こんにちは、鹿野一郎です。
今日はちょっと暗い話になってしまいます。
本当は楽しい事を書きたいんですが、僕の場合は、気分によって書く事が決まってしまい、今日はちょっと楽しい話は出来そうにないんです。
昨日、職場で同僚の訃報を聞いて、どうしてもこれまでの事が思い出されてしまうんです。
なので今日はちょっと暗いトーンの投稿になると思います。
予備校講師は短命な人が多いと思います。
短命というのは、若くして仕事をクビになるという意味ではなくて、若くして他界するという意味です。
僕は1993年から予備校講師をしています。
当時25歳でしたが、今年で54歳になり、予備校講師生活も30年目に入りました。
もう30年ですか。
知らない間に随分と長い時間が経ちました。
同僚の訃報を受けて
今日は2021年の11月26日の金曜日ですが、一昨日の水曜日の訃報を受けました。
が亡くなったと言うんです。
僕はその方には会った事がないし、見た事もないし、噂や評判などを聞いた事もなかったので、全く知らない人ですが、それでもやっぱり、胸が痛みます。
またか!
という思いです。
その方は41歳の数学の先生だそうです。
独身だったそうです。
この先生をA先生と呼ぶことにします。
ちなみに僕は以前、「身の周りでコロナに感染した人々」という投稿で、Aさん、Bさん、Cさんなどを登場させていますが、その投稿でのAさんと、今回のAさんは別の人です。Bさん以降も全て同様です。
Aさんは2学期の最初に代講を出しました。
代講は当初は3週間の予定でしたが、場合によっては2学期一杯すべて代講を出すかも知れないという話でした。
僕にとっては全く知らない人でしたが、代講を引き受ける先生がよく知っている人だったので、その話を聞きました。
そして、このA先生の代講については色々な憶測が噂を生み、いろいろな事がささやかれていました。
コロナに感染したのではないか?衆議院選挙に立候補したのではないか?
コロナのワクチンの副反応ではないか?重病なのではないか?
随分といろいろな仮説を聞きましたが、真相は不明です。
ただ、お亡くなりになったのは事実だそうです。
教務から発表があったそうです。亡くなった理由などはすべて非公表となっているそうです。
41歳というと、僕よりも13歳も若いです。
残念でならないし、気の毒です。
ちょっと聞いた話では、過労死ラインを超える働き方だったそうです。
朝から夜までびっしり授業をして、自宅に帰れば添削や原稿仕事をしていたそうです。
僕にも経験があるのでわかりますが、そういう生活は寿命を縮めます。
これまでの30年間で、同僚が亡くなったという話はたくさんありました。
一体何人の方が亡くなったのだろうかと思い出してみたら、亡くなった方は10人、健康を害してリタイアした方は3人いました。これは僕が知っている範囲内での話です。
予備校全体でみたらもっと数は多いと思います。
ちなみに、予備校から解雇されて職を失った人々はこの何倍もいると思います。
これまでに亡くなられた方々
僕は25歳で予備校講師になりました。
1993年のことです。
予備校業界は1985年から1992年までの7年間は特に景気が良かったです。
1984年に大学受験をした世代は、「ひのえうま」に相当し、この年は極端に子供の数が減りました。
昭和41年生まれの人々ですが、「ひのえうま」に生まれた女の子は、将来自分の旦那を食い殺すという伝説があったそうです。
当時の日本人は信心深く、これを信じて子供を生み控えたそうです。
でも翌年、その反動が出て、昭和42年生まれの子供は200万人を突破しました。
そしてそれだけにとどまらず、7年間連続で増え続けて、学校では教室が足りなくなり、高校受験や大学受験は熾烈を極めました。
この7年間のことを受験業界ではゴールデンセブンと呼んでいます。
僕はゴールデンセブンの1年目の世代ですが、1年浪人しているので、ゴールデンセブンの1年目と2年目に受験をしました。
あの当時の予備校は浪人だらけで、休み時間には廊下も階段も浪人で詰まってしまって、トイレにすらいけないという騒ぎでした。
夏休みに自習室で勉強しようと思っても、開門が9時なのに浪人生たちは7時半から並んでいました。
そうしないと自習室の席が取れないからです。
今思うと、本当に凄い時代でした。
僕が中学に上がる頃は、教室が足りないということで、中学校が校舎を増築していました。
高校に上がるときは、教室が足りないということで、理科室や音楽室が潰されて教室になっていました。
そして僕が卒業したすぐ後に、新校舎が増築されました。
あの頃は子供がたくさんいたんです。
中学の時は1学年450人ぐらいで、高校では1学年580人ぐらいいました。
ここでは僕がこれまで働いてきた中でお亡くなりになった方々について書きたいと思います。
10人登場しますが、全員男性です。
僕が予備校講師になって、最初に聞いた訃報は、数学のB先生でした。
当時の年齢は50前後だと思います。
僕は30になるかならないかの頃だったと思います。
B先生とは顔見知りで、会えば挨拶ぐらいはしていました。
家がとても近くて、同じ駅の反対側でした。
あまり交流はありませんでしたが、ある日突然亡くなったと聞かされてとても驚きました。
ついこの間まで健康そのものだったのに何故?
という衝撃がありました。
あまりにも突然だったので、病気ではなく事故だったのかも知れないです。
亡くなった理由は奥さんが公表したがらなかったため、誰も知りません。
彼の葬儀は隣の駅の葬儀場で行われましたが、僕も参加しました。
物凄い数の講師が出席していて驚きました。
B先生はこんなに人望がある人だったのか!と驚いたのを覚えています。
3人目は物理のC先生でした。
亡くなられたのは今から15年ぐらい前だと思います。
当時の年齢は60を過ぎた頃だったでしょうか?
癌でお亡くなりになったそうです。
C先生とはたまに仕事で話していましたが、ご自身の病気のことは最後まで話しませんでした。
しばらく代講を出していた時期がありましたが、復帰すると髪型が変わっていました。
あれはカツラではないか?と思いましたが、本当にカツラでした。
癌の治療で髪が抜けてしまったんだと思います。
C先生には娘さんがいて、東京大学の大学院に通っているという話でした。
一度だけ仕事でC先生の家に電話をした事がありますが、C先生は不在で、代わりに奥様と少しだけ話した事があります。
いかにも良いところの奥様という感じでした。
C先生はかなり厳しい先生だったと思いますが、上級の家庭を築かれていたようです。
C先生が亡くなったと聞いた時は、やっぱりそうかと思いました。
癌と分かっていたので、いつかこの日が来るだろうと思っていました。
4人目は生物のD先生でした。
この先生は僕が今勤めている予備校ではなく、以前勤めていた予備校で一緒だった先生です。
僕より5歳ぐらい若い先生でした。
この先生とは友達で、他に化学の先生、世界史の先生(全員男)でよくつるんでいました。
D先生が都内のお大尽なマンションに引っ越したのを記念して、皆で遊びに行った事がありました。
場所は浜松町です。
家賃は月28万円と言っていたような気がします。
ちょうどクリスマスが近い時期でした。
2LDKで、広いとは言えないマンションでしたが、あまりにもリッチで、僕の中でマンションのイメージが変わりました。
窓の外には東京タワーのイルミネーションが輝いていました。
床暖房の効いた部屋で男4人で鍋を囲んでいました。
D先生は科目が生物なので、あまり多くの授業を担当する事ができず、もっとコマが欲しいと言っていました。
その後、九州の予備校に採用され、毎週鹿児島、福岡まで飛行機で仕事をしに行くようになりました。
関東では、東京、千葉、埼玉で授業をしていました。
彼は、これで俺もバリバリ稼げるぜ!と言って喜んでいました。
時が過ぎて、僕はその予備校をやめ、今の予備校に移りました。
なので、D先生や化学の先生、世界史の先生とも会わなくなりました。
さらに数年の月日が流れて、電車でばったりと以前の予備校で一緒だった日本史の先生(世界史の先生とは別の先生です)と会ったので、いろいろ思い出話や近況報告をしました。
その中で、D先生はどうしていますか?と尋ねたら、相手の顔色が変わり、
ご存知ないんですか?
と言われました。
そこでD先生が大分前に亡くなったと聞かされました。
僕は信じられず、「なんで?」と大きい声を出してしまいました。
孤独死だったそうです。
死因は心不全となっているそうですが、日本史の先生によると、「心不全ということは要するに原因不明という事ですよ。」とのことでした。
4人組の1人が知らないうちに亡くなっていたというのは、きつい現実でした。
5人目は化学のE先生でした。
30歳だったそうです。新婚2ヶ月で亡くなったそうです。
原因はわかりません。
僕は会った事がない人だったので、それほど衝撃はなかったですが、30歳で新婚2ヶ月で他界というのは酷すぎる話だと思いました。
6人目は物理のF先生でした。
65歳だったと聞いています。大変な人気講師だったそうですが、猛烈なヘビースモーカーでもあったそうです。
僕は一度だけ会った事がありますが、かなり仕事に真面目な方という印象がありました。
タバコの吸い過ぎで癌になったそうです。
好きでタバコを吸っていたなら良いですが、仕事のストレスでタバコに走っていたとしたら、とてもかわいそうです。
予備校講師という仕事は、精神的なストレスがかなりあると思います。
人間誰でも歳をとります。
そして浪人生や高校生を相手に授業をする限り、先生は老人よりも若い方がウケが良いです。
若くてかっこいいお兄さんやきれいなお姉さんが、ちゃんと授業を出来るならば、人気が沸騰する事は間違い無いと思います。
歳をとっても人気講師であり続ける人々は、超人的な努力をしていると思いますし、猛烈なストレスと戦っていると思います。
そしてそれは寿命を縮めてしまうんではないかと、僕は思っています。
F先生のことではありませんが、若くないのに無理をして頑張っている先生を見ると、少し心配になります。
リポビタンDを1日6本飲みながら仕事をしている人もいますが、本当の見ている方が怖いです。
7人目は数学のG先生でした。
この先生には僕はとてもお世話になりました。
前の予備校でも今の予備校でもお世話になりました。
25歳で僕が初めて予備校講師として校舎に出勤したその日に、G先生はいらっしゃいました。
G先生が亡くなったのは4年前で、当時63歳でした。
G先生とはよく上野に繰り出して、一緒にお酒を飲んでいました。
ある日、G先生は膵臓癌を患いました。
病気になってから急激に痩せていき、別人のようになってしまいました。
G先生は奥さんに、「お前のおかげでいい人生だったよ。」と告げたそうです。
すると奥さんは、「あなたがそう言ってくれるなら、私もいい人生だったわ。」と答えたそうです。
僕はこの話を聞いた時は、泣きそうになってしまいましたが、この話は誰に言っても皆が知っている話でした。
G先生はきっと、全ての知り合いにこの話をしていたんだと思います。
治療はうまくいき、ある日、癌は緩解(かんかい)したとおっしゃっていました。
癌の場合は完治とは言わず、緩解というそうです。
皆でよかった、よかったと話していたんですが、仕事の帰りに自転車で転び、頭を打ってしまいました。
そして数日後に他界されました。
頭を打った事が直接の原因なのかどうかはわかりません。
でも、癌が治ったと言っていたのに、自転車で転ぶとは、なんとも皮肉な話です。
G先生の葬儀も大々的に行われたそうですが、僕はその日は2年生だった娘とその友達を連れて夏祭りに行く予定が入っていたので、葬儀には参加できませんでした。
8人目は数学のH先生です。
この先生は僕と同い年でした。亡くなったのは50になるかどうかの頃だったと思います。
前の予備校でも一緒だったので、一緒に仕事をしていた期間は25年ぐらいに及びます。
会えばかならず挨拶はしていましたが、H先生はイヤフォンをして目を閉じて音楽などを聞いている事が多く、話をした事はほとんどありませんでした。
H先生は昔は結構太っていたんですが、ある時から急にスリムになったので、教室に上がって行くエレベーターの中で話しかけた事があります。
「やせましたね。」というと、「ええ、晩ご飯を食べるのやめたんですよ。」という返事がありました。
これがH先生との唯一の会話です。
H先生も突然亡くなったので、全く信じられませんでした。
そして、会えばかならず挨拶はしていたけど、ほとんど全く話した事はなかったというと、周りの先生方も同じ事を言っていました。
H先生は誰ともコミュニケーションを取らず、静かに授業をしていたようです。
彼が結婚しているのか、子供がいるのかなど、プライベートな事は何も知らなかったです。
9人目は日本史のI先生です。
今から3、4年前のことでしょうか?
比較的最近です。
I先生はいつも灰色の顔をして、疲れた、疲れたと言いながら仕事をしていました。
すごく不健康そうな人だなと思っていましたが、まさか死ぬとは思っていませんでした。
ある日、校舎に出勤すると、I先生が亡くなったと聞かされました。
病気になったとは聞いていなかったし、代講も出していなかったので、突然の訃報でした。
原因はなんなのかと思ったら、癌だそうです。
I先生はなくなる10年以上前から灰色の顔をして、忙しい、忙しい、疲れた、疲れたと言っていました。
なので、それがI先生のライフスタイルだと思っていましたが、いつの間にか癌に蝕まれていたそうです。
享年58歳だそうです。
10人目は、数学のJ先生です。
J先生が亡くなったのはやっぱり3、4年ぐらい前でしょうか。
享年67歳でした。
僕はある校舎で、浪人の授業から高校生の授業まで3時間の空き時間があり、暇を持て余していました。
だから、数学の先生、地理の先生と3人でいつもバカ話をしていました。
数学の先生も地理の先生も別の校舎から移動してその校舎にやってくるので、彼らが来るのをまだかまだかと待っていたものでした。
ある日、J先生ら地震のエネルギーを計算する式はどうやって導かれたのか教えて欲しいと質問されて、僕は仰天してしまいました。
そんなのわかりません、とは言えないので、翌週までに必死で調べてわかる範囲で答えました。
マグニチュードの算出の仕方はわかったんですが、地震のエネルギーの式は全く意味不明のままでした。
でもそれを機に、J先生ともバカ話をするようになりました。
かくして4人組が形成されました。
僕にとっては当時、この4人でとめどない馬鹿話をするのが1週間で最も楽しい時間で、仕事のストレスも馬鹿話で吹っ飛ぶ思いでした。
でもそれは長く続きませんでした。
地理の先生は退職することになり、J先生は翌年からその校舎には出講しない事が決まったので、四人組は解散することになりました。
その翌年の夏です。
J先生が癌でなくなったという話を聞いて、びっくり仰天してしまいました。
あんなに元気だったのに、なんで?
と思いました。
聞くと、次年度が始まってすぐに癌が発見され、ずっと代講を出していたそうです。
そして夏にお亡くなりになったそうです。
まったく信じられない話でした。
J先生は67歳という自分の年齢を自覚していて、あと何年働けるだろうか?と話していた事がありましたが、まさか退職される前にお亡くなりになるとは夢にも思っていませんでした。
ずらずらと長く書き綴ってしまいましたが、30年で10人ですよ。
世間の会社でもこんなにたくさん同僚が亡くなるんでしょうか?
予備校講師は短命なんじゃないでしょうか?
仕事は立ちっぱなし、喋りっぱなしで、それなりに体力を使います。
色々な校舎に行かされるので、通勤で体力も消耗します。
1日に2校舎回るのは当たり前の話で、ひどい人は1日に3校舎回ります。
予備校講師は人気商売なので、手抜きをして適当に仕事をすると、翌年のコマが減らされたり、クビになったりします。
そうならないようにしっかりと授業をしなければなりませんが、人気のある先生には授業が集中するので、寝る間もないほど忙しくなります。
さらに原稿仕事まで積み重なってくると、非常に危険な状態になります。
若ければある程度は耐えられると思いますが、若くないのに気力でそれをカバーすると、体がやられてしまうんだと思います。
予備校講師は短命な人が多いと思います。
芸能界と比較してみると
僕は普通の会社に勤めるサラリーマンをやった事がないので、予備校講師が短命なのかどうか、比較する事ができません。
きっと世の中はみんなそんなもんなんだろうと漠然と思っていましたが、ふと芸能界を比較することを思いつきました。
芸能界は予備校講師よりもはるかに厳しい世界で、ストレスも物凄いと思います。
テレビで馴染みの人々はほんの一部の超勝ち組の人達で、その影に苦労している芸能人が無数にいると思います。
でも、芸能人の早死のニュースというのはあまり聞かないような気がします。
むしろ芸能界では自殺のニュースが多いと思います。
去年、2020年は特にそうで、俳優の三浦春馬さん、竹内結子さん、芦名星(あしなせい)さんなどが自殺されました。
古くは俳優の沖雅也さん(1983年36歳)、アイドルの岡田有希子さん(1986年18歳)などが思い出されます。
予備校講師で自殺した人は、僕の知る範囲ではいないですが、逆に芸能界では若くして病死する人をあまり聞かないような気がします。
若くして病死した芸能人というと、心当たりは何人かいますが、皆かなり前の人です。
女優の夏目雅子さん(1985年27歳)や堀江しのぶさん(1988年23歳)が思い当たりますが、他はちょっと知らないです。
芸能界の人々は、何の保証もなく、自分の才能だけで勝負しているんだと思います。
来年の仕事があるかどうかというレベルではなく、来月の仕事があるかどうか、という背水の陣で戦っている人が大勢いると思います。
大変な仕事だと思います。
僕はドラマを良く見ますが、出演されている方々は、誰も物凄い重圧と戦いながらも成功を手にしている人達なんだと思います。
成功しているのに自殺してしまうんですから、僕なんかには想像も出来ないほどに厳しい世界なんだと思います。
最後にちょっと思い出したアメリカの警察官の話
ちょっと話がそれますが、最後に昔同じ予備校で働いていた英語の先生から聞いた話を紹介して終りたいと思います。
その先生はアメリカの大学を出た人なので、何年かアメリカに住んでいました。
アメリカに友達もたくさんいたそうですが、警察官の友達の話を聞かせてくれたそうです。
そのアメリカ人の警官が何年警官をやっていたかは覚えていませんが、アメリカは銃社会なので、その方が警察官になってから、英語の先生と飲み会で話をするまでに、同僚が30人殉職したと話していたそうです。
ストレスで病死するんじゃなくて、撃たれて殉職するんです。
しかも30人だそうです。
その代わり、その警官の方も犯人や容疑者との撃ち合いで、30人ぐらい殺したと話していたそうです。
恐ろしい国ですね。
僕は銃のない国に生まれて良かったと心底思いました。
今回はこの辺にしておきます。
書いたらすっきりしました。
御迷惑だったかも知れませんが、ありがとうございました。