こんにちは、鹿野一郎です。
今日は2022年7月1日の金曜日です。
毎日暑いですね。
おそらく東京は8日連続で猛暑日だったんじゃないでしょうか?
先日、ちょっと考えたんですが、古文で出てくる、「ありおりはべりいまそかり」というのは、どうやって使うんでしょうか?
僕は古文は赤点しか取った事がないぐらい出来ないんですが、「ありおりはべりいまそかり」という字面だけは覚えています。
多分、何かの活用形の語呂合わせではないかと想像しますが、何のことか全くわかりません。
僕は予備校で高校生と浪人生に物理を教えているんですが、物理を通して生徒の学力を見ると、ものすごく出来ないように見えてしまいます。
なんで、こんな事も知らないんだろう?
なんで、こんな簡単な事がわからないんだろう?
と思ってしまうんですが、それは当然の事でしょう。
僕は自分が受験生だった時は、数学や物理は得意でした。
しかも、物理を教えることを職業に選んで、今年で30年目です。
生徒の学力が低く見えて当然なんですね。
僕は自分が受験生だった頃は、化学がとても苦手で、平均点も取れませんでしたが、それでも予備校の授業は熱心に聞いていたし、授業中に居眠りをするような事はありませんでした。
授業中に居眠りをする生徒というのは、どのくらい出来ないのだろうかと考えた時、僕の古文、漢文と同じレベルなのかも知れないと思いました。
あれぐらい徹底的にわからなかったら、授業を90分聞くのはかなり辛いだろうなと思います。
ありおりはべりいまそかり
先週、浪人生のクラスで生徒達に聞いてみました。
ありおりはべりいまそかり、の意味がわかり、どういう使い方をするのかわかっているか、わかっていないのかを。
わかっている人は手をあげて、というと、およそ80人のクラスで半数の生徒が手をあげました。
僕はそれを見て感動してしまいました。
すごいじゃん、君達はそんなに古文が出来るのか!
実はすごく優秀なんじゃん、と思いました。
クラスは3段階に分けられていますが、聞いたのは真ん中のレベルのクラスです。
ちなみに同じクラスで、
単原子分子の理想気体の内部エネルギーとは、具体的にどういうエネルギーかわかっている人、手をあげて。
と尋ねてみると、4人に1人ぐらいしか手があがりませんでした。
その日の授業は、単原子分子の理想気体の内部エネルギーの式を、気体の分子運動論から導く問題でした。
出来れば、最初から自力で導ける生徒が半数ぐらいいて欲しいところでしたが、そうはいきませんでした。
単原子分子の理想気体の内部エネルギーが、気体分子の運動エネルギーの和である事を知らないならば、それを導けるようになるのは結構大変だと思います。
僕も受験生だった頃は、苦労した覚えがあります。
でも、生徒たちは僕が高校生だった時よりも、はるかに古文は出来るようです。
生徒たちを見直した瞬間でした。
翌日、別の校舎で古文の先生に聞いてみました。
ありおりはべりいまそかり、というフレーズは知っていても意味や使い方がわからない生徒はどういうレベルですか?と。
すると、その先生は苦笑いをして、「文法は一からやり直しですね。」と言いました。
ちなみにどこの生徒ですか?と聞かれたので、昔の自分だと答えました。
なのに熱心にいろいろ教えてくれました。
そのレベルだと予備校の一番下のクラスでも授業についてくるのは大変だと思うけど、とにかくついて来るしかないと言います。
まずは4つの活用形を覚え、動詞、形容詞、形容動詞(だったかな?)の活用をすべて身につけなければならない。
さらにそれと同時並行で、古文の文章も何度も何度も読み込んでいって、慣れていかなければならない。
初めはすごく大変だと思うけれど、絶対に脱落しないという強い意志を持って、頑張らなければならないと教えてくれました。
果てしなく長い道に感じました。
その話を一緒に聞いていた数学の先生に、「ありおりはべりいまそかりって、わかってました?」と尋ねたら、次のような返事が返って来ました。
何を言っているんですか。
そんな事、わかる訳ないじゃないですか。
僕だって、鹿野さんと同じレベルですよ。
それを聞いてちょっとほっとしました。
ちなみにその数学の先生は、僕と同じ東京理科大学の出身です。
僕は理学部の物理学科で、その先生は理学部の数学科でした。
サイン、コサイン、タンジェント
僕は自分の席につき、その数学の先生に次のように言いました。
「もしかしたら、文系の人からしたら、サイン、コサイン、タンジェント、だから何?という感じなんでしょうかね?」
すると、古文の先生が立ち上がって僕の方を指差し、「まさにそうですよ。サイン、コス、コス、サイン、コスとか、あれは一体何ですか?」と吠えました。
おそらく和積の公式の事を言いたいんだと思いますが、順番が違います。
やっぱり文系の人からすると、三角関数というのは全くわからないもののようです。
他にも指数関数、対数関数などが登場し、微分、積分が登場すると、訳がわからなくなるんでしょうね。
僕も初めのうちは自然対数の底のeの意味がわからなくて苦しみました。
お互い様だと思いました。
その古文の先生は、三角関数は一からやり直しですね。
何故古文がそんなに苦手なのか
その後、ちょっと考えました。
僕は、中間テストや期末テストで、古文はいつも1桁の得点でした。
赤点しか取った事がありません。
なんでそんなに古文が出来ないのかと考えたら、はっきりとした理由がありました。
古文、漢文は1秒も勉強した事がないからです。
高校で古文、漢文、現代社会、歴史などの授業の時は、数学の参考書を広げて、数学の勉強をしていました。
中間、期末テストの前も、試験勉強はした事がありませんでした。
高校の通知表なんかにはまるで興味がなかったので、赤点も怖くありませんでした。
怖かったのは留年だけです。
留年しない程度に国語や社会の勉強をさぼり、英語、数学、物理、化学に集中していました。
受験科目でない科目は勉強する必要がないという凄まじい割り切りをして、赤点を取り続けていました。
今思えば、実に生意気な、嫌な高校生でした。
そうです。
僕に取って、勉強とは受験勉強の事でした。
大学受験が終わるまでは猛然と勉強しましたが、大学に入学してからは全く勉強しなくなりました。
僕が大学に入ったのは1987年で、日本経済はバブル景気に向かって急速に成長していたので、大学に入ってしまったら、卒業さえすればどこへでも希望する企業に就職できる時代でした。
なので、勉強は全くしなくなりました。
実に現金なものの考え方です。
なので、大学の物理は全くわかりませんでした。
ラグランジュ方程式も、ハミルトン方程式も、シュレディンガー方程式もまるでわからないまま大学を卒業しました。
予備校講師になってから、必要に駆られて、相対性理論は結構頑張って勉強しました。
相対性理論には特殊相対性理論と一般相対性理論がありますが、特殊相対性理論の方を結構頑張って勉強し、半年かかってある程度はわかるようになりました。
高速で移動すると、物体の長さが縮み、質量が増大し、時間の流れが遅くなるという内容もなんとなくわかるようになりました。
確かに計算すると、そうなります。
でも、日常生活を送るにあたって、そんな難しい話はまったく必要ないですね。
高校レベルの物理や数学がわかっていると、いろいろわかって面白いと思いますが、それでも必要ではないですね。
それだったら、日本史や世界史を勉強した方が教養として役に立つと思います。
受験勉強は必要なのか?
受験勉強は果たして人間に必要なのか?
これは若い頃から随分と考えたテーマでした。
僕の友達でサラリーマンをやっている人は、自分の部下について、「部活でも勉強でも良いから、何かに必死になって挑戦した奴じゃないと、使い物にならない。」と言います。
わかるような気がします。
僕が大学受験をしたのは1986年(現役)と1987年(浪人)でした。
受験業界では1986年から1992年までの7年間をゴールデンセブンと言います。
第二次ベビーブームの影響で、18歳人口が200万人を突破し、7年連続で増えた続けた期間です。
(現在の18歳人口は110万人ちょっとです。予備校がどんどん潰れる訳です。)
あの頃の大学受験は熾烈を極め、受験勉強は半ば命がけというようなレベルでした。
「二浪人並」とか「三当四落」(3時間睡眠で頑張れば合格できるけど、4時間寝ている奴は落ちるという意味)などと言われました。
あのような試練を乗り越えることは、社会人として働いていくのにプラスになると思います。
おそらく理系でも文系でもどっちでも良いんだと思います。
僕は理系で、物理を教えることを仕事にしていますが、ありおりはべりいまそかりもわからないレベルです。
また、日本史や世界史の先生の中には三平方の定理も知らない先生もいます。
おそらく二次方程式の解の公式なんて、とっくの大昔に忘れ去っているでしょう。
でも、理系でも文系でも、猛烈に勉強し、試練を乗り越えた人は簡単には挫折せず、転んでもただでは起きない強さを身につけると思います。
僕には中学一年の娘がいます。
娘には豊かで有意義な人生を送って欲しいと思います。
まだ母が若かった頃に次のように言っていました。
「テレビで見たんだけれど、豊かな老後を送るために必要なものは、お金と健康と生き甲斐だって。その中で一番見つけるのが難しいのは生き甲斐だって言っていたわ。」
これは老後に限らず人生について言える事ではないかと思います。
お金があって、健康で、生き甲斐があれば、人生は豊かなのではないでしょうか?
娘が小学生だった6年間、娘に「勉強しろ!」と言ったことはありません。
それは、僕が母によって無理矢理猛勉強をさせられ、得意だった算数まで大嫌いになった苦い経験があったからです。
だから娘には勉強を強制するような事はしませんでした。
中学卒業までは、読み書きと計算が出来れば良いと思っていました。
高校生になってから本気で勉強し、大学受験を突破すればそれで良いと思っています。
高校が一流で、大学が二流の人より、高校が二流で、大学が一流の人の方が日本社会では確実に就職に有利です。
なので、大切なのは大学受験であり、高校受験はそれほどでもないと思います。
まして、中学受験はほとんど全く必要ないと思っています。
娘は高学年になって、算数がわからずに「将来はヤンキーでも構わない。」と言っていた時期もありましたが、中学に上がって塾に入ったらガラリと変わりました。
塾による生徒への意識づけが強烈で、塾の生徒たちは勉強して良い高校へ進学するのが正しいことだと刷り込まれているようです。
今では塾の授業がない日も、自習のために塾に行くようになりました。
娘には、勉強しろと言ったことはないですが、次のようには言いました。
今の日本社会には、極めて大きな男女の賃金格差があって、女の人は、女だというだけで不利な立場に立たされている。 女の人が良い給料を稼げる仕事につきたいと思ったら、男よりも勉強して、男よりも優秀にならなければならない。 勉強していい大学を出ただけでは稼げるようにはなれないと思うけど、勉強しないで高卒で働くよりは、良い大学を出て就職した方がずっと良い。 だから、勉強をすることは絶対に無駄じゃない。
娘が通っていた小学校にも優秀な子はたくさんいて、中学を受験して、渋谷幕張中学や、県立千葉中学、市川中学などに進学しました。
それに対して娘は受験もしなかったし、勉強もしてこなかったので、勉強は全然ダメだと思っているようでした。
でも、今から勉強していけば、初めの一年ぐらいはどんどん成績が上がっていって、自分よりできる子を追い越していけるんじゃないかと話しました。
実際に塾に通ってから勉強が面白くなったと言い、少しずつ成績も上がって来ているようです。
とりあえずこのまま見守っていけば良いのかなと思っています。
親バカな期待かも知れないですが、娘には僕が出た大学と同等かそれ以上の大学を出て欲しいと思います。
僕がやった程度の努力なら、娘にも出来ると思いたいです。
僕は小学生の時は、2年生の頃から母によって勉強させられるようになりました。
公文を始め、トレーングペーパーという教材で勉強をさせられました。
そのため、小学生の頃は成績は良かったです。
学校の勉強は大体100点でした。
5年生になると、「自由自在」という、小学生向けとしては恐ろしく分厚くて、恐ろしく難しい問題集を買ってきて、やらされました。
あまりの難しさに、算数が大嫌いになりました。
中学に上がると、母は数学がわからなくなり、僕は少し解放されました。
素因数分解がとても簡単で、感動したのを覚えています。
中学一年の頃は、成績がとても良かったです。
中間、期末テストは学年で450人中、いつも一桁の順位でした。
でも、二年生になった頃から勉強をするのが嫌になり、さぼるようになりました。
親の前では勉強している振りをしますが、実際はさぼっていました。
機動戦士ガンダム、伝説巨人イデオン、装甲騎兵ボトムズ、戦闘メカザブングルなどのロボットアニメに凝って、絵ばかり書いていました。
成績はガタ落ちに落ちて、高校受験は失敗しました。
船橋東高校を落ちて、日大習志野高校に進学しました。
志望校を県立千葉高校から船橋東高校まで下げたのに、それでも落ちました。
これは僕に取ってはかなり衝撃的な出来事でした。
高校に落ちた事で、それまで持っていた甘ったれたプライドが全部吹っ飛びました。
そのため高校時代は人が変わったように勉強するようになりました。
高校1年の初っ端から毎日6時間勉強をするようになりました。
成績は最初のうちは、学年で580人の真ん中ぐらいでしたが、猛勉強を始めて5ヶ月ぐらい経過した頃から数学の成績が目に見えて上がり始めました。
そして10カ月かかって学年1位まで上り詰めました。
凄い猛勉強だったと思いますが、長くは続きませんでした。
1日6時間のペースで猛烈に頑張れたのは2年間でした。
それが僕の限界でした。
3年間がんばり通す事は出来ませんでした。
大学受験で浪人し、予備校に通いましたが、それでも高校1年、2年の時ほどには勉強に集中できませんでした。
世の中には凄い人がいて、中学受験から大学受験までずっとがんばり通してしまう人もいるのはわかりますが、僕にはそんな事は出来ませんでした。
もってもせいぜい2年だと悟りました。
なので、娘には高校受験はそこそこ頑張ってちょっと良いところに入り、高校2年から猛烈に勉強して大学受験を突破して欲しいと思っています。
僕の子なので、おそらく努力は2年しか続かないだろうと思っているんです。
最後にちょっと蕎麦屋の話を
今日は柏で浪人の授業をしてから、夜は千葉で高校生の授業をしました。
千葉に着いてから食事をして、校舎に入りましたが、先週ちょっと校舎で話題になった蕎麦屋さんに入りました。
校舎の若い男性職員がその店に入って、天ぷらそばと、カツカレーを頼んだら、量が多すぎて1時間ぐらいゲロを吐きそうだったと話していたんです。
そういう話を聞くと、「だったら、僕がぺろっと食べてやろうじゃないか!」という気になってしまいます。
だめですねえ。
こんなだから太るんですよね。
で、実際にその蕎麦屋さんに入ってみました。
店はそれほど広くないですが、入り口がとても狭いので、入り口から想像したよりは広かったです。
冷房がとてもよく効いていて、大きな魚拓が壁に貼ってありました。
お客さんはみんなもう焼酎やビールを飲んで、酔っ払っています。
僕にはそれがとても懐かしい光景に見えました。
まだ時刻は午後6時ぐらいでしたが、仕事帰りのサラリーマンがビールで乾杯しています。
コロナの影響もあって、かなり長いこと飲み屋に行っていないので、こういう光景はとても久し振りでした。
お客さんはみんな僕と同等かもっと年上の方ばかりです。
つまり、全員昭和世代です。
今時こういう店がまだあるんだなと思って、感動してしまいました。
あの店に毎週通いたくなります。
一人客は僕だけで、他は三人組とか二人組ばかりでした。
お酒を飲んでいないのも僕だけだったかも知れないです。
天ぷらそばもカツカレーも確かにボリュームがありましたが、僕にしてみればちょっと多かったかなという程度の量でした。
でも確かに普通の人が食べたら凄い量に感じるだろうと思いました。
僕の体重は今、76kg台ですが、もうこれ以上増やさないようにしなければなりません。
10月に行われるはずのパワーリフティング千葉県大会には、また74kg級で出るつもりなので、そろそろ体重をセーブして行きたいところです。
体重を増やしてパワーアップしても、減量したら結局元のパワーに戻ってしまうので、体重を増やさずにパワーアップする事が重要だと思います。
仕事が終わってみんなで飲みに行くというのは絶対に楽しいと思いますが、予備校の授業時間帯は昔に比べて遅くなり、時間帯もばらばらになってしまったので、最近はそういうのは全くないです。
僕が若かった頃は、8時半には授業がすべて終わっていたので、よく仲間と飲みに行きましたが、今は授業が終わると9時半を過ぎているので、なかなかないです。
仕事帰りに蕎麦屋で食事をしながらお酒を飲んでいる人達がとてもうらやましかったです。
今回はこんなところです。
ありがとうございました。