こんにちは、鹿野一郎です。
今日は2022年5月8日の日曜日です。
昨日、久し振りにシルベスター・スタローン主演の映画「ランボー怒りのアフガン」(1988年)を見ました。
おそらく30年振りぐらいだと思います。
とても驚いたのは、内容をほとんど覚えていなかった事と、ソビエト連邦によるアフガニスタン侵攻が現在ウクライナで起こっていることと、もの凄く重なって見えた事でした。
あの当時、ここまで酷いことが現実に起きていたのに、大学生だった僕は全く無関心でした。
何故あそこまで無関心だったのか、考えずにはいられませんでした。
映画ランボーのシリーズは、僕は第1作が一番好きです。
小説を原作とした、ベトナム帰還兵の悲劇を描いた、良い作品だったと思います。
第2作目の「ランボー怒りの脱出」は世界的に大ヒットしましたが、単なるアクション映画のようで、僕は1作目の方が好きです。
続く第3作目は、映画館で見たのか、レンタルビデオで借りてみたのか覚えていませんが、あまり面白くなかったという印象が強かったです。
大学生だった僕は、「ランボー」「ランボー怒りの脱出」はレーザーディスクを持っていたので、全ての場面を覚えるぐらいまで繰り返し見ました。
でも、「ランボー怒りのアフガン」はレーザーディスクを持っていませんでした。
おそらく面白くなかったから買わなかったんだと思います。
映画館で見たのか、レンタルビデオで見たのかはどうしても思い出せませんが、おそらく映画館だと思います。
あの当時の僕がスタローンの映画を映画館で見ないはずはなかったと思います。
「ランボー怒りのアフガン」を見ながら筋トレをするつもりでした。
「ランボー怒りのアフガン」のDVDをインターネットで買いました。
先月は「ランボー怒りの脱出」のDVDを買いました。
3月には「ランボー」のDVDを買いました。
僕は大学生の時、スタローンの映画のレーザーディスクやビデオはたくさん持っていましたが、DVDは持っていませんでした。
当たり前ですね。
僕が大学生の時はこの世にDVDはなかったんですから。
時が過ぎて、ビデオは経年劣化で映らなくなり、処分しました。
また、レーザーディスクはDVDに駆逐されて、この世から消えてしまったので、持っていたレーザーディスクは全てデッキごと処分しました。
でも、その後、スタローンの映画のDVDを買うことなく今まで来てしまっていました。
だから、今後は毎月1枚ずつDVDを増やしていこうと思っています。
今回は、もの凄く久し振りに「ランボー怒りのアフガン」を見ました。
ただ映画を見るのも面白くないので、筋トレをしながら見ようと思っていました。
ただし、映画を見るのはインターバルの時とし、バーベル、ダンベルを上げ下げするときは、DVDを止めておこうと思っていました。
が、映画が始まると、止められなくなりました。
冒頭の、格闘技の試合のシーンはよく覚えていました。
最後の、先頭ヘリと戦車が正面衝突する場面もよく覚えていました。
ですが、他の場面がほとんど記憶になく、まるで初めて見る映画のようでした。
完全にストーリーに引き込まれてしまって、筋トレをするなんて意識はどこかへ飛んで行ってしまいました。
映画のストーリーを簡単に記すと以下のような感じです。
アメリカはソビエト連邦によるアフガニスタン侵略の調査をするために、調査隊を送った。 ところが調査隊はソ連軍に捕まってしまう。 捕まった元上官を救出したいと思ったランボーは非公式に単独でアフガニスタンに乗り込み、地元のゲリラ(後のタリバン)と共にソ連軍と戦い、元上官の救出に成功する。
ランボーのグリーンベレー時代の上官のトラウトマン大佐は、ランボーにも作戦に参加して欲しくてランボーを訪ねます。
その時に、説明役の役人が次のように説明します。
200万人の市民が侵攻したソ連軍の手で組織的に殺されてきた。
新型火器や化学兵器がこの虐殺で使用された。
そして成果を上げた。
戦争の現状はよく知らないだろうが、9年間も戦ってきて、アフガン・ゲリラは今ではミサイルも持っている。
結局ランボーは、トラウトマン大佐の誘いを断り、調査隊には参加しませんでした。
そしてソ連軍に捕まったトラウトマン大佐が、ソ連軍の司令官の尋問を受けるときの会話が以下のようなものでした。
トラウトマン大佐 ソ連は平和や軍縮を唱えて1つの民族を抹殺してる。 ソ連の司令官 我々は誰も抹殺していない。 そんな悪質なプロパガンダを信じるとは呆れたよ。 (中略) ソ連の司令官 何と言われようと勝利は時間の問題だよ。 トラウトマン大佐 勝利はないさ。 毎日非力なゲリラに押されて退却だ。 強大なソ連軍がね。 相手を甘く見すぎたのだ。 ここの国民は決して諦めない。 侵略軍の奴隷になるよりは死を選ぶ。 君らは勝てないさ。 我々もベトナムでそれを経験した。 早く悟れ。
まるで、ロシアとウクライナの関係のようです。
ランボーはトラウトマン大佐を救出するために、非公式でアフガニスタンに入ります。
そしてアフガニスタンのゲリラと合流し、そこの代表格の人物から次のように言われます。
まず俺たちの現在の立場を説明したいのだ。
アフガン人は勇敢で、この国土は断固として守る決心だ。
子供たちは病気や地雷や毒ガスで死んでいる。
女達は暴行され、殺される。
去年、レグマン谷では、隣の谷なんだが、6000人も殺された。
妊婦達は銃剣で切り裂かれ、赤ん坊は火に投げ込まれた。
そうすれば次の世代と戦わずに済むからだ。
でも目撃者もいないし、報道もされない。
ここにいるのは人民戦士機構で聖なる兵士だ。
聖なる戦争のね。
我々には死はない。
もう臨終の儀式を済ませ、自分は死んだと思っている。
国と神のために死ぬのは名誉なことだ。
俺たちは、どうしても、女子供の殺戮を防がねばならない。
僕は映画を見ていて、現在ウクライナで起こっている事と同じではないかと、強く思いました。
ソビエト連邦が崩壊してもロシアという国は全く変わっていないのではないかと思う他なかったです。
そもそもソビエト連邦というものがどういうものだったのかもよく知らないし、どうしてソビエト連邦が崩壊したのかも知らなかったですが、調べてみると、アフガニスタンに侵攻(侵略)したことで、ソビエト連邦は大きなダメージを受け、連邦崩壊の一つの原因になったようです。
今回も、ロシアは無くなるのではないかという専門家の人がいますが、構図は全く同じような気がします。
ウクライナには強く同情するのに、アフガニスタンにはなぜ無関心だったのか
ソビエト連邦がアフガニスタンに侵攻していたのは1979年から1989年までだそうです。
ソ連軍では1万4000人以上が戦死したそうです。
大学生だった当時、ソ連がアフガンに侵攻しているのは知っていました。
でもあの当時の報道に、「侵略」という言葉を使ったものは無かったように思います。
「侵略」というのは、旧日本軍がアジア諸国に対してしたものだと認識していました。
今、ロシアがウクライナでやっていることは、極意悪非道の犯罪行為で、許されるものではないと思っています。
では、なぜ、ソ連がアフガニスタンを侵略した時はなんとも思わなかったのでしょうか?
大学生で無関心だったからでしょうか。
違います。
あの当時の僕は、アフガニスタンの人々を、自分達とは違う種類の生き物と捉えていたんです。
アフガニスタンの国土は荒地ばかりで、整備された街もなければ学校や公園、地下鉄やショッピングモールもマンションもありません。
荒地に小屋のようなような建物をたてて住んでいます。
水道もガスも電気も電話もない暮らしでしょう。
民族衣装のような服を着ていて、民間人もみんな銃や爆弾などの武器を持っています。
そしてしょっちゅう紛争を起こしている危険な国だと認識していました。
電気、ガス、水道、電話、テレビがあるのが当たり前で、公園や学校があり、人々が平和に暮らしている先進国とはあまりにも違うイメージだったので、アフガニスタンでどれだけ人が死んでも、なんとも思っていなかったんだと思います。
あまりにも自分達と生活スタイルが違うので、同じ人間と思っていなかったというのが、無関心の理由だと思います。
少し前にもそれを思わされることがありました。
2015年、フランスのパリ同時多発テロがあって130人の死者と300人以上の負傷者が出たときのことです。
あの時は、世界中が追悼の意を表し、フランスの国旗を掲げたり、Twitterやインスタグラムでつぶやいたりしていました。
それを見て、ジャーナリストの竹田圭吾さん(2016年に癌でお亡くなりになりました)が、強い違和感を感じると述べていました。
フランスでテロが起きる少し前にもイラクでテロがあり45人も死んでいるのに、なんでフランスの時だけこんなにみんなが追悼するのか?
イラクは良いのか?
と彼は問題を提起していました。
僕は彼の言葉を聞いて、イラクの人々を自分とは違う世界の違う生き物だと認識していることに気付かされました。
イラクというのはしょっちゅう戦争やテロをやっている国で、平和とは程遠い。
元々そういう国なんだから、そこでテロが起きても、いつもの事じゃないか、と思っていました。
ウクライナが侵略されて、激怒するのは、例えば高層マンションにミサイルが打ち込まれる映像を見たり、破壊されたショッピングモールの映像などを見るからだと思います。
自分達と同じような街に住み、平和に暮らしていた人々が、全く理由もなく攻撃されて、殺されている、そんなことが許されて良い訳が無い!!
そう思うんですが、それだったらアフガニスタンも同じはずです。
スタローンの映画が見たくでこのDVDを買いましたが、全く知らなかったことを知った気分でした。
風景がとても綺麗だと思いました。
映画の中でランボーは、タイに住み、寺院で働いていました。
そこへトラウトマン大佐が訪ねてくる訳ですが、タイの風景がとても綺麗で見とれてしまいました。
タイには行った事がないですが、行った人はみんな、タイは良いと言います。
ランボーは一人でアフガニスタンに行きます。
そこは荒地ばかりの荒野ですが、それでも何故か景色がとても綺麗でした。
荒地が綺麗というのは自分で書いていて変に思いますが、とても綺麗に感じました。
「ランボー怒りのアフガン」は、学生時代に見た時、ランボーが超人過ぎて逆に引いてしまう感じがしました。
でも、今見てみると、そうは感じません。
見始めたら筋トレのことも忘れて、最後まで一気に見てしまいました。
個人的にはとても面白かったです。
映画の前半ではソ連軍によるアフガニスタン侵略のことを説明する場面が多く、あまりランボーらしくないストーリー展開でした。
ランボーが現地の案内人と共に、アフガニスタンの村に着いたら、まず最初にしたことは医薬品の配布でした。
2ヶ月振りの薬だそうです。
また、案内人が経営している銃の店では、銃だけでなく義足もたくさん売っていました。
アフガニスタンでは、地雷で吹っ飛ばされる人が多いから、義足がよく売れるんだそうです。
とんでもない話です。
その案内人は、ランボーに次のように説明しました。
アフガニスタンは、アレクサンダー大王が支配を試み、次はジンギスカンが支配しようとした。
今は、ソ連だ。
その後、ソ連軍は撤退しましたが、2001年のアメリカ同時多発テロの後、アメリカが駐留し、最近撤退しました。
今後、アフガニスタンはどうなっていくんでしょうか。
昔、アフガニスタンから来た先生の講演会を何かの機会に聞いた事があります。
昔のアフガニスタンは緑が豊富で湖もあるとても美しい国だったそうです。
講演会ではいくつかの写真を見せてもらいましたが、今の姿からは考えられないほど自然が豊かな国だったようです。
今の姿になったのは、全て戦争が原因だと話していました。
50年間もずっと紛争、戦争をしていたら確かに国土は荒れ果ててしまうでしょう。
とんでもない話です。
アフガニスタンについて
僕はアフガニスタンが、どこにあるのかすらわかっていませんでした。
Googleマップで調べてみたら、パキスタンの北西で、パキスタンと接している事がわかりました。
パキスタンはインドの北西ですね。
アフガニスタンは、イラン、トルクメニスタン、ウズベキスタン、タジキスタンとも国境を接しているようです。
アフガニスタンの国土面積は65万平方キロメートルで、日本の1.7倍です。
人口は3900万人で、日本の0.32倍です。
首都はカブールで、カブールには国際空港があります。
バス、タクシーがたくさん走り、高速道路もあるそうです。
でも、鉄道はないと言います。
カブールは標高1791メートルという高い場所にあり、人口は443万人もいるそうです。
1791メートルというのはかなり高いですね。
富士山の吉田口の5合目の高さが2300メートルです。
それよりは低いですが、それでも街がある事を考えたらかなり高いですね。
人口が443万人というのも物凄い数です。
千葉県だと千葉市が97万人、船橋市が62万人、柏市が41万人、松戸市が48万人です。
全部合わせても248万人です。
443万人というのは物凄い大都市です。
でも、衛生写真を見る限りでは高層建築物はなさそうです。
パキスタン人のパイロット達
昔、電車の中で外国人の3人組から秋葉原への行き方を聞かれた事があります。
乗り換えの仕方を説明した後、どこから来たのかと尋ねたら、パキスタンから来たと言います。
僕がムシャラフ大統領なら知っているというと、苦笑いしていました。
クーデターで政権を取った人なので、あまり良く思っていなかったのかも知れないです。
秋葉原に何をしに行くのかと尋ねたら、電気製品を買いに行くと言います。
職業を聞くとパイロットだと言います。
ちょっと驚きました。
秋葉原は確かに電気街だけど、今は違う側面もあるという事を説明したくて、マンガを知っているかと尋ねました。
わからないというので、コミックスを知っているかと尋ねましたが、わからないと言います。
秋葉原が萌えの聖地になっている事を知っておいた方が、行ってみて腰を抜かさないと思って教えてあげようと思ったんですが、僕の英語力では説明できませんでした。
パキスタンの人と話したのはそれが最初で最後でした。
アフガニスタンの人とは会ったこともないと思っているんですが、もしかしたら身近にいる人がアフガニスタンの人かも知れないです。
妻のお母さんが、何人か日本に住んでいる外国人の世話をしているんですが、その中に家族で日本に移り住んでいる人々がいます。
上の女の子は千葉女子高校を卒業し、日本語は普通に話せます。
下の子には会ったことがないですが、おそらく日本語は母国語レベルで話せると思います。
でも、お父さんとお母さんは日本語はまるで話せません。
どこの国の人なのか、前に聞いた事があるんですが、覚えられませんでした。
お父さんはイランかどこかで生まれたけれど、戦火を逃れて避難し、母国は捨てたというような話をしていました。
奥さんと知り合って結婚しますが、奥さんがどこの国の人かは、覚えていません。
娘さんが生まれたのはまた別の国で、その後、日本に避難してきたと言っていたと思います。
もしかしたらあの人たちはアフガニスタンの人なのではないかと、今思っています。
服装は民族衣装のようなものを着ていて、常に頭にスカーフのようなものを巻いています。
今度会うことがあったら、ちょっと話を聞いてみたいと思います。
来月は「ランボー最後の戦場」を買います。
ランボーの話よりも、アフガニスタンの話の方が多くなってしまいましたが、今回の「ランボー怒りのアフガン」は僕に取っては衝撃的でした。
30年以上振りに見たので、内容のほとんどを忘れていたし、あまりにも酷い内容でした。
それは今、ウクライナで同じような事が現実に起こっているから、酷いと感じるんだと思います。
もし世界が平和だったら、映画の中でどんなに残虐な行為が繰り広げられても、なんとも思わず、映画として見るんだと思います。
ランボー怒りのアフガンは1988年の映画ですが、ソ連軍をロシア軍に、アフガニスタンをウクライナに置き換えたら、全く同じだと思いました。
でも、違う点もあります。
ウクライナは多くの国から支援を受けていますが、アフガニスタンはどこからも支援を受けられなかったという事です。
僕のような一人の普通の人間には、どうする事も出来ないですが、とにかく早く事態が終息して平和が訪れて欲しいと思います。
日本だって、平和が失われたら、みんな人生が一変してしまいます。
そんな事には絶対になって欲しくないし、この世から紛争がなくなって欲しいと思います。
「ランボー怒りのアフガン」は、昨日の僕に取っては、全くアクション映画ではありませんでした。
今回はこんなところです。
ありがとうございました。