こんにちは。鹿野一郎です。
今回は、「つわものどもが夢の跡」というタイトルで文章を書きたいと思います。
こんなタイトルをつけると、何かの試合が終わったのかと思われるかもしれないですが、そうではないです。
ただ、昨日久し振りにジムでスクワットをして、今日は脚が筋肉痛になったという話です。
それから少し、人生について思うところを書きたいです。
脚の筋肉痛
スクワットをきっちりやると、脚が重い筋肉痛になります。
僕は予備校講師をしているので、授業をするのが仕事です。
脚が筋肉痛になっていると、床に落としてしまったチョークを拾うときに難儀します。
脚が痛くてしゃがめないからです。
僕が苦しそうにしゃがんで、やっとこさチョークを拾う仕草を見て、生徒はとても不思議に思っていると思います。
筋肉痛だと気づいている生徒もほとんどいないと思います。
大部分の生徒は、あの先生なんであんなに体力ないんだろう?と思っているんじゃないでしょうか。
そのことについて生徒から質問されたことはないですけど。
ここ3週間、スクワットを出来ていませんでした。
昨日久し振りにジムでスクワットをしましたが、ボリュームは10トンを超えました。
僕としてはまあまあのボリュームです。
そして今朝はきっちり筋肉痛になりました。
朝、布団から起き上がるときに、もう痛みに困らされました。
階段を下りるのも一苦労です。
そのときにふと「つわものどもが夢の跡」というフレーズが頭に浮かんだんです。
夢というのは、昨日のスクワットです。
そして夢の跡は筋肉痛です。
なぜこのフレーズが頭に浮かんだのか自分でもわかりません。
人生は夢のごとく
僕は秋本治先生の「こちら葛飾区亀有公園前派出所」が大好きで、全200巻のうち、174巻以外はすべて持っています。
この「こち亀」の単行本にはすべてタイトルが付いているんですが、42巻のタイトルは「人生は夢のごとく」です。
僕はずっと前から、おそらく20年以上前からこの「人生は夢のごとく」というフレーズが大好きです。
42巻の9話がこのタイトルの話なんですが、久し振りに読み返してみると、内容はそれほど面白いと思わないし、印象に残る話でもないと思いました。
お金持ちのおばあさんの家の庭に穴を掘るように頼まれた両津が、穴を掘ってみると小判が出て来たので、どんどん穴を掘り、小判を31枚も見つけます。
最初は横領するつもりだったのが、ばれてしまったので、すべておばあさんに差し出します。
後日、おばあさんからお礼にと言って、1億円の小切手が送られます。大原部長は驚き、両津に貯蓄をするように勧めます。
両津は納得し、銀行に全額預ける決意をしますが、交番から寮へ帰る帰り道に利殖詐欺の指名手配半に声をかけられ、ころっと1億円を騙し取られるという話でした。
この話自体はよく覚えていましたが、この話のタイトルが「人生は夢のごとく」だったとは知りませんでした。
この話の中で、大原部長が両津に貯蓄、資産運用の重要性を説明するときに、両津の頭がパンクしてしまい、中川が
そんなにいっぺんに覚え込ませたら、チンパンジーに因数分解をやらせるのと同じですよ。
という場面があります。
僕はこの、「チンパンジーに因数分解」のセリフもよく覚えていました。
僕は今54歳です。
大学生だったのは30年も前のことですが、昨日のことのように思い出せます。
人生はあっという間に過ぎると思います。
本当に人生は夢のごとく、だと思います。
若い頃はわかりませんでしたが、人生は本当にあっという間に過ぎますね。
光陰矢の如し
僕は25歳の時、空手をやっていました。
そして夏に道場の合宿に参加しました。
合宿地は房総半島のどこかでした。詳しい場所はもう覚えていませんが、白子あたりだったと思います。
大型バスを借りて皆で合宿地へ向かいました。
僕の隣には高校生が座っていました。
合宿地に着くまで、延々と空手談議をしていましたが、その時10年後の話になりました。
僕は次のように言いました。
10年後は僕はもう35歳で、完全におっさんだよ。いやだなあ。
するとその高校生は、「僕は10年後は27歳です。」と答えました。
それを聞いて僕はびっくりして聞き返しましたが、冷静に考えれば当然の話です。
高校生だから今17歳で、10年後は27歳ということです。
僕はその話を聞いて、その若さがとても羨ましく思いました。
35歳と27歳じゃ全然違うと思いました。
時が流れて10年後、僕は予備校講師として働いていました。
ある日、校舎で向かいの席に座っていた先生に上のエピソードを話しました。
そして、本当に10年経っちゃいましたと話しました。
あと15年したら50歳になるけど、きっとあっという間なんでしょうね。
と言ったのを覚えています。
その先生は、「あっという間ですよ。僕なんかあと12年しかないですよ。本当に人生はあっという間ですね。」
と答えました。
それから15年経って、僕は50歳になりました。
予備校で授業をする時、たまに余談をします。
僕は実年齢よりかなり若く見られる事が多く、年齢をいうと驚かれる事があるんですが、授業中に話す余談の時事ネタがあまりにも古いので、ある時生徒が、
先生は一体何歳なんですか?
と尋ねて来た事がありました。
これは良い機会だと思ったので、次の週の授業で上のエピソードを全て話した後で、今年で50歳になりました、と話しました。
生徒はざわめきましたが、僕は最後に、「人生はあっという間に過ぎますよ。」と付け加えるのを忘れませんでした。
僕は今54歳なので、6年後には還暦を迎えます。
果たしてどのような60歳になっているんでしょうか?
白髪は生えているんでしょうか?毛が薄くなって悩んでいるんでしょう?体力の低下を嘆いているのでしょうか?
今のところ、ありがたいことに白髪は一本もないし、床屋さんも感心するほどの剛毛で、薄毛の心配はないです。
パワーリフティングをやっているので、体力にも自信があります。
でも、老眼はかなりひどくなって来て、娘から借りた漫画本の字が読めなくなって来ています。
記憶力や計算力も衰えが酷く、二桁の掛け算が暗算できなくなって来ました。
あ、僕は予備校講師をしていて計算は年がら年中しているので、若い頃は今よりもずっと速かったんです。
でも、最近の計算力の衰えはひどいもので、もう諦めています。
記憶力も、六年生の娘にトランプの神経衰弱で負けるレベルになってしまいました。
60歳から70歳へ、70歳から80歳へ、あっという間に時間は過ぎると思います。
本当に光陰矢の如し、人生は夢のごとくだと思います。
弟の就職が決まった時の母の言葉
僕が26歳で、弟が23歳だった時、弟の就職が決まりました。
ある日、僕は実家で母と2人で話をしていました。
その時の母の言葉は今でもはっきり覚えています。
そして、その言葉を聞いた時、僕はなんとも嫌な気分になったのもはっきりと覚えています。
母の言葉は次のようなものでした。
ああ、これで肩の荷がおりたわ。
後は2人(僕と弟)が結婚して、孫の顔を見れて、それで死ねたら、それが本望だわ。
僕は当時26歳で、自分の死など考えたことはありませんでした。
だから、「死ねたらそれが本望」という言葉はどうしても納得できませんでした。
僕は母に、自分の死を前提とする生き方は受け入れられないと話しました。
自分が生きている間に不老不死の薬が開発されて、永遠に生き続ける事ができたら、それこそが本望だと話しました。
すると母は、笑いながら、
それはあなたがまだ若いからよ。今にわかるわよ。
と言いました。
それから28年が経過して、54歳になった今の僕には当時の母の言葉がよくわかります。
僕の娘はまだ6年生ですが、娘が成長して、就職をして、もしかしたら結婚もして、もしかしたら孫が生まれて、それで死ねたら本望だと今は本当に思います。
娘は人並外れた体力があり、女子なのに毎年体力優良賞をもらって来ます。
最近はコロナで運動会が2年連続中止になってしまいましたが、1年生から4年生まで4連連続で紅白リレーの選手に選ばれて来ました。
性格は少し乱暴なので、すぐに物を壊すし、妻への反抗的な態度も目に余る時があります。
でも土日祝日は朝ごはんを必ず用意してくれるし、昨夜などは夜のうちに今朝の朝食の下準備をしてくれていました。
平日は僕が朝食を作るんですが、娘がすっかり用意してくれていたので、電子レンジで温めるだけですみ、普段よりゆっくり寝ている事ができました。
あまり勉強は好きではないですが、全くやっていない訳ではないみたいです。
学業優秀には程遠いですが、なんとか幸せな人生を送って欲しいと思います。
僕は小学生の頃は、母によるスパルタ教育で、猛烈に勉強をさせられていました。
算数はもともと得意でしたが、母の強烈なスパルタ教育で大嫌いになりました。
中学生になって、母が勉強を教える事ができなくなり、スパルタ教育から開放されたときは天国に上ったような気分でした。
だから娘には勉強しろとは一言も言っていませんが、全く言わないのも実はよくないのかも知れないと最近は思っています。
名探偵コナンにうなされて
僕は若い頃は、夜寝る前に布団の中で「こち亀」を読んでいました。
同じ話を何回も読んだので、だいぶ覚えたつもりです。
娘が「名探偵コナン」を好きで、映画館にも一緒に行きました。
「紺青のフィスト」「緋色の弾丸」を見て、面白いと思ったので、娘からコナンの単行本を借りて読むようになりました。
でも10巻ぐらいまで読んだあたりでギブアップしました。
話は面白いと思うんですが、寝る前にコナンを読むと、悪夢にうなされるようになったんです。
コナンは子供向けの漫画ですが、その割には惨殺シーンが多いと思います。
僕がギブアップしたのは、どこかの別荘地でお金持ちの中年男性が殺された話でした。
手を縛られて、背中に包丁が2本刺さった死体が描かれていました。
そこにいた登場人物の1人は医者で、「肺を刺されている。呼吸ができずにかなり苦しんで死んだだろう。」というようなセリフをいいました。
このセリフは原文を確認せずに記憶で書いたので、言葉遣いが少し違うかも知れませんが、このようなセリフがありました。
僕はその晩は特にひどい悪夢にうなされて、そこで悪夢の原因がコナンなのだと気づきました。
それで、コナンを読むのはやめました。
子供向けの漫画の惨殺シーンで悪夢にうなされるなんて、自分でも信じられないですが、もしかしたらコロナの影響で、精神が結構やられているのかも知れないです。
早くコロナが収まってくれると良いのですが。
本当に夢のように
夢には楽しい夢もあれば、辛い夢もあります。
昔から僕がよく見る夢は、海が溢れてくる夢です。
空を飛ぶ夢もよく見ます。
辛い夢は、車の運転をしていて、バックをしているときにいくらブレーキを踏んでも効かなくなる夢です。
どうしてかわからないんですが、バックをしているときにブレーキが効かなくなる夢をよく見ます。
楽しい夢は本当に楽しいです。
あれが現実だったらよかったのに、と思うような夢もあります。
でも、夢というのは目覚めたときには覚えていても、時間が経過すると嘘みたいに綺麗に忘れてしまいますよね。
たまに夢の内容を日記に書く事がありますが、日記を読み返してみても、その夢を見たという記憶はどこにもないという事が何度もあります。
夢を見ている間はとても楽しくて、目覚めた時も楽しかったという記憶はあるんですが、細かいストーリーなどはどんどん風化してなくなってしまいます。
今30年前の僕はまだ大学生でした。
今から30年後にまだ生きていれば、84歳になっています。
そのころ、どんな暮らしをしているんでしょうか。
娘の成長を見届ける事ができて、孫に出会う事ができて、その頃も元気でバーベルを持ち上げていられたら、それが最も望ましい人生だと思っています。
これまでいろいろなことをやって来ました。
筋トレのほか空手もやったし、マラソンにも出ました。
山にも結構登りました。
ビリヤードも習って試合に出たし、モーターボートの免許も取って、モーターボートのレンタルのクラブに所属していたこともあります。
あの頃は週末には東京湾に繰り出していました。
八景島シーパラダイス、横浜ベイサイドマリーナなどは何度も行きました。
アメリカ横断ウルトラクイズに出たいと思って、クイズの勉強をしたこともあります。
でも、ずっと続いているのは筋トレなんです。
僕に取って一番楽しいのは筋トレです。
84歳になってもなお、パワーリフティングの試合に出ていたら、素晴らしいと思います。
僕をパワーリフティングの世界に導いてくれた老師は80歳まで試合に出ていました。
今後、試合に出るのかどうかはまだわかりませんが、僕も見習いたいと思います。
さすがにその年になったら車の免許は返納しているでしょうから、試合には電車で行くことになるでしょう。
人生は残り30年というつもりで、毎日を楽しく有意義に過ごしたいと思います。
終わりに
このブログはバーベルブログなので、ほぼ毎回トレーニングやバーベルに関することを書いていますが、今日はトレーニングも出来なかったし、特に書くネタも思いつかなかったので、何気なく頭にひらめいた「つわものどもが夢の跡」というフレーズから、文章を繋いでみました。
僕は来月24日のパワーリフティング千葉県大会に出るためにトレーニングと減量をしています。
スクワット、ベンチプレス、デッドリフトの記録を伸ばす事が何よりも楽しいです。
昨日、2021年9月20日にオールジャパンメンズフィジーク大会が神戸で開催されました。
僕がもう7年も動画を見続けているkatochan33さんが出場し、3位になりました。
去年はこの試合はコロナで中止になり、その前の年はkatochan33さんが優勝していました。
連覇はなりませんでしたが、素晴らしい結果だと思います。
katochan33さん、お疲れ様でした。
次のグランドチャンピオンシップも頑張ってください。
ありがとうございました。