この度、ブログを始める事にしました。
他の人々のブログを読んでいるうちに、自分もやってみたいと思うようになったからです。
大学受験で浪人していた時から日記をつけ続けていますが、ブログという形で、外部の人々向けに文章を書くと、また違った発見があるのではないかと思っています。
1 鼻炎、便秘、猫背の少年時代
昭和42年(1967年)の夏に生まれました。
同い年の有名人には、元プロボクシング世界ヘビー級チャンピオンのマイク・タイソン、元プロ野球選手の清原和博選手、桑田真澄選手、女優のジュリア・ローバーツなどがいます。
中学時代はデブの猫背でした。
腹がポコンと出っ張っているのに、猫背でした。
背も高くありません。
おまけに慢性鼻炎がひどくて、年中口で呼吸していました。
鼻で呼吸が出来たことなんて、年に数日しかありませんでした。
さらに中学校を卒業するまではひどい便秘で、便通は1ヶ月に一回ぐらいしかありませんでした。
そういう頻度なので、便はとても硬く圧縮されていて、排出するときには尻が左右に裂けるのではないかと思うほどの激痛がありました。
あの頃は生きていても楽しくなかったし、30歳をすぎても生きている自分が想像できませんでした。
ノストラダムスの大予言によれば、僕が32歳の時に人類が滅亡することになっていたので、そうなるんだろうと思っていました。
2 生まれ変わった高校時代
高校受験は大失敗し、滑り止めの私立高校に泣く泣く進学することになりました。
受験で落ちたことにより、目が覚めた感じがしました。
それまでの僕は都合が悪いことは全て他人のせいにし、無責任、自分勝手を絵に描いたような人間でした。
でも、根は暗くなかったので、友達は普通にいました。
受験で失敗してからは、何事も自分の判断で、自分の責任で行動するようになりました。
勉強もちゃんとやるようになりました。
それまでは親の足音が聞こえると勉強しているフリをするだけでしたが、高校時代の3年間は本当によく勉強したと思います。
勉強のため、高校では部活動はしていませんでした。
高校時代にハリウッドスターのシルベスター・スタローンに憧れて、体を鍛えるためにダンベルを買いました。
また、1984年の大阪国際女子マラソンでの増田明美さんの見事な復活劇を見て、大嫌い・大苦手だったランニングを始めました。
僕はこの時、増田明美という名前は知っていましたが、それ以上のことは知りませんでした。
日本の陸上長距離会に彗星の如く現れた期待の新人というぐらいしか知りませんでした。
母親がこのレースに注目していたので、一緒に見ることにしました。
聞くと増田さんはこの一年前の大阪国際女子マラソンで、レース中に倒れ、そのまま救急搬送されるというアクシデントがあったそうです。
一年振りのレースで、しかもロサンゼルスオリンピックの代表選考のレースでした。
テレビで初めて見た増田さんは、予想より遥かに小さくて驚きました。
身長は150cmぐらいでしょうか。
あんなに小さい体で、あんなに力強く走り、しかも前年に倒れた14.7km地点で手袋を投げ捨てて独走する姿を見て、自分もこのままではいけないと思いました。
僕は長距離走がとにかく嫌いで、体育の授業でグラウンドを2周走れと言われるだけで、予防接種を受けるよりも遥かに暗い気分になる中学生であり、高校生でした。
でも増田さんのレースを見て、僕も走ろうと思い立ったんです。
初めは全く走れませんでしたが、続けるうちにだんだん走れるようになりました。
高校のクロスカントリー大会は、一年生の時が360位ぐらいでしたが、二年生では43位になり、三年生では24位になりました。
そして、ランニングを始めたら、驚くことに鼻炎が治り、さらに便秘も治りました。
3 大学受験で浪人
大学受験では一年浪人し、予備校に通いました。
予備校では、それまでに会った事がなかったような頭の良い人々に出会いました。
彼らと机を並べて勉強したことは、僕の人生に一定の影響を与えたと思います。
浪人しているときに、将来予備校講師になりたいなと思ったことはありましたが、自分には無理だろうとも思いました。
4 大学生の頃にバブル景気が崩壊
大学生の時に、昭和が終わり、平成の世が始まりました。
学生時代は世の中バブル景気真っ只中でしたが、あの当時は日本の景気が良いという実感が全くなく、普通に感じていました。
バブルが崩壊してから、「ああ、あの時は景気が良かったんだなあ。」としみじみと思いました。
大学の地下にトレーニングルームがあったので、この頃からウエイトトレーニングをするようになりました。
トレーニングを続けると、猫背が治りました。
これで少年時代から僕を苦しめて来た、鼻炎、便秘、猫背が全て治ったことになります。
ちなみに無責任、自分勝手という性格は高校受験で失敗した事で治りました。(治ったと思います)
5 学生時代のアルバイト
アルバイトはいろいろやりました。
居酒屋の皿洗い、お中元の包装、騒音調査、アート引越センター、東京ディズニーランドのレストランの皿洗いなどです。
でも最も長く続き、最も熱中したのは学習塾の先生でした。
小学生、中学生に算数、数学を教えていました。あの当時は大学の勉強がまるで分からなくて壁にぶつかっていましたが、子供達と接していると心が洗われるような気がして、夢中で働きました。
また、学習塾のアルバイトはお金も良かったので、なおさらのめり込みました。
アルバイトで稼いだお金で、自動車免許を取り、自動車を買い(48回払いです)、バイクの免許を取り、バイクを買い、40インチのプロジェクションテレビ(1988年当時としては異常な大きさでした)を買い、ビデオデッキとレーザーディスクを買いました。
バイト仲間にも恵まれ、とても熱い青春時代を過ごせたと思います。
仲間とは仕事の後に、しょっちゅう犬吠埼(銚子)や館山にドライブに行きました。
車中では彼女が欲しいという話から始まって、良い授業とは何か、人生とは何かなどと、取り止めもなく話していました。
でも、アルバイトに熱中しすぎて二年も留年してしまいました。
これは本当に両親には申し訳ないと思っています。
6 空手、アームレスリング
塾のバイト仲間の影響を受けて、空手を始めました。
やってみると空手は面白くて、毎晩家の近くの公民館の駐車場で練習するようになりました。
空手の試合にはたくさん出て、銀メダル2個と銅メダル2個をもらいました。(どれも小さな試合ですが)
また、大学の友達に誘われて、一度だけアームレスリングの試合に出ました。
それまでは腕相撲で、ほぼ負けなしでしたが、この試合に出て世の中に怪力がいくらでもいるんだと思い知らされました。
7 大学を卒業して予備校講師に
大学を卒業して、予備校講師になりました。
自分には無理だとも思いましたが、どうしても挑戦したくて採用試験を受けました。
あの当時の僕はどうしてもサラリーマンにはなりたくありませんでした。
残業、転勤、通勤ラッシュ。この三つがサラリーマンになりたくない理由でした。
家は千葉でしたが、大学は飯田橋だったので、毎朝総武線で通学していました。
あの通勤ラッシュが一生続くと考えたら、絶対にサラリーマンにはなりたくないと思ったんです。
一時は飛行機のパイロットを目指そうかと思った時期もありましたが、視力が足りなくてアウトでした。
当時の基準では、各裸眼で0.8以上あり、1.0以上に矯正できることが必要条件でしたが、左の視力が0.6だったので、諦めるしかありませんでした。
予備校講師という仕事を選ぶのに、かなり迷いました。
教えることは好きでしたが、とても厳しい世界だと認識していたからです。
予備校講師の世界には終身雇用とか年功序列などという概念はなく、必要な能力を失えば、それでお払い箱になると思っていました。
実際その通りでしたが、年月の経過とともに法律が改正され、労働環境はよくなって来ています。
採用が決まって、労働契約書が送られて来たとき、契約期間が1993年3月1日から1994年2月28日までだったのを見て手が震えました。
一年でクビなのか?と思い、顔が青くなりましたが、働き振りが悪くなければ、毎年毎年契約を更新して、一年刻みで働けるという事でした。
昔は予備校講師というとハイリスク・ハイリターンな仕事というイメージがありましたが、今では違うと思います。
リスクも少なくなったけど、リターンも少なくなりました。
8 モーターボート
独身の頃はいろいろな事をしました。
船舶免許をとって、モーターボートレンタルのクラブにも入りました。
クラブは江戸川河口にありましたが、横浜ベイサイドマリーナや、八景島シーパラダイスには何度も行きました。
海ほたるにも何度か行きましたが、海ほたるには上陸できないので、ぐるりと周りを回って結局横浜に向かいます。
京浜運河もよく通りました。
また、クラブのイベントで、トローリングにも参加したことがあります。
あの時は、船の揺れが凄すぎて、沈没するんじゃないかと思いました。
小型船舶で外海に出ると、ジェットコースターを遥かに超えるすごい揺れを経験できます。(したくなかったですが)
クラブのイベントで伊豆大島までの一泊二日のクルージングにも参加しました。
また、初島への日帰りクルージングには2回参加しました。
でも、モーターボートはすぐに飽きてしまい、わずか四年でやめました。
お金もかかりますし。
9 ビリヤード
ビリヤードにも凝りました。
家の近くのビリヤード店にほぼ毎日通って、店の人から基本的な事を教わりました。
ブリッジの組み方やセンターショットのやり方などです。
ハウストーナメントにも4、5回出ましたが、ほとんど一回戦負けでした。
周りの人が強すぎて全く歯が立ちませんでした。
10 そしてパワーリフティング
結婚前に空手をやめ、2016年からパワーリフティングをしています。
ある日、それまでの半生を振り返って、いろいろなことに熱中したけど、ずっと続けて来たのはウエイトトレーニングだけだと気付きました。
僕にとって一番楽しいのは、実は筋トレなんだとこのときに悟りました。
今では自宅にバーベルを持っています。
このブログでは、主にバーベルにまつわる話を書いていきたいと思います。
よろしくお願いします。