こんにちは、鹿野一郎です。
僕は大学に入学したときの体重は72kgぐらいでしたが、大学を卒業するときは78kgになっていました。
この当時は体重計を見るのが嫌でしたが、大学を出た後も体重は増え続けました。
30歳になる頃には83kgぐらいになっていて、35歳の頃には89kg程度まで行きました。
さすがにここまで増えると自分が太っているとはっきりと自覚しました。
1 太る原因
一気に太る原因になったのは、Gパンを買い換えたことだったと思います。
正確なサイズは覚えていませんが、おそらく83kgぐらいのときまでは33インチぐらいのGパンを履いていたと思います。
ものすごくキツくて履くのが大変でしたが、これ以上大きいGパンを買ったらもっと太ると思って我慢していました。
でもある時、とうとう観念し、37インチのGパンを買ってしまったんです。
これが暴走の始まりでした。
それまではGパンを履いてベルトを締めるたびに、とてもきつい思いをし、「痩せなくちゃ。」と思っていたもんですが、37インチのGパンは全くキツくなかったので、苦痛から解放されました。
しばらくは平和な日々が続きましたが、やがてその37インチのGパンもきつくなりました。
もうこの頃になると、靴下を履くのも重労働でした。
腹がつかえて手が届かないんです。
仕事に行くときに着るスーツも既製品では入らなくなったので、とうとうイージーオーダーで作る事にしました。
ズボンは、股のところがすぐに切れてしまうので、ツーパンツスーツをイージーオーダーで作りました。
でも、果たしてこれで良いのだろうかという思いもありました。
やっぱり痩せたほうが良いのではないか、と。
2 失敗の連続
それまでにも何度も痩せようと思ったことはありました。
でも全くうまくいきませんでした。
減量を決意しても、しばらくすると減量をしていたこと自体を忘れてしまって、好きなように食べて飲んでしまっていたんです。
これの繰り返しでした。
または、しばらく頑張って2kgぐらい痩せても、たった1日のドカ食いで元に戻ってしまい、「半月の苦労が1日で吹き飛んだ。割りに合わない。」と思ってやめてしまうんです。
また、減量を始めると、余計に太るような気がして減量をやめてしまう事もありました。
冷静に考えたら減量を始めて余計に太るなんて事はあり得ないんですが、当時は真剣にそう思っていました。
それは、それまで体型に無関心だったから、腹にたっぷりついている脂肪に気づかなかっただけの話です。
減量を始めると自分の腹の周りが気になり始めるので、それまでより多くなったように錯覚してしまう訳です。
このような事からいつまで経っても痩せる事ができず、決意と失敗の繰り返しでした。
そしていつしか「自分には減量は無理なんだ。生まれながらにデブの体質に生まれたのがいけないんだ。」と考えるようになりました。
体重を減らすよりも、ウエストを減らすほうが重要だから、体重を測るのをやめて、ベルトを締める位置で体型を管理しようと考えた時期もありました。
そして1週間ごとにベルトの穴を一つきつくするという無謀な計画を立てました。
予定通りにベルトの穴はどんどんきつくしていきましたが、それは痩せたからではなく、きついベルトに痩せ我慢をしていただけでした。
やがて、腰にはっきりとミミズ腫れが出来てしまい、どうにも痛くて我慢できなくなったので、その減量も挫折しました。
3 とうとう計画的な減量を始める
そして38歳だったある日、それまでの失敗の経験を反省して、とうとう戦略的な減量を始めました。
それは「期間を決めた減量」を始めたという事でした。
減量期間は50日間と定め、例えば「今日は減量の6日目だ!」と自覚しながら生活する事にしたんです。
それだけでなく、パソコンで体重の管理もするようにしました。
例えば以下のような感じです。
減量1日目 体重84.5kg
減量2日目 体重84.4kg
表計算ソフトではなく、ワープロで管理していました。
そして6日目からは食べたものも記録するようになりました。
朝ごはん、昼ごはん、晩ご飯で食べたものも全て記録するようになりました。
さらに減量が進み2週間を過ぎたあたりから、カロリー計算もするようになりました。
そして以下のような感じになっていきます。
減量35日目 朝の体重 76.0kg (体脂肪率22.4% 体脂肪量17.02kg) 朝ご飯 サンドイッチ2パック 440kcal 鱒寿司1個 180kcal 蒟蒻ゼリー 0kcal 缶コーヒー 0kcal 小計 620kcal 昼ご飯 食パン70g 175kcal 野菜サラダ 100kcal 鶏のささみ70g 70kcal 蒟蒻250g 15kcal 小計 360kcal 夕方 イカめし1個 230kcal 蒟蒻250g 15kcal 小計 245kcal 晩ご飯 ご飯310g 452kcal 肉じゃが 374kcal ほうれん草、豆腐のみそ汁 70kcal ゴボウ他の煮物 50kcal 小計 946kcal 合計 2171kcal
ここまでやるようになると、さすがに減量していた事自体を忘れてしまうという事はあり得ません。
確実に減量は続きます。
もちろん、「酒が飲みたい。」「お菓子が食べたい。」という欲求が募って行きましたが、「50日の期間が過ぎたら何を食べても良いぞ!」と自分に言い聞かせて、とにかく我慢しました。
永遠に我慢しろと言われたら、我慢できる訳がないですが、50日が過ぎたら好きなものを好きなだけ食べて良いと自分に言い聞かせれば、我慢が出来たんです。
これは大きなポイントだったと思います。
僕はタバコを吸わないので分かりませんが、タバコをやめたい人に、永久にタバコを吸うなと言ったら、おそらくやめるのは難しいと思います。
でも50日間禁煙したら、その後は自由に吸っていいと言えば、我慢しやすくなると思うんです。
で、それで禁煙に成功してしまえば、50日過ぎた段階で、タバコを吸いたいと思わなくなるだろうから、結果として永久にやめられるんではないでしょうか。
4 いつまでもデブと思うなよ
ちょうどこの頃、世の中に「いつまでもデブと思うなよ」という本が出ました。
著者は岡田斗司夫さんと言って、いろいろな本を書いている人でした。
通称オタキングとも言われ、仕事は評論家、文筆家、実業家、企画者、講演者などいろいろやっているようです。
この岡田さんが1年間で50kg痩せた経験をまとめた本ですが、とても面白い本でした。
僕は新聞の広告でこの本を知り、興味をもったので本屋で買って読んでみました。
すると驚く事に、この本で勧める内容が、僕がやっていたのと同じく、食べたものを全て記録するという方法だったんです。
岡田さんの経験によれば、いつものようにコンビニに寄って、柿ピーを買おうとしたときに、「また今日も、柿ピーと書くのか?」と無意識のうちに自問し、買うのをやめるようになって行ったそうです。
食べたものを全て書き出すと、それまで全く無自覚に、口へ運んでいた物が全て炙り出され、「こんなに食べていたのか!」と自分でも驚く事があります。
この自覚と驚きが、過剰摂取へのブレーキにつながって行くんです。
そして痩せ始めると、楽しくなるので、減量が軌道に乗るんです。
5 50日経過後、太かったウエストが!
僕の場合は50日が過ぎたら「食べまくってやる!」という気持ちを持つ事で食べるのを我慢できました。
とうとう50日が過ぎて、減量期間が終わりました。
決めた通りの減量を、初めてやり通しました。
体重は75kgまで減りました。
ズボンはぶかぶかになり、ベルトも、一番きつい穴で締めても緩くなって、買い換えることになりました。
この50日間の平均の摂取カロリーは1850kcalでした。
減量前、僕のウエストはとても太く、1メートルぐらいありました。
皮下脂肪を全て無くしたとしても、まだまだ太い状態のはずでした。
仮に皮下脂肪の厚さが2cmだったとして、それが全部取れれば、ウエストは12cmほど細くなるはずです。
元々1メートル近くあったので、それだけ減ってもまだデブのままだと思っていましたが、ウエストもすっきりしました。
それは内臓脂肪が取れたからです。
これは本当に不思議でした。
体には腹直筋や脊柱起立筋などの筋肉がついています。
その筋肉の内側に脂肪がついていると言われても、脂肪が取れればウエストがスッキリして細くなるなんていう事は、自分が経験するまで信じられませんでした。
本当にあの大木のような太いウエストがこんなに細くなるとは信じられませんでした。
正確な記録はないですが、この時の減量で1メートル程度あったウエストは80cm程度まで減ったと思います。
まだ減量に成功した事がない人に向けて言います。
あなたのウエストも、減量に成功すれば必ず細くなります。皮下脂肪が取れる以上に内臓脂肪が取れて、別人のようにスッキリするんです。
僕はこの減量で、体重のコントロールが出来るようになりました。
この後、しばらくしてから第二期減量をスタートして、さらに50日間絞りあげました。
そして体重は69.9kgまで減りました。
それは良いのですが、この時の写真を見ると、まるでハンガーのように痩せ細っていて、目指していた体型とは大きく違いました。
このあと、数年して、今度は脂肪を減らして筋肉をつけるボディーメイクを目指すようになっていきました。
実はこのような減量をするためには、カロリーを制限するだけではダメで、タンパク質、炭水化物、脂肪の三大栄養素の摂取量をきちんと考えて食事を取らなければならないんです。
この頃はまだそんなことも知らず、とにかく体重を減らす減量をしていました。
それはともかくとして、デブとサヨナラする事が出来たので、この時の経験はとても大きな収穫でした。
ありがとうございました。