娘が塾の入塾試験を受けます

ただの日記


こんにちは、鹿野一郎です。
今日は2022年3月2日の水曜日です。
今日はバーベルについて、書くことがないので、別のことを書かせていただきます。

今度の土曜日、6年生の娘が学習塾の入塾テストを受けます。

新中学1年生としての入塾試験です。


僕にしてみれば、いよいよか、という気分です。
僕は中学時代は3年間塾に通っていました。
とても良い塾だったと思いますが、僕自身の怠慢のため、中学3年生の1年間は成績が落ち続けました。
僕は娘が入塾テストを受けるのを喜んでいますが、妻はどうでも良いみたいです。

妻と僕の間には、学習塾に対する認識に大きなずれがあるんです。

僕の場合

僕が小学校2年生になる頃、母が勝手に公文(という算数の通信添削)の申し込みをしたようです。
ある日、学校から帰ると、公文のプリントが2枚置いてあって、「これからは、毎日これをやるのよ。これが終わってから遊びに行きなさい。」と言われました。
みると、簡単な計算問題が大きな字で、10題ぐらい書かれたプリントだったので、物の数分で終わらせて遊びに行きました。
それから毎日プリントをやることになりましたが、毎日2枚というのがかったるくなって、ある日20枚ぐらいまとめてやったことがあります。

鹿野一郎
鹿野一郎

これで9日間は休めるぞ。

と思いましたが、そのようにはならず、翌日もきっちり2枚のプリントが出てきました。
公文の問題は恐ろしく簡単だったので、どんどん先に進みました。
そして先に進むほど、難しくなっていきました。
6年生になる頃には公文の問題を解くのが苦痛になっていました。
それほどに問題が難しくなっていたように思います。

とどめを指すように、母は「自由自在」という難しくて分厚い算数の問題集を買ってきて、僕にやるように命じました。
あの問題集は分量が多すぎるし、とても問題が難しくて歯が立ちませんでした。
母も問題が解けず、解答解説を読みながら長時間唸っていました。
僕はそれで算数が大嫌いになりました。

中学に上がったら、英語の勉強をしなければならないから、少しでも先取りするために、と言うことで、土日に父が僕に英語を教えることになりました。
まだ6年生だった時の話です。
父はそんなことはしたくなかったし、僕もそんなのは嫌だったんですが、母の言いつけで決まってしまいました。
父が教えてくれる英語は、地獄でした。
当時の僕はアルファベットも読めなかったんですよ。
Aから始まることは知っていましたが、Zで終わることは知りませんでした。
テレビにSONYと書いてあっても、読むことも出来ません。
アルファベットを知らないからです。
なのに父の授業は、いきなり英文を筆記体で書いて、「日本語に訳せ!」という始まり方をしました。
筆記体なんて、見たこともないので、全く意味がわかりません。
あの時の僕にとっては、それが英語であっても、アラビア語であっても、全くわからないという点で同じでした。
僕が「わからない。」というと、父は怒鳴り始めます。

悪魔
悪魔

こんな簡単な文章も読めないのか!
お前は今まで一体、何を勉強してきたんだ!

と、すごい剣幕です。
今まで何も勉強してこなかったから、何も知らないのに、なぜそんな怒られ方をしなければならないのか、あまりにも理不尽でした。

中学に上がる時、母はまたしても勝手に塾の申し込みをしてきました。
「3月からこの塾に通うのよ。」と言って、白いカバンを渡されました。
白いカバンには塾の名前がはっきりと印刷されていました。
なかなかおしゃれなカバンでした。

「この塾はすごい先生が揃っていて、生徒もみんな優秀なのよ。」と母は言っていました。
まずは入塾テストを受けました。
その塾では学力レベルを5段階に分けていました。
上から順に、Eクラス、Dクラス、Cクラス、Bクラス、Aクラスとなっていました。

試験の結果、僕はまん中のCクラスに入りました。
そして最初の授業の日です。
まずは英語の授業でした。
英語というと、父による悪夢の授業の経験しかなかったので、僕は最初から恐れていました。
でも、塾の先生は全く違いました。
まず、アルファベットの読み方から教えてくれました。
1クラス15人ぐらいのこじんまりとした塾でしたが、僕以外は全員アルファベットを読むことができました。
でも、僕は何の劣等感も感じませんでした。
その先生の説明がとても面白くてわかりやすかったからです。
アルファベットというのはAからZまでの26の文字のことを言い、大文字と小文字があるということを初めて知りました。

僕は毎週の英語の授業がとても楽しみになりました。
アルファベットが全部覚えられたら、数字のoneからtenまでを覚えました。
それらを全部覚えたら今度は、SundayからSaturdayまでを覚えます。
父の悪夢の授業とは正反対で、とても楽しくて面白かったです。

数学の授業も面白かったです。
小学校の難しい文章題や図形問題は地獄の苦しみでしたが、中学の素因数分解は恐ろしく簡単で、数学が大好きになりました。

最初のクラス替えのテストで、僕は一番上のEクラスに上がりました。
そのクラスには確かに優秀な生徒がたくさんいて、強い刺激を受けました。

あの塾は、校舎が2つしかない小さな塾でした。
新京成線の高根公団駅と北習志野駅に校舎がありました。
どちらの校舎も土足禁止で、クツを脱いで靴下のまま中に入ります。
上履きとかスリッパはありませんでした。
黒板ではなく、ホワイトボードで、授業は1科目90分でした。
僕は英語、数学、国語の授業を受けていたので、週に3日通っていました。
家からは電車で3駅も離れていたので、塾には学校の友達はほとんどいませんでした。

塾の教材は、オリジナル教材ではなく、いわゆる業者物でした。
もちろん、当時はそんなこと分かる訳がありません。


ちょっと説明しておきましょう。
今、街中には恐ろしい数の小さな塾がありますが、ああいう塾を作る人々は、ほとんど全員だと思いますが、元々別の塾で働いていた人達です。
自分達だけでやっていきたいという思いから円満に独立する場合や、上層部に不満があって敵対的に独立する場合もあると思いますが、元々はどこかの塾で働いていた人達です。
その人達が集まって、新しく塾を作っても、テキストがなければ授業が出来ません。
なので、そういう塾向けに、出版社がいくつもの種類の塾用のテキストを用意しているんです。
新規の学習塾は大体、その業者物のテキストを使って授業をします。
もし塾が順調に成長して、自前でテキストを作れるまでに成長すれば、オリジナルテキストで授業をするようになります。

僕は学生時代から8年間学習塾のアルバイトをしていたし、友達には独立して学習塾を作った人々が何組もいるので、想像できるんですが、オリジナル教材を作れる塾というのは、かなりの規模です。
おそらく校舎を15校ぐらい持てるような規模まで成長しないと、オリジナル教材を作る体力はないんじゃないかと思います。
そして、オリジナル教材は、初めの数年は誤植の嵐です。
数年かけて修正して、ようやくちゃんとしたものになるんだと思います。


今度娘が入塾テストを受ける塾は、校舎が9つありますが、教材はオリジナルではありません。

ちょっと話がそれましたが、僕にとっては中学時代の塾は本当に楽しい場所で、熱を出して学校を休んでも、塾だけは絶対に休みませんでした。
そういえば、塾では3年連続で皆勤賞を貰いました。

だから、娘が中学に上がったら、1年生から塾に通ってほしいと思っていました。
小学生の間、僕も妻も娘に「勉強しろ」とは一言も言っていないですが、塾通いを通して勉強の面白さを知り、自然と勉強するようになってほしいと思っています。
(後で述べるように、僕は4ヶ月に渡って勉強をさせていましたが、「勉強しろ」と言ったことは一度もないです。)

妻の場合

妻は僕とはまるで逆の経験をし、まるで逆の認識を持っています。
妻に言わせれば、勉強は自発的にやるもので、親からやれと言われなくてもやるのが普通だそうです。
中間テストや期末テストは日程も試験範囲も公表されているので、あとは自分で計画的に勉強するだけで、塾に通う必要は感じなかったそうです。
でも中学3年になって、だんだん勉強が難しくなってくると、やっぱり塾で教わった方が良いのかも知れないと思うようになったそうです。
そして、自分で方々の塾のパンフレットを集めて検討し、通う塾を決めたそうです。
それから親に相談し、学費を出して下さいと頭を下げたと言います。


知らないうちに勝手に申し込みをされて、通うことになっていた僕の場合とは全く違います。

妻はしばらく塾に通いましたが、学校の授業との違いを特に感じることはできず、これなら自分でやった方がまだマシだと感じて、わずか数ヶ月で辞めたそうです。
その後、高校受験まで自分1人で勉強し、第一志望の高校に合格しました。

なので、妻の認識としては、勉強というのは自分でするものであって、塾に助けを求めるのは間違っているそうです。
塾に通うことによって安心するのは大きな間違いで、塾に通っていても、通っていなくても、結局は自分がやるか、やらないかで全てが決まるというのが妻の意見です。

妻とは随分と論争しました。
塾は学校と違って自分と同じレベルの子供たちと一緒に勉強するので、学校よりもはるかにハイペースでどんどん進んでいくし、クラス替えテストで絶対に下のクラスに落ちないように必死に勉強するので、物凄く大きな価値があると僕が主張しても、馬の耳に念仏で、聞いちゃいません。

今度娘が受ける塾は、学力でクラス編成をするだけでなく、座席まで成績順という事なので、とても厳しい塾だと思います。
そういう環境に入って、娘には発奮して欲しいです。
完全に親バカですが、僕と同じ血が流れているので、そのような環境に置かれたら、ガンガン勉強するようになるだろうと予想しています。

僕は、自分がお山の大将になってしまったら、すぐに自惚れて、努力を怠り、ダメになっていく性格です。
逆に、レベルの高い集団に所属し、自分がいつもビリという環境の方がやる気を発揮します。
褒められるより、けなされる方がやる気に火がつくタイプです。
娘がどっちなのかはわからないですが、やる気を出して欲しいです。

僕自身の反省

僕は中学2年の中頃までは成績は良かったですが、その後、天狗になり、自滅しました。
塾では一番上のEクラスにいましたが、その中でも成績がかなり上の方だったので、完全に自惚れてしまいました。

鹿野一郎
鹿野一郎

僕は天才だから、勉強しなくても千葉高(県立千葉高校)に合格するんだ。

ぐらいに思うようになってしまい、成績は坂道を転げ落ちるように下がりました。
そして高校受験の結果はひどいものでした。

千葉高を受けるはずだったのが、志望校を下げ続けて、千葉高から千葉東高校に変わり、国府台高校に変わり、船橋東高校に変わりました。
船橋東高校を受けることになった時、さすがに自分でも悔しいと思いました。
こんなはずではなかったのに、という思いしかありませんでした。

なのに、その船橋東高校にも落ちて、僕が進学したのは日大習志野高校でした。

当時の僕には2つの反省すべき点があります。

(1)成績を維持するためにも勉強は続けなければならないのだから、あんなに天狗にならず、勉 
   強を続けるべきだった。
(2)予習、復習をあまり真面目にやっていなかった。

(1)が圧倒的な反省点ですが、実は成績が良かった頃も、(2)は出来ていませんでした。
宿題はこなしていましたが、予習というのはしたことがないです。
授業はハイレベルで面白かったですが、授業が終わったらそれっきりで、完全に理解するために復習をしたことは一度もありませんでした。
やったらやりぱなしでした。
それは良くなかったと思います。
もっというならば、テキストの問題を一つ残らず自力で解けるようになろうという発想は微塵もありませんでした。
それがあれば、大分違う結果になったと思います。

娘は5年生の時に4ヶ月だけ塾に通いました

娘が5年生だった夏のある日、中学に行きたくないと言い出しました。
理由を聞くと、制服を着たくないからだそうです。
もっと詳しく聞くと、スカートを履きたくないのだそうです。
そういえば娘がスカートを履いているのは、幼稚園の制服以外では見たことがないです。
スカートを履きたくないから、中学に行きたくない。
このエネルギーはかなり大きいようでした。

調べてみたら、制服がない中学校が千葉県に一つだけありました。
千葉大学附属中学校(という国立の中学校)です。
難しいのではないかと思ったんですが、昔と違って、今の優秀な小学生は、県立千葉中学校を受けるので、千葉大学附属中学校は昔よりは簡単になっているようでした。


今から10年ちょっと前に、県立千葉高校の附属中学として、県立千葉中学校ができました。
県立千葉中学校を卒業した生徒は、エスカーター式に県立千葉高校に進学できます。
なので、優秀な子はそこを目指すようになり、千葉大附属中学校はかつてのような難関校ではなくなったようです。

娘が受験する気になって、塾に入ると言い出したので、僕は早速千葉大附属中学校の過去問を見てみました。
昔とまるで違います。
僕が学習塾でアルバイトをしていたときは、試験が3回ありました。
1次試験は算数と国語です。
2次試験はくじ引きです。
そして3次試験は国語、算数、理科、社会です。

これに合格するのは非常に難しく、よほど優秀な子でないと合格できないというのが、今から30年ほど前の僕の認識でした。


2次試験でくじ引きがあるのは不思議なことですが、国立の学校だと学力だけで受験生を選別するのが法的にまずいようです。
きちんと調べた訳ではないので、話半分に聞いて欲しいんですが、くじ引きを試験科目に入れると、運も実力のうちという事になり、学力のある生徒だけを選択的に入学させている訳ではないという理屈が成り立つんだと思います。
だからくじ引きをやっていたんだと思います。

現在は、千葉大学附属中学校の入試問題は「適性検査」という形をとっています。
昔に比べるとかなり簡単になっていると思います。
適性検査であって、学力試験ではないので、学力のある生徒だけを選択的に入学させている訳ではないという筋が通るんです。
県立千葉中学校も適性検査と称して、総合科目を試験問題にしています。
公立のところは全てそうなんだと思います。

またしても話がそれてしまったので、戻しますね。
娘は適性検査向けの勉強をすることになり、集団授業ではなく個別指導を受けることになりました。
週に1回80分です。
個別指導と言いながら、1対1ではなく、先生1人に生徒2人です。
しかも学年も科目も違う2人を同時に教えます。

僕の認識では、個別指導塾というのは、生徒が自宅で勉強して、どうしても分からないところを集中的に質問できる場だと思っていたんですが、実際はかなり違っていました。
先生は、Aさんに問題を解かせ、その間にBさんに説明し、Aさんが解き終わると、Bさんに問題を解かせるという感じで進んでいたようです。

鹿野一郎
鹿野一郎

恐ろしく時間がもったいないな。
そして、お金ももったいないな。

と思いました。
娘は塾が面白いと言って喜んで通っていましたが、こんなことでは合格は不可能だと思ったので、週に一度僕が娘の勉強を見ることにしました。
土曜日に90分です。

作文も書かせました。
適性検査の他に作文と、集団ディスカッションと、プレゼンテーションをやって合否を判定するので、作文が書けないとどうしようもないんです。
娘が書いた作文は、初めのうちは本当にめちゃくちゃでしたが、良くない点を指摘して、改善案を出し、何度か書き直しているうちに、だんだんまともの作文が書けるようになってきました。

それと並行して、僕は娘に塾のテキストの問題を解かせました。
国語、算数、理科、社会の全てのテキストの問題が、全部解けるようになれば、絶対に合格するに違いないという確信があったので、テキストをやらせました。
毎週それぞれ10ページぐらいずつ宿題を出して、娘にやらせました。
娘も、制服のない学校に行くためなので、文句を言わずに頑張って勉強しました。

塾のテキストの問題を一つ残らず出来るようにせよ!というのはとても厳しい課題ですよね。
僕自身は自分が中学生の時はそんなことは考えたことすらなかったです。
一つ残らず出来るようにする!という強い気持ちを持って勉強するようになったのは、高校に入った後でした。

5年生にそれをやらせるのは早いとは思いましたが、合格のためなので、頑張らせました。
毎週、すごい量の宿題を出しましたが、理科と社会は難なくこなし、ほぼ正解していました。
国語は、ところどころ間違えますが、小学生の頃の僕より遥かに優秀だと思いました。
算数は、苦手な分野がはっきりしていました。
まずは単位の変換が大苦手でした。
例えば420立方センチメートルは何リットルか、というような問題です。
他には時速72kmは、秒速何メートルか、というような問題も苦手でした。

あとは、百分率の問題が大苦手でしたね。
例えばこんな感じです。

商店の主人は、ある商品を4000個仕入れて、原価に3割の利益を見込んで定価をつけました。
定価で販売したところ、2500個しか売れなかたので、定価から2割引きして、残りの1500個も売り切りました。
定価の2割引で売った場合、商品1個あたりの利益は12円です。
では、4000個でいくらの利益が出たでしょうか。


これは、最後の最後までできなかった問題です。


問題を解いて、正解できなかった問題にはバツ印と日付を書き込むようにしていきました。
テキストが1巡すると、2巡目はバツ印がついている問題だけをやっていきます。
3巡し、4巡して、解けない問題が10題程度まで絞り込めた時、娘は突然、

トンボ
トンボ

やめる。

と言い出しました。

トンボ
トンボ

こんなにきつい勉強をあと1年も続けるんだったら、スカートを3年間履く方がマシだよ。

だそうです。

娘がやめると言うならば、僕や妻がやらせる訳にもいかないので、娘の勉強はそれで終わりになり、塾もやめました。

今回、娘が塾に通うことになっても、僕はノータッチで行こうと思っています。
あの時は、千葉大附属中学校に合格するという明確な目標があったので、そのための努力はして貰おうと思ったんですが、今回はそうではないので、楽しんで勉強してくれればそれで良いです。
何か質問されたら、ちゃんと答えますが、こっちから出しゃばっていくことはしないつもりです。

最近の娘の言動

娘は週に1回トランポリンを習っているんですが、中学に上がったらやめると言い出しました。
理由は、中学に上がって、部活もやって、塾通いもしたら、忙しくなるから続けられないというものでした。
ならば、実際に中学生になって、本当に続けられなくなるまではやれば良いじゃないかと話して、今はまだ続けています。

娘は今はゲーム三昧(1日2時間)の生活をしていますが、中学に上がったらゲームをやめるとも言っています。
勉強が忙しくなるからゲームは出来なくなると考えているようです。
多分、塾に入れば、ゲームより勉強の方が面白くなると思います。
別にゲームをするなとは言いませんが、自然にしなくなると思います。

娘には、これまで本当にやりたい事を自由にやらせてきました。
小学生のうちは勉強をするより、外で遊んでいる方がよっぽど良いと思っていました。
中学に上がったら、きっと生活が大きく変わるでしょう。
それが、とても楽しみです。

まずは、土曜日のテストにきっちり合格して欲しいです。
そこでいきなり不合格だったら、ずっこけてしまいます。

屋外のカッパの人形

今回は、こんなところです。
ありがとうございました。

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