2005年ベンチプレス千葉県大会の思い出

パワーリフティング

こんにちは。鹿野一郎です。
平成17年(2005年)12月4日に、38歳で初めてベンチプレスの試合に出ました。
ベンチプレス千葉県大会です。
いきなり千葉県大会ですが、これは選手登録さえすれば誰でも参加できる試合で、予選のようなものを勝ち上がる必要はありません。
今回はこの話をしたいと思います。

老師に誘われて試合に出る事に

これまで試合といえば、アームレスリングの試合(1回)、空手の試合(多分9回)、ビリヤードのハウストーナメント(4、5回ぐらい)、マラソン大会(フル4回、ハーフ3回)などに出てきましたが、初めてベンチプレスの試合に出ました。
成田市体育館のトレーニングルームで知り合った老師から誘われて、試合に出ることになりました。

この当時は成田市体育館のトレーニングルームで友達と一緒にトレーニングをしていたんですが、老師もそこでトレーニングをしていました。
老師は2021年現在で81歳なので、この2005年当時は65歳だった事になります。
老師は小柄な人で、身長は160cmもなかったと思います。
僕も低いんですが。


老師のことは前から凄いおじいさんだと思っていました。
例えば130kgのバーベルを両手で腰のあたりに持って、そのまま体を左右にひねる運動をしていました。
おそらくあれはトレーニングではなく、ストレッチだったんだろうと思いますが、バーベルの重さが130kgですから、常人ではないです。
挨拶ぐらいはしていましたが、老師が初めて声をかけてくれたのは、僕がスクワットをしている時でした。

少し話が戻りますが、あるとき僕は原因不明の左腕の怪我をし、全く力が入らなくなりました。
左腕から首筋まで強い痺れが出て、ベンチプレスは60kgしか挙げられなくなってしまいました。
左の大胸筋も大きくえぐれたように、凹んでしまいました。
あの当時はこの世の終わりというぐらい落ち込みました。
二つの病院を回りましたが、加齢による筋力低下という結論にされてしまい、救いにはなりませんでした。


放っておけばいずれ治ると自分に言い聞かせ、ベンチプレスができるようになるまではスクワットに専念する事にしました。
それまでスクワットなどほとんどやったことがなかったので、最初の頃は100kgのバーベルでも重かったですが、やればやるほどどんどん力がついて行きました。

一年ほどが過ぎたある日、220kgのバーベルを担いでスクワットしていたら、老師が近づいてきて、初めて言葉をかけてくれました。


最初は僕の脚力を褒めてくれましたが、バーベルの担ぎ方も教えてくれました。
僕はその当時は、何の疑問ももたずにバーベルは首で担いでいましたが、そんなやり方では首を怪我してしまうと言われ、背中で担ぐことを教えてくれました。
やってみると確かにその方がずっと楽でした。
首で担ぐ時は、首が痛いので、バーベルシャフトにパットをつけていましたが、背中で担ぐようになるとパットは必要なくなりました。
老師がいうには、そもそも試合ではパットは使えないんだそうです。
何の試合ですか?と尋ね、そこで初めて「パワーリフティング」という競技を知りました。

パワーリフティングは、スクワット、ベンチプレス、デッドリフトの三種目の合計重量で順位を争う競技です。


パワーリフティングでは、スクワットのしゃがむ深さについて規定があり、しゃがみ切った時に股関節の付け根が膝よりも低い位置にあり、大腿部が明確に下り勾配になっていなければならないんです。
その方法でスクワットをやってみたら220kgなんて挙がるはずがなく、140kgが精一杯でした(汗)。
この時から僕はスクワットは毎回、きっちりしゃがんでやるようになりました。
そして、さらに月日が流れ、きっちりしゃがんで180kgまで挙げられるようになりました。
おそらくスクワットを始めてから2年ぐらい経過していたと思います。
そしてこの頃には、左腕の痛みと筋力の低下が治っていて普通にベンチプレスを出来るようになっていました。


老師は僕に、一緒に試合に出ようと誘ってくれました。
最初は驚き、自分には無理だと思いました。
でも、千葉県大会は選手登録さえすれば誰でも出られる試合だと聞かされて、出る事にしました。
空手の試合などは、空手の道場に通っていないと、普通は出られないですよね。
だからパワーリフティングも、どこかの組織に所属してバリバリに鍛えている人しか出られないと思っていたんです。
選手登録さえすれば誰でも出られるというのは驚きました。

では選手登録をするにはどうしたら良いのか。
それは手続きをしてお金を払うだけです。
選手登録をするための資格とか、実績というようなものはありません。
誰でも手続きをすれば選手として登録され、選手登録さえしていれば、試合に出られるんです。
パワーリフティングの試合に出るつもりでしたが、日程の都合上、ベンチプレスの試合に出る事になりました。

検量とコスチュームチェック

試合当日、僕は一人で会場である、市原の武道館に行きました。
この武道館には空手の試合で何度か来た事があったので、知っていました。
とても久し振りの武道場でした。
この武道場は2021年4月現在では、市原ゼットエー武道場と呼ばれていますが、この当時はまだそういう名前ではなかったと思います。
当時の名前は覚えていません。

会場の市原の武道場です

この日、老師は都合が悪くて出場されませんでした。


なので、僕は一人で試合会場に行きました。本当は一緒に来て貰いたかったです、誘った本人が来ないとはどうなんだ?という思いもありましたし、なんと言っても誰も知り合いがいないので、とても心細かったです。

まずは検量です。


僕がエントリーしたのは82.5kg級でした。
体重が82.5kgを少しでも超えたら失格です。
僕はその当時は、普段の体重が83kgから84kgぐらいありました。
でも特に減量はせず、前日の晩ご飯と当日の朝ごはんを抜けば、検量はパスできるだろうと思っていました。


そして、81.70kgでパスしました。

その次はコスチュームチェックです。
ここで問題が発生しました。
僕は普段のトレーニングと同じ格好で試合会場に行きました。
Tシャツと短パンです。
この短パンが問題になったんです。


ベンチプレスの試合では、ベンチから尻がわずかでも離れたら失格になります。
なので、尻がベンチから離れたか、離れていないかがはっきりわかるように、履き物はしっかりと尻に密着するものでなければいけなかったんです。
僕はそんなことも知らなかったので、困ってしまいました。
でも、もっと困ったのは運営の方々だったと思います(笑)。

厳密にルールを運用すれば、僕は失格です。
でも、初めての参加だったので、絶対に尻をベンチから離さないという約束で出場を認めてくれました。
ありがたい温情です。


試合に出るならば、事前にちゃんと調べていかなければいけませんね。
でも、この時の僕には、尻がベンチから離れるという事の意味が全くわかりませんでした。
当時は知識がなく、ブリッジも組んでいなかったし、脚には全く力を入れず、完全に脱力していたいので、尻がベンチから離れるなんていうことはあり得なかったんです。なので、注意される事の意味が全くわかりませんでした。
わからなくても、試合に出るために、「わかりました。」とうなずくしかなかったんです。

その時は空手の道場に通っていて、空手の試合には何度も出ていました。
試合には道場単位で出るので、初めての人には師範や周りの人々がいろいろ教えてくれます。
でもベンチプレスには道場というものはないし、僕は個人参加で一人で行ったので、知識が全くなかったんです。
ベンチプレスにあんなに多くのルールがあるとはその時まで全く知りませんでした。

試合開始

試合は体重別に階級に分かれて行います。
当時と今では体重の区分が違いますが、僕は82.5kg級に出場しました。
選手は全部で6人です。
当時の階級区分は覚えていませんが、2021年現在は、男子の階級は、59kg級、66kg級、74kg級、83kg級、93kg級、105kg級、120kg級、120kg超級の8階級があります。女子には5つの階級があります。
男子82.5kg級は6人でも、試合に出た選手は全部で50人ぐらいいたような気がします。
新日鐵とか川崎製鐵にボディービルのクラブがあるようで、そこに所属している人が多かったような気がします。

試合では、試技を3回やります。
自分で重量を申告して、その重量を挙げます。
挙がればOKではなく、主審と二人の副審が成功と認めないと失格になります。
最もよくあるのはベンチから尻が離れてしまうという失敗です。
他にもいろいろありました。

バーベルは係員の方がセットしてくれるので、選手はただバーベルを持ち上げるだけで良いです。
これは普段のトレーニングと違って楽です。

競技用のプレートです

試合会場のバーベルのプレートは普段見ているものとは違いました。


普段使っているプレートはラバープレートで、表面がラバーコーティングしてあり、しかもプレートに穴が開いていて持ちやすい形になっています。
でも試合のプレートはコーティングがされてなくて、穴も開いていません。
厚さが均等なただの円盤みたいなものでした。
そうする方が同じ重さでも薄く出来るから、そうなっているんです。


僕は違いますが、試合会場には恐ろしい怪力が集まるので、200kgとか300kgなんていうバーベルを組む必要もあるんです。
そういう時にジムで良く見るような穴あきのラバープレートでは、バーベルにハマりきらないんですよ。
なので試合のプレートはとにかく薄く作ってあります。

話を進めます。
第一試技は100kgで臨むことにしました。
調子が良ければ120kgぐらいは挙がりましたが、初めての試合なので、軽めの重量にしました。
事前にルールの説明があったんですが、ジムでのベンチプレスとは大分様子が違いました。
当時、僕はベンチプレスでブリッジを組んで、ベンチから尻を浮かすなんてことはしていませんでしたが、確かにそれをやるとより重いバーベルが上がるようになります。でもこれは失格になります。

僕は普段ベンチプレスをする時は、バーベルを胸に勢いよく落として、その反動を使って押し上げていました。
でも、これも失格になるという事を、説明を聞いて初めて知りました。
バーベルを胸でバウンドさせると、より重たいバーベルを挙げられるようになりますが、これも失格になります。
それどころか、バーベルをゆっくりおろして、シャフトが胸に触れたら、しばらく静止させてから押し上げなければならないという説明でした。
この「しばらく」というのが実にわかりにくかったですが、おそらく0.5秒ぐらいでしょうか。
それまでそんなベンチプレスをしたことはなかったので、120kgに挑戦したら挙げられないと思いました。


だから様子見のために100kgから入る事にしたんです。

僕は82.5kg級のトップバッターでした。
重量申請が今回級で一番軽かったから、僕から始まるんです。
100kgのバーベルは軽かったので、簡単に挙がりました。でも胸の上でバーベルを止める時間が短かったという事で失格になりました。
補助についてくれた係員が申し訳なさそうにそのように説明してくれました。
自分では十分に長時間止めていたつもりでしたが、はたから見ると違ったようです。

これは2005年当時の話で、2021年の今とはルールが違います。
当時は、ベンチに寝て、バーベルをラックから外した後、主審の「スタート」の合図でバーベルを下ろし、胸に微かの時間接触させてから押し上げれば良かったんです。そして「ラック」の合図がかかってからバーベルをラックに戻すというルールでした。
でも今は違います。


「スタート」の合図でバーベルを下ろし胸に接触させたら、主審が「プレス」というまで待ちます。
およそ1秒の時間があります。
合図がかかったらバーベルを押し上げ、「ラック」の合図でバーベルをラックに戻します。
当然、昔のルールより今のルールの方が厳しいので、ルールが改正されたときは、選手の皆さんはほぼ全員記録が悪くなったんではないかと思います。

話を戻します。
選手席に戻るとまわりのマッチョたち(キングコングのようなマッチョたち)が、いろいろ励ましてくれました。
僕の階級は僕が先頭で最後が日本記録に挑戦する逆三角形の超マッチョでした。
試技は申告重量の軽い人から順にやっていくので、こうなるんです。
最後の人は見事に203kgを挙げて日本記録のタイ記録を樹立しました。
会場は拍手に包まれました。

そして第二試技。
その人の次が第二試技の先頭バッターの僕でした。
日本タイ記録の次が初出場の僕というのは、とても嫌でした。
僕はウエイトを110kgにあげて臨みました。
100kgが思いのほか軽かったからです。
「スタート」の合図がかかり、今度は胸の上でじっくりとバーベルを止めましたが、止める時間が長すぎました。
止める時間が長いと、バーベルは一気に重くなったように感じます。
普段は軽い110kgのバーベルが、ものすごく重かったですが、全身の力を込めてなんとか押し切りました。
安心した僕はそれをラックに戻そうとしましたが、周りから「まだまだ!合図を待て!」という声がかかりました。
まだ「ラック」の合図はかかっていませんでした。


わかっていたはずなのに、110kgが予想以上に重かったため、押し切った満足感から、完全に忘れていました。

結局踏みとどまってラックには置きませんでしたが、バーベルがラックにカチンと触れてしまったため、また失格となりました。
係員が申し訳なさそうに「ラックに触れていなければ今のはばっちりでしたよ。」と声をかけてくれました。
選手席に戻るとほとんどのキングコングマッチョが「どんまい、どんまい」「俺も昔やった事があるよ。」「集中しろよ!」
「合図、下げる、止める、あげる、合図、戻す、だぞ。」と声をかけてくれました。
普段、ジムでトレーニングをしている時は、「俺って、ベンチプレス強いぜ!」と思っていましたが、試合会場に来るとまるで迷子の子猫です。
自分の弱さがとても目立ちます。

第二試技ではさっき日本タイ記録を作った逆三角形超マッチョが、今度は日本新記録を更新しました。
会場は割れんばかりの拍手に包まれました。
でも何kgを挙げたのかは覚えていません。
2021年4月現在、ベンチプレスの男子83kg級の日本記録は222.5kgです。
おそらくこの2005年の記録も破られ、またその記録も破られ、何度も更新されて、今の記録になったんでしょう。
そしてこれからも記録は伸びていくんだと思います。

そして次が僕の番です。
第三者試技も110kgで挑戦する事にしました。120kgは無理だと判断しました。
日本新記録の後が、二回失敗している新人の僕です。
かなりプレッシャーがかかりましたが、観客席からは「頑張れ新人!」などの声がかかりました。
みんな今日会ったばかりの人達なのに、とても親切でありがたかったです。
僕は気合いを入れて深呼吸をし、マッチョ達の指示を聞いていました。
するとなんと主審が席を立って僕のところまで歩いて来て「いいか、落ち着け。さっきみたいに長い時間止める事はないんだ。1呼吸で良いんだぞ。
挙げた後もちゃんと合図を聞くんだ。それと尻を浮かすんじゃないぞ。」と注意しくれました。
僕は驚き、うなずくしかなかったですが、本当にうれしかたです。

僕は気合いを入れて直して試技台に立ち、審判、係員に頭を下げてから試技に入りました。
合図の後、ゆっくりとバーベルを胸におろし、長過ぎず短すぎないくらいのタイミングを置いて押し上げました。
バーベルはやっぱり重かったですが、なんとかゆっくり上がって行きました。
四方八方から「行け!行け!」「あげろ、あげろ!」という声が聞こえ、ちゃんとあげた後は「合図があってから!合図があってから」という叫び声に変わりました。
「ラック!」の合図の後でバーベルを戻して、起き上がって判定版を見ると白が3つついていました。成功です!
さっきまで2回連続赤3つだったので嬉しかったです。
会場からは日本新記録の時と同じくらいの拍手がわき起こりました。(まったく恐縮です。)
僕は会場の客席と審判、係員と最後に主審に深々と挨拶をして退場しました。

一人で初めて試合に出て、何もわからずに失敗を重ねましたが、周りの人々がサポートしてくれて普段以上の力が出ました。
良くスポーツ選手がインタビューで「みなさんの応援が力になりました。」と言いますが、あれは本当なんだと思いました。
結果は110kgで、82.5kg級で6人中6位でした。
この時にもらった記録賞は今でも家にあります。
この日はいろいろな意味で楽しかったです。
周りの人々が本当にすごいマッチョばかりなので、はじめは近寄り難かったですが、とても親切で優しい方々でした。
また、世の中には恐ろしい怪力がいくらでもいるんだと思い知らされました。

試合の後、運営の人が一人声をかけてくれました。
「あなたのことは(老師)さんから聞いています。今日はお疲れ様でした。また試合に来てください。」
僕は「はい」と答えましたが、ベンチプレスの試合に出たのはこのとき限りで、パワーリフティングの試合に出るのは、この11年後になってしまいました。
この時声をかけて下さった方は、2021年現在は千葉県パワーリフティング協会の会長をされています。

初めて見たブリッジ

話が前後しますが、ブリッジの話をさせて下さい。
試合は体重の軽い階級から始まります。
なので、一番最初に行われた階級は女子の一番軽い階級(2021年現在だったら47kg級)でした。
僕は客席から見ていたんですが、なんと最初の選手は白いレオタードを着ていました。
その時は本当に驚きました。
あの人は普段からあの格好で筋トレをしているのだろうか、と思いました。
後にも先にも、レオタード姿でベンチプレス、パワーリフティングの試合に出る人を見たのはその時だけでした。


そしてさらに驚いた事に、その人はベンチに寝るのではなく、お尻でちょこんと座ったと思ったら、上体を思い切り反らせて、バーベルシャフトをつかもうとしました。
一体何をやっているんだ、あの人は?
新体操でも始めるつもりだろうか、と思いました。
それは、ブリッジを組むための予備動作だったんですが、当時の僕はベンチプレスでブリッジを組むなんていう事も知らなかったので、本当に驚きました。
試合会場でも、ベンチから尻を浮かさないようにと何度も注意されましたが、どうやったら尻がベンチから離れるのか理解出来ませんでした。
でも、あれだけエビ反りになって、脚で踏ん張ってバーベルを持ち上げれば、尻がベンチから離れることもあるだろうなと、学びました。
ブリッジは軽量級の人ほどアーチがしっかりしていて、見ていて面白かったです。
体が柔らかい人が多かったと思いますが、記録を伸ばすために柔軟運動も頑張っているのでしょう。
あんなにしっかりブリッジを組むのも、普段のジムではまず見ない光景でした。

楽しかったけど、地味な楽しさ

この2005年当時、僕にとって試合といえば空手の試合でした。
空手の試合では、息が続く限り打撃戦を繰り広げ、試合後は胸は腹にアザがいくつも出来ました。
下段蹴りを喰らいすぎて、脚を引きずって帰ることもありました。
空手の試合はとにかく楽しくて、持てる限りのエネルギーを炸裂させていましたが、それと比べるとベンチプレスの試合は地味でした。
帰り道でも、「楽しかったけど、空手の方がずっと面白いな」と思いました。
その後、39歳まで空手をやっていましたが、結婚を期に辞めました。
やがて子供が生まれて、赤ちゃんの世話に追われるようになりましたが、子供が小学校に上がった頃、また何かの試合に出たいという意欲がむくむくと湧き上がってきました。そしてパワーリフティングの試合に出ることにしたんです。
今はパワーリフティングが何よりも楽しいです。

当日の日記から

当日の日記に次のような事が書いてありました。

(試合は)本格的に競技をしている訳ではないから、「参加することに意義がある」という感じだった。
次は、もっと脂肪を減らして下の階級で出たい。
来年はこの下の75kg級で出られるようにする。
試合会場では待ち時間の方が圧倒的に多いと思ったから、溜まっている新聞を持って行ったが、読んでいる時間はなかった。
(中略)
今日はとても良い経験ができた。
ベンチプレスの試合はマラソン大会よりも人とのつながりがあって楽しかった。
でも僕にとって本当に楽しいのは空手の試合だ。
なんとかもう一回空手の試合に出たいものだ。


この当時の僕は、この後パワーリフティングをこんなに好きになるとは思っていなかったようです。

ありがとうございました。

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