答えて手を振りながら寝室に消えました。女が手を振ってくれて安心しました。
僕は昼間、娘に言いすぎた事を謝る長い文章をLINEで送っていました。でも、この段階ではまだ未読でした。

山村留学の違った見方

ネットでは山村留学について、違った角度から見た記事もありました。何かの掲示板ですが、小学生を一年間も親元から離すのはやりすぎではないか?という疑問を投げかけていました。
メリットがあるのはわかるけど、デメリットの方が遥かに大きいのではないかというのです。
一体どういう子供が行くのか?それに親はどういうつもりで行かせるのか理解できないと言います。
それに対して別の人が回答していました。山村留学は子供のための制度ではなく、限界集落を守るための仕組みだというのです。
学校が無くなってしまったら、生徒だけでなく教職員もいなくなるので、限界集落が消滅してしまうと言います。
そうならないために都会から子供を引き受けているというのです。
子供をセンターだけでなく、農家に下宿までさせて面倒を見るのは、補助金が出るからだという意見でした。
確かにそういう見方も出来るんでしょう。実際に子供に接する人々が子供のためを思って行動していると考えたいですが、もしかしたら中にはお金のためと思ってイヤイヤやっている人もいるのかも知れません。そう思うと我が娘を山村に行かせるのは良くないと思えて来てしまいました。
行かせるならば、本人がどうしても行きたいという強い意欲を持っていなければダメですね。
でないと続かないと思います。
職場の友達でボランティアにはとても熱心な人がいます。
東日本大震災の時は何度も福島に行っていました。
自分の車で現地入りし、無報酬で働きます。
一度だけどういう事をしているのか聞いたことがありますが、その時は震災から1年半放置された冷蔵庫を片付けたと言っていました。
冷蔵庫ばかりが集められた場所に行き、ひたすら中の物を出して片付けるんだそうです。
友達は言っていましたが、三つ目の冷蔵庫の中身を出している時に、胃の中の物を全部吐いたそうです。
1年半放置された冷蔵庫なので、見た目も匂いも、触った感覚もとてもひどいんだろうと思いました。
吐いた後もひたすら冷蔵庫を片付け続けたそうです。
彼の善行には本当に頭が下がります。
彼は自分で望んでそれをしていますが、やりたくない人に無理矢理やらせたら、かなりひどい仕打ちと言えるでしょう。
山村に留学もそれと同じで、本人が強く希望する場合以外はやめておいた方が良いと思うようになりました。
山村に行かせた場合、センターでは相部屋になるそうです。
冷暖房は完備しているんでしょうか?勝手なイメージだと、冬場石油ストーブ、夏は扇風機なんじゃないでしょうか?山間部だと下水は通っていないのではないかと思いますが、トイレはどんなトイレなんでしょうか?
いろいろ考えると、とにかく体験留学に行ってみない事には分からない事だらけだと気付きました。
資料請求をしたため、電話がかかってきました。妻が電話に出たんですが、とても丁寧な対応だったそうです。
でも今回はやめておくと、伝えたそうです。

娘とは和解できました

その後、娘には、土曜日の夜に出て行けと言ってしまった事をきちんと謝り、なんとか関係を修復することが出来ました。
もし和解できないまま、娘が不本意な形で山村に行ってしまったら、親子の信頼は完全に無くなってしまうのではないかと心配しました。
そうならなくて本当に良かったです。
娘は春に地元の中学校に進学します。
うちから1.5キロぐらいです。
部活に入って、塾にも通い、トランポリンも続けることになると思います。

最後に

今回は娘の暴力が問題だったんですが、僕がきつく言い過ぎたため、途中から問題の質が変わってしまいました。
今から思えばもっと違うやり方で、うまく収められたんではないかとも思いますが、無我夢中で考えるより先に、感情で行動してしまいました。
いろいろ反省させられました。

山村留学をした子たちは地元に帰った後、9割近い子が山村を訪問してしているそうです。
理由はセンターの指導員や農家の人々が、山村の友達に会うためだそうです。
山村を訪問しなかった子たちの、訪問しなかった理由は、時間がなかったという物で、行きたくなかったという子はいないそうです。
山村に留学をした子たちの体験談もネットで読めますが、確かに貴重な経験をして、しっかりとした芯が出来たんだなと感じました。

うちは参加しない事にしましたが、行きたい子にとってはとても良い制度なのではないかと思いました。

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