老師からパワーリフティングに誘われた日の話

パワーリフティング

こんにちは。鹿野一郎です。
2004年10月15日、成田市体育館で友達とトレーニングをしていたら、老師からパワーリフティングの試合に出ないかと誘われました。
実際には僕はこの翌年にベンチプレス千葉県大会に出場し、パワーリフティングの試合に出るのは12年後の2016年になるんですが、この日、僕はパワーリフティングという競技を初めて知ったのです。

1 老師に誘われた日

老師は2004年時点では、おそらく64歳だったと思われます。
おそらく身長は160cmもない、小柄な方です。
同じ場所でトレーニングをしていたので顔見知りでしたが、その老師から試合に出ないかと誘われたんです。
この日の日記に次のような記述がありました。


今日体育館でインストラクターのボランティアをしているおじいさんからパワーリフティングの試合に誘われた。
そのおじいさんはスクワットは150kgを持ち上げるパワーの持ち主だ。
試合の要項などを見せてもらってルールの説明などをしてもらった。
なかなか面白そうだった。
ベンチプレス、スクワット、デッドリフトの合計で競うそうなのだが、千葉県大会は誰でも出場出来て、ベンチプレス60kgくらいの人も出て来るそうだ。
ちなみに全日本標準記録が660kgで全関東標準記録が470kgだそうだ。
それは40歳以下の82.5kg級の場合だ。
470kgという事はベンチプレス130kg、スクワット170kg、デッドリフト170kgで何とかなる。
それが全関東の標準記録ならば千葉県大会ではそこそこ上位に行けるのではないか?結構楽しみになって来た。
デッドリフトは普段全くやらないが、100kgで10回3セットをやった事はあるし、記憶に間違いがなければ170kgを上げた事もあるように思う。
ちゃんと練習すれば結構行けるだろう。
ただ、スクワットは腰の骨が膝より下がるまでしゃがまないといけないそうなので普段やっている200kgのような負荷では無理だ。
完全にしゃがみ込むスクワットは140kgでやった事があるが、どこまで出来るのかはわからない。たぶん170kgならなんとかなると思う。
試合は来年の5月だそうだからそれまで気合いを入れて頑張る事にする。



今読み返すと恥ずかしくなってしまいます。
なんとも向こう見ずな思い上がりです。
まずベンチプレスで130kgなんて、今まで一度も挙げたことがありません。
僕のベストは試合では110kg、プライベートでもせいぜい120kgです。
それとデッドリフトの170kgも当時の僕には不可能な重さで、あの当時は150kgが限界でした。
ただし、スクワットだけは、本当にそのぐらいの強さがありました。
老師は僕のスクワットを見て、誘ってくれたそうです。
本当は自分ではベンチプレスが強いつもりだったんですが、その後の人生で、僕はベンチプレスがとても弱いことを学びました。

2 標準記録と階級

上記の日記には「40歳以下の82.5kg級」と書いてありますが、40歳以下というのは一般部のことです。
40歳代はマスターズ1になり、50歳代はマスターズ2になります。
今はパワーリフティングの階級は男子の場合は軽い方から59kg級、66kg級、74kg級、83kg級、93kg級、105kg級、120kg級、120kg超級ですが、2004年当時には82.5kg級という階級があったんですね。知りませんでした。

成田市体育館のホールです

上記の日記には標準記録という言葉が出て来ますが、それはその記録を超えていればその大会に出場する資格があるという意味です。
パワーリフティングは競技人口が少ないので、地方大会で優勝しなくて、試合の日からさかのぼって一年以内に標準記録を超えていれば全国大会に出られます。

3 ノーギアとフルギア

日記には「全関東標準記録が470kg」と書いてありますが、これはおそらくフルギアの標準記録だと思います。
パワーリフティングにはノーギアとフルギアがあり、競技人口はノーギアの方が圧倒的に多いです。
僕もノーギアの試合にしか出た事がありません。
簡単にいうと、ノーギアというのは自分の力だけで戦う試合で、フルギアというのはギアの補助を受けて戦う試合という感じです。

このため、フルギアの試合ではノーギアの試合より結果が良くなります。
例えば74kg級男子の日本記録で比較すると、以下のようになります。

ノーギア SQ282.5kg、BP211.5kg、305.0kg、トータル745kg
フルギア SQ320.5kg、BP250.0kg、DL305.0kg、トータル822.5kg

SQはスクワットで、BPはベンチプレス、DLはデッドリフトです。
トータルは、トータルでの日本記録のことなので、上の表のSQ、BP、DLを足した値とは同じになりません。
見てわかる通り、ノーギアとフルギアでは、およそ80kgも記録に差があるんですね。

ノーギアの関東大会の基準記録は調べてもわかりませんでしたが、470kgよりずっと低いと思います。
僕は2017年11月に関東大会に出場しましたが、標準記録が470kgだったら、出場できていませんでした(笑)。
でも出られたんだから、もっと遥かに低かったと思います。
予想では350kgぐらいではないかと思います。

今(2021年6月時点)の全日本パワーリフティング選手権の標準記録は、83kg級男子一般部は660kgで当時と変わりません。
全日本パワーリフティング選手権はフルギアの試合です。
これに対してノーギアの全国大会はジャパンクラシックパワーリフティング選手権と言います。
この試合の標準記録は、83kg級男子一般部は620kgで、フルギアより40kg低いです。

成田市体育館の正面です

フルギアがなぜ力が出るのか説明しましょう。
スクワットから説明するとわかりやすいと思います。
フルギアの試合ではスクワットをするときに、ぱつんぱつんの長ズボンを履いて競技に臨みます。
かなり弾力の強い素材のようで、それを履いてしまうと膝を曲げることすらできなくなるようです。
なので選手は膝を伸ばしたまま、大股に歩いて試技場に入ります。
バーベルを担がないとしゃがめないぐらいにきついズボンを履いてスクワットをするんです。
そうするとウェアの補助で、重いバーベルが挙げられるようになるんです。

ベンチプレスの時は、ベンチシャツという物を着ます。
これもぱつんぱつんのシャツで、これを着ると両腕は「前へならえ!」の姿勢になってしまって、「気をつけ!」の姿勢は取れなくなるようです。
フルギアの選手が試技場へ入る時は、「前へならえ!」の姿勢のまま歩いてきて、そのままベンチ台に寝ます。
これもバーベルの重みでようやく腕が曲がるというような感じなのでしょう。
デッドリフトの場合はよくわかりませんが、おそらくこれもぱつんぱつんの上下が繋がったウェアを着て、その反発力を補助に使っていると思います。

フルギアはとても難しいと言われています。
緩かったら良い記録が出ないし、きつすぎると、バーベルを担いでもしゃがめなくて失格なんていうこともあるそうなんです。
なので自分の体型に合わせてウェアのキツさを調整できなければなりません。
そのためにはミシンを使いこなせる事が必要条件になるようなんです。

僕は2017年11月にパワーリフティング関東大会に出ましたが、この時は若干名、フルギアの選手がいました。
とても驚いたのは、女子高生のフルギアの選手がいた事です。
いかにも窮屈そうなウェアを着て、試合に出ていました。
試合会場でフルギアの試技を見たのは今のところ、その時だけです。
とても話が長くなってしまいました。
要するに、この日老師が僕に教えてくれた標準記録はいずれもフルギアの記録に違いないという話でした。

4 巡り合わせ

僕は老師に誘われて試合に出ることになりましたが、パワーリフティングの試合は日程が既に間に合わなくて、ベンチプレスの試合に出ることになりました。
これは巡り合わせが良くなかったです。
僕はこの試合の一、二年ほど前から左腕に強い痺れが出て、ベンチプレスが出来なくなりました。
できなかった期間はおそらく一年以上だったと思います。
当時はベンチプレスこそウエイトトレーニングと思っていたので、とても落胆しました。
でも落ち込んでいても仕方ないので、いつか必ず治ると信じて、ベンチプレスの代わりにスクワットに励むことになったんです。
スクワットの記録はメキメキと伸びました。そして老師は僕のスクワットに目をつけて試合に誘ってくれたんです。


この頃には左腕の怪我も治っていて、なんとかベンチプレスができるようになっていました。
でも怪我が治ったというだけで、本調子には程遠い状態でした。
その状態で、パワーリフティングではなくベンチプレスの試合に出ることになったので、巡り合わせが悪かったと思うんです。

もし怪我をしなければ、スクワットを熱心にやる事はありませんでした。
スクワットを熱心にやらなければ、老師に声をかけてもらう事はなかったと思います。
そうなると、試合に出る可能性もなかったと思うんです。
そしてでた試合は、怪我から回復したばかりのベンチプレスの試合でした。
なんとも言えない巡り合わせです。

5 試合に向けて

成田市体育館の後側です

試合に出るとなったらベンチプレスはきちんと鍛えるしかありません。
この頃、成田市体育館にはもう一人すごいおじいさんがいました。
おそらく年齢は70歳台だったと思いますが、ベンチプレスで170kgを挙げるすごいお方がいらっしゃいました。
一度だけこの方と一緒にトレーニングをさせてもらった事がありますが、とても厳しくて体が悲鳴をあげました。
そのお方は、マスターズの日本チャンピオンだそうです。
常にニコニコしていて、僕のベンチプレスについても「良いですね。まだ挙がりますね。」と褒めてくれます。
でも、インターバルは短いし、セット数はとてつもなく多くて、いつまで続くのかと思われるほどのボリュームでした。
あのお方は何kg級の選手だったのだろうかと思い返してみると、おそらく82.5kg級では収まらなかった思うので、もっと重い階級だったと思います。
恐ろしく胸板が厚くて、ベンチプレスの時のバーベルの可動域はほんのわずかでした。

当時の日記を全て読み返してみても、私生活がいろいろ忙しくて、試合に向けて一心不乱にトレーニングをしていた訳ではないようです。
でもこの日、老師に誘われた事が、ベンチプレス千葉県大会への出場につながり、さらにそれが現在のパワーリフティングにつながっているんです。
老師には感謝しています。

タイトルとURLをコピーしました