番外編 娘の反抗期 その3(親がなくても子は育つ)

娘の反抗期

こんにちは。鹿野一郎です。
今日は2021年11月11日です。
11月11日というと、学生時代の仲間のスガ(僕を空手の世界に引き込んだ張本人)の長男の誕生日です。
長男くんの誕生日は平成11年11月11日でした。
今日で何歳になったんでしょうか?

今回は番外編で、娘の反抗期の3回目です。
このシリーズはとりあえず今回で終わりになりますが、いつかまたぶり返すと思います。
反抗期はそう簡単には終わらないからです。

内部リンク「娘の反抗期
内部リンク「娘の反抗期 その2

娘の金遣いが荒くなり、家のお金を盗ったことを認めました。

今年の夏に、娘の金遣いが荒いのに気づきました。
気をつけてみていると2週間で4000円も使っていました。
娘はお年玉としてこれまでに貰ったお金を7万円以上持っていましたが、3月に70000円を銀行に預け入れたので、そんなに手元にお金を持っているはずがないんです。
10月に入って、妻が娘を問いただすと、娘は家のお金を1万円盗ったと認めました。
それだけでなく、全く反省してないし、足りなくなったらまた盗るとも言ったそうです。
僕はその場にいなかったので、翌朝、娘に直接確認してみました。
すると、お金を盗ったことを認めました。
金額や、反省していないのか、また盗るつもりなのか、と尋ねても、すべて「ママから聞いて」という返事です。
僕はその態度に腹を立てて、娘のために早起きして朝食を作るのをやめると宣言しました。
僕は平日は朝ごはんを作るために6時に起きていますが、僕の仕事は午後からなので、もっとゆっくり寝ていても良いんです。
妻は朝が大苦手な人なので、普段は娘が学校に行く頃に起きてきます。

僕が娘に朝食を作らないと宣言したのは10月19日の朝でした。
この日から、平日は娘とは顔を合わせない生活が始まりました。
僕が起きるのは娘が学校に行った後だし、僕が仕事を終えて帰宅する時には娘はすでに寝ているからです。
僕が朝食を作るのをやめたら、妻が夜のうちに朝食の下準備をするようになりました。
茹で卵や卵焼きを作り、豚汁とか味噌汁を作り、鶏肉の料理も作り、朝は温めるだけで食べられるように準備するようになりました。

これでは僕が単に朝食の準備をさぼっているだけじゃないのか?と思ったので、妻にもそう話し、朝食の準備ぐらい自分でやらせれば良いじゃんと言いました。
でも妻はそれには同意せず、食事の準備ぐらいは私がすると言います。
なんか僕だけ楽をしているような気がしましたが、妻がそれで良いというのなら、それに従う事にしました。

それまでは平日は6時に起きていたんですが、毎朝8時過ぎまで寝ていられるようになったので、体がとても楽になりました。
いつも木曜日や金曜日は朝起きる時が猛烈に辛いんですが、この時は全くそんな事がありませんでした。
キツいのは寝不足であって、仕事そのものではない事がはっきりしました。

娘がお金を返すと言い出しました。

僕は10月24日の日曜日はパワーリフティング千葉県大会に出場しました。
娘は電車とバスを乗り継いで、1人でばあばのうちに遊びに行きました。
ばあばに会いたい気持ちもあると思いますが、ばあばのうちでアルバイトをして高額なアルバイト料をもらう事が大きな目的のようです。
娘は昼ごはんの支度をして、部屋の掃除をするだけで5000円という高額なアルバイト料を貰ったようです。
この、ばあばの甘やかしには困っているんですが、これが最後と言っていたので、今後は控えてくれるものと期待しています。
僕と娘はほとんど絶交状態にありましたが、娘は試合に乗じてLINEで、「自己ベストを更新できた?」「帰りは何時ごろ?」と連絡を取ってきました。
娘は自分のスマートフォンを持っていませんが、ばあばのスマホを借りてわざわざLINEを打ってきたんです。
僕はスクワットで170kgを成功させられたので、嬉しくてそれを娘に報告しました。
帰りは遅くなるから、晩ご飯はママと2人で食べるようにと返信しました。

試合の日、帰宅したのは8時頃でしたが、娘は試合についてしきりに話しかけてきます。
僕は普通に対応していましたが、あとで妻から怒られました。
絶交していたんじゃなかったの?という事です。
確かにそうです。試合の喜びと疲れですっかり忘れていました。
娘にしてみれば一連の会話で僕との関係を修復できたと思ったようですが、翌日、月曜日に再び僕が娘を無視して絶交状態に戻ると、とうとう娘はお金を返すと言い出したそうです。
僕にではなく、妻にそう言ったそうです。
娘の財布に入っている1万円をそのまま返すのではなく、土曜日に銀行で下ろしてお金を返すと言ったそうです。

妻とはこの事について話しました。
何故今すぐに返さないで、銀行で下ろす必要があるのか?
実は盗ったのは1万円ではなくて、もっと多いのではないか?

実は僕と妻は、娘が盗った金額は2万円だと思っていました。
なので、土曜日に2万円返すつもりなのではないかと思いました。
でも果たして本当に返すつもりはあるのかという疑いも残るので、実際にお金が返却されるまではこっちは今の態度を改めないようにしようと決めました。

娘が親から盗ったお金が1万円だとして、ショッピングモールで買い食いをしたり、100円ショップで小物を買ったりしていたら、あっという間にお金は消えてしまうでしょう。
娘も実際にそういうお金の使い方をしてみて驚いたと思います。
そして、もし自分のお金だったら、そんな雑な使い方をせず、もっと大切にしただろうと思います。
そう思うと、盗ったお金を全額返済させるのはかわいそうではないかと思いました。
半額で良いのではないかと妻に相談しましたが、妻は全額返済させた方が良いと考えているようでした。
僕は妻に、娘が本当に反省している様子ならば、半額で良いのではないかと言いましたが、反抗期の娘が反省しているかどうかなんてどうやって判断するの?と言われてしまうと、何も言えなくなってしまいました。

土曜日の午前中に娘はお金を返しました。

約束の土曜日、僕が犬の散歩に行って、そろそろ家に戻ろうとするとき、自転車で反対側から走ってきた娘とすれ違いました。
どこにいくのかと聞くと、銀行に行くと言います。
1人で銀行に行ってお金を下ろすようです。
なかなか凄い事だと思いました。
僕は大学生になるまで自分の銀行口座など持っていなかったので、小学生が1人で銀行に行ってATMでお金を下ろして来るというのは凄いことだと思いました。
家に着くと妻が、娘が銀行に行ったことを僕に伝えました。
僕はすれ違ったから知っていると答えました。
犬の足を拭いて室内に入れ、しばらくすると自転車のブレーキの音がして、娘が帰ってきました。
帰って来るなりダイニングテーブルの上に1万円札を2枚、千円札を5枚置きました。

娘は25000円余りのお金を盗ったと言います。
2階のクローゼットの中から2万円、1階の靴箱の中から4000円、後は小銭の瓶から1000円ぐらい取ったと言います。
靴箱から4000円というのを聞いて僕は驚きました。

鹿野一郎
鹿野一郎

そんなところにお金があるのか?

と思って妻に確認すると、確かにそこに1000円札が保管してあるそうです。
子供会の集金などでお金の出入りがあるので、1000円札だけまとめて置いてあると言います。
知りませんでした。

小銭が瓶にたくさん入っているのは知っていました。
子供会とか自治会で集金があるから、小銭が大量に家にあるんです。
瓶は1つだと思っていましたが、2つあるそうです。
一つはキッチンの食品庫に入っています。
僕が中身を数えた時は、全部で8000円ぐらい入っていました。

もう一つの瓶は自治会費の集金で集めた物だそうです。
400円が25世帯分で、ちょうど10000円分の100円玉があるそうです。
どこの家もきっちり100円玉4枚で払ってくれて、500円玉でおつり頂戴とか、1000円札でおつり頂戴という家はなかったそうです。
そんなに小銭が溢れかえっていたら、子供に盗ってくれと言っているようなもんです。
何とかならないのかと思いますが、金庫を用意する訳にもいかないし、どうにもならないです。

娘が盗ったお札は、封筒に入れておいた札束から抜いたんです。
妻は大地震や大規模停電などでお金が引き出せなくなった時のために、自宅に現金を置いています。
家が崩落する可能性も考えて3箇所に分散して置いてあります。
僕は知らなかったんですが、娘はお金の隠し場所をすべて知っていました。
そして盗ったんです。
今では封筒にはすべて日付と金額が書いてあるので、もう今後は盗ることは出来ないでしょう。
というより、今回の事があればもう娘も同じ事はしないでしょう。

娘に反省の色があるのかないのか、僕は注目していましたが、まったく反省しているようには見えませんでした。
ふてくされた態度で面倒臭そうにお金を返しました。
自分では1万円を盗ったと白状した訳なので、1万円を返せば終わりに出来るのに、わざわざ25000円を返したあたりは正直だと思います。
でも、ダイニングの椅子に座っている時、椅子が左右に回転する椅子だっため、ずっと右に左にゆらゆらと椅子を揺らしていました。
僕がやめるように言っても聞きません。
まるで反省している様子が見られなかったので、25000円は全額回収する事にしました。
娘はダイニングを出ていく時に、

まったく、めんどくさい親だな!

という捨てセリフを残しました。
お金は戻ったけど、反省はしていないようです。
これでは解決とは言えないと思いましたが、しばらく様子を見て判断することにしました。

翌日の日曜日は実家に帰りました。

娘がお金を返した翌日、僕と娘は2人で僕の実家に行きました。
父は85歳で、要介護5の障害者です。
普段は寝たきりで、たまに車椅子でパソコンに向かいます。
体の右半身が動かず、飲み込む事もできないので、胃に穴を開けて食糧を流し込んでいます。
つまり、胃ろうです。
母は80歳で、父の介護をしています。
コロナウィルスの感染拡大のため、実家を訪問するのは3ヶ月振りでした。
一時は娘を置いて僕が1人で帰ろうかと思いましたが、娘はお金を返したので、明日一緒におばあちゃんの家に行くか?と尋ねました。
すると、どっちでも良いという返事だったので、2人で帰ることにしました。
妻もたまに僕の実家に一緒に行きますが、最近は万が一コロナを持ち込んでしまったら大変だからと言って、来ません。
でも正月は3人で帰ろうと思っています。

実家では食事をしながら、まずお互いの近況報告をしました。
しばらくすると娘が、「ずっとこうやって雑談してるの?」と退屈そうに言うので、久し振りに人生ゲームをやりました。
その後、トランプで神経衰弱、ババ抜き、七並べをし、さらにオセロをやりました。
ババ抜きやオセロがとても盛り上がり、楽しい時間を過ごす事ができました。
母とは、正月の前に年内にもう一度実家に帰ると約束しました。

この日は娘も一緒に実家に帰ったので、母に昔財布からお金を抜き取っていたことを謝ることは出来ませんでした。
それをしたら娘が家のお金に手をつけた事を悟られるかも知れないからです。
でも、父に留年した事を謝ったり、カッターナイフを買ってくれた事、急流滑りに2回も乗せてくれた事のお礼を言うことは出来たはずです。
でも結局言えませんでした。やっぱり、照れくさいです。

その後の娘の様子

娘が土曜日にお金を返し、日曜日は僕と一緒に実家に帰りました。
それ以来娘の態度はすっかり改まり、妻に対する反抗的な態度もなくなりました。
これまでは妻の顔を見ると「死ね、死ね」と言っていたそうですが、そういう言動もなくなりました。
なので、僕も朝は6時に起きて朝食を作るようになりました。
結果として僕と娘との絶交期間は2週間でした。
娘の様子を見ている限り、両親とのコミュニケーションが途切れても、まったくへっちゃらに見えましたが、実は内面ではかなりダメージを受けていたようです。
僕としても元の関係に戻る事が出来て本当に良かったと思っています。
土曜日と日曜日は以前のように娘が朝食を作ってくるし、夜は娘が寝る時に僕が江戸川乱歩の怪人二十面相シリーズを読み聞かせます。
すべてが元に戻りました。

でもこれで反抗期が終わったはずはないと思います。
今後もこういう事が何度となく繰り返されるんだと思います。
おそらく高校生になる頃には落ち着くと思いますが、その頃にもちゃんと家族の間でコミュニケーションが取れる状態でありたいと思います。
僕自身は中学3年の頃から、29歳で家を出るまで、父とは一言も言葉を交わしませんでした。
それどころか、父がいるところでは一言もしゃべりませんでした。
父はもともと無口な人で、たまに口を開くと怒鳴り声を上げる人でした。
でも、15歳か29歳まで14年間も息子に無視されていたら、さすがに堪えていたんじゃないかと今は思います。
一人暮らしを始めた後は、月に1回は実家に帰っていましたが、別々に暮らすようになってからは少しずつ話すようになりました。

今回、最悪の場合は僕はもう娘と会話する事が出来なくなるのではないかとすら心配しました。
なんとかそこまでこじれる前に解決しなければいけないと思っていました。
結果として妻の尽力ですべて収める事が出来ました。
娘を問いただしてお金を盗ったことを認めさせたのは妻だし、お金を返すように約束を取り付けたのも妻でした。
妻は顔を見ると娘から「死ね、死ね」と言われる辛い立場でしたが、それでもそれだけの事をやってくれました。
それに対して僕は何をしたのかというと、早起きをして朝食を作るのをやめたというだけで、結局楽をしただけでした。
今回は本当に妻に助けられました。

親がなくても子は育つ

親がなくても子は育つと言います。
僕が子供の頃からそう言われていました。
娘からも、「親なんか邪魔なだけで、死ねばいいんだ。金さえあれば生きていけるんだよ。」と言われましたが、今の時代では本当にそうなのかも知れないと思いました。
妻と話した事ですが、僕たちが子供だった頃はコンビニもスーパーもありませんでした。
魚は魚屋で買い、肉は肉屋、野菜は八百屋で買うのが当たり前でした。
吉野家などの牛丼チェーン店もなく、マクドナルドは日本に上陸したばかりで、まだロッテリアなどその他のファーストフードはありませんでした。
それにマクドナルドも都内に数店あるだけで、ふらっと気軽に行けるような場所ではありませんでした。
もっというと、僕たちが子供だった時代は冷凍食品が存在しませんでした。
それは冷蔵庫に冷凍庫がついていなかったからです。
冷蔵庫の庫内の一角に、特別温度の低いところがあって、そこに水を張っておくと氷を作る事が出来ました。
でもそれは夏は効き目がなく、氷というのは貴重な物でした。
冷凍庫がないので、冷凍食品もなかったんです。
レトルト食品は、すでにボンカレーがありましたが、ボンカレーぐらいしかなかったと思います。
今のようにいろいろな種類の食料品が溢れている時代ではありませんでした。
なので、昭和40年代の東京、千葉では、子供がお金を持っていても、それだけで生きていくのは無理でした。
大人に保護してもらわないと何も出来ない世の中でした。

でも今は違います。
今時の子供はお金さえあれば、食べるのに困る事はないでしょう。
娘は料理を作るのが好きで、インターネットでいろいろな料理のレシピを調べて、いろいろ作ってくれます。
食材はスーパーに行けばいくらでも売っているし、冷凍庫には冷凍食品がぎっしり入っています。
親に頼らなくても、1人でやっていけるんだと思います。
今回、娘との絶交期間を経て思ったんですが、僕たちも含む今時の親は、子供をしつけるのが昔より難しくなっているんじゃないでしょうか。

僕は子供の頃、言うことを聞かない悪ガキだったので、父からは背負い投げや巴投げをされたり、母からは夜に庭の夏みかんの木に縛りつけられたりしました。
親から怒鳴られない日などなかったと思います。
それだけでなく学校に行って、担任の先生からゲンコツを喰らわなかった日もなかったと思います。
でも今はそんな事はできません。

どんなに子供が反抗期でも、子供を殴ってしまったり、背負い投げ、巴投げを喰らわせたら虐待になってしまいます。
食事を与えないという形で罰を与えても、ネグレクトという虐待になってしまいます。
木に縛りつけるなんて論外だし、物置に閉じ込めても虐待になってしまいます。
僕は子供の頃に、親からされたこと、学校の先生からされたことを恨んではいません。
あれだけの悪ガキだったら、あのぐらいの罰を与えないと効き目がなかったと思うからです。
でも今は、ちょっと何かをするとすぐに虐待になってしまうので、本当に難しいと思います。
口で言ってもわからない悪ガキをしつけるのに、今時の親はどうするんでしょうか?

「子供を育てて初めて一人前」は同意できません!

僕は若い頃、職場でよく年配の方から、「子供を育てて初めて一人前だよ。」と言われました。
だから君は早く結婚して家庭を持ちなさいという意味を込めて言われていました。
僕はこの言葉がとても嫌いでした。
今でも好きではありません。
子供を育てても全然ダメな人はたくさんいると思うし、子供がいなくても素晴らしい人もたくさんいるからです。
子供を育てたら一人前ということは、育てなかったら半人前という事なんでしょうか?
いくら何でもそんな暴論は認められません。

もう一つ、母から何度も聞かされた言葉は、「親のありがたさは、親になるまでわからない。」というものです。
親のありがたさは親になるまでわからないという言葉の意味は、親になった時にわかりました。
娘が生まれた日、病院で運ばれてきたトレーにちょこんと寝ている娘の姿を見た時、僕の頭の中で、「父親スイッチ」がONになりました。
「何があってもこの子を守っていくぞ!」という意識が自然に湧いて来ました。
その時に母の言葉を思い出し、こういう事だったのかと納得しました。

子供を育てて一人前とは思いませんが、子供を育てると、他では経験できない貴重な経験をします。
まるで人生を生き直すような感覚にもなります。
あの時の父や母やこういう気持ちだったのか、と思わされる事もあります。
なので、「子供を育てて一人前!」と言いたくなる人がいる事も理解できます。
でも子供を育てても一人前と言えない人もいると思うし、その逆の人もいると思います。
なので僕は、「親のありがたみは親になって初めてわかる」と娘に言いますが、「子供を育てて一人前」というつもりはないです。

このようにして今回の嵐は収まりました。

タイトルとURLをコピーしました