こんにちは、鹿野一郎です。
今回は、岩名運動公園と佐倉朝日健康マラソンの思い出の3回目です。
岩名運動公園の思い出と言っても、そんなに書く事がないので、今回は少し困ります。
岩名運動公園に通っていた目的
僕が岩名運動公園に行く時の目的は、大体以下のようなものでした。
(1)佐倉朝日健康マラソンに出場するため
(2)佐倉朝日健康マラソンの本番のつもりで同じコースを走りに行くため
(3)自宅から岩名運動公園までを往復でランニングするため
(4)公園内を走るため
(5)友達と100m走のタイムを秤に行くため
(1)は1997年、1998年、1999年に出場しました。
(2)はコース場の各ポイントまでの距離を車で測ったり、実際に走ってみてそこまで何分かかるのかなどを測るために行きました。それが分かっているとレース当日が非常に楽なんですよ。
具体的なポイントというのは、双子橋、船戸大橋、飯野竜神橋などです。
あとは自分で勝手に名付けた、途絶坂(何度も阻まれ、歩いてしまった坂)、立体交差(県道の下を農道が走っている地点)などがあります。
(3)は自宅から競技場までの往復をトレーニングとする時です。往復で20km程度あるので、かなり時間のある時しか出来ませんでした。
実際に往復で走り切ったのはせいぜい1回か2回だと思います。
(4)は何度かやりました。過去の日記には、高低差のある1周1.3kmのコースを4周走ったと書いてありましたが、おそらくそのコースが現在(2021年12月)のクロスカントリーのコースなんだと思います。
(5)は友達と3人で、100m走のタイムを測りに行きました。陸上競技場は当時は確か100円程度を払えば、個人利用が出来ました。
貸しきりで使おうと思ったらもっと大きなお金が必要になると思いますが、ただの個人利用ならば、とても安かったです。
スターティングブロックはただで貸してくれました。
僕の記憶では、そこで測ったタイムは13秒1のつもりだったんですが、日記を読み返してみたら14.1秒でした。
記憶が1秒も都合よく書き換えられていました。
この岩名陸上競技場は、佐倉朝日健康マラソンの本拠地であるだけでなく、当時(1999年頃)の積水化学、リクルートの女子陸上部の練習拠点にもなっていて、マラソンではそれなりに神聖な場所だったと思っています。
今では、岩名陸上競技場の名称は、小出義雄記念陸上競技場に変わっています。
当時の積水化学の女子陸上部の監督の名前が競技場につけられたのです。
佐倉朝日健康マラソンと東京荒川マラソン
1999年3月7日に僕は佐倉朝日健康マラソンに出ました。
佐倉マラソンは3回目です。
1997年は36km地点でリタイアし、1998年は29km地点でリタイアしました。
そして1999年に初めて完走しました。
マラソンを完走したのはこの時が初めてではなく、その前に、東京荒川マラソンで完走していました。
でも佐倉マラソンは、東京荒川マラソンと比べるととても過酷なレースなので、この佐倉マラソンを完走したことはとても嬉しかったです。
2つのレースの何が違うのかと言うと、次の4つです。
(1)高低差
(2)給水所
(3)制限時間
(4)天候(僕の場合に限った結果論なんですが)
まず(1)について。
佐倉マラソンは上り下りがとても多く、体力を奪われるコースですが、東京荒川マラソンは荒川の河川敷を走るコースで、ほとんど平坦です。
2つのマラソンは極端なぐらいのコースの厳しさが違います。
次に(2)について。
佐倉マラソンでは、当時は給水所は5箇所でしたが、東京荒川マラソンは13箇所もありました。
これはかなり違います。
初めのうちは元気に走れますが、20kmを過ぎたあたりからかなり脚がきつくなってきて、給水所だけが救いという感じになって来ます。
当時の僕にはそうでした。
なので、佐倉マラソンはとても厳しかったです。
次に(3)の時間制限について。
佐倉マラソンは5時間が経過するとゴールしていないランナーは全員失格になりますが、東京荒川マラソンは7時間まで認められます。
僕が東京荒川マラソンを完走した時のタイムは5時間40分程度だったので、佐倉だったら失格でした。
ここもかなり違います。
ちょっとインターネットで調べてみたんですが、佐倉マラソンの時間制限はさらに厳しくなっていました。
コースの途中に関門が設けてあり、指定時間を過ぎると通過出来なかったランナーは失格になるそうです。
具体的には16.6km地点の草笛の丘が2時間20分、30.0km地点(ふるさと広場)で4時間15分、35.2km地点(萩山)で5時間だそうです。
昔は42.195kmで5時間だったので、それを考えればゆるくなっていると言えますが、途中に関門があるというのは遅いランナーには厳しいと思います。
昔は遅くてもスタートから5時間は走っていられたんですが、今は2時間20分で16.6km地点まで行かれなかったら、それで終了になります。
厳しいマラソンだと思います。
そして最後は(4)の天候です。
僕に限った場合の、しかも完全に結果論ですが、天候が違いました。
僕が出場した時は、佐倉マラソンは毎回凍てつく寒さで雨か雪が降っていました。
それに対して東京荒川マラソンは、2回走りましたが、2回とも春のようなおだやかな晴れでした。
この違いもとても大きかったです。
僕にとっては佐倉マラソンは本当に試練のマラソンです。
これを完走した喜びは大きかったんです。
余談ですが、東京マラソンというマラソンが始まったことによって、東京荒川マラソンはなくなった物と思っていました。
でも調べてみたら、今でもやっているんですね。
名称は東京荒川ニューノーマルマラソンに変わっているようです。
さらに、残念ですが、フルマラソンの部はなくなったようで、一番長い距離がハーフマラソンになっているようです。
1999年の佐倉朝日健康マラソン
さて、1999年3月7日です。
この日の日記にマラソンの事が詳しく書いてあったので、引用します。
目覚まし時計で6時に起きた。12時間寝たことになる。
去年は全く眠れないまま徹夜でレースに出たので、その点に関しては今年は非常にうまく行ったと思う。
7時半過ぎに家を出たら会場に8時過ぎについてしまった。
もっとゆっくりでよかったようだ。来年は8時に家をでることにしよう。今年は去年と違って雪が降っていなかったので受け付けを済ませてからスタートまで競技場のスタンドで時間をつぶした。
これが幸いし、重大なことを見逃さずに済んだ。
スタート20分前にゲストの紹介があったのだが、何と積水化学、リクルートの女子陸上部員が勢揃いしていたのだ!初めに小出監督から挨拶があった。
僕は慌てて席を立ち、なるべく近くに寄っていった。
小出監督までは10m位まで接近できた。小出監督の他に鈴木博美や、何と高橋尚子までいた!!
生で高橋尚子を見れるなんて考えてもいなかったので本当に嬉しかった。
今から13週間前のアジア大会女子マラソンで高橋尚子の圧倒的な独走を見て僕はランニングを始めたのだ。
あのレースがなかったら今日のマラソンにも出場していなかっただろう。
僕にランニングを始めさせた張本人にレース当日に会えるとは何ともタイミングのいい話だ。
僕は完走への決意を新たにした。スタートして初めの5kmは27分で終えた。普段通りのペースだ。
立体交差を抜けたあとの上り坂を1時間で通過するはずだったが、それには数分の遅れをとった。
しかし、そこに行くまでの間に一部コースの変更があり、距離が長くなっていたので問題はない。
双子橋を通過したのは1時間30分経ったときだった。
2月7日にコースを走ったときは1時間26分で通過しているが、コース変更を考慮に入れればほとんど同じペースで走っていると言って良いだろう。
しかし、そのあとジワジワとペースが落ち始める。
船戸大橋を渡ったのは2時間10分経ったときだった。
2月7日は2時間ジャストで渡っているので少しペースが落ちている。
その時点で25kmの給水所で立ち止まってスポーツドリンクを飲むことを決めていた。
スポーツドリンクを走ったまま取るのは簡単だが、走ったまま飲むのは簡単ではない。
当然1杯しか飲めないし、半分はこぼしてしまうことになる。
のどの渇きがひどかったので25kmの給水所では立ち止まって2、3杯は飲むつもりでいた。
しかし、コースが変更されていたので僕は自分が何km地点にいるのかわからなくなり、まるで迷子のような状態になってしまった。
船戸大橋を渡った直後にサイクリングロードに入り、自転車用の狭い道を延々と走った。
脚もかなりきつくなっていて歩きたい気持ちで一杯だった。
しかし、給水所に着いたわけでもないのに歩くわけにはいかず苦痛を押して走り続けた。
かなりペースは落ちていたと思う。途中で25kmという表示があった。しかし、給水所はない。
かなり頭にきたが、走りながら考えた。
サイクリングロードは車両が入ることが出来ないので、物資の運搬の面からサイクリングロード内には給水所はないだろうと。
では、サイクリングロードが終わって再び一般道に出るのはいつなのか?
新しいコースの詳細は知らされていなかったので、あと何km走れば給水所があるのかわからなかった。
あの時点で明確に給水所までの距離がわかっていればもっと良いペースで走れただろう。
給水所は飯野龍神橋のところにあった。おそらく27kmから28km地点になるだろう。
そこで僕はスポーツドリンクを3杯飲んでパンもたくさん食べた。
コースはそのあと、再びサイクリングロードに戻り、また、自分の位置がわからない状態に戻った。
一度歩いてしまうと走れなくなる物で、僕は自分の位置もわからないまま歩いたり走ったりを繰り返した。空には分厚い雲が広がっていて、日差しは全くなかった。
そのせいで気温はスタート時より下がっていたと思う。
非常に寒かった。追い打ちをかけるように雨が降り始めた。
ほんの数日前まで春のような陽気だったのに、そして、つい2日まえに春一番が吹いたばかりなのに結局佐倉マラソンは寒さの中で冷たい雨に打たれる展開となった。
僕はかなりやけを起こし、悪天候を呪った。
このままでは確実に健康を害すると思ったので、僕はリタイアすることを考えた。
とにかく寒かったのだ。
しかし、サイクリングロード内には救護車も入れないので、リタイアすることもできなかった。
その後、あても目標もなく走ったり歩いたりを繰り返し、終いにはただ歩くだけになってしまったが、その時、30kmという表示が見えた。
時計を見るとスタートから調度3時間だった。それを見て、「完走できる!」という闘志が湧いてきた。
2時間で12kmを走ればいいのだ。絶対に完走できると思った。
それから先も歩いたり走ったりを繰り返したが、それまでより歩く時間は短くなった。
サイクリングロードを抜け、ようやく従来のコースに戻るともう立体交差は目の前だった。
あと10kmでゴールだ。とにかく前へ前へという気持ちで距離を稼ぎ、ゴールを目指した。
36km地点を通過したのがスタートから3時間50分ばかり経過したときだった。
ようやく田園から解放され、町中に戻って行くところだ。
途中上り坂があるが、途絶坂に比べるとかなりらくな登りだ。
ほとんどの人がその坂を歩いて登っていたが、僕はそれまででは信じられないくらいのパワーが出てきて、かなり速いペースでその坂を登った。
おそらく周りの人も驚いただろう。まるでスタートしたばかりのランナーのような勢いがあった。
その後も歩いたり、走ったりを繰り返したが、走るスピードはかなり速かった。間違いなく1km5分のペースは切っていた。
しかし、京成佐倉駅前の上り坂にはさすがに参って、歩く距離が長くなってしまった。ゴールをまたいだのはスタートから4時間43分58秒が経過したときだった。
去年の東京荒川マラソンで出した記録が5時間39分39秒であるから1時間近く縮めたことになる。
4時間半は切れるつもりでいたが、無理だった。
理由は幾つかあるが、最大の理由はコース変更によって自分の位置がわからなくなったことだ。
迷子の間は目標もなく走るわけだからペースは落ちる。
あと何km走れば給水所だ、という明確な目標がないのは大きかった。
おそらく途絶坂を登る去年までのコースを走っていれば4時間30分は切れただろう。
もう一つ大きな原因は厳しい寒さと雨という悪天候だ。
気温が10度以上あって、空も晴れていて日差しがあればやはり4時間30分は切れていただろう。
自分自身の問題について言うと今日はあまり調子は良くなかったと思う。
1月27日に32.5kmを2時間52分で走っているが、今日は3時間で30kmだ。
しかも26kmの給水所で立ち止まっている。
どういうわけ2月中旬以降20kmを走るとばててしまって、以前のように軽々と26kmを走ることが出来なくなっているのだ。
これは次のレースまでに何とかしなければならない問題だ。
しかし、一度歩いてしまったにも関わらず何だかんだでゴールまで行けたのは600kmに及ぶ走り込みをやってきた成果だと思う。ゴールした後、雨はかなり強くなっていた。
帰りのバスからゴールを目指すランナーが見えたが、36km以降僕が抜いたランナーも何人かいた。
記憶では京成佐倉と岩名陸上競技場の間は歩いたつもりですが、どうやらバスに乗っていたようです。
帰りだけでなく、行きもバスに乗っていたようです。
駅から競技場までは2km以上あるのでバスに乗りたい気持ちは分かりますが、42km走るつもりで行っているんだから、2kmぐらいどうという事はないと思うんですが、どうでしょう?
フルマラソンの会場で、スタート前からジョギングをしている人を多数見ますが、僕にはそれが良く理解出来ません。
一流のランナーで、かなりのタイムで走れる人ならば分かるんですが、目標が完走の人がジョギングをするのは逆効果に思えるんです。
ジョギングをして体を温め、血行を良くしておいた方が、スタートの時に良いコンディションなのは分かります。
だから100m走の試合に出るならば、ジョギングなどのアップはやっておくべきだと思います。
でもフルマラソンは違います。
余程強いランナーの人は別として、普通の市民ランナーだったら、スタートして初めの20kmは何とか元気に走れると思います。
でも後半は脚が重くて体がいうことを聞かなくなって来ます。
30kmを過ぎると、もはや思考回路が停止し、頭の中には「走る」という義務感しかなくなります。
35kmを過ぎると、ゴールまであと6km、5kmというカウントダウンだけが心のよりどころとなります。
おそらく誰かが嘘をついて「ゴールまであと20km!」なんて言ったら、それを聞いてダウンすると思います。
そのぐらい、意識がもうろうとしていると思います。
そしてゴールとともに崩れ落ち、終るんです。
目標が完走の人は大体こんな感じだと思います。
ここまでボロボロになるならば、ジョギングなんかしないでピストルがなるまでおとなしくしていた方が良いと思うんですが、どうなんでしょうか?
はっきりと覚えていますが、東京荒川マラソンで自己ベストの4時間19分で走った時、初めの20kmは勢い良く前に出たいのを我慢してわざとゆっくり走りました。
20kmから30kmでもまだ体力があったので、ペースをあげたかったんですが、あとで地獄が待っていることを知っていたので、そこも我慢してゆっくり走りました。
すると、30km以降はその遅いペースが調度良くて、それより速く走ることが出来なくなっていました。
初めの30kmは我慢して、ラスト12kmで本気を出す戦略を立てたとしても、当時の僕の実力では、初めの30kmと終りの12kmが同じペースになっていました。
そのぐらいにマラソンは果てしなく長く、勝負は後半なんだと思います。
僕は今54歳です。
さすがにもうマラソンに出たいとは思わないですが、10km程度のロードレースなら、年に数本ぐらいは出た方が良いのかな?と思います。
筋トレばっかりやっていて、全く走れないのはちょっとバランスが悪い気もします。
たしか佐倉朝日健康マラソンではフルマラソンの他にもいろいろな距離のレースがあったと思うので、機会があったら出てみたいです。
最近はコロナの影響でことごとく中止になっていると思いますが、来年の春ごろはもしかしたら開催出来るかも知れないですね。
期待したいです。
今回はこんなところです。
ありがとうございました。