いろいろあって大変でした。

娘の反抗期

こんにちは、鹿野一郎です。
今日は2022年12月18日の日曜日です。
すっかり投稿のペースが鈍ってしまいました。
理由ははっきりしています。
娘の不登校です。
それによって僕も最近は労働意欲がなくなってしまい、仕事を辞めても構わないのかなと考えるようになって来ました。

子供の不登校というのは終わりが見えないので、初めのうちは平気でもだんだんメンタルがやられて来ます。
不登校と言っても、娘は元気そのもので、ズル休みに見えるぐらいです。

僕は最近はすっかりジムに行かなくなってしまいましたが、自宅でぼちぼちトレーニングはしています。
バーベルブログの投稿もしようと思っていたんですが、なかなか出来ませんでした。

11月24日と、12月14日に投稿をしようと思って文章を書いたんですが、途中まで書いた段階で何らかの出来事が起こり、続きが書けなくなっていました。


あまりにも投稿の間隔が空いているので、未完成不完全でも良いので、書いたものは公開しようと思うようになりました。

11月24日に書いた文章は書きかけのままパソコンに残っていましたが、12月14日に書いていたものは、次の日に全部消してしまいました。
12月14日の夜に尋常ではない事態が発生してしまって、事態が大きく変わったからです。

とりあえず今回は、11月24日に途中まで書いた文章をそのまま公開したいと思います。
書きかけなので、何のオチもないのですが、よろしかったらお付き合いください。

中学一年の娘が不登校になってしまいました。その2

こんにちは、鹿野一郎です。
今日は2022年11月24日の木曜日です。

中学一年の娘が10月18日から突然不登校になってしまいました。
最初のうちは頭痛を訴えて学校を休んでいたので、単なる体調不良だと思っていましたが、いつまで経っても学校に行かないので、次第に不登校だと認めざるを得なくなりました。
本人も自分が不登校になったことを自覚していると思います。

不登校の原因

娘が学校に行かれなくなった原因は一体何なのか?
学校で何かがあったのか?
最初はそう思いました。
でも、インターネットで不登校について調べると、不登校の原因を追求するのはあまり意味がないと言います。


原因が一つしかなくて明らかな場合は話が簡単ですが、それでも原因の特定には意味がないと説明されていました。
例えば、クラスに悪い奴がいたとしと、それが原因で不登校になった子がいるとします。
クラスの悪い奴が、引っ越して他の学校へ転校して行った場合、不登校の原因は取り除かれた事になりますが、じゃあ、それで学校に行けるようになるのかというと、そうではないようです。
長期間休んでいるため、今更行って友達に合わせる顔がないとか、何を言われるかわからないとか、そういう別の理由によって結局行かれなくなってしまってしまうそうです。
そして多くの場合、不登校の原因は一つではなく、複数の原因が重なり合って、本人でもよくわからなくなっているそうです。

娘に聞いてみたんですが、学校に行きたくない理由はある程度はわかっているそうです。
でも完全にわかっている訳ではなく、わからない部分もあるそうです。
わかっている理由について、僕は妻に話したくないそうです。
学校の先生にも話したくなく、友達にも話したくないそうです。

娘と仲が良い、同じクラスで同じ部活のサリーちゃんは、娘が不登校になってから、何度かうちに遊びに来てくれています。
うちもサリーちゃんの家も犬を飼っているので、夕方に訪ねてきて、犬の散歩に一緒に行こうと行ってくれるんです。
昨日は雨でしたが、昨日もサリーちゃんは夕方6時にうちに来てくれて、娘を外に連れ出してくれました。


本当にありがたい話です。

でも、不登校になった当初は、そのサリーちゃんにも会いたがりませんでした。
玄関まで来てくれているのに、会いたくないと言って帰って貰った事がありました。
妻はそれをひどく心配しました。
そして、もしかしたらサリーちゃんとの間に何かあったのかも知れないと考えるようになったそうです。
僕もそれは考えましたが、おそらく2人が直接喧嘩したという訳ではなく、例えば娘に好きな男子がいて、その男子がサリーちゃんにぞっこんになっているというような話ではないかと思っていました。
何故そう思うのかと問われると、根拠はないです。
ただ、あの2人が喧嘩をするとは思えないからです。

娘が不登校になって1ヶ月が過ぎましたが、不登校の原因は本人の口からは未だ語られていません。
学校で起こった事というのは、サリーちゃんとの間に何かがあったのだろうと推測していますが、昨日も暗い雨の中を2人で犬の散歩に出掛けているので、この部分はもう解消されているものと思っています。
次に家庭での問題というの、以下の点だと思います。

(1)門限が厳しすぎる。
(2)ゲームの時間が短すぎる。
(3)親に期待されるのが重荷で嫌だ。

門限については、元々は夏場は5時で、冬場は4時半という事にしていましたが、なし崩し的に5時半まで延長されました。
さらに娘はうまい手を覚えたようで、愛犬の散歩に行くなら門限を過ぎても良いという独自ルールを勝手に採用しました。
そして愛犬の散歩には1人で行かず、必ず誰かと行きます。
サリーちゃんが誘いに来てくれる事もあれば、娘がサリーちゃんを誘いに行く事もあり、他に近所に住んでいて犬を飼っている友達の家を訪ねることもあるようです。
娘には学校や学年が違う友達もいますが、サリーちゃんを通じて知り合ったそうです。


サリーちゃんとは中学は同じですが、小学校は違ったので、そういう事が起こるんです。

妻は愛犬の散歩でも7時までには帰ってくるようにとキツく言いますが、たまに7時半とか8時まで帰ってこない事もあるそうです。
昨日は7時前に帰って来ましたが、普段はもっと遅いそうです。
あまりキツくしかり過ぎて、不登校が悪化するといけないと思うと、叱ることも出来ないと嘆いています。


つまり、門限が厳しすぎるというのは、事実上雲散霧消しています。

ゲームの時間が短すぎるというのはよく言われますが、これは頑として譲っていません。
Nintendo Switchには見守り機能があります。
iPhoneにアプリをダウンロードすると、iPhoneからNintendo Switchに制限をかける事ができます。
うち場合は、平日1時間、土日は2時間までにしています。
そして夜9時以降は禁止とし、指定した時間が終了したり、夜9時になったりすると、自動的にゲームがシャットダウンするようにセットしました。


元々ゲームの時間は一日30分だったのですが、あまりにも短すぎると懇願されて、随分前に今の形にしました。
今後はこれを拡張するつもりはありません。

娘がパソコンを使う時間は、スクリーンタイムで管理しています。
パソコンはMacです。
スクリーンタイムで、平日は1時間、土日は2時間まで使えるようにしています。
そして夜8時以降は使えないようにセットしています。


ゲームが夜9時までで、パソコンが夜8時までなのは、何故なのか覚えていません。

そもそも妻が言うには、学校がある時間帯はちゃんと起きて、家で勉強するなり、家の手伝いをするなり、そうやって過ごすべきだと思います。
でも実際の娘の生活様式は、朝は8時、9時過ぎまで寝ていて、昼間はゲームとYouTube、昼寝で過ごし、夜は自分の部屋で漫画でも読んでいるんだと思います。
とても良くない生活習慣です。


娘が元気で正常な状態ならば、こんな生活態度は絶対に許しませんが、不登校に陥っている今はそこまでキツく当たる事ができません。
どうしたら良いものかと、頭を抱えてしまいます。

最後に親に期待されるのが重荷だという事についてですが、これは完全に僕の責任です。
僕は常々、娘に学歴格差の話をしました。
勉強ができる人を偉いとは思いませんが、今の日本社会では学歴があるとないでは、歴然とした差があります。
そのことを娘には何度も話し、娘にはやれば出来る力があると日頃から言っていました。
これが良くなかったんです。

僕は、自分の期待が娘の重荷になっていたことをはっきりと自覚したので、今後はもう何も口出しはしないつもりです。


不登校になってしまった今、一流大学どころか、高校に行かれるかどうかすら危なくなって来ています。
もし卒業まで不登校が続いてしまったら、高校に進学する意思など持たないでしょうから、就職するか、引きこもりになるかしか道がないと思います。


そこまで長期化せずに、どこかで立ち直ってくれると信じることにしますが、現状では娘に高学歴が有利という話をしても全く意味がないと、はっきりと理解しています。

娘の置かれている家での環境は、僕が小学生、中学生だった頃に比べると遥かにゆるいです。
僕は小学生の時は鬼の母親によって毎日強制的に2時間勉強させられていました。
母は竹の物差しを持って、ずっと僕の隣に座っています。
その状況では、あくび一つできません。
竹の物差しは、長さを測るために持っているんではありません。
僕の集中力が途切れると、それで机を叩いて、僕を威嚇するためでした。

友達と野球をしていても、勉強の時間になると鬼の母親が迎えに来て家に連行されます。
いう事を聞かないと夜でも外に放り出され、一番酷かった時は庭の夏みかんの木に縛り付けられた事もあります。


父は普段は無口で何も言わないんですが、一度怒らせると逃げるしかないぐらい怖い人でした。
子供の頃、父親を怒らせるということは、この世の終わりを意味していました。

僕は小学生の頃、クラスの可愛い女の子を眺めながら、きっとあの子の家は家族がみんな仲良くて、笑顔が絶えないんだろうなと勝手に予想していました。
それに比べてうちは鬼の母親と恐怖の親父がいて、常日頃から「勉強しなさい。勉強していい高校に入り、いい大学に入り、いい会社に入りなさい。それがあなたのためだから。」と言われ続けて来ました。
あの頃の僕にとって、学校は居心地が良い場所でしたが、家庭にはほとんど居場所がなく、苦痛な場所でした。
それを考えると、娘ははるかに快適な環境にいると思うんですが、どうやら娘はかなり打たれ弱いようです。

不登校と離島留学

妻は娘が不登校になってしまったため、色々な事を調べ始めました。
フリースクールに通わせるとか、離島留学に行かせるとか、適応指導教室に行かせるなどと言っていました。
ちょうど一年前のことですが、小学生だった娘の反抗期が凄まじくて、娘は「親なんか死ねばいい」と言っていた時期がありました。
僕は娘から死ねと言われたことはありませんが、妻は毎日のように言われ、泣いていました。
小学校の頃を思い出せば、友達からバカ、死ね、チビ、デブと言われるのは日常茶飯事だったので、僕は別に気にならないんですが、妻は娘から死ねと言われるのが相当堪えていたようです。
そして妻が調べて、中学から娘を山村留学に行かせるのはどうかという話が持ち上がりました。
長野県の山村で子供たちが共同生活をして、地元の中学校に通うというシステムです。
村にはコンビニ一つなく、子供たちが共同生活をする寮にはテレビもゲームもパソコンもありません。
掃除や食事の準備、洗濯は子供たちが自分でやります。
風呂場の掃除なども共同でやり、薪の風呂を自分たちで沸かします。

資料を取り寄せて、DVDも見て色々検討したんですが、結局娘は普通に地元の中学に進むことを選択し、今に至っています。


それが今度は離島留学です。
よくそういうのを調べてくるなと思いました。
別に離島じゃなくて、山村でいいじゃないかとも思いましたが、娘も離島留学に興味を示していました。
調べてみると離島留学は山村留学よりも、さらに過酷だと思いました。

国土交通省が管轄していて、離島留学を受け付けている中学校はざっと50ぐらいあります。
数えていないですが、見た感じそのぐらいたくさんありました。
でも、よく見てみるとずっと少ないことに気がつきました。
小学生しか募集していないところや、男子しか募集していないところがあり、さらに11月ではすでに次年度の募集が終わっているところも多かったからです。
中学一年の女子を受け入れるところで、現在も受付をしているところはどこかと絞り込んでいくと、3つしかありませんでした。

そのうち1つは締切が11月末で、もう一つは12月末でした。
唯一、随時受け付けていたのは愛媛県の魚島うおしまという島でした。
調べてみると、まるで絶海の孤島のようです。
因島からフェリーで1時間のところにありますが、魚島の人口は170人程度しかいません。
つまり島民全員顔見知りの世界なんだと思います。
中学校の全校生徒は、なんと3人でした。


島はとても狭く、遊ぶところなんかありません。
ショッピングモールなどある訳もなく、コンビニもないと思います。
そこで暮らして全校生徒3人の中学に通うというのはかなり過酷な生活だと思います。
これは絶対に無理だろうと思いました。

それでも娘が離島に行きたがるので、妻はさらに調べました。
すると民間の団体でフリースクールををやっている離島留学を見つけました。
フリースクール育海はぐくみという団体です。


僕はフリースクールというのは嫌だなと思っていました。
可能なら山村でも離島でも良いから普通の中学校に行って欲しいと思っていました。

なので、フリースクールと聞いて気が進まなかったんですが、調べてみるとそのフリースクールには滞在型と通学型がある事がわかりました。
滞在型は本当にフリースクールで、子供たちはずっと島で暮らします。
でも通学型は住民票を岡山県に移して、島から船で地元の中学校に通うんです。
通学型ならば普通の中学だから悪くないと思いました。

島は岡山県笠岡市の飛島ひしまという島です。
定住人口は22人という少なさで、高齢化率は90%という島です。


瀬戸内海の小さな島に住んで、毎日船で学校に通うというのは、まるで別世界の話です。
それを1年間やり遂げたらかなり社会勉強になるのではないかと思いました。

娘も興味を示していたので、11月20日にオンライン説明会に参加しました。
そこの代表の方と副代表の方の2人が詳しく説明してくれましたが、娘には完全に場違いなところだと感じました。
妻も同じ感想でした。


説明会には8組ぐらいが参加していましたが、他の子たちは娘と比べるとはるかに重症で、全然レベルが違っていました。
説明会でも言われていましたが、島に来る子供たちは全員傷ついていて、エネルギーが足りないそうです。
ちょっとでも自分と違う意見を言われると、敵だと判断して逃げたり、殻にこもってしまうそうです。
だからまずはそれを解きほぐして、みんな仲間だとわかってもらう所から始めるそうです。

説明会に出ていた他のグループでは、例えばお母さんが、「すいません、うちの娘がどうしても顔出しは嫌だというので、画面はオフにして音声だけ参加させて下さい。」と言っていました。他にもそういう家庭がありました。


確かに他の子たちはエネルギーが少ないように見えました。
それに比べるとうちの娘は健康そのもので、学校に行かれない原因がまるでわからない状態だったので、完全に場違いだと思いました。

島から中学校に行く船は朝は6時に出港し、夕方も6時に出港するそうです。
所要時間は40分です。
冬だったら行きも帰りも真っ暗ですね。
とても過酷だと思います。

中学校の全校生徒は25人いますが、部活は卓球部しかありません。
部活に入らない場合、学校が終わってから6時の船までどうやって時間を潰すんでしょうか?


地図を見てもコンビニ一つない僻地なので、図書館で勉強するぐらいしかする事はないと思います。

それでも娘が現地を見学に行きたいというので、スクールと連絡をとって、見学に行く日にちを決めました。
12月4日です。
僕のうちは千葉県佐倉市ですが、その島まで行くためには、まず新幹線で福山まで行き、そこから在来線で笠岡に移動し、さらに笠岡から船で島に行きます。
妻と相談して、島を見学するなら2泊しないと無理だということになりました。

3人で2泊して島まで往復するのに、結構な費用がかかります。
何の条件も出さずに簡単にポンとお金を払って良いものかと考え、妻に提案しました。
今月末に中学校の定期試験があるんですが、それを受けたら島の見学に連れていくというのはどうだろうか、と。


妻は僕の提案にはいつも必ず反対しますが、今回は珍しく賛成し、それいいね!となりました。

なので、夕飯の時に僕の口から娘にそう伝えました。
娘はその日は何も答えませんでした。

適応指導教室

佐倉市がやっている適応指導教室というのがあるそうです。
簡単にいうと集団生活に馴染めない子達を、慣れさせるための、学校より緩い集団生活の場のような感じだと思います。


朝は10時に始まり、昼の3時に終わります。
緩い校則と、緩いスケジュールで慣れさせていくようです。

島に行くことになったとしても、行くのは4月からなので、それまでの間は適応指導教室に通わせるのだといいます。


娘もそれに同意しているそうです。
4月というのはまだ先の話です。
なんとかそれまでに不登校が解消して元に戻ってくれないものかと考えてしまいます。

妻は見学の予約を取るために電話をしましたが、見学は12月7日という事になりました。
思っていたより先です。

娘の様子

家での娘の様子は元気そのものです。
学校には行きませんが、よく食べるし、よく寝ます。
ゲームもするし、友達と遊びにも行きます。

僕や妻との関係も良好だと思います。
娘は反抗期になって妻に酷い暴言を吐いたり、たまに実力行使をしたりするようになりましたが、僕に対してはそういう言動や態度は取らないです。
今でも普通に会話をするし、一緒に買い物にも行きます。
部屋にこもって出てこないなんて事はないし、喜怒哀楽の感情もちゃんとあります。

一つ思い当たる事がありますが、不登校になってから妻と娘の会話が増えたような気がします。
以前はほとんど口を聞かなかったのに、最近はかなり色々話し込んでいます。

妻は次のようにいいます。
娘はそろそろエネルギーが蓄えられて、元気になってきたのではないか。
不登校の最初の頃はもっと元気がなくて、自分(妻)に反抗する元気もなかったけれど、最近はまた反抗的な態度を取るようになってきている。
以前よりはマシになっているのではないかというのです。

今月末に定期試験がありますが、それも不登校で受験しないとなると、高校受験は絶望的になると思います。


というより、卒業まで不登校だったら、高校にも行かないでしょう。
なんとかそれまでに立ち直って欲しい所です。

なので、注目しているのは、定期試験を受けられるのかどうかです。
なんとか試験だけは受けて欲しいと思います。
壊滅的な点数だとしても何もいいません。

僕は大学で2年留年しています。
親には精神的にも金銭的にも大きなダメージを与えてしまいました。
でも、僕にとってあの2年間はマイナスではなく、むしろプラスになっていると思っています。
それを思うと、最初の頃は娘の不登校をそれほど深刻には受け止めていませんでした。
でも、いつまで続くのか全くわからない不登校という問題は、実に厄介だと思います。

昨夜、僕が酔っ払って寝ようとしていたら、娘が部屋に入ってきて次のように言いました。


今度の土曜日はとりあえず、部活に行ってみる。
それで大丈夫そうだったら、月曜日は学校に行ってみる。


それと、やっぱり島に行くのはやめたから、見学はキャンセルしておいて。

この言葉は本当に嬉しかったです。
とりあえず行く気持ちは起きたようです。

以上が11月24日に書きかけていた文章です。
その後、二転三転して、娘は離島留学に行くことを決め、出願しました。
今月末にオンラインで面接をして、審査に通れば、春から岡山県民です。
適応指導教室にも見学に行き、12月14日に一度だけ顔を出しました。
学校にも3回ほど行きましたが、学校に行くと翌日は昼まで起きられないようです。
余程精神的、体力的に疲れるようです。

もうすぐ終業式ですが、僕と妻は、学校に行けないならば、適応指導教室に毎日行くのでも構わないと思っています。
少し前までは、週に1回か2回でも学校に行ってもらって、残りは適応指導教室でも良いと思っていましたが、今は学校に行かれなくても良いと思っています。

続きはまたの機会にしたいと思います。
ありがとうございました。

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