久し振りに「ランボー最後の戦場」を見ました。

シルベスター・スタローン

こんにちは、鹿野一郎です。
今日は2022年6月7日の火曜日です。
昨日、久し振りにシルベスター・スタローンの映画、「ランボー最後の戦場」(2008年に公開)を見ました。
今回もDVDを購入しました。
僕は大学時代にシルベスター・スタローンに憧れて筋トレを始めたんですが、スタローンの映画のDVDは一枚も持っていない事に、今年の3月に気づいたので、3月から毎月1枚ずつ買っています。
3月が「ランボー」、4月が「ランボー怒りの脱出」、5月が「ランボー怒りのアフガン」で、今月が「ランボー最後の戦場」です。
来月は、「ランボー・ラストブラッド」を買うつもりです。

若い頃は、スタローンの映画のビデオテープやレーザーディスクをたくさん持っていましたが、ビデオテープもレーザーディスクもDVDに駆逐されてこの世からなくなってしまったので、すべて処分しました。
なので、今になってDVDを集めているんです。

この映画は前に一度見た事があります。
インターネットの期間限定の映像配信で見たと思うんですが、いつの事なのかはっきりとわかりません。
日記を調べ直しても、書いてありませんでした。
かすかな記憶では今住んでいる家に引っ越して来てから見たはずです。
すると2015年以降という事になります。

スタローンも歳をとったなあ

以前、映像配信で、「ランボー最後の戦場」を見た時は特に映画に関する印象がなく、「スタローンも年をとったなあ」という感想しかありませんでした。
最後の戦闘シーンでは大型の機銃をぶっ放し続けるだけで、体を動かす格闘シーンがなかったので、そう思いました。
映画の中ではランボーと同行した5人の傭兵の方が活発に戦っていました。

歳を取ったと言ったら、一番強く思ったのは1999年公開の映画「エントラップメント」を見た時でした。
主演はショーン・コネリーとキャサリン・ゼダ・ジョーンズでしたが、ショーン・コネリーの衰えが顕著でした。
敵に追われて、窓ガラスを割って、窓からバルコニーに出るシーンがあるんですが、スクリーンでは、窓ガラスが床に散乱して、次の場面では、そのガラスの上に2本の足が降り立ちます。
そしてバルコニーを走っていきます。
僕はそのシーンを映画館で見て、あれで窓から出た事にする演出なんだなと思いました。
ショーン・コネリーはもう、窓枠も超えられなくなったのか?と感じました。
窓から出る事が出来ないから、ああいう編集になったのは多分間違いないと思いますが、原因が高齢かどうかはわからないです。
もしかしたら、どこか怪我をしていて、窓から出る事が出来なかったのかも知れません。

でも映画館で見た時は高齢が原因なんだと思って見ていました。
ショーン・コネリーはこの映画の時、69歳でした。
69歳だったら、窓から外に出ることは出来ないかも知れないですね。
僕はあと15年で69歳になります。
果たしてその時に、窓から外に出る事が出来るんでしょうか?
出来るように普段から運動しておきたいと思います。

「ランボー最後の戦場」の時、スタローンは63歳でした。
63歳ならば、「ランボー」(36歳)、「ランボー怒り脱出」(39歳)、「ランボー怒りのアフガン」(42歳)のような、体を張ったアクションを期待するのは確かに難しいですね。

知らぬ間に衰える運動能力

4、5年ほど前に職場の先生が、前方転回が出来なくなったと話していました。
小さいお子さんと公園に遊びに行き、良いところを見せようと思って前方転回をしようとしたら、手をつく事すら怖くて出来なかったと言っていました。
仕方なく側転をする事にしたけれど、それもうまく行かなかったと言っていました。
その先生は僕より5つ以上年下でしたが、僕はそれを聞いてそんな馬鹿なと思いました。

で、次の日曜日、娘を連れて公園に行きました。
前方転回をするためです。
何回かやりましたが、最初は足で立つ事が出来ず、毎回お尻で着地していました。
後半になって、ようやくなんとか足で着地出来るようになりましたが、確かに昔に比べて出来なくなっていました。
運動神経の良い人は、前方転回で着地する時に膝がしっかり伸びていますが、僕は運動神経が良くないので、中高生の頃からそれは出来ませんでした。
着地の時はしゃがんだ姿勢になってしまいます。
運動神経の良い人には本当に憧れます。
その後、側転をやってみましたが、これはうまく出来ました。
地面に引いてある線に沿って、4回転ぐらい出来ました。
もちろんその後は目が回って立てなくなりましたが。

今、体育館にマットを敷いて、飛び込み前転をしろと言われたら、怖くて出来ないです。
中学生の頃は当たり前のようにやっていましたが、今やったら手首を骨折するに決まっていると思います。
とても怖くて出来ないです。
これが歳を取るという事だと思います。
フィールドアスレチックなどに行くと、高校生の異常な運動神経に驚かされます。
知らぬ間にだんだんと衰えているんですね。

戦闘シーンのリアルさ

ランボーのシリーズでは、この「最後の戦場」の戦闘シーンは、それまでのランボーのシリーズとはかなり違うものでした。
大型の機銃で撃たれて、人の手足やクビが飛び散るような酷い場面は、それまでのランボーでは、見られませんでした。
ランボーが放った弓の矢が人の頭を貫通する場面もありました。

スティーブン・スピルバーグ監督の映画「プライベート・ライアン」(1998年に公開)が起こした革命の影響だと思います。
「プライベート・ライアン」は戦争映画に革命をもたらしました。
冒頭のノルマンディー上陸作戦は、とても惨いシーンで、しかも信じられないぐらいにリアルでした。
僕は映画館で見ましたが、まさに呆気に取られてしまいました。
戦争に行くという事は、死にに行くという事ではないかと、強く思いました。

「プライベート・ライアン」以降に作られた戦争映画は、「プライベート・ライアン」の影響を受けて、戦闘シーンがかなりリアルになりました。
「エネミーライン」(2001年に公開)も映画館で見ましたが、戦闘シーンは凄くリアルでした。

これは僕の勝手な推測ですが、スタローンは、あの新しい戦闘シーンを見て、もう一度、ランボーを撮りたくなったんじゃないでしょうか?
十分に考えられる事だと思います。

似たような話もあります。
スティーブン・スピルバーグ監督の「ジュラシック・パーク」(1993年に公開)も恐竜映画に革命を起こしました。
それまでの恐竜の映画と比べると、リアルさが段違いでした。
それだけ特撮の技術が進歩したという事です。
しばらくすると「キングコング」のリメイク版が公開されました。
2005年の事でした。
「キングコング」は、僕がまだ小学生だった時に、父、弟と見に行った古い映画です。
僕が映画館で見たのは1976年の「キングコング」でした。
初代のキングコングは1933年だそうです。

その後、長い時を経てリメイクされました。
僕はリメイク版も映画館で見ましたが、本来の「キングコング」とはかなり違う作品になっていました。
「キングコング」なのに恐竜まで登場するんですよ。
僕は映画を見て納得しました。
作り手の人は、恐竜の新しい特撮の技術を目の当たりにして、もう一度、キングコングを作りたいと思ったに違いないと。

最近では「ウルトラマン」までリメイクしていますね。
作り手の人がインタビューで言っていましたが、ようやく自分が表現したい映像を作れる技術が出来てきたそうです。
新しい技術が生まれると、それを使ってリメイクや新作を出したくなるようです。
よくわかります。

1999年公開の映画「マトリックス」(キアヌ・リーブス主演)では実に斬新な撮影方法が開発されました。
静止画を撮るカメラを円型のフレームにびっしり何十個も固定して、円の中心で俳優が演技をします。
例えば、キアヌ・リーブスが後に体を沿ってブリッジみたいな体勢を取ります。
その時に、僅かの時間差で、カメラが次々に撮影します。
撮れた映像を繋ぐと、ゆっくりと体を後に沿って倒れていくキアヌ・リーブスの周りをカメラがぐるりと回りながら撮影したような映像になります。
マトリックスではこの撮影方法を何箇所かで使い、マトリックスの大きな特徴になりました。
監督のウォシャウスキー兄弟は、この技術は今後10年間は斬新であり続けると言いましたが、本当にその通りでした。
映画の公開から23年後の北京冬季オリンピックでもこの撮影方法は採用されていました。
まさに革命的な撮影方法だったと思います。

もうちょっと書かせてください。
キアヌ・リーブスが後方にブリッジのように倒れるシーンはスタジオで撮影されました。
背景はすべてグリーン一色のスクリーンでした。
そこで、キアヌ・リーブスがブリッジをするように後に体を反るシーンが撮影されました。
その映像に、キアヌ・リーブズと一緒に回転するように、ビルの屋上の背景をCGで合成します。
さらに、ピストルの弾丸が飛んできて、キアヌ・リーブスが後方に倒れながらその弾をよけているように見えるように、弾丸がCGで合成されます。
わずか数秒のシーンですが、実に手の込んだ場面です。
映画館でそのシーンを見た時の驚きと感動、興奮は今でもはっきりと覚えています。

映画の感想


久し振りに「ランボー最後の戦場」を見て、記憶していた以上に面白かったです。
特に、人質の救出のために敵の基地に忍び込んで、助け出す場面はハラハラドキドキでした。
ハラハラドキドキなんですが、この場面はほとんど記憶にありませんでした。
よく覚えていたのは、戦闘シーンばかりで、それ以外のスリルのある場面はほとんど記憶から抜けていました。
そのぐらい、昔の僕は戦闘シーンにしか興味がなかったんでしょう。

映画はとても面白かったですが、かなり暴力的な内容を含むので、子供には見せない方が良いと思いました。
「ランボー」「ランボー怒りの脱出」「ランボー怒りのアフガン」は子供に見せても良いですが、「ランボー最後の戦場」は見せない方が良いと思います。
それは人体がちぎれて飛び散るシーンが残酷だということではなくて、ミャンマー軍の兵士たちの悪逆非道な行いが、あまりにも暴力的すぎて、子供には悪影響があるだろうと思うからです。
あそこまで暴力的な映画にする必要があったのだろうかと思いました。

ちなみに、僕がこれまでに映画館で見た映画の中で最も暴力的なワーストワンは、日本の「バトル・ロワイヤル」(2000年に公開)です。
あれは、最悪の映画だと思います。
あまりにも酷すぎて、誰も見るべきではないと思いました。
あまりにも酷すぎます。
出演者は、ビートたけし、藤原竜也、前田亜季、山本太郎、栗山千明、柴崎コウなどですが、本当に直視に耐えない酷い映画でした。
それから比べたら、「ランボー最後の戦場」はかなりマシですが、それでも子供には見せない方が良いと思います。

「ランボー最後の戦場」の舞台はミャンマーです。
映画の中では登場人物たちはミャンマーの事をビルマと呼んでいました。
若い人は知らないかも知れないですが、ビルマはある時にミャンマーと名前を変えました。
どういう経緯でそうなったのかは僕はよく知らないです。
ただ、当時放送していた「ニュースステーション」という報道番組で、キャスターの久米宏が、「私はミャンマーという国名は認めません。」と言い、番組ではビルマと呼び続けていました。
つまり、何かよくないことが起こって国名が変わったんでしょう。

ミャンマーは荒れていて、国軍が自国民を虐殺しています。
アウンサン・スーチーさんが長年自宅に軟禁されていたのは、子供の頃からニュースで見て知っていました。
かなり長い年月、軍によって自宅に軟禁された末、解放されて政治家になったのも知っていました。
スーチーさんの人気があがり、国の代表のように見る人が増えてくると、再び軍部がスーチーさんを拘束し、軍部が政権を握るようになったのも、なんとなく知っていました。
そして、最近のニュースだと、ミャンマー軍が訳もなく国民を虐殺していると報じされていました。
別に、反政府運動などをしていなくても、ただ生活しているだけの人を次々に殺しているとニュースで言っていました。
そのような状況はなんとなく知っていましたが、「ランボー最後の戦場」によると、内戦は60年も続き、世界で最も長い内戦になっているそうです。

そのミャンマーで話は展開しますが、つくづく日本は平和で良かった思いました。
「人は誰にでも幸福になる権利がある。」とか、「人権や個人の尊厳は守られなければいけない。」とか、「暴力では何も解決しない、話し合う事が重要だ。」とか、そういうセリフを言う人は、とても幸福な環境で暮らしているからそう言えるんだと、つくづく思いました。
あの映画を見てしまうと、日本はとても平和な国だと思います。

ミャンマーに行こうとするNGOのグループの女性にスタローンは何度も、「家に帰れ。」「何も変わらない。」「自分の幸せを考えろ。」と言い続けます。
でも、忠告を無視して危険な村に足を踏み入れ、理不尽な暴力にさらされます。
丸腰の民間人を軍人がマシンガンで撃ち殺し、爆弾で家を破壊し、問答無用のひどい殺戮を行います。
あれじゃあ、何を言っても無駄です。
話し合いで解決なんか出来ません。
話し合う前に撃たれます。

若い頃はああいう残酷なシーンを見ても何とも思わなかったんですが、この年になって改めて見てみると、暴力の悲惨さと、平和のありがたさがよく分かります。
「ランボー怒りのアフガン」で、ランボーが訪れたアフガニスタンの村をいきなり2機の武装ヘリが襲うシーンもかなり惨い状況でしたが、今回の「ランボー最後の戦場」で、NGOのグループが到着した村がいきなり軍隊に攻撃されるシーンはさらにひどいものでした。
本当に日本が平和で良かったと思います。
もちろん、日本にも色々な問題があり、理想的な社会からは、程遠い事はわかっていますが、アフガニスタンやミャンマーと比べたら天国だと思います。

無駄に生きるか、何のために死ぬか

「ランボー最後の戦場」が公開された頃、「無駄に生きるか、何のために死ぬか」というセリフが宣伝に使われていたと思います。
「無駄に生きる」とは随分な言いようですね。
生きているだけでとても尊く、価値のあるものだと思います。
なので、無駄に生きるという表現には同意できないです。

DVDを最初に見たときは、英語の音声を聞き、目では日本語の字幕を見ていました。
2回目に見たときは、確定申告のための必要経費の集計をしながら、主に音声を聞いていました。
戦闘シーンになると、画面も見ます。
音声だけで聞いていると、字幕を見ている時よりセリフが聞き取れます。
上記のセリフは、僕のリスニングが正確ならば、「Live for notheing, or die for something」と言っていました。
Live for nothing , or die for something 
今の日本では、なかなか存在し得ない価値観ではないでしょうか?

幕末の日本では、国のために命を投げ出そうとする武士がたくさんいたようですが、今の日本ではなかなかないと思います。
司馬遼太郎の小説によれば、坂本龍馬など幕末の志士たちは、日本を外国人から守るためならば喜んで命を投げ出す覚悟だったそうです。
直接外国人を斬り殺す攘夷の志士達も、幕府を倒してより強い国を作ろうとする倒幕の志士達も、外国から軍艦の技術を学んで強い海軍を作ろうとする開国の志士達も、志のためには命など惜しくないと考えていたようです。
小説の中の話ですが、ものすごく印象に残っている場面があるので、書かせてください。
おそらく司馬遼太郎の「竜馬がゆく」だったと思います。
登場人物の名前は覚えていません。
あの作品は、登場人物がものすごく多いので、覚えていません。

ある若い武士が、病気になって余命が短いと悟ります。
そして仲間を集めて次のように言います。
「俺は、お国のために剣電弾雨の中で倒れるつもりでいた。でもこのままでは畳の上で、病で死ぬ。武士としてこんなに恥ずかしく、悔しいことはない。なので、せめてお前たちに見ている前で勇ましく腹を切りたい。」
そのようなセリフを言って、その場にいる5、6人で水の杯を交わして、畳の上で自分の腹に刀を指して果てるという場面です。
令和、平成の日本の価値観では理解しがたい発想です。

今も、国を良くしたいと思っている人はたくさんいるでしょう。
でもそのために自分で自分の腹を切る人はいないと思います。
「無駄に生きるか、何のために死ぬか」
僕は、娘の成長を見守りたいから生きていると言って良いと思います。
もちろん、筋トレ、パワーリフティングが楽しみなのは言うまでもないですし、仕事も面白いです。
でも、生きる目的は?と聞かれたら、娘の成長を見守る事です。
そして、何のために死ぬかと言われたら、命をかけてまで成し遂げたい事はないというのが僕の答です。
もし、火事場に娘が取りに越されるなんて事になったら、その場合は自分が死んでも娘は助けたいと、火の中に飛び込んで行くと思いますが、そういう事でもなければ、命をかけるなんて信じられません。

来月でランボーはおしまい

同じ映画でも、若い頃に見たときと、歳をとってから見たときでは感想が随分と違うもんですね。
若い頃は、ランボーのシリーズは、第1作が一番良くて、あとは全部ただのアクション映画だと思っていました。
実は、妻もこれと同じ意見を持っています。
でも今回、ランボーシリーズを改めて見直してみると、単なるアクション映画ではなく、それぞれにきちんとした内容があり、テーマ、メッセージがあるように思えます。
もちろん第1作が一番優れているという意見は変わっていませんが、第2作目以降への評価は、今回改めて見て、随分と僕の中では高くなりました。

来月はいよいよ最終作の「ランボー・ラストブラッド」です。
この作品はまだ見たことがないので、とても楽しみです。
映画を見た人達の感想をインターネットで少し拾い読みをしましたが、「泣ける。」という意見が結構多かったので、期待しています。
これまで、僕がシルベスター・スタローンの映画を見て、一番泣けると思った映画は、「ロッキー」(1976年に公開)でした。
果たして「ラストブラッド」はどのくらいのものなのか?
とても楽しみです。

今回はこんなところです。
ありがとうございました。

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