週休3日が、向こうからやってきます。

ただの日記


こんにちは、鹿野一郎です。
今日は2022年の2月21日の月曜日です。
先日、勤め先の予備校から届いた封書を開けてみたら、次年度の契約に関する書類が入っていました。
次年度はこのぐらいの量の仕事をお願いしますという内容で、それで大体の年収が予測できます。
中を見て、驚きました。
そして、「とうとう来たか!」と思いました。
次年度の担当授業は今年度より2.5コマ減るようです。

減り始めた担当授業

僕は予備校で講師をしていますが、少子化、映像授業の台頭、推薦入試・AO入試の拡大などにより、予備校業界は斜陽産業になっています。
年々生徒が減り、設置講座も減り、講師も減っています。
確か去年の春先には、「あれ?あの先生いないな。」という事がしばしばありました。
講座が消滅したためでした。
それだけにとどまらず、校舎が丸ごと消えるという事もありました。
今後、この状態は改善する見込みがなく、予備校はどんどん弱体化していくと思います。

先日届いた書類では、春からの担当授業数は、浪人生が1コマ90分計算で2.5コマ分減り、高校生は維持するようです。
下の表がこの最近の僕の担当クラス数です。

具体的な担当講座はまだわかりません。現時点で知らされたのは、担当するクラス数だけです。

 浪人生  高校生 
2019年度 8.5クラス  4クラス 
2020年度 7.5クラス 5クラス
2021年度 6.5クラス 5クラス
2022年度 4クラス 5クラス

高校生は1日に1クラスしか担当出来ないので、春以降も週5日働く事になりますが、浪人生が2.5コマ減るので、かなり楽になります。
そして、当然収入もダウンします。
浪人のコマ数は8.5、7.5、6.5と1つずつ減っていたので、次は5.5かと思っていたら、いきなり4なので、驚きました。
この調子だと、早ければ2023年度にも、高校生の担当クラスが4に減って、週休3日の生活になるかも知れないです。

僕は1993年に大学を出てすぐに予備校講師になりました。
当時25歳でした。
少子化のことは当時からわかっていたので、40歳になる頃には失業するかも知れないと思っていました。
それでも予備校講師になりました。
チャレンジをしたかったからです。

僕が浪人していた時はバブル景気真っ盛りで、しかも第二次ベビーブームで受験生が掃いて捨てるほどいたので、予備校は大賑わいで、予備校の先生方はとても高い報酬を得ていました。
その姿を見て、自分もなりたいと思いました。
なので、25歳から40歳までしか働けなくても、その間にガッチリ稼いで一財産作ってやる!という気持ちで予備校講師になりました。

ラスベガスのホテルニューヨークニューヨークです。本文とは関係ありません。

1997年には1週間で33コマの授業を担当していました。
今年度が11.5コマなので、およそ3倍です。
あの頃は、朝6時に目覚ましで起きて、まずため息をついていました。
「また1日が始まってしまった。」という気持ちでした。

休みは日曜日だけで、月曜日から土曜日までは朝の9時から夜の9時まで授業をしていました。
あの当時は3つの予備校を掛け持ちし、1週間で11の校舎を回っていました。
日曜日は疲れで午後3時まで起きる事ができず、起きてから千葉市のみつわ台体育館に行って筋トレをしたら、それで1日が終わりでした。
まさのあの頃は長時間労働をしていました。
思い出したくもないきつい生活でした。

僕が40歳になったのは2007年で、その年はまだ週6日働いていました。
すでに、今勤めている予備校だけに絞っていて、浪人生を6クラス、高校生を7クラス担当していました。
最初の予想では40歳で失業するはずだったんですが、実際には40歳になっても13クラス担当していました。
上で、高校生は1日に1クラスしか担当出来ないと書きましたが、それは平日の話で、土曜日は高校生を2つ担当する事が出来ました。

僕は今年で55歳になるので、むしろここまで予備校の教壇で教え続けられている事に感謝したいぐらいです。
もうとっくに失業しているはずなのに、まだ次年度も仕事があります。
おそらく今後も減り続けていくんでしょう。

収入は減りますが、住宅ローンや自動車ローンなどはないし、少しは蓄えもあるので、別に心配はしていません。
それよりも、浪人生の授業がたったの4コマだったら、ものすごく自由時間が増えると思います。

例えばある曜日に、昼の1時から2時半まで浪人生の授業をし、電車で1時間かけて別の校舎に移動し、夜7時から9時まで高校3年生の授業をしているとしましょう。
この場合、家を出るのは昼11時頃、夜帰宅するのは夜11時頃になります。
でも、昼間の浪人生の授業がなくなると、夜7時からの高校3年生の授業だけになるので、家を出るのは夕方の5時頃になります。
これはものすごく楽ですよ。

実は、僕は今日はこの後6時から2年生の授業があるんですが、一昨年までは月曜日は昼間に別の校舎で浪人生の授業をしていました。
それがなくなって、月曜日は半ば休みみたいに暇な曜日になりました。

春以降は、月曜日だけでなく、他にもこのような暇な曜日が出来るようです。
きっとめちゃくちゃ暇になるでしょう。
筋トレに回せる時間も増えるでしょう。
でも、全部自分のために時間を使うことは出来ないでしょうね。
妻から命令されて、換気扇の掃除や、床のワックスがけなどの、税金も払わなければならなくなると思います。

悪魔
悪魔

収入が増えても、税金も増えるので、それほど手取りは増えやしない。
仕事が減って暇な時間が増えても、その分家事をやらされるので、自由時間は増えやしない。

こんなところでしょうか。

今日のトレーニング

今日は珍しく午前中から妻が1人でどこかに出掛けて行ったので、僕は自宅で1人で自由に筋トレをしています。
なんでしょうね。
家に自分しかいないと思うと、実に開放的な気分になります。
妻が下にいると、トレーニングの最中に、

妻

買い物に行きたいんだけど。

と言われてトレーニングを中断せざるを得なくなることが多いです。
自分の車を持っているんだから、1人で買い物ぐらい行って欲しいと思う時もありますが、まあ、そこは夫婦のコミュニケーションということで、僕が車を出すようにしています。

なので、家に1人でいるというのは、悪くないです。
今日のトレーニングの内容は、以下の通りです。

フロントレイズ   38kg10回5セット
ベントオーバーロー 89kg10回5セット
アップライトロー  41kg10回5セット
カール       41kg10回、10回、43kg10回、45kg10回、47kg10回
LTE         41kg10回、43kg10回、45kg10回、47kg10回、49kg10回、
          51kg8回、53kg6回、55kg4回、57kg
(注釈)LTEは、ライイング・トライセップ・エクステンションの事です。

これらの内容を、部屋に掃除機をかけながらやりました。

やり方が悪いのかも知れないですが、どうもアップライトローは、やっても筋肉に効いている感じがしないです。
肩のトレーニングのつもりでやっていますが、筋肉がパンパンに張ることもないし、筋肉痛になることもないし、単に疲れるだけのように感じてしまいます。
今度、アップライトローのやり方に関するkatochan33さんの動画でも見直して、改善点を見つけたいです。

ベントオーバーローは昨日もやったんですが、もうすぐ月末なので、前年同月のボリュームを上回るために今日もやりました。
昨日は104kgでやりましたが、今日は89kgまで落としてやりました。
やっぱり軽いバーベルだと、ゆっくり引いて、一度上で止めて、それからゆっくり下ろす事が出来ます。
これはこれでしっかりと広背筋に効かせることが出来ているようで、やっていて楽しいです。

カールとLTEはどちらも腕によく効き、トレーニング後は腕がパンパンになります。
やっぱりこういう変化があるとトレーニングはやっていて面白いですね。

89kgのバーベルです。

やっぱりいてくれた方が良いかも

さっき、上で妻が出かけて家にいないから開放的だと書いたばかりですが、あれから1時間程度しか経っていないのに、

鹿野一郎
鹿野一郎

そろそろ帰ってきてくれないかな?

と思い始めています。
全くの1人というのは、やっぱり寂しいようです。
下でガサガサと生活音を立てていてくれるだけで、安心する部分があるんだと思います。

昔、母も言っていました。
母と父は滅多に会話をしない夫婦で、たまに喋るときは喧嘩をしていました。
まあ、深刻な喧嘩ではないんですが。
母はとてもよく喋る人で、僕はその性格を受け継ぎました。
父はまるっきり喋らない人で、その上に相当な口下手です。
なので、たまに喋るとすぐに喧嘩が始まっていました。

でも父が入院した時、母はそんな父の事を、家にいてくれないと困ると言いました。
別に何もしてくれなくていいし、顔を合わせると喧嘩になるけれど、入院などで家から完全にいなくなってしまうと、寂しくて食事の味もしないと言っていました。
2階で何かガサガサやって、そこにいるという事がわかるだけで十分だと言っていました。
とにかくいてくれないと困るんだそうです。

僕はその話を聞いた時はまだ独身だったので、そんなもんかなあ、としか思いませんでしたが、今は結構わかるようになりました。
もうすぐ帰ってくるだろうけれど、完全に1人だとやっぱり暇ですね。

トレーニングの最中にあれこれ用事を言いつけられて、「こんちきしょう!」と思いながらトレーニングを中断するぐらいがちょうど良いのかも知れないです。

もうすぐ娘が学校から帰ってくるので、トレーニングも終わりにしました。
そして夕方は仕事に出かけます。

ダンベル

娘のトンボと、友達のウサギちゃん

ついさっき、娘のトンボが学校から帰ってきました。
もう遊びに行ってしまいましたが、トンボから次にように言われました。

トンボ
トンボ

パパは中学の時、付き合っていた人いたの?

僕はすぐに反応し、以下のように返しました。

鹿野一郎
鹿野一郎

いる訳ないだろ!

中学生じゃ、まだ早すぎる!
令和の今ならどうか知らないけど、昭和の時代にそんな中学生はいなかったよ。

すると、娘は、友達のウサギちゃんが、中学に上がったら絶対に彼氏を作ると意気込んでいると言います。
娘自身はどうしたいのかと尋ねたら、

トンボ
トンボ

中学生じゃ早いでしょ。

高校生はどうかな?

大学ぐらいで初めて付き合うのが良いんじゃないの?

と答えました。
高校で彼氏を作るのが早いのか、そうでないのかは僕にはわかりません。


僕は高校時代は勉強しかしていなかったので、周りの友達に彼女がいたのかどうかもわかりません。
きっといなかったと思いますが、確かな事はわかりません。
よく覚えているのは、仲の良かった友達のカータンが、意を決してクラスメイトの女の子に告白したら、完全にスルーされて、返事すらなかった事です。
あれはちょっと気の毒でした。
時が流れて38歳の時に、高校卒業20年目という事でクラス会がありました。
僕は、カータンの告白をスルーした女の子の向かいの席になったので、その話をしたんですが、なんとその女の子(もう38歳ですから女の子ではないですね)は、カータンに告白されたことを覚えていないどころか、カータンの存在すら覚えていませんでした。
あまりにもひどい話です。
たまたまその日は、カータンが来ていなかったので、悲惨な目に遭わずに済みましたが、あれは本当に可哀想でした。

話が戻りますが、僕は娘に次のように言いました。

鹿野一郎
鹿野一郎

中学で彼氏を作りたいなら、一番手っ取り早いのは、部活に入って先輩に告白することじゃないかな?
中学1年ぐらいだと、同級生の男子はガキすぎて、相手にならないでしょ?

すると、娘はすごいことを言い始めました。

トンボ
トンボ

サギちゃんは、同級生の男子を弄んでいるんだよ。
好きでもないのに告白して、相手がその気になって、付き合い始めたらすぐに振るんだよ。

驚きました。すごい小学生ですね。

僕はそれを聞いて次のように答えました。
(セリフ)

鹿野一郎
鹿野一郎

あ、そう。それは良くないね。
かなり良くないね。
もしウサギちゃんがそういう子だという噂が広まってしまったら、彼氏を作るのは難しくなるんじゃないのかな?

女の子というのは、男子に比べて本当にませていると思いました。
僕が6年生だった頃は、弟とのおやつの奪い合い、テレビのチャンネルの奪い合いぐらいしか考えることがなかったです。

新しい一年に向けて

4月から新年度が始まります。
僕の担当するコマ数は2.5コマ分減るようです。
そうなると、高校生の授業しかしない日が週に3日になりそうです。
仮に月曜日、水曜日、金曜日が高校生だけとなると、浪人生の授業を持つのは火曜日と木曜日だけになります。
本当にそうなら、もの凄く暇な一年になると思います。
そして、今後、仕事が減ることはあっても、増えることはないので、ずっと暇な生活が続くと思います。

仕事が減って、自由な時間が増えるのは嬉しいですが、あまりにも急激に減ると、本当に失業してしまうかも知れないという恐怖も感じます。
一応、予備校の定年は65歳ということになっているので、そこまでは頑張りたいと思います。

まあ、理想的な働き方としては以下のような感じでしょうか。

 2022年  55歳  週5日勤務 
 2023年 56歳 週5日勤務
 2024年 57歳 週4日勤務
 2025年 58歳 週4日勤務
 2026年 59歳 週4日勤務
 2027年 60歳 週3日勤務
 2028年 61歳 週3日勤務
 2029年 62歳 週3日勤務
 2030年 63歳 週2日勤務
 2031年 64歳 週2日勤務
 2032年 65歳 週2日勤務
 2033年 66歳 退職

こんな感じで予備校講師としてのキャリアを終える事が出来たら、幸福です。
一つだけ、僕が密かに自慢に思っている事があります。
ここで書いてしまったら、もう「密か」ではなくなりますが、僕はこれまで29年予備校で働いて来て、一度も予備校をクビになった事はないです。
これまでにいくつもの予備校で働き、辞めてきましたが、全て自分から辞めてきました。
一度もクビになっていないというのは、内心自慢に思っていることです。
なので、最後は定年退職で終わりたいです。

そしてその頃になっても、まだパワーリフティングの試合に出続けていたいです。
もっというなら、記録を伸ばし続けたいです。(無理ですよね)

今回はこの辺にします。
ありがとうございました。

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