こんにちは、鹿野一郎です。
今日は2022年の1月4日、火曜日です。
2022年も着々と日が過ぎて行きますね。
僕は今日はおよそ2ヶ月半振りにデッドリフトをしました。
久し振りなので、力が出ないのは当たり前なんですが、それでもショックでした。
去年の10月中旬にスクワットで傷めた左内股の痛みがほとんどなくなっているので、今日からデッドリフトを再開しました。
2ヶ月半振りのデッドリフトなので、5/3/1プログラムの仮想MAX(本当はTM、TrueMaxと言いますが、実際にはTrueではないので、僕は個人的に仮想MAXを呼んでいます。)185kgで始めました。
去年の1月は仮想MAX230kgでやっていたので、とても嫌でしたが、2ヶ月半のブランクがあるので仕方ないです。
5/3/1プログラムについてご存じなく、興味のある方は下に紹介記事の内部リンクを貼っておきますので、もし良かったらチェックしてみて下さい。
今日のデッドリフト(5/3/1仮想MAX185Week1)
今日は仮想MAX185kgのサイクルのWeek1で、プログラムの内容は以下のようになります。
メインセット 108kg5回、125kg5回、141kg5回以上出来る限り
補助セット 108kg10回5セット
補助セットについては、5/3/1プログラムでは10回5セットとだけ決められていて、具体的な重量が指定されていません。
なので、僕は勝手に、1セット目の重量と同じ重量で10回5セットやると決めています。
これはあくまでも僕個人のルールです。
そして、今日実際にやった内容は以下の通りです。
メインセット 109g5回、125kg5回、140kg5回
補助セット 119kg6回、8回、8回、8回、8回
たったこれだけの内容をこなすのに1時間半もかかりました。
まあ、インターバルに確定申告の準備をしていたので、インターバルが長過ぎたというのはありますが、でも体が疲れてしまって、休みが長く必要だったのも事実です。
以前の僕だったら149kgでデッドリフトをしても、重さを感じないぐらいでしたが、今日は140kgがとても重かったです。
こんなにも力が落ちるのかと、嘆かわしいぐらいです。
10月24日のパワーリフティング千葉県大会以来のデッドリフトだったので、初日はこんなもんでしょう。
補助セットは、僕が定めたルールでは、109kgでやるはずでしたが、109kgのバーベルを組むのが面倒だったので、119kgでやってしまいました。
119kgのバーベルを組むのは、9kgのシャフトの左右に20kg2枚と15kg1枚を付ければOKです。 109kgのバーベルを組むより楽だったので、ルールを曲げてしまいました。
今後のデッドリフトの重量(5/3/1プログラムの流れ)
次のパワーリフティングの試合は、4月に実施されるだろうと思われる千葉県大会か、5月に実施されるだろうと思われる栃木県大会です。
僕はうっかりしていて4月3日の日曜日に春期講習の授業を入れてしまったので、千葉県大会がその日だったらアウトです。
その場合は栃木県大会に出ます。
その日を目指してトレーニングして行く事になります。
5/3/1プログラムはサイクルをすべてクリアすると、仮想MAXが加算されます。
スクワットとデッドリフトではプラス5kg、ベンチプレスとショルダープレス(考案者のジム・ウェンドラーはオーバヘッドプレスと言っています。)はプラス2.5kgです。
本来の5/3/1プログラムではWeek3が終った次の週はディロード(軽い負荷でトレーニングをして、筋肉や関節の疲れを抜く事)をしますが、5/3/1プログラムは、ディーロードの頻度が高すぎるとも指摘されているので、僕はWeek1、Week2、Week3、Week1、Week2、Week3、ディロードというサイクルで回して行こうと思います。
去年は全くディロードなしでやっていましたが、あれは良くなかったようです。
このサイクルで行くと、4月の頭にはデッドリフトの仮想MAXは200kgになり、5月の頭には205kgになります。
なんか随分と軽い気がしますが、我慢します。
ちなみに仮想MAX200kgだとWeek3の3セット目は171kg、205kgだと175kgまで扱う事になります。
やっぱり軽いと思います。
去年の僕は184kgの連続5本、194kgの連続3本が挙がらなくて、足踏みを続けていましたが、その重さに到達するのは、夏の終りでしょうか?
随分とのんびりですが、プログラムに従ってやって行きます。
一昨年は新型コロナウィルスのため、スクワットを6ヶ月も休みましたが、それでも5/3/1プログラムで、仮想MAX165kgから始めたら、9ヶ月ほどかけて大幅に自己ベストを更新出来たので、今回もそれを狙います。
でも、4月や5月には間に合わないと思います。
ちなみに僕が5/3/1プログラムをやったのは、そのスクワットのリハビリが最初でした。
スクワットが順調だったので、その後、ベンチプレスやデッドリフトも5/3/1プログラムでやるようにしました。
NIPPYOのダンベルとトヨタ2000GT
さて、ここからが本題です。
僕は大学生の時にダンベルを買いました。
今から30年以上前の話です。
今は亡き、船橋西武のスポーツ用品売り場でNIPPYOのダンベルプレートがばら売りしていたので、それをコツコツ買い集めました。
1kgが900円、2kgが1600円、3kgが2400円、5kgが4000円、7.5kgが6000円という高さで、今の相場では考えられないぐらい高価なものでした。
僕がこのバーベルブログを書き始めるに当たって、まずは「僕のダンベル」というシリーズを投稿し続けました。
このシリーズは、「その12」まである長いシリーズでしたが、このうちの「その2」と「その4」はタイトルにNIPPYOという文字が入っています。
「僕のダンベル その2(NIPPYOのダンベルを購入)」と「僕のダンベル その4(NIPPYOのプレートを追加購入)」です。
この2つの投稿は、「僕のダンベル」シリーズの中では他に比べて読まれた回数が多くなっています。
長い間謎でしたが、どうやら、ダンベルの世界では、NIPPYOという会社が、ある種の伝説になっているようです。
僕がダンベルを買った昭和の末期は、インターネットなんかないし、雑誌に載っている通販ではまがい物の似非ダンベルしか売っていませんでした。
今とは違って通販自体が怪しげなもので、お金を払っても商品が届かないのではないか、という不安もありました。
今のようにホームセンターもなかったし、スポーツオーソリティーとかスポーツゼビオのような大規模店もなかったので、ダンベルを買うのは困難でした。
僕が知る限りでは、船橋西武のスポーツ用品店でしか売っていなかったので、そこで買うしかなかったんです。
そしてそこで売っていたのがNIPPYOのプレートだったんです。
昔は公共の体育館のトレーニングルームにNIPPYOのエンジ色のプレートがありました。
昭和の末期には成田市体育館のトレーニングルームに15kgとかその他のNIPPYOのプレートがあったのを覚えています。
僕のと同じだ!
と思ったので良く覚えています。
他に千葉県市川市の国府台体育館のトレーニングルームにもNIPPYOのプレートがありました。
でも、これらはやがて姿を消しました。
何故姿を消したのかはわかりません。
僕が思うに、プレートの寿命は永遠だと思うので、捨てる事はないと思うんですが、何故か姿を消しました。
そして、NIPPYOという会社はその後、無くなってしまいました。
今でも世の中にNIPPYOの中古のプレートは流通しています。
根強い人気があるみたいです。
どうしてそんなに人気があるのか調べてみたら、インターネットでは次のような情報を得る事が出来ました。
(1)NIPPYOの会社名は日本秤錘株式会社(にほんひょうすいかぶしきがいしゃ)、
所在地は四国で、分銅メーカーとして戦時中は独占的シェアを占めていた。
(2)NIPPYOブランドは、重量誤差が少ないフリーウェイトが高く評価されていた。
(3)1964年の東京オリンピックにNIPPYOがプレートを提供した。
(4)バブル崩壊の影響や不動産投資の失敗により2000年頃に倒産した。
これらの情報がどのくらい正確なのかは分かりませんが、1964年の東京オリンピックのウエイトリフティングで公式に使われたプレートは、日本のUESAKAというメーカーのはずです。
UESAKAは今でも健在で、日本で唯一のパワーリフティング、ウエイトリフティングの公認メーカーとなっています。
1964年の東京オリンピックでNIPPYOのプレートが使われたというのは、試技ではなくて、ウォームアップなのかも知れないです。
それとも、試技でUESAKAとNIPPYOの両方を使っていたんでしょうか?
情報を書き込んだ人によると、その時のプレートが道場にあるそうなので、NIPPYOのプレートが使われたというのは確からしい話だと思います。
不動産投資の失敗で倒産したという話が本当なのかどうかは良く分かりません。
でも、バブル景気で本業とは関係ないゴルフ場やテーマパークに出資して、その後、経営が悪化した会社は多数あります。
金融バブルの崩壊が1990年、不動産バブルの崩壊が1991年なので、2000年頃に倒産というのは話が合います。
この会社のダンベルプレートが何故そんなに人気があるのかを考えてみると、まさに先駆者だったからではないかと思えて来ます。
1964年の東京オリンピックではUESAKAが試技のプレートを提供しましたが、UESAKAは僕が知る限りではダンベルのプレートは作っていないはずです。
バーベルのプレートは作っていますが、UESAKAのプレートは競技用であって家庭用ではないので、個人で持っている人はほとんどいないと思います。
つまり、昔個人でダンベルを買おうと思ったらNIPPYOしかなかったんです。
だから僕もNIPPYOのプレートを買いました。
今ではいろいろなメーカーがありますが、あの当時の日本にはNIPPYOしかなかったんです。
それが、当時を知る人の間で今での根強い人気がある理由なのではないでしょうか?
NIPPYOについての情報がインターネット上にほとんどないのは、倒産の時期が早かったからだと思います。
1995年にWindows95が発売された事により、日本でも個人がパソコンを持つ時代が到来し、同じ頃にインターネットが産声をあげました。
あの当時のインターネットはとにかく遅くて、情報ツールとしての使い勝手は最悪でした。
若い人にはこういう例え話をすると分かりやすいかも知れないです。
テレビの電源を入れたら、画面が映るまでに30秒待たされて、チャンネルを変えようと思っても30秒待たされ、音量を上げようとしても30秒待たされる。
こんなテレビがあったら、やってられないですよね?
あの当時のインターネットはそのぐらい酷かったです。
インターネットが情報通信網としての力量を発揮する頃には、NIPPYOが潰れてしまったので、会社のホームページすら存在しないんだと思います。
UESAKAは現在でも健在なので、会社の事やバーベルの製造行程などをとても細かく公開してくれています。
NIPPYOはダンベル、バーベルの先駆者であり、早くに消えてしまいました。
それがなおさら根強い人気に繋がっているのかも知れません。
そう考えると、僕のような昭和世代の人々の間でトヨタ2000GTという車が人気が高かった(今でも高い?)理由と同じなのだろうと思います。
僕が小学生だった頃、日本にスーパーカーブームが巻き起こりました。
ほとんどがイタリアやドイツの車でしたが、国産車でスポーツカーと言ったらあの当時はトヨタ2000GTしかなかったんだと思います。
だからずっと後まで根強い人気を誇った(誇っている?)んだと思います。
2006年に放送されたTVドラマ「結婚できない男」(阿部寛主演)では、主人公のライバルの建築士の金田(演じたのは高知東生さん)がトヨタ2000GTを乗り回していました。
調べてみたら、トヨタ2000GTは1967年から1970年までしか生産されていなかったそうです。
わずか4年間です。
2ドアクーペで、定員は2人だそうです。
駆動方式はFR(後輪駆動)で、最大出力は150馬力だそうです。
そして、な、な、なんと、生産第数は、たったの337台だそうです。
これは知りませんでした。
そんなにレアな物だったとは。
トヨタ2000GTが発売された年に僕は生まれたので、この車の事はあまり知りませんでした。
でも、僕より10歳、20歳上の方々に取っては、この車はまさに伝説の国産スポーツカーだったのでしょう。
ランボルギーニ、カウンタックLP500S
ついでに言われてもらいますと、僕にとって永遠のスーパーカーと言ったら、ランボルギーニのカウンタックLP500Sです。
1977年7月、9歳だった僕は、この車が見たくて、晴海(東京都の埋め立て地)で開催されたスーパーカーのイベントに連れて行ってもらいました。
このイベントには4日間で46万人が詰めかけたそうです。
僕もその中の1人でした。
友達と約束して、3家族ぐらいで揃って見に行きました。
本物のカウンタックを見る事が出来て、とても感激したのを覚えています。
あの頃、スーパーカーと言えば、同じくランボルギーニのイオタ、ミウラとか、フェラーリ512BB、デ・トマソ・パンテーラ、ロータスヨーロッパなどがありましたが、僕は何と言ってもカウンタックが好きでした。
カウンタックは1981年公開の映画「キャノンボール」(ジャッキー・チェン他)、1983年公開の「キャノンボール2」の冒頭で豪快な走りを見せていました。
また、1986年の映画「ロッキー4」(シルベスター・スタローン主演)では、ロッキーの家のガレージにカウンタックが止っているのがチラリと映る場面があります。
そして、去年日本ハムファイターズの監督に就任した、ビッグボスこと、新城剛氏の監督就任のセレモニーでは、彼が白いカウンタックに乗って登場しました。
一度でいいからカウンタックに乗ってみたいです。
運転出来なくても良いです。
助手席でも十分です。
そう言えば、大学生の頃は、カウンタックのプラモデルを作って、愛車のダッシュボードに飾っていましたが、真夏の熱で解けて変形してしまい、廃車になってしまいました。
カウンタックについても調べてみましたが、生産されていたのは1974年から1990年までだそうです。
最高出力は455馬力で、トヨタ2000GTの3倍以上です。
最高速度は、子供の頃に時速300kmと聞きました。
僕にとって、永遠のあこがれです。
内部リンク「5/3/1プログラムの紹介」