夏のオリンピックの思い出(後編)

オリンピック

こんにちは、鹿野一郎です。
昨日に続いて、夏のオリンピックの思い出を語りたいと思います。
昨日はこれまでに僕がみてきたオリンピックの思い出を一気に書き出すつもりだったんですが、途中で眠くなってきてしまって、中断しました。
今日はそれの続編です。
昨日はモントリオールオリンピック(1976年)からシドニーオリンピック(2000年)までの思い出を綴りました。
今日はアテネオリンピック(2004年)以降のオリンピックの思い出を語りたいと思います。

7 アテネオリンピック

2004年のオリンピックは、オリンピック発祥の地、ギリシャでした。
アテネオリンピックというと、真っ先に思い出すのは女子マラソンの野口みずき選手の金メダルです。
女子マラソンはバルセロナの銀(有森裕子選手)、アトランタの銅(有森裕子選手)、シドニーの金(高橋尚子選手)に続いて、4大会連続のメダル獲得となりました。しかも2大会連続の金メダルです。
実は僕はこのレースは見逃しました。
母親が全部見ていたそうですが、話を聞くとすごいレースだったそうです。
おそらく暑かったんだと思いますが、天候が酷くて、リタイアする選手が続出したそうです。
道路脇で嘔吐する選手までいて、正常なレースではないぐらいに過酷だったそうですが、その中で野口みずき選手は頑張りきり、金メダルを取ったという事でした。

野口みずき選手です。

実はこのアテネオリンピックは日本にとってはメダルラッシュのオリンピックでした。
日本がとったメダルの数は金メダルが16個、銀メダルが9個、銅メダルが12個で、合計37個でした。
柔道では、野村忠宏選手、谷亮子選手(旧制田村)、谷本歩実選手など8人が金メダルを取りました。
水泳では北島康介選手が100m平泳ぎと200m平泳ぎの両方で金メダルを取り、「ちょー気持ちいい。」という有名な言葉を残しました。
女子レスリングの快進撃もこの時から始まりました。
吉田沙保里選手と伊調馨選手が金メダルを取り、伊調千春選手が銀メダル、浜口恭子選手が銅メダルを取りました。
この時から吉田選手と伊調選手の快進撃が始まり、二人とものちに国民栄誉賞を受賞することになります。
僕の記憶が確かなら、アテネオリンピックの前、女子レスリングは体重で7階級の設定があったと思います。
日本はその当時から強くて、その7つの階級のほとんどのチャンピオンが日本人でしたが、オリンピックでは階級が4つに絞られるということで、国内での予選が熾烈を極めました。そして選ばれた4人が全員メダルをとったということだったと思います。

また、ハンマー投げの室伏広治選手の金メダルもありました。
日本にもああいう大男がいるのかと興味を持ちましたが、ハンマー投げの世界では室伏選手ですら小柄な選手で、そのハンデをいかに覆すかを研究し続けてとった金メダルという事でした。室伏選手のお父さんもハンマー投げをやっていた人で、親子で勝ち取った金メダルというところでしょうか。

室伏広治選手です。

さらにソフトボールは金メダルが期待されていましたが、王者アメリカに決勝で敗れて銀メダルに終わりました。
予選リーグで日本はアメリカを含む全てのチームに勝ったので、そのまま優勝で良いじゃないかと思いましたが、決勝リーグでアメリカに負けて銀メダルになってしまいました。とても残念でした。
でもこの当時から、エース上野由岐子選手の力投は光っていました。
まさかこの上野選手が2021年の東京オリンピックまでチームを引っ張り続けるとは、この時は夢にも思っていませんでした。

アテネオリンピックが開催された2004年の夏、僕は37歳になっていました。
社会人になって11年目で、特に夏は忙しくてオリンピックの中継を見る時間はほとんどありませんでした。
高校二年生で見たロス五輪は何もかもが初めてで、とても衝撃的でしたが、回を重ねるごとにだんだんと慣れてきて、感動が薄れてきたのかも知れないです。

8 北京オリンピック

北京オリンピックというと、若い人は冬のオリンピックではないか?と思うかも知れませんが、それは来年2022年の話ですね。
北京では2008年に夏のオリンピックが開催されたんですよ。
一つの年で夏のオリンピックと冬のオリンピックが開催されるというのは日本では考えられないですね。
日本では1964年に東京で夏のオリンピックが開催され、そして今年2021年にまた東京で夏のオリンピックが開かれています。
さらに1972年に札幌で、1998年に長野で冬のオリンピックが開催されました。
東京で冬のオリンピッックを開催するのは不可能だと思いますが、札幌や長野で夏のオリンピックを開催するのは可能かも知れないですね。
そうですね。あり得ない訳ではないですね。やらなかっただけかも知れません。
札幌や長野だって永久凍土の雪の国ではなく、夏には暑くなるんだから、夏のオリンピックは出来ますよね。
考えもせず、先入観で話をしていました。

話を戻しましょう。
2008年のオリンピックは中国の北京でした。
このオリンピックでよく覚えているのは、競技とは関係ないですが、開会式のプロデュースを頼まれた、アメリカのスティーブン・スピルバーグ監督が、中国の人権問題を理由に断ったという話と、開会式での花火の映像は実際の花火ではなく、合成された映像だったという事です。
別に北京オリンピックを悪く言いたいわけではないですが、この二つはよく覚えています。

開会式はとても長かかったので、全部は見ませんでしたが、中国人のプロデューサーによる大掛かりな開会式が演出されました。
僕は見ていてもよく意味がわかりませんでしたが、詳しい人によると活字の発明など、中国大陸の歴史そのもののショーだったそうです。
テレビで見ていると、オリンピックスタジアムの周りに花火が次々に上がっていましたが、後になってそれは合成映像だったとわかります。
でも別にそれは問題ではないと思います。
思い返せばバルセロナオリンピックの開会式での聖火の転倒は、スタジアムから聖火台まで、火がついた矢を弓で打って点火するというものでした。
弓を引いたのは前のパラリンピックの金メダリストだったと思いますが、その当時はまだパラリンピックという名称ではなかったと思います。
オリンピックが終わって数ヶ月してからだったと思いますが、あるテレビ番組でこの開会式の裏側を報じていました。
実はあの矢は聖火台には入らず、聖火台を飛び越して場外に出ていたというのです。
このような事を想定して、外れた場合にも天下できるように、遠隔操作で点火できる仕組みになっていたというのです。
ただ、インターネットで当時のことを調べてみても、矢が外れたという情報はどこにもないので、もしかしたらテレビのネタが嘘だったのかも知れません。

上野由岐子選手とチームメイトです。

さて、競技の内容に入りましょう。
この北京オリンピックでは日本おソフトボールのチームが宿敵であり王者のアメリカを倒し、金メダルに輝きました。
これはすごい試合だったし、見ていて手に汗握る試合でした。
4年前から変わらず、エースの上野由岐子投手の力投が光っていました。

柔道では谷本歩実選手がアテネに続いて二連覇を達成し、女子レスリングの吉田沙保里選手、伊調馨選手も二連覇を達成しました。
体操では男子の団体が銀メダルになり、あの内村航平選手が19歳で個人総合の銀メダルを取りました。
体操というのは最後の着地がちゃんと決められるかどうかがとても大きなポイントになり、みていても最後の最後まで気を抜けない種目です。
見ていて本当にハラハラしますよね。会場で見守っていたお母さんは生きた心地がしなかったと思います。
でも立派な成績を残せて良かったですね。あの少年が世界の内村になりました。やはりあの当時も、これほど長く世界をリードする圧倒的な王者になるとは思ってもいませんでした。

当時の日記に以下のような記述がありました。


朝、オリンピックの中継では体操の内村航平が個人総合で金メダルを取ったと報じていた。
すごい事だが、一体いつの間に体操をやっていたのだろうか?
団体では日本が銀メダルだったというのを数日前に聞いたが、テレビで体操の中継をしているのを観た事がない。
いつもやっているのは水泳と柔道だ。いったいいつ体操をやってたのだろうか?
内村航平が前回の北京オリンピックで個人総合銀メダルを取ったとき、それは実力以上の結果に思えた。
周囲の人々は次は金メダルと期待を口にし、本人も次は金と言っていたが、僕はそれをみてメダルが取れるかどうかすら確かではないと思ったものだった。
しかし、彼は見事に金メダルを取り、しかも今朝知った事だが、体操の世界選手権は3連覇しているのだそうだ。
本当に大したものだ。彼の年齢は正確なところは知らないが、おそらく前回が19歳、今回が23歳ぐらいだと思う。

9 ロンドンオリンピック

2012年のオリンピックはイギリスのロンドンでした。
このロンドンオリンピックでなんと言ってもよく覚えているのは、女子ウエイトリフティングの三宅宏実選手の銀メダルです。
三宅選手にとっては18歳で出場したアテネオリンピック、22歳で出場した北京オリンピックに続く3度目の挑戦で手にした銀メダルでした。
先日の三宅宏実選手についての投稿でも書きましたが、なんと言っても驚いたのは、この時彼女が持ち上げたバーベルの重さが110kgだったという事です。
110kgのバーベルを頭の上に持ち上げるなど、人間業ではないと思いました。
しかも48kgしかない女性がです。
僕は体重が76kgある男ですが、110kgのバーベルを頭の上まで持ち上げるなんて、絶対にできません。
せいぜい70kgが限界です。
一体、人間の体はどうなっているのだろうかと、とても不思議に思ったのを覚えています。

体操の内村航平選手はこのロンドンでも個人総合で金メダルを取り、二連覇を達成しました。
アテネで銀、北京で金、ロンドンで金です。いやー、凄いですね。

ƒƒ“ƒ内村航平選手です。

女子レスリングでは、吉田沙保里選手が開会式の日本選手団の騎手を務めました。騎手はメダルを取れないというジンクスを振り払うべく試合に臨み、金メダルを取りました。これでオリンピックでの金メダルは3大会連続です。もうこの頃の吉田選手は、見てみても負ける気がしなかったです。
試合に出れば必ず勝つという安心感がありました。
そして伊調馨選手も金メダルを取り、オリンピック3連覇を達成しました。

ロンドンオリンピックが開催された2012年は、僕は父親になっていました。
父親三年生でした。だからどうという事はないんですが、独身、結婚、父親と立場が変わってくると、同じオリンピックでも見え方が少し違ってきたような気がします。

ダメだ。また眠くなってきました。
今日は今開催中の東京オリンピックまで書くつもりだったんですが、昼間のトレーニングの疲れが出てきました。
明日からまた6時おきの生活なので、この辺で切り上げたいと思います。
昼間のうちに文章を書いておけば良かったんですが、昼間は昼間でやることがたくさんあったんですよ。
例えば、庭の伸びすぎた雑草を刈っていたとか。あとは犬の散歩に朝と夕方に行きました。
さらにはジムにトレーニングをしに行き、そして妻を買い物に連れて行きました。
そして明日からまた五日間仕事です。
正直なところ、もっと休みが欲しいです。

では、今日はこの辺で終わりにさせていただきます。
ありがとうございました。

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