僕のダンベル その5(記憶にないバーベル)

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こんにちは。鹿野一郎です。
昭和63年(1988年)10月18日、大学生だった僕は船橋の西武デパートで、7.5kgのバーベルシャフトと、7.5kgのプレート2枚、5kgのプレート2枚を買ったそうです。
全部で重さ32.5kg、値段は26000円だったそうです。

このとき買ったプレートは今(2021年3月)でも家ありますが、バーベルシャフトはないし、買った覚えもないです。

ないという事は、何かのタイミングで手放したのでしょう。
年末などにゴミとして捨ててしまったのでしょうか。
なんという愚か者でしょう!


シャフトの重さは7.5kgだそうなので、おそらく長さは140cmなのでしょう。
このときに買ったプレートは、やはり自分が持っているものと同じメーカーNIPPYOのエンジ色のペイントプレートです。

この日の買い物で、僕が持っているプレートは、7.5kg2枚、5kg2枚、3kg2枚、2kg2枚、1kg2枚となりました。
でも、現在我が家にあるプレートは5kgのものが4枚なので、この後のさらに5kgのプレートを2枚追加で買っているはずです。
いつ買ったのか全く記憶にありませんし、日記を調べてもわかりませんでした。

この当時は家にパソコンなどなく、日記は手書きだったので、全て読み返さないと見つけられません。
パソコンで書いた日記についてはキーワード検索ですぐに見つける事ができますが、手書きの日記は本当に大変です。
僕は昭和61年5月5日から日記をつけていますが、平成7年9月29日までは手書きでした。
ノートにして48冊分です。

今回、ブログを書くにあたって、過去の日記を読み返してみましたが、全く覚えていない事がいろいろ書いてあって楽しかったです。
そして若い頃は、とにかくエネルギーがあって、何事にも突っ走っていたようです。
ただ、あまり物事を深く考えていなかったため、随分と無駄なエネルギーも使っていたようです。

さて、話が戻ります。
買ったプレートとシャフトをどうやって自宅に運んだのか日記に書いてない上に、全く覚えていないのですが、おそらく自転車だと思います。
自宅から船橋までは自転車で行くには遠い距離で、片道一時間はかかりました。
でも、合計32.5kgの鉄のかたまりを電車で持って帰るのは至難の技です。
これをもって階段を上るなど考えたくもない話です。
今と違って当時の駅はバリアフリーではなく、エスカレーターもエレベーターもないのが普通でしたから。

だから、おそらく船橋から自宅まで自転車で運んだのだと思います。
プレートは荷台にゴム紐で縛り付けてしまえば何でもありません。
140cmのシャフトは苦労したと思いますが、それでも電車で運ぶより簡単だったはずです。

それにしても、このバーベルは何に使っていたのでしょう。
この段階でバーベルの重さは最大44.5kgですから、軽すぎて使い物にならなかったと思います。
おそらくほとんど使う事がなく、買ってすぐに部屋に端に立てかけるだけの置き物と化し、年末の大掃除で捨てられてしまったのでしょう。
本当に馬鹿です。
バーベルやダンベルは捨ててはいけません。
捨てるぐらいなら、市民体育館のトレーニングルームにでも寄贈する方がよっぽど良いです。

それに自宅でカールやライイング・トレイセップ・エクステンションをやるときは、短いバーベルシャフトの方がやりやすいので、トレーニングを金輪際やめない限り、手放すべきではなかったと思います。

それにしても、記憶にないといのは恐ろしいですね。
自分の頭が信用できなくなります。
パソコンに入っている写真を全て確認してみたら、バーベシャフトらしきものが写っている写真がありました。
下の写真がそれです。

はっきりとはわかりませんが、この写真でダンベルの手前に映っているのはバーベルシャフトかも知れません。
あまりにも昔の写真なので、画質がかなり最悪です。
しかも、フィルムカメラであるにも関わらず、撮影してから現像に出すまでに何年も放置しておいたので、写真は真っ赤になっていました。
少し色を補正して見やすくしましたが、下の写真は真っ赤でした。


このときは僕は大学生だったので、実家に六畳の和室でこの写真を撮りました。

記憶がなくても、日記に記述があり、写真にそれらしきものが写っているので、それが事実なのでしょう。
以上、33年前に購入し、いつの間にか家からなくなり、買ったことすら覚えていなかった、バーベルシャフトの話でした。
ありがとうございました。

僕のダンベル その6へつづく

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