リアレイズ始めました。長崎が呼んでいる。

ただの日記

こんにちは、鹿野一郎です。
今日は2022年の2月7日の月曜日です。
今日は午前中は在宅で仕事をしていました。
仕事をしながら肩のトレーニングをしました。
前にも書いた事ですが、腕とか肩のトレーニングは、スクワットやデッドリフトに比べるととても手軽に出来るし、その割に筋肉がパンプアップするのをはっきりと実感出来るので、実にお得感のあるトレーニングだと思います。

パワーリフティングの試合に出ないなら、デッドリフトとかスクワットみたいなきつい種目はやらないで、上半身ばかり鍛えるかも知れないです。
脚を鍛えるにしても、バーベルを担いでやるスクワットよりも、マシーンでやるレッグエクステンションやレッグカールの方が遥かに楽で、やっていて楽しいです。
普通に考えると、スクワットとかデッドリフトというのは、割に合わないトレーニングなのではないかと思います。

今日の肩のトレーニング

今日は自宅で以下のようなトレーニングをしました。

ショルダープレス  5/3/1プログラム仮想MAX67.5kgWEEK3
          メインセット 45kg5回、52kg3回、58kg9回
          補助セット  45kg10回5セット
アップライトロー  45kg10回5セット
リアレイズ     12kg10回5セット
サイドレイズ    19.5kg10回5セット


これらの内容を、ある大学の入試問題を解きながらやっていました。
小問を1つ解く度に1セットやることにしたんですが、見ればすぐに解ける問題もあれば、もりもり計算しないと答が出ない問題もあったので、随分とインターバルにはばらつきがありました。

ショルダープレスは58kgが結構重かったです。
あと1回挙げたかったんですが、無理でした。
補助セットの45kgはとても軽かったですが、結構短いインターバルで5セットやったので、最後の方はうめき声を出しながらやっていました。

リアレイズは今年初めてやりました。
というよりこの5年間で初めてと言っても良いぐらい久し振りです。
念のために説明すると、12kgのダンベルを2個持って、上体が水平になるぐらいまで前傾させます。
この時、2本の腕は床に垂直になっていますが、その状態から腕を左右に開いて、腕が水平になるまで持ち上げます。
これがリアレイズの動きです。

ダンベル


12kgでやってみましたが、重さは調度良かったと思います。
やってみて、どこに効いているのか今一つわからないんですが、これは肩の後方を鍛える種目だと聞いています。

肩を鍛える時は、前、横、後に分けて鍛える必要があると聞いた事があります。
ショルダープレス、フロントレイズは肩の前を鍛える種目で、サイドレイズは横、リアレイズは後を鍛える種目だったと思います。
リアレイズは今一つ好きになれないので、これまではサボっていましたが、今年からやる事にしました。

最後のサイドレイズは、とても重かったです。
ジムの20kgのダンベルより、僕の19.5kgのダンベル(左5kg2枚、右7.5kg1枚、バー2kg)の方が重く感じました。
今日はこのサイドレイズが一番きつかったです。

これらのトレーニングをしながら、計算用紙を23枚も使ってしまいました。
変な勘違いや、思い違いのために無駄な計算を随分してしまいました。
要領良くやれば、もっと節約出来たと思います。

肩のトレーニングで目指すのは、肩を大きくする事です。
重たいバーベルを挙げられるようになる事より、肩を大きくしたいです。
他に腕も太くしたいし、胸板も厚くしたいです。
ウエストは細く絞り上げたいです。
でも、別に脚はどうでも良いです。
脚を太くしたいとかデカくしたいという願望はありません。
それよりスクワットで200kgぐらい挙げられるようになりたいです。
デッドリフトもそうです。
背中はデカくしたいですが、そのためにデッドリフトをしている訳じゃなくて、出来れば230kgとか250kgぐらいのバーベルを挙げられる様になりたいです。

ふと、長崎に行きたいと思いました。

僕はこれまでに長崎に5回行った事があります。
長崎市街には3回、ハウステンボスには2回行きました。

僕は高校の修学旅行で長崎、阿蘇山などに行きました。
1984年の事です。
当時はグラバー園が何なのかも知らないで、仲間でなだれ込みました。
ただの家じゃないかよ!と思ったのを覚えています。
その修学旅行では、原子爆弾の爆心地や新地中華街などが強く印象に残りました。

1993年、大学を卒業する時に、学習塾のバイト仲間に佐とっちと2人で車で長崎まで行きました。
そのときに街を歩いていて、偶然出島を発見しました。
まさか今(1993年当時)でも出島が残っているとは思っていなかったので、とても感激しました。
周囲を全て埋めたててあり、街中にあるんですが、それは間違いなく出島だとわかります。
この1993年当時は、ハウステンボスが出来たばかりで、まだ海のものとも山のものともわかりませんでした。

1993年のハウステンボスです。

1994年には僕はすでに予備校講師になっていましたが、学習塾のバイト仲間のスガ、よしのり君と3人で車で長崎まで行きました。
この時、初めてハウステンボスに入りました。

1997年には1人で行きました。
初めて予備校のテキストの仕事を頼まれたので、長崎で原稿を書く事にしたんです。
自宅にこもってパソコンで原稿を書くのは精神的に耐えられないと思ったので、長崎まで行って、そこで執筆しようと思いました。
3泊4日の日程で行きましたが、初日にノートパソコン(AppleのPowerBook190CS)がクラッシュしてしまって、結局何も出来なかったのでした。

翌年の1998年には職場の仲間(予備校講師)と3人で、フェリーと車で長崎市街とハウステンボスに行きました。
この時に初めて長崎の原爆資料館に入りました。

そして2002年には両親とハウステンボスに旅行に行きました。この時は長崎の市街地には行っていません。
さすがにこの時は両親が一緒なので、飛行機で行きました。

今回僕が行きたいと思っているのは、長崎市街であってハウステンボスではありません。
1人で行きたいと思っています。
昨日、買い物をしている時に、妻に、「1人で3泊4日で長崎に行きたい」と告げたところ、困惑の色を見せましたが、強くは反対しませんでした。
今までだったら、まるで条件反射のように僕の提案はことごとく却下されて来ましたが、今回はそうではなかったです。

結婚してからずっと、1人で旅行に行くなんて、考えた事もありません。
子供が生まれてからはなおさら、旅行に行くなら家族3人一緒というのが不動の前提条件でした。

でも、娘も来月には小学校を卒業するし、もう家族旅行には行かないと言っています。
娘を1人残して妻と2人で旅行に行く訳にも行かないし、そうなると1人で行くという選択肢しか残らないんです。

原爆殉難教え子と教師の像です。

恐ろしく自由だった独身時代

僕は1993年に予備校講師になりました。
もうすぐ30年目が始まります。
予備校講師という仕事は、2月、3月がとても暇で、ほとんど仕事がありません。
僕が最初に勤めた予備校では、毎年この2月、3月に27連休がありました。
そこでしっかりと精神的な疲れを取って、新年度に備えたものですが、今から思えば独身時代は本当に自由でした。
27連休もあれば、世界一周旅行にだって行けたでしょう。
僕は若い頃は、好んで長崎、高知に行っていました。
高知に行った回数は調べないとわかりませんが、おそらく4回ぐらいは行っていると思います。

1997年から2007年に結婚するまでは一人暮らしをしていたので、本当に恐ろしく自由でした。
今は、朝6時に起きて娘のために朝ご飯を作らなければならないし、それが終ったら洗濯物を干して、そして愛犬の散歩に行きます。
休みの日は朝と夕方に愛犬の散歩に行きます。
そして夜になるとお風呂を掃除して沸かします。
夕飯は妻が作ってくれますが、洗い物は僕がやります。

でも、独身時代は何もする必要がなく、本当に自由でした。
友達の家に電話をして、「今から長崎に行こう!」「いいよ!」というだけで長崎に出発してしまっていました。
ホテルもとらずに、お金だけを持って車を走らせました。

初めて長崎を目指した時は、途中で道を間違えて、瀬戸大橋を渡ってしまいました。
吹田ジャンクションで道を間違えて、一般道に降りてしまい、もう一度高速道路に乗ったら、瀬戸大橋を渡ってしまいました。
松山についた僕たちは途方に暮れましたが、松山からフェリーで小倉に上陸出来る事を知り、そのルートで九州に上陸しました。
まだ、スマートフォンはおろか、ガラケーも、インターネットも、ナビゲーションシステムもなかった時代です。
すべて紙の地図から情報を得ました。

若い頃の僕は、旅行といえば車でした。
車中泊も何度もしました。
北は青森から南は鹿児島までマイカーで行きました。
一番きつかった運転は、宮崎から千葉まで23時間連続で運転した事でした。

良く、こういう車中泊をしていました。

消えた正月旅行

毎年、正月は旅行に行っていたんですが、今年はどこにも行きませんでした。
それは娘が、もう家族旅行には行かないと言い出したからです。
親と旅行に行っても、景色を見るだけで面白くないから行かないんだそうです。
でも、そろそろそういう年頃なんだと思います。
僕も中学生や高校生の時は、家族旅行には行っていませんでした。
女の子は男子より精神的にませているので、そういう時期も早めに来るんだと思っています。

なので、僕は言いました。

鹿野一郎
鹿野一郎

家族旅行がないなら、僕は1人ででも旅行に行くよ。

そして妻の返事はこうです。

妻

そんなのダメよ。
それじゃ、私がトンボ(娘)と2人っきりになっちゃうじゃない!
正月休みじゃなくて、2月、3月の暇な時に行ってきてよ。

つまり、娘が学校に行く時期に旅行に行って欲しいという事です。
こういういきさつがあって、3泊4日で長崎に行きたいと妻に言ったんですが、難色を示しています。

妻

そんなに遠くまで行くなんて考えてなかった。
近場の温泉に1泊とかじゃ、ダメなの?

それもわかるんですが、僕は温泉には特に興味ないので、行くならばやっぱり長崎か高知です。

一応、娘にも振ってみます

今度、娘にハウステンボスのホームページを見せてみます。
それで行きたいと言えば、3人でハウステンボスに行く事になると思います。
その場合は飛行機で行き、長崎市街には寄らない事になるでしょう。
本当は新幹線と特急かもめで長崎市街に行きたいんですが、もし娘が行くと言ったら、卒業後に3人でハウステンボスに行く事になると思います。

ハウステンボスは、初めて行った時は殺風景な所で、やたらと物価が高くて、お金に羽が生えて飛んで行く感じでしたが、あそこは行くたびに良くなって行きますね。
2002年に両親と行った時は、ホテルヨーロッパに泊まったんですが、母はとても喜んでいました。
ベッドのマットレスの硬さが調度良くて良く眠れたとか、シャワーの強さが調度良くて気持ちよかったと言っていました。
そして料理がとても美味しかったです。
今、ハウステンボスのホームページを見ると、あの時よりもさらに良くなっているようなので、確かにまた行ってみたいと思います。

結婚し、子供が出来てから、2月3月にどれだけ休みがあっても、行動は3人一緒が鋼鉄のルールでした。
なので、1人で旅行に行くなど考えた事もありませんでした。
でも、娘が小学校を卒業し、中学生になったら、今後は1人旅も出来るようになるでしょう。
そういう、新しい時代に入りつつあるんだと思います。

1997年に長崎に行った時に乗った新幹線です。時代を感じますね。

明日の予定

明日はジムに行ってばりばりに鍛えようと思っています。
ベンチプレスは右肩の痛みが引くまで休むつもりです。
なので、明日はスクワットと懸垂に燃えるつもりです。
あと、確定申告の作業もしようと思っています。
妻はそろそろ愛犬のシャンプーに行きたいそうです。

今回はこんなところです。
ありがとうございました。

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