ベンチプレスは85kgで10回、10回、10回、10回、8回でした/島根旅行3

ベンチプレス

こんにちは、鹿野一郎です。
今日は2024年9月15日の日曜日です。

昨日の土曜日にジムに行ってトレーニングをしてきました。
ベンチプレスは85kgで5セットやって、合計48回挙げる事ができました。
個人的に今年最高の出来です。

前回絶望的だったパワーベルトもだいぶマシになりました。
おかげでデッドリフトもやりやすかったです。

昨日のベンチプレス

今年のベンチプレスは、漸進性過負荷の原則をそのまま実践しています。
少しずつバーベルを重くして行く方法です。
おそらく去年の年末頃に80kgから始めて、当初は同じ重さで4回トレーニングしたら2.5kg重くするという感じでやっていました。


5月12日のパワーリフティング千葉県大会に向けたトレーニングでしたが、最終的な重さは95kgだったと思います。
100kgとか105kgでトレーニングをして怪我をしたら嫌だと思ったので、95kgまで行った後は、80kgぐらいまで戻して、その代わり「止め」ありでやりました。
止めというのはバーベルシャフトを胸につけてから1秒間静止させることです。
そこから無反動で押し上げます。
パワーリフティングの試合ではそれがルールなんです。

でも、結局5月12日の試合は出ませんでした。
試合後、ベンチプレスはまた80kgからやり直しました。
今度は毎週2.5kgずつ重くするというハイペースでやりました。
7月の末には105kgでやるまでになったんですが、そこで夏期講習が始まってしまって、途絶えました。


今年の僕の夏期講習は2週間でしたが、その後、岡山に離島留学に行っていた娘が1週間帰ってきて、更には島根旅行もあって、結局1ヶ月間トレーニングをしませんでした。

8月26日からトレーニングを再開し、ベンチプレスは今回も80kgからやり直しています。
先週の土曜日は82.5kgで10回、10回、10回、8回、8回で合計46回でした。
でも昨日の土曜日は85kgで10回、10回、10回、10回、8回と出来ました。
合計48回です。
ベンチプレスは今、ものすごく調子が良いです。

今年のベンチプレスで、メインセットが85kgだった時に、5セットで合計何回挙げたかを調べ直してみたら以下のようになっていました。

  1月23日 85kg37回(10回、8回、7回、6回、6回)
  1月28日 85kg42回(10回、10回、8回、7回、7回)
  1月31日 85kg43回(10回、9回、9回、8回、7回)
  2月03日 85kg37回(10回、9回、7回、6回、5回)
  6月08日 85kg43回(9回、10回、9回、8回、7回)
  9月09日 85kg40回(10回、9回、8回、7回、6回)
  9月14日 85kg48回(10回、10回、10回、10回、8回)

大幅に過去最高を更新しました。
今年の1月23日の時点で、合計37回しかあがらなかったというのは信じれらない思いです。


昨日はバーベルをラックから外した段階で軽いと感じました。
プレートをつけ間違えたかと思ったぐらいです。

9月9日の月曜日には85kgで合計40回挙げていますが、この時は前の土曜日のベンチプレスの筋肉痛が大胸筋にありありと残っていたので、ベンチプレス自体が無理だと思っていました。


1セット目で10回あがらないかも知れないと思っていましたが、やってみたら10回、9回、8回、7回、6回で合計40回でした。
昨日の土曜日は、もうすっかり筋肉痛も抜けていたので、40回を大きく超えられるだろうと思っていました。
可能なら10回5セットで50回挙げたかったですが、さすがに最後のセットは10回挙がりませんでした。

今やっている、毎週2.5kgずつ重くして行くやり方は僕にはとても合っているようです。
かつてやっていた5/3/1プログラムもとても良くて、ジムで「止め」ありのベンチプレスで110kgを押し上げられるまでになりましたが、5/3/1プログラムは重量の増加がとにかく遅いので、僕のような短気な人間には我慢がなりませんでした。
非常に優れたプログラムだと思いますが、僕には合っていなかったようです。
毎週2.5kgずつ重くする方がやっていて面白いです。

今の調子でずっと2.5kgずつ増やしていくと、11月24日のパワーリフティング千葉県大会の時には110kgまで行く事になります。
もちろん重くなるほど回数が減るのは当然ですが、このまま試合まで今のペースで行きたいと思います。

来週は月曜日と土曜日に87.5kgでベンチプレスをします。

出雲大社の一部です。

パワーベルト

先週の土曜日、デッドリフトをするためにパワーベルトを締めようと思ったら、締まらなくて驚愕しました。


しばらく放心状態に陥った後、再びベルトを締めることに挑戦したら、一番外側の穴(89cm)でなんとか、なんとか締まりました。


でも、あまりにもキツすぎて、お腹が苦しかったので、デッドリフトの1セット目は3回を終えたところでベルトを外し、4回目と5回目はベルトなしでやりました。
あの衝撃の出来事から1週間。


悪夢を追い払うために、この1週間は食事を制限して来ました。
水曜日と木曜日、金曜日は弁当を作って職場に持っていきました。
外食をするより自作の弁当の方が太らないからです。
弁当の中身は白米150g、ゆで卵1個、梅干し1個、ちくわ3本です。

昨日はジムに行くとベンチプレスの台が珍しく塞がっていました。
いつもはベンチプレスから始めるんですが、塞がっていたので仕方なくパワーラックに陣取り、デッドリフトから始める事にしました。
いきなりパワーベルトを締める展開になりました。

まずは60kgでウォームアップ5回です。
もちろんこの重さではベルトは絞めません。
次は左右に15kgのプレートを足して90kgで5回です。
もちろんこの重さでもベルトは締めません。
ウォームアップはここで終わりで、次からが本番セットの130kgです。

90kgのバーベルの左右に15kgのプレートと5kgのプレートをつけて130kgにしました。
しばらくベンチに腰掛けて呼吸を整え、意識を集中していました。
でも頭の中で思っていたのは、大丈夫、必ずベルトは締まるはずだ、という事でした。
バーベルの重さは、正直なところ眼中になかったです。

ベルトを腰に巻いて思い切り引くと、一番外側の穴に簡単に入りました。
先週はこの穴に入れるのにかなり苦労しましたが、昨日は簡単に入りました。
でも、目標は隣の穴です。


外側から2つ目の穴(86cm)にどうしても入れたかったんです。
さらに思い切りベルトを締め上げて、息を吐きますが、ぎりぎり届きません。
さらに締め上げて息を吐き、ベルトを斜め上に引き上げると、下のピンが外側から2つ目の穴に入りました。


次は上だと思って今度はベルトを思い切り下に下げて腹をへっこませると、なんとか上のピンも外側から2つ目の穴に入りました。

やりました。
目標達成です。


終わってみれば、先週一番外側の穴にはめるよりは楽に2番目の穴に入りました。
でも、強烈な締め付けでお腹は苦しかったです。

そのベルトを締めて130kgのバーベルでデッドリフトを5回やりました。
別にバーベルは重くはないです。
軽くもないですが、重くもなかったです。

結局昨日は1セット目から5セット目まで全て外側から2番目の穴でベルトを締めてデッドリフトをする事が出来ました。
1週間でおよそ3cmウエストが縮んだ事になります。

これまでの僕の経験だと、ベルトが外側から3つ目の穴(83cm)で締まるようになるのは体重が77kgぐらいになった時で、73kgぐらいまで落ちると外側から4つ目の穴(80cm)で締まるようになります。
体型の事を考えたら、外側から5つ目の穴(77cm)で締まるぐらいまで痩せた方が良いと思うんですが、今のところそこまで痩せた事はないです。

来週は外側から2番目の穴に、もっと簡単に入るようになっていたいです。
おそらく外側から3個目の穴で締まるようになるまでには3週間から1ヶ月はかかると思います。
今の食事制限を継続して、必ずそこまで絞りたいです。

でないと11月24日までに74kgまで体重を落とせないと思います。


74kgまで絞れたら、外側から3つ目の穴が少し緩く感じるぐらいになります。
そこまで持っていかないと試合に出られません。

デッドリフトは来週は135kgでやりますが、おそらく5回5セットは出来ると思います。
問題なのは重さではなくて、ベルトが締まるかどうかです。

ちなみにデッドリフトも毎週5kgずつ増やしていく事が出来たとしたら、11月24日の試合の時には180kgになっているはずです。


僕の、試合でのベストが185kgなので、かなりぎりぎりの重さです。
怪我をする事なく、そこまで行けたら良いですね。

出雲大社の中の何かの建物です。

ショルダープレスが楽しくなって来ました

今年は過去に例がないほどショルダープレスをサボって来ました。
サイドレイズはそこそこやって来ましたが、ショルダープレスは昨日のトレーニングで、やっと3回目です。


9月なのに今年に入って3回目でした。

今年最初にショルダープレスをした時は、50kgで5回しか出来ませんでした。
スタンディングでのバーベルショルダープレスです。

今年2回目のショルダープレスではもう少しマシになり、50kgで連続8回出来ました。
そして昨日は、50kgで9回、9回、8回、9回、7回と出来ました。
合計42回です。

一時期ショルダープレスはベンチに座ってやっていましたが、やっぱり立ってやる方が良いように感じました。
ベンチに座る時はどうしても背もたれの角度を垂直にするとやりにくいので、傾斜をつけてやってしまいます。


そうすると純粋なショルダープレスではなくなり、ややインクラインベンチプレスっぽくなってしまうように感じます。


きちんと肩を鍛えるなら上体は地面に垂直であったほうが良いと感じるようになりました。

そもそもベンチに座るようになったのは、スタンディングのショルダープレスで重いバーベルを扱うようになると、腰が痛くなるからでした。
パワーベルトを締めてやればスタンディングでも腰は痛くならないんですが、自宅でやる場合は問題がありました。

自宅にはパワーラックはないので、床に置いたバーベルを持ち上げて、スタートポジションに持っていき、そこからショルダープレスをしていました。
問題があるのはショルダープレスが終わった後です。
ショルダープレスが終わって、そのバーベルを床に下ろすとき、どうしてもバーベルシャフトがパワーベルトのバックルに当たってしまいます。


それを繰り返したらやがてベルトが壊れてしまうだろうと思ったので、自宅にアジャスタブルベンチを買いました。

結果としてこのアジャスタブルベンチは、もっとも買って失敗したトレーニング機材になってしまいました。

もったいない買い物でした。


ベンチ自体の性能は全く問題ないんですが、毎回使う時にセットして、使い終わった片付けるというのが思っていた以上に面倒で、使わなくなってしまいました。
見事なまでにただの置き物になってしまいました。

今後、ショルダープレスはジムでパワーラックを使ってやろうと思っています。
ラックがあった方が圧倒的にショルダープレスは楽ですね。


ラックがあれば、ベルトを締めていても、シャフトがバックルに当たる心配もないですし。

最近、ショルダープレスが面白くなって来たのは、実は僕の肩が以前より大きくなって来たからです。
最近はTシャツではなくて、袖なしのシャツを着てトレーニングをしているんですが、そうすると肩が大きくなったのがはっきりとわかります。
それが嬉しくて、もっと大きくしたいと思っているんです。
それにしても不思議な話です。


今年に入ってショルダープレスはほとんどやっていなかったのに、一体どうして肩が大きくなったんでしょうか?
もしかしたらベンチプレスの時に、胸の力ではなく、主に肩の力で挙げているんでしょうか?
さすがにそれはないと思いますが、とても不思議です。

空手の練習は2週間続きました

8月の末から継続的に空手の練習をするようになりました。
なんとか2週間続きました。
このまま習慣化して、突き、蹴り、受けが出来るのが普通の状態でありたいと思います。

僕はこの夏で57歳になりました。


空手の練習をまたやろうと思うようになったのは、健康のためです。
体力の低下を強く実感したため、筋トレだけでなく、全身運動である空手もやろうと思ったんです。

僕は友達の影響で23歳で剛柔流の空手を始めました。


友達のお父さんが道場の師範で、そこに通っていました。
剛柔流は寸止めの空手なので、実際に相手を殴ったり蹴ったりしないです。
蹴ったり殴ったりするのは、ミットです。

やがて極真空手に鞍替えする事になりましたが、それがいつだったかはよく思い出せません。
最初は柏の道場に入りました。
職場が近かったからです。
おそらく30歳になるかならないかの頃だったと思います。

それからしばらくして34歳の時に同じ極真空手の西船橋の道場に移りました。
そこで39歳まで空手をやっていましたが、結婚の前に辞めました。

空手をやめてもう18年になります。
突き、蹴り、受けをしっかり出来ることは、健康維持の上でものすごく大切なことではないかと思うようになったため、練習を再開しました。
道場には通いません。


今回の空手の練習は健康維持が目的であって、強くなる事が目的ではないので、スパーリングなどは必要ないと思っています。
特に蹴りの練習が健康維持に効果的だと思うんですが、若い頃はそんなこと考えませんでした。

20代の頃は、とにかく若かったし、健康だったので、健康維持なんて考えた事はなかったです。
考えたのはとにかく強くなる事でした。

30代の頃も健康維持なんて考えた事はなかったです。
この頃は空手だけでなくマラソンにも凝っていましたが、健康のためではなく、高橋尚子さんの激走を見て感動したから走りたくなっただけでした。
フルマラソンには5回出場して、1回目が36km地点でリタイア(佐倉朝日健康マラソン)、2回目が5時間40分で完走(東京荒川マラソン)、3回目が29kmでリタイア(佐倉朝日健康マラソン)、4回目が4時間40分(佐倉朝日健康マラソン)で完走、5回目が4時間19分(東京荒川マラソン)で完走でした。
ハーフマラソンも随分と走りました。

40代前半は、子供が産まれて運動どころではなかったです。


49歳で初めてパワーリフティングの試合に出ました。
この時もまだ体力の衰えというのは感じていませんでした。

では、いつそれを感じたのかというと、予備校で授業をしている時でした。
高校2年生の授業で、生徒は全員男子でした。
運動方程式の立て方を毎週説明してもなかなか身につかないので、ある時に冗談で以下のように言いました。

鹿野一郎
鹿野一郎

いいか、来週になってもまだ出来ないようだったら、上段回し蹴りを喰らわせるぞ!


このセリフを言った時にハッとしました。
果たして今の自分に上段回し蹴りなんて出来るのだろうか?

絶対に無理だと思いました。


自分の正面に立っている自分よりも背の高い相手の顔を、相手が避けられない速さで蹴り、一撃でKOするなんて、絶対に無理だと思いました。

もう足が上がらないし、そんな元気もない。
そう思った時に初めて自分の衰えを実感しました。

上段回し蹴りなんて、若い頃は左右交互に連続で100本蹴ったりしていました。
試合前のコンディションの良い時などは電柱を見ても木の幹を見ても、寸止めで上段回し蹴りを入れたくなるものでした。
それが今では1発の上段回し蹴りも出来ないなんて。

57歳という歳のせいではありません。
ずっと練習をし来なかったからです。

僕が23歳で空手を始めた時の師範は友達のお父さんですが、なんと78歳になった今も現役で師範をしているそうです。


それを聞いたら僕だってやるしかありません。

わずか2週間ですが、毎日やる事で、前蹴りや横蹴りは結構できるようになって来ました。
足も上がるようになって来ました。


上段回し蹴りもなんとか出来るようになりました。
でも、まだまだスピードがとても遅いし、当たっても破壊力はほとんどないです。
全盛期の破壊力を100とすると、今は15ぐらいでしょうか?
もっと頑張りたいと思います。


100に戻すのは年齢的に無理なので、目標は80ぐらいでしょうか?
強くなるためではなくて、健康のためです。

今一番凝っているのは後蹴りです。
自分の後に立っている相手の顔を、ノーモーションで蹴り込むんです。

空手の試合をする限りにおいて、相手が後にいることはあり得ないので、空手をやっていた頃は後蹴りの練習なんてほとんどやった事がないです。
でも今は一生懸命やっています。


自分の後に立っている相手の顔をノーモーションで刈り込む事ができたら、ものすごく健康だと思いませんか?

ジャッキー・チェンの映画に「ファイナルプロジェクト」という映画があります。
1996年の映画です。
その映画の後半で、水族館にジャッキーが核弾頭を回収しに行く時に見せた後蹴りは世界でいちばん美しいと思います。
間合いが遠すぎて、空振りの蹴りでしたが、とても綺麗なフォームです。

当時映画館で見た時からそう思っていましたが、最近DVDを買ってみて、改めてそう思いました。
あんな後蹴りが出来るようになりたいです。
健康のために。

出雲大社です。さすが縁結びの神様です。

島根旅行 松江城編

松江にお城があるなんて僕は知りませんでした。
中学3年生の娘がこの春から1年間、岡山県の離島のフリースクールに行っています。
なので僕も何度も岡山まで行きました。
港は岡山と広島の県境に近いので、宿泊は広島県の福山にしています。


初めて福山を訪れた時に、そこにお城があることを知りました。
福山城です。

福山城は新幹線の福山駅の目の前です。
文字通り目の前です
ホテルから新幹線の線路を挟んで、福山城を見下ろした時、そこにお城があることに驚きました。
ちなみに福山が広島県の町であることも知りませんでした。
てっきり岡山県だと思っていました。

ホテルの部屋から見た福山城です。

ゴールデンウィークに岡山まで訪ねて行った時、帰りは姫路に宿泊しました。


姫路に姫路城があるのはよく知っていました。
おそらく誰でも知っていますよね。
でも、実際に行ってみて驚きました。
まさか姫路城が新幹線の姫路駅から歩いて行けるほど近いとは思っていなかったからです。
歩いて行けるだけでなく、駅のコンコースから見えます。
本当に驚きました。

駅から見た姫路城の写真をここに貼ろうと思ったら、何故かなくなっていました。

とても残念です。

で、今回初めて島根に旅行に行くことにしたんですが、松江に松江城というお城があることは知りませんでした。
地図で見て知って、行ってみようと思ったんです。

福山から中国山地を縦断して出雲市に入り、出雲大社に行きました。
島根ワイナリーでワインと日本酒を買ってから、宍道湖沿いの道路を走って松江に入りました。
出雲大社から松江までは36kmのドライブでした。
松江駅は思ったより立派でした。
松江の街の拓け方は千葉県でいうと、津田沼ぐらいかなと思いました。
松江駅を出た後、次の目的地の松江城に向かいます。

ナビによると駅のすぐ近くです。


行ってみるとすぐにお城は見えましたが、駐車場が満車で入れないと言います。
行列を待っている車もいましたが、いつまで待てば中に入れるのかわからないので、近くのコインパーキングを探すことにしました。
松江駅の近くに止めた時もコインパーキングに止めました。
お城の周りを時計回りに車で走ると、素晴らしい景色が次々に現れました。

福山城や姫路城も車で周りを一周しましたが、松江城が一番凄かったと思います。
お城だけでなく、周りの街並みも昔のまま残っているような感じでした。
お堀があって、古い商店や武家屋敷みたいなものが並んでいる区画もありました。
そうですよ。
お堀です。

松江城のお堀です。

松江城が福山城や姫路城と圧倒的に違うのはお堀が健在だったことだと思います。
健在なだけでなく、お堀を走る昔ながらの手漕ぎの遊覧船もありました。
物凄く風情があります。

お城の裏側には小泉八雲の記念館がありました。
小泉八雲と言っても、若い人は知らないのではないでしょうか?
僕もよく知らないですが、ラフカディオ・ハーンというギリシャ生まれの外国人です。
日本に帰化して小泉八雲と名乗り、いくつかの小説を書いたそうです。
僕がこの人の名前を知っているのは、僕が子供だった頃にNHKでラフカディオ・ハーンを主人公とする連続ドラマが放送されていたからです。
調べてみたら1983年放送の「日本の面影」というドラマでした。
1983年というと、もう高校1年生ですね。
子供という記憶は間違いです。

当時の記憶では、ラフカディオ・ハーンは日本の怪談に強い興味を持ち、特に「耳なし芳一」に強く惹かれていたようです。
東京帝国大学の教授になったことはドラマでも出て来ました。
岡山から松江に向かう特急の名称に「やくも」というのがありますが、おそらく小泉八雲から取ったのではないでしょうか?

ようやくコインパーキングを見つけましたが、お城の正門からは随分遠かったです。
この日は38度の猛暑日で、とにかく暑かったです。
松江城はお堀の石垣に苔がむしていて、とても貫禄がありました。
しかもお城の隣が県庁です。
そしてそのあたりに警察署もあり、県立図書館、県立武道場などが立ち並んでいます。
重要な機関がお城の周りに集中しているのは、なんかかっこいい感じがしました。

松江城です。

地図で見ると松江城のお堀は、なんと川と繋がっているんですね。
川を通って中海に出る事ができます。
そして中海から日本海まで出る事ができるんですね。
本当に船でお堀から日本海まで出られるかどうかはわかりませんが、地図で見る限り水路は繋がっているようです。

松江城も福山城もお城の建物の中に入るのにはお金がかかりますが、建物の中に入らないのであれば、いちばん上までタダで入れます。
福山城を間近で見た時は、最近になって作り直したものだとはっきりわかりましたが、松江城はなかなか貫禄があり、古い感じがしました。
姫路城は敷地がものすごく広いんですが、ある程度お城に近づくと、そこから先は有料エリアになっていました。
なのでお金を払わないと天守閣の近くまで歩いて行く事ができません。

姫路城に行った時も猛烈な猛暑で、しかもチケット売り場に長蛇の列ができていたので、中に入るのは諦めました。
その時は娘も一緒でした。
ちょうどお盆で家に帰ってくる時のことでした。

松江城を一通り見た後、車に戻りましたが、車まで歩くのが辛かったです。
もうTシャツはびしょびしょなので、車に戻ったらまずは着替えました。
もう歩き疲れてボロボロでした。

予定ではその後は、島根大学を見に行くつもりでしたが、もうどうでも良くなってしまいました。
ホテルにチェックインするにはまだ早いし、適当にドライブでもしようと思って、走り始めました。
島根上から北上するとしばらくして、原子力発電所という表示が出て来ました。
島根に原子力発電所があるとは知りませんでしたが、あるなら見てみたいと思って、そっちの方向へ曲がりました。
さらに行くと原子力発電所とは別に、原子力館というのがあるのがわかりました。
ならば行くのは原子力館ですね。
発電所は行ってもどうせ入れないと思いますから。

道路表示に従ってどんどん北上します。
原子力発電所は海の近くにあるはずなので、このまま日本海に抜けるのかと思っていたら、そうでした。

片側1車線の、県道のような道をひた走り、あるT字路で右折しました。
しばらく行くと、これはやばい場所なのではないか?と思う景色に変わって来ました。
写真を撮れなかったのは残念ですが、道が右にカーブし、正面は土の絶壁でした。
傾斜角45度ぐらいの平面の土の斜面があり、バリケードが貼ってあったような気がします。


あの斜面の向こうにはかなりやばい要塞でもあるのではないかと思いました。
そのまま右にカーブして進むと、何やら案内が出ています。

許可証を持っている人(常時出入りできる人)は直進し、許可証のない見学者は左折するように書かれていました。


直進しても左折してもどちらも道はバリケードで塞がれています。
しかもバリケードの向こうに武装しているように見える警備員が2人いて、こっちを睨んでいるように見えました。

ここはふらっと見学に来てはいけないところみたいだと思いました。
車を止めて、しばし思案してからUターンして帰ることにしました。


まさか追ってこないだろうなと思いましたが、それは大丈夫でした。

昔、バイクの免許を取ってバイクを買った時、初めてのドライブで成田空港に行きました。
適当なところにバイクを止めて中を歩いていたんですが、何気なく車道を横切ったらどこかから警備員が出てきて、ここで何をしている?と聞かれました。
バイクでドライブに来て散歩をしていると答えたら、免許証を見せろと言われました。
空港に来た目的を聞かれたので、ただのドライブだと言ったら、付いてくるように言われ、事務所に連れて行かれました。


そこで日付、時刻、名前をノートに記入させられて、おそらく写真も撮られたように思います。
どこかの国の要人が日本に来るタイミングで警備が強化されていたんだと思いますが、単にドライブに行ってあんな目にあった事があったので、原子力館というのはさらにやばい事になるのではないかと思いました。

千葉に戻ってからネットで調べてみたら、原子力発電推進のための施設で、原子力発電に賛成でも反対でも、あそこにいけば原子力発電の仕組みがよくわかるのだそうです。


僕は予備校で物理を教えているので、原子力発電についてはある程度はわかっているつもりですが、さらに理解を深めるために、行っておけば良かったです。
また島根に行く機会があったら(必ず行くつもりですが)、その時は原子力館にも行きたいと思います。

原子力館を出た後は、ホテルに向かう道の途中で、INAIというホームセンターで傘を買い、みしまやというスーパーで夕飯のおにぎりを買って行きました。


ホテルは宍道湖温泉ホテル一畑(いちばた)です。


僕の部屋は違いましたが、あたりの部屋なら客室から宍道湖が一望できる素晴らしいホテルです。
次に島根に行く時もここに泊まりたいと思いました。

このようにして僕の島根旅行は終わりましたが、このまま鳥取旅行に続きます。
それはまたの機会に。

ありがとうございました。

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