こんにちは、鹿野一郎です。
今日は2022年の2月18日の金曜日です。
先週の金曜日は雪かきの1日でした。
うちには雪かきに特化した便利なシャベル(カインズホームの、「取り外しができるラッセル」という商品です)があり、僕は普通の人より体力があり、近隣の住人の方々には高齢のお方が多いことから、僕は雪かきを頑張りました。
2時間半かけて17軒分の雪かきをして、ダウンしました。
一昨日の水曜日、その時のお礼にと言って、富士山サブレというお菓子を頂きました。
富士山に行ってきたので、どうぞという事でした。
富士山に行ったと聞いて、とても羨ましくなり、富士山のいろいろな思い出を思い出しました。
先週の雪かき
先週の金曜日の積雪は10cmぐらいだったと思います。
あれがもし30cmも積もっていたら、17軒分も雪かきすることは出来なかったと思います。
積雪が少しだったから、頑張れました。
千葉県佐倉市では、2014年2月9日の日曜日に記録的な大雪が降りましたが、あの時のような雪だったら、家の周りのほんの数軒しか手伝えなかったと思います。
その日の日記を読み返してみたら、以下のような記述がありました。
今日は完全に雪かきで一日が終った感じだった。
雪かきを合計で3時間近くやっていたが、辛かったのは背中だ。
もっと背中をちゃんと鍛えておけば良かった。
パワーよりも筋持久力の方が重要なので、デッドリフトを軽い負荷で50回3セットぐらいやっておけば充分に背中も耐えられたと思う。
腕や肩は全く何ともなかったが,脚は結構効いた。日頃スクワットもさぼっているからこうなるのだ。引っ越しなどで重い荷物を運ぶときも真っ先に背中が疲れてしまう。
日常的な実用性でものを考えるならば背中を充分に鍛えておくことはとても重要だと思う。
あの時は本当に大変でした。
今より若かったですが、今よりパワーはなかったようです。
それと、除雪に特化したカインズホームのシャベルも持っていなかったので、本当にきつかったです。
背中がきつかったので、デッドリフトを50回3セットやると書いてありますが、そんなことは1回もやったことはないです。
でも、2016年からパワーリフティングを始めて、デッドリフトはちゃんとやるようになったので、背中はかなり強くなったと思います。
先週の雪かきは、2時間半猛然とやり続けましたが、腕も背中もどこもきつくなかったです。
ただ、全身がどっぷり疲れたという感じでした。
ということは、デッドリフトがどれほど重要な種目かわかりますね。
雪かきのお礼に富士山サブレを頂きました。
一昨日の昼間、誰かがうちに訪ねてきました。
妻が対応したんですが、雪かきのお礼にと言って、富士山サブレをくれたそうです。
妻は知らない人だったと言っていました。
名前は聞いたけど、マスクをしていたのでよく聞き取れなかったそうです。
テレビドアホンに録画されていた映像を見て、誰かわかりました。
とても大きな家の奥様です。
年は僕より少し上ぐらいでしょうか。
つまり、60歳ぐらいだと思います。
雪かきをしていて思ったんですが、南道路の家と北道路の家では、全然負担が違いますよね。
南道路の家の場合は、日光が雪を溶かしてくれるので、朝から雪かきをするよりは、昼下がりの午後に始めた方が楽に済むと思います。
それに対して北道路の家は、雪かきをしない限り、雪はそこにあり続けるので、大変だと思いました。
サブレをくれた奥様の家は北向き道路でした。
しかも家が大きいので、雪かきの面積がとても大きかったです。
ガレージも電動式のシャッターがついていて、リッチな感じがしました。
さて、サブレを貰ったのは水曜日でした。
いつ富士山に行ったのでしょうか?
大雪は木曜日から金曜日にかけて降り、金曜日が雪かきの日でした。
その翌日から土日で行ったのでしょうか?
今の時期は富士山に登るのは不可能で、5合目まで行くことも出来ないはずです。
というより、千葉の佐倉があれほどの雪だったので、富士山の周りはもっとひどい大雪だったのではないでしょうか?
もしかしたら車ではなく、電車で行ったのかも知れないです。
それに仕事をリタイアしていれば、曜日は関係なく、月曜日でも火曜日でも行くことはできますね。
富士山まで観光に行けることが羨ましかったです。
僕は富士山には7回行った事があります。
頂上まで登ったのは3回です。
1回目は1978年、小学校5年生の夏休みに、自由参加の学校行事で8合目まで登りました。
2回目は1980年頃、家族で5合目(吉田口)まで行きました。これはドライブです。
3回目は1991年、大学生の時に、友達のスガ、ジュニア、DERAさんと頂上まで登りました。
4回目は1992年、友達のスガ、DERAさん、ドアさんと頂上まで登りました。
5回目は1993年、友達のスガと5合目(吉田口)まで行きました。これもドライブです。
6回目は1994年、友達のミヤ、マニアさん、よしのり君と頂上まで登りました。
7回目は2018年、妻、娘と一緒に5合目(御殿場口)まで行きました。これは旅行の一部でした。
その後、2019年には友達の波平君とその長男、僕と娘のトンボの4人で富士山に登ろうと計画しましたが、台風が来てしまって中止になりました。
2020年の夏も同じメンバーで富士登山の計画を立てましたが、新型コロナウィルスの感染拡大で不可能になりました。
去年も同様です。
どうしてもまた行きたいんですが、コロナもあるし、富士山が世界遺産に登録されてからは、ひどい混雑だそうなので、なかなか登るのは難しいと思います。
富士山の思い出
小学校5年生の夏休み、5年生のうち希望者のみの参加で、富士山に登る学校行事がありました。
僕は母と2人で参加し、クラスの仲の良かった2人の友達もお母さんと参加していました。
学校に午前5時に集合して、そこからバスで富士吉田口の5合目まで直行しました。
今は、混雑がひどいため、マイカーは5合目まで上がれなくなっています。
麓からシャトルバスに乗らなければならないんですが、あの当時はマイカーで簡単に5合目まで行けました。
僕は友達と3人で登ることにし、母は友達2人のお母さんと3人で登りました。
6合目までは一緒だったんですが、その後は別々に登りました。
吉田口から登る場合、5合目から6合目はまるで散歩ですね。
富士山なんて全然大したことないじゃん。
と思いました。
でも6合目を過ぎると、木も草もなくなり、岩だらけになります。
傾斜も急になってきます。
7合目についた時には、結構ヘロヘロになっていました。
7合目から8合目は、さらにキツくなり、歩くのが嫌になってきました。
8合目に着いた段階で、友達の1人がギブアップしたので、そこで引き返すことになりました。
友達がギブアップした時、僕は、
やった!
これでもう、登らなくて済む。
と思いました。
僕ももう限界でした。
でも下りはすごかったです。
ギブアップした友達はクラス1の秀才で、ギブアップしなかった友達はクラス1のスポーツマンでしたが、そのスポーツマンの下山は、超全力疾走でした。
落石事故があったため、今ではもうその下山道は閉鎖されていると思いますが、あの当時は8合目から6合目まで一気に砂利の斜面を駆け降りる事ができました。
下り坂を走ると、止まれなくなります。
どこまでもぐんぐんと加速し、制御不可能になります。
そして何かにつまづいて、吹っ飛んで転がって、止まるという感じでした。
僕も痛い目にあって、もう嫌だと思いました。
だから、ゆっくり降りようとしたんですが、友達2人が面白がって、わざと全力疾走で駆け降りていくので、仕方なく追いかけて行きました。
そして豪快に吹っ飛んで、また痛い目に遭います。
もうかなり昔のことなので、記憶は怪しいですが、登りに2時間、下りに15分の登山だったような気がします。
バスに戻ると、母たちはとっくに戻っていました。
母たちは6合目でギブアップしたそうです。
母たちは僕たちに缶コーヒーをくれましたが、それがとても嬉しかったです。
母は無駄遣いにとても厳しい人で、どこかに出かける時に、ジュースが飲みたいとか、アイスを食べたいとねだっても、一度も買ってくれた事がありませんでした。
だから友達がお母さんから缶コーヒーを貰うのを見てとても羨ましかったです。
まさか、あの母が僕に缶コーヒーを手渡してくれるとは、夢にも思っていなかったので、本当に嬉しかったです。
結局、僕のクラスで頂上まで辿り着いたのは、たった1組、3人の友達だけでした。
クラスで最も好奇心が旺盛で、いつも目立つことをしては先生に怒られる3人組でした。
彼らに、僕たちは8合目でギブアップしたと伝えると、
それじゃあ、富士山に登ったことにはならないよ。
と言われました。
本当にきついのは8合目を過ぎてからだと言うのです。
そして、それが本当にその通りだとわかったのは、大学生になった時でした。
1991年に大学生だった僕は、バイト仲間のスガ、ジュニア、DERAさんと富士山に登りました。
この時は富士宮口から登りました。
僕は冨士宮口に着いた時に驚きました。
以前来た場所と違うと思ったからです。
小学生の時に来た時はもっと駐車場が広くて、売店がたくさんあったのに、そこは偉く殺風景なところでした。
男子大学生4人で登りましたが、最初からいきなり傾斜がきつくて、小学生の時とは明らかに違う山です。
この時はまだ富士山に登山口が4つあることを知りませんでした。
一番メジャーなのは、富士吉田口で、他に富士宮口、須走口、御殿場口があります。
一番きついのが御殿場口と言われています。
御殿場口は本当に何もなく、登り始めると8合目までトイレすらないので、恐ろしくきつい登山ルートだと思います。
御殿場口から富士山に登る人はとても少ないので、御殿場口だけは今でもマイカーで行けるようになっています。
須走口は行った事がないです。
富士宮口から頂上まで登るのに4時間ぐらいかかったと思います。
頂上に着くまでは暑くて仕方ないので、みんな半袖で汗だくなんですが、頂上に着くとすぐに寒くなってきて、上着を着込みます。
真夏でも気温は5度ぐらいしかないので、動いていないととても寒いんです。
頂上まで行っても雲に囲まれていて視界はゼロでした。
しかも、じっとしていると寒いので、すぐに下り始めたのを覚えています。
あれはとてもきつい登山で、楽しくはなかったです。
なんか、富士山について書き始めると、止まらなくなりそうです。
職場で富士山に登った事がある人に話を聞くと、多くの人が午後から登り始めて、8合目あたりで1泊して、早朝に起きて頂上まで行き、ご来光を見てから降りてくると言います。
僕は富士山の頂上まで3回行きましたが、全部日帰りでした。
早朝に出て、夜中に帰ってくるという感じです。
特に学生時代の富士登山は、山を降りた後に必ず山中湖のお祭りに行っていました。
8月1日には花火が打ち上げられるので、毎年8月1日を狙って富士山に登っていました。
あの頃は、本当に自由で、気ままで楽しかったです。
休暇村富士について
全国に休暇村という宿泊施設が35か所あります。
我が千葉県では、館山に一つあります。
休暇村は料金もリーズナブルで、しかも職場の割引が効くのでよく利用しています。
館山の他には、那須、奥武蔵、富士に泊まった事があります。
休暇村富士に泊まったのは夏でしたが、とても良かったです。
まず、休暇村の正面に田貫湖という湖があり、その奥に富士山があるんですが、田貫湖の湖面に富士山がはっきりと映ります。
いわゆる、さかさ富士です。
テレビや写真などでは良く見る風景ですが、実物を見たのは初めてでした。
とても貴重な経験です。
そしてお風呂がすごいです。
お風呂の前面の壁はガラス張りで、前方に富士山があります。
昔、銭湯では壁に富士山の絵が書いてあるところが多かったですが、絵ではなくて、本物の富士山です。
そして夕方が特に綺麗です。
休暇村富士は富士山の西側にあり、休暇村は富士山に向かって建っています。
なので、太陽が沈むときに休暇村から富士山を見ると、太陽は休暇村の後方に沈むことになります。
となると、富士山は夕日を浴び、それが反射して休暇村富士のお風呂場に届くんですよ。
夕陽に照らされた富士山は、赤く染まります。
いわゆる赤富士です。
それを見ながらお風呂に入れるなんて、とても贅沢な話だと思います。
2018年に休暇村富士に泊まった時、来年も確実にここに来るだろうと思いましたが、それ以来行っていないです。
休暇村富士の欠点を挙げるなら、富士山の登山口から遠いということと、富士急ハイランドから遠いことだと思います。
富士山に登るつもりの人は、休暇村には泊まらないと思います。
また、富士急ハイランドに行く人も、休暇村には泊まらないと思います。
車で1時間ぐらい離れているので、流石に遠いです。
でも、また行きたいです。
富士川でのラフティングも面白かったです。
富士山の話は今後も何回か書くことになるかも知れませんが、今回はこの辺にしておきます。
ありがとうございました。