ジムの思い出 その6(成田市体育館 後編)

成田市体育館 ジム

こんにちは、鹿野一郎です。
平成11年(1999年)6月30日に友達のPOSOと合同トレーニングを再開しました。
POSOは僕より4つ年上の男性で、中学、高校、大学とテニスをやっていた人です。
筋力をつけたいから一緒にトレーニングをしようということになり、僕も同意しました。
僕が31歳、POSOが35歳の時でした。

再び合同トレーニングを開始

僕はそれまでは千葉市のみつわ台体育館でトレーニングをしていました。
対するPOSOは6年前に一度ウエイトトレーニングを始めた事がありますが、続かずにやめてしまった経緯がありました。
何故成田でトレーニングをすることになったかというと、POSOの家が佐原で、僕の家が佐倉だったので、集まりやすいところが成田だったのです。

実はこの6年前に二人で一度だけ成田市体育館のトレーニングルームに行った事がありました。
その時がPOSOにとっての人生初のウエイトトレーニングでした。
1999年6月30日の日記には以下のように記してありました。


しばらくしてPOSOが来たので中台公園の成田市体育館に行った。
6年前に一度行ったことがあるが、当時はトレーニングマシーンが無く、フリーウエイトだけだった。
しかもプレートの数が少なく、負荷が軽すぎて不満だった。
しかし、非常に良い環境に変わっていた。
トレーニングマシーンは一通り入り、フリーウエイトのプレートも充分すぎるほど揃っている。
9時半から11時までみっちりやったが、かなりこたえた。
こんなにこたえたトレーニングは久しぶりだった。

この当時に成田市体育館の様子は「ジムの思い出 その5(成田市体育館 前編)」に書きましたので、興味がある人はそっちを見てください。
下にリンクを貼っておきます。
(興味がある人なんているのでしょうか?というより、この文章を読んでいる人がいるのでしょうか?)

当時の成田市体育館

この1999年の成田市体育館は、昔のそれとは違っていました。
まず、パワーラックが1台入っていました。
バーベルは50mm規格のオリンピックシャフトが2本ありました。
プレートも50mm規格のものが25kg2枚、20kg2枚、15kg2枚、10kg2枚、7.5kg2枚、5kg2枚、2.5kg2枚、1.25kg2枚あったと思います。


記憶で書いているので正確ではありませんが、こんな感じだったと思います。
10kg以上のプレートはラバープレートで、記憶では25kgがエンジ色、20kgが青、15kgが黄色、10kgが緑だったと思います。
7.5kg以下は全てペイントプレートで、オレンジ色でした。

ベンチプレスの台は二台あり、一つはオリンピックシャフトに対応した、ラックの幅の広い台です。
そしてもう1台は1993年の時点ですでにあった。ラックの幅がベンチの幅と同じタイプの使い難いものでした。

さらにバーベルシャフトは28mm規格の物が2本あったと思います。
ジムで28mm規格のシャフトはとても珍しいです。
普通はジムに置いてあるシャフトは50mm規格で、28mm規格のものは主に家庭用です。
僕が持っているバーベルも28mm規格です。
そして2本のシャフトのうち1本は曲がっていました。
すごい怪力がスクワットをしたんでしょうね(笑)。

28mmのシャフトがあったので、当然28mm規格のプレートもありました。
NIPPYOのペイントプレートだったと思います。
僕が大学生の頃から持っているプレートと同じメーカーです。
僕は1kg、2kg、3kg、5kg、7.5kgを持っていますが、ジムにあった一番重いプレートは15kgだったと思います。
色はエンジでした。

さらに1993年に行ったときにあった、重さを変更できない銀色のバーベル達もありました。
さすがにこの時には物置ではなく、トレーニングルームにバーベルを立てかけるラックが導入され、そこに置いてありました。

さらにはダンベルも充実していました。
プレートが全て黒のラバーで包まれたダンベルで、2kg刻みで軽いものから重いものまでありました。
これは二段のダンベルラックに置いてありました。
上の段が軽いダンベルで、下の段が重いダンベルでした。
一番重いダンベルは確か38kgだったと思います。

そしてトレーニングマシーンも充実していました。
昔あった油圧式の機材は全て無くなっていて、バタフライ、スクワット、レッグカール、レッグプレス、ベンチプレス、ラットプルなどがありました。
腹筋台も二台に増えていました。

このように機材が6年前と違ってとても充実していたので、本拠地をみつわ台体育館から成田市体育館に変えました。

成田市体育館のマッチョ軍団

1999当時の成田市体育館のトレーニングルームには、背が大きくてマッチョなおじさんの軍団がいました。
イメージでは180cm、100kgぐらいの大男のおじさん達が常に10人位いて、パワーラックは常にそのマッチョ軍団に占領されていました。
なので、スクワットはほぼ出来なかったし、ベンチプレスの台もなかなか空きませんでした。

それでもマシーンやダンベルが自由に使えたので結構トレーニングはできました。
成田市体育館では1999年から20年近くに渡ってトレーニングをしました。
この体育館では、POSOだけでなく、他に2人の友達と一緒にトレーニングをしました。
また、この体育館では多くの人と出会いました。
場所が成田なので、外国の人とも仲良くなりました。
僕たちは英語が話せなくて、その人は日本語が話せなかったので、コミュニケーションを取るのは大変でした(笑)。

トリムコースでのランニング

POSOとは、成田市体育館でトレーニングをするだけでなく、トレーニング後はランニングも一緒にしていました。
中台運動公園にはトリムコースというジョギングコースがあります。
おそらく1周3km程度だと思います。


そのトリムコースをランニングすると良くわかるんですが、成田ニュータウンはとてもよく考えられて作られています。
歩道と車道が完全に分かれていて、ニュータウン内ならばおそらくどこに行くにしても、歩行者は車道を通る事なく目的地に行かれると思います。
つまり、横断歩道を渡る事なく目的地に行けるんです。
歩道もよく考えて作られており、歩道と歩道が立体交差する徹底ぶりです。
平面交差だとジョギングをしている人同士がぶつかるからなのでしょうか。
さらに成田ニュータウンにはとても公園が多いです。
なので懸垂をする場所には困りません。
小さい子供が家から公園に遊びに行く時に、周りを見ずに走って行ったとしても、車にぶつかる心配はなくて、とても安全です。
理想的な街づくりだと思います。

急速に開発されている成田

ランニングの後は、皆で食事に行きましたが、あの当時はまだ成田のイオンショッピングセンターが出来たばかりで、空港通りの飲食店も今よりずっと少なかったです。今では国道464号線が成田空港まで届こうとしていますが、当時はそんな道路もまだありませんでした。
また、あの当時はまだ北総公団線が成田空港まで乗り入れていなかったので、成田湯川の駅もありませんでした。
当然線路もありませんでした。
街は着実に、急激に変わり続けています。

僕が成田市体育館に最後に行ったのは2019年2月1日です。
2016年頃からトレーニングの本拠地は徐々に千葉市の天台スポーツセンターに変わって行きました。
理由はいろいろあります。
仲間がそれぞれ一人でトレーニングできるようになり、別々にトレーニングをするようになったので、成田に集まるのでなく、各自が家の近くでトレーニングをするようになったこと。
うちからは成田より天台の方が近いこと。
成田にはパワーラックが1台しかないけど、天台には3台もあり(正確にはパワーラック2台とスクワット台1台)、全体的に天台の方が機材が揃っていること。
これらの理由によって、成田市体育館には行かなくなりました。

成田市体育館では2004年10月15日にそこで出会った老師からパワーリフティングの試合に誘われました。


もしあの出会いがなかったら僕がパワーリフティングを始めることはなかったかもしれません。
老師にはとても感謝しています。
僕が初めてパワーリフティングの試合に出たのは2016年の冬でしたが、その時に試合会場で老師に再会した時は、感動してしまいました。
相変わらずお元気で、見習いたいと思いました。

ありがとうございました。
内部リンク。ジムの思い出 その5(成田市体育館 前編)

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