こんにちは、鹿野一郎です。
今回は、「僕のダンベル その9(大いなる謎 前編)」の続きの話をしたいと思います。
1 前編のあらすじ
前編の内容は、僕が弟から譲り受けた、バーベルシャフト1本、ベンチプレス台、ダンベルバー4本、プレート多数のセット(合計重量は推定100kg前後)をいつどうやって自宅に運び込んだのか、全く記憶も記録もないという話でした。
そのセットが僕のマンションにやってきた日はわかりませんでしたが、そのマンションに住んでいたのは1997年7月から2006年9月までなので、この間に引き取ったことは間違い無いです。
ちなみに、ベンチプレス台は、2006年9月に別のマンションに引っ越すときに処分しました。
また、バーベルシャフトは、長すぎて邪魔だという理由から、もっと前に処分していたと思います。
2006年9月の引っ越しでは、ダンベル4個と全てのプレートを新しいマンションに持っていきました。
そして2008年に今度は一戸建てに引っ越しましたが、この時もダンベル4個は持っていきました。
さらに2015年に自宅を新築して、また引っ越しをしたんですが、この時もダンベル4個は持っていきました。
そして2017年2月19日にそのプレート全てとダンベルバー3本を、運動不足の研究者の友達に譲り渡しました。
つまり、ダンベルがうちを去ったのは2017年2月でした。
でもいつうちに来たのか?どうやって運ばれてきたのか?
全くわかりませんでした。100kg程度もある重量物を自分でマンションに運び込んだなら、いくら昔のことでも忘れるはずがありません。
なのに記憶に全くありません。
さらに、僕は19歳の頃からほぼ毎日日記をつけているんですが、その日記にもそのセットがうちに来た日のことは何も書いていないんです。
まるで、ある日気付いたらうちにあったという具合だったんです。
なので、今度弟に電話して真相を聞いてみるというのが前編の内容でした。
2 大いなる謎の真相
そして謎は解けました。
そのセットがうちに来たのは2001年の9月30日です。
この頃、弟は福島県いわき市に住んでいました。
最初はワンルームの狭い部屋に住んでいましたが、いわきで結婚することになり、近くのもう少し広い部屋に引っ越しをしました。
弟が結婚したのは2000年の10月です。
結婚してからダンベルセットを使わなくなったので、畳んで部屋の隅に置いておきました。
それを僕が引き取ることになったんですが、遠方なのでなかなか受け取りに行く機会がありませんでした。
そんな中、ある日、母が仕事を定年退職したので、皆でお祝いをすることになり、9月30日に実家に集まりました。
そのときに弟はダンベルセットを持ってきて、僕がそれを引き取ったんです。
僕が車でいわきまで往復したんだったら覚えていたと思いますが、実家ならば車で30分なので、記憶に残っていなかったんでしょう。
この日の日記を見ても母の退職祝いのことしか書いてありません。
ダンベルセットの事はどこにも書かれていないんです。
3 気付かなかった日記の欠落
では、なぜ日記にその事が書いていなかったのか?
当時の日記を検索するだけでなく、全部読み返してみたら真相がわかりました。
なんと2001年は8月23日から10月25日まで、およそ2ヶ月も日記が欠落していたんです。
いや、欠落というのは正しくありません。
日記はちゃんと毎日書いてありましたが、8月23日から10月25日までの日記は、全て10月25日に記憶を頼りに書いたものだったんです!
よく2ヶ月分もの日記を後になって書けるもんだと思いますが、あの時は今よりも20歳も若かったので、記憶力が良かったんでしょう。
日記のタグ(日付の見出し)が全て揃っているので、中を読むまで後から思い出して書いたものだとは思いもしませんでした。
これで、引き取った時の様子が全く日記に書いていない理由がわかりました。
2ヶ月分の日記を思い出しながら一気に書いて行ったんですから、余程重大な出来事しか書かれていないんです。
後に述べる理由によって、このとき弟からダンベルセットを譲り受けた事は、僕にとって重大な事ではありませんでした。
4 色々あった2ヶ月間
でもなぜ、それを覚えていなかったんでしょうか?
その前後に余程大きな出来事があったんでしょうか?
ありました。あまりにもすごいことがあったので、2ヶ月以上も日記がストップしたんです。
このときに何があったのかは、ここには書けないです。でも悪いことではなく、とても良いことです。
とても良いことがあったので、ダンベルとバーベルのセットを受け取ったことなど全くどうでもよかったんだと思います。
この時期にあったことの第一位はここに書けませんが、他にもいろいろなことが重なりました。
先にあげた母の退職祝いもそうですが、他には9月11日のアメリカ同時多発テロがあります。
あれは衝撃的でした。
僕は仕事の帰りで電車に乗っていたんですが、突然携帯電話が変な音を出すので、何かと思ってみたら、緊急ニュースが入っていました。
ニューヨークの貿易センタービルのツインタワーに航空機が衝突したという内容でした。
どこかのうっかり屋さんがセスナで擦ってしまったんだろうと思いました。
すると隣の人の携帯電話も鳴り、向かいに座っていたおじさんは、小声で電話で話し始めました。
その声がわずかに聞こえたんですが、「テロなの?」というところだけ聞き取れました。
何かまずいことが起こったのでは無いかと思いましたが、家に帰ってテレビをつけたら信じられない光景が飛び込んできました。
セスナが擦ったんでのはなくて、旅客機が突っ込んだんです。
ビルに大穴が開いて煙を吐いていました。
その後、ツインターワーのもう片方のビルにも別の旅客機が突っ込み、ツインタワーは根元まで崩壊してしまいました。
そのようなこともあったし、僕が住んでいたマンションに直結していたスーパーを経営していた会社(マイカル)が倒産するというニュースもありました。
マンション直結のスーパーが閉店してしまった洒落にならないので、とても気になるニュースでした。
そのスーパーはその後、イオンが経営を受け継いだので、閉店を免れました。
また、学生時代の友達の一人がアメリカのケンタッキー大学に研究者として就職することになったので、皆でお祝いをしたりもしていました。
この友達を訪ねて僕ははるばるケンタッキーまで旅行に行ったことがあります。
そしてその友達こそが、僕が弟から譲り受けたダンベルを譲り渡した相手なんです。
その友達は帰国した後、埼玉県和光市の研究所で働いています。
なんという巡り合わせでしょう。
このようなことから、弟からダンベルセットを譲り受けたことは意識の外の低いレベルの出来事になってしまい、記憶にも残らなかったんです。
なので2ヶ月後に色々思い出して日記を書いたときに、全く登場しなかったんです。
5 僕がTMスポーツのダンベルを持っていた期間は15年と5ヶ月でした
これではっきりしました。
あのTMスポーツの規格外品のダンベルセットを弟から譲り受けたのは2001年9月30日で、研究者の友達に譲り渡したのが2017年2月19日です。
あのダンベル達は僕のうちに15年間以上存在し、僕と一緒に3回も引っ越しをしたのでした。
6 パソコンと日記の消失
僕は19歳の5月5日から日記を書いていますが、26歳の9月29日まではノートに手書きで書いていました。
その後、パソコンで日記を書くようになりました。
パソコンで書いた日記は後から検索をするのがとても楽で、良いんですが、悪い点もあります。
もう27年もパソコンで日記を書いているから経験した事だと思いますが、たまにバックアップのうっかりミスや、電源のダウン、偶発的なエラーなどが重なって、日記の一部が消失することがあります。
昔はタイムマシーン(Macのソフト)のような便利なソフトもなかったので、バクアップが大変でした。
デスクトップパソコンとノートパソコンで管理していても、消失は起こりました。
とても残念なことに、僕が初めてフルマラソンを完走した日の日記や、娘が2歳の時のクリスマスの日記などは消失してしまいました。
今では絶対にそういうことが起こらないように、デスクトップパソコン(iMac21インチ)、ノートパソコン(MacBookAir)のほかに、外付けハードディスク、ポータブルハードディスク2個で日記を共有しています。
おそらく今後は雷が落ちても日記が消失する事はないでしょう。
最初からこのぐらい厳重にバックアップを取っておけば良かったです。
最後に、落雷について少しだけ話します。
僕は落雷でパソコンを壊された事はないですが、落雷によってハードディスクレコーダーを破壊された事はあります。
それまでに録画してあった番組を再生する事はできたんですが、新たに録画をする事ができなくなってしまったので、結局買い換えました。
もしものすごい落雷があったら、デスクトップパソコンと外付けハードディスクは吹っ飛ぶかもしれませんが、ノートパソコンと2個のポータブルハードディスクは残るので、心配ありません。
怖いのは大地震とか火事ですが、そんな事になってしまったらパソコンより命の方が大切なので、そこまでは考えていません。
ありがとうございました。