2018年12月パワーリフティング千葉県大会に出場

パワーリフティング

こんにちは。鹿野一郎です。
平成30年(2018年)12月2日、三度目のパワーリフティング千葉県大会に出場しました。
春にも千葉県大会はあったんですが、娘が習い事の試合に出場し、日程が重なってしまったため、春の大会には出られませんでした。
なので僕にとっては一年振りの試合となりました。
でも、この試合は、最も悔しい試合となってしまいました。
試合に向けて、トレーニングは順調だったので、自己ベストを大幅に更新できる期待がありました。
体重も普段から72kg台を維持していて、減量しなくても74kg級に出られる状況でした。

試合では、最初のスクワットで3本とも失敗して失格になりました。
それでもベンチプレス、デッドリフトに参加することは出来ましたが、あまりの精神的打撃により戦意を喪失し、途中棄権して会場を去りました。
会場には僕が自己ベストを更新するところを見届けるために、娘が一緒に来てくれていました。
あとで分かった事ですが、娘はこの日の僕のために、こっそりと自作の金メダルを作ってくれていました。
なのに、スクワットで3本とも失敗して失格になってしまいました。

調子が良かったので欲が出ました

この時、順調にパワーアップが出来ていて、大幅な自己ベストの更新が期待できました。
それまでのベストは420kgでしたが、480kgぐらい狙えるのではないかと思っていました。
さらにスクワットのピーキングがとても調子良かったので、もしかしたら500kgを目指せるのではないかと思ってしまったんです。
これが間違いの始まりでした。
500kgに届くかも、と思ってしまったら何がなんでも500kgを達成したくなってしまいました。
例えばスクワット190kg、ベンチプレス110kg、デッドリフト200kgで合計500kgです。
冷静に考えれば、スクワットの190kgなんて、当時の僕には無理に決まっていたんですが、500kgを達成したいという欲望に駆られて、無茶な挑戦をする事になってしまいました。
また、無理が通るのではないかと思えるほどピーキングの調子が良かったんです。
ピーキングについて簡単に説明しておきます。
試合に向けた最終調整の一つですが、試合の2ヶ月ほど前から毎回トレーニングの重量を増していき、回数も減っていくという調整方法です。
2018年は10月4日からピーキングを始めました。
スクワットは10月4日が140kg8回2セット、10月11日が145kg8回、7回、10月18日が150kg7回2セット、10月25日が155kg6回、5回、11月1日が160kg6回2セット、11月8日が165kg5回、4回、11月15日が170kg4回、2回、11月22日が175kg2回、0回でした。
こういう内容だったのに、500kgを達成したいばかりに190kgぐらい行くのではないかと根拠のない甘い見通しを立ててしまったんです。
第一試技は170kg、第二試技は180kg、第三試技は190kgで、三本とも成功させようと思っていました。
それが全ての失敗の原因です。

試合前から失敗続き

いつも試合会場には早く着きすぎていたので、この日はゆっくり家を出ました。
助手席には娘も乗っていました。妻は来てくれませんでした。
高速道路を降りて車を走らせていると、何かがおかしいと思い始めました。
道を間違えているんです。
試合会場に向かうのではなく、自宅を建築してくれた建築会社に向かっている事に気づきました。
途中まで道が同じだったので、気づきませんでした(汗)。
間違いに気づいた時は、もう間違えた場所まで引き返している時間がありませんでした。
その場所から最短コースで会場に向かわないと遅刻して失格になってしまいます。
道がわからないので、ナビで検索しようとしましたが、ダメでした。
会場は、ゼットエー武道場というんですが、それは命名権を買った企業が最近になってつけた名前で、うちの車の古いナビにはその名前は登録されていなかったんです。
途方に暮れそうになりましたが、ゼットエー武道場のすぐそばに、市原中学校があったのを思い出して、そのように入力しようと思いました。
でも、ダメでした。「ちゅうがっこう」の「ゅ」の入力の仕方がわからず、パニックを起こしてしまいました(笑)。
「もうダメだ!今日は試合に出られない!」と絶望しかけたところ、娘がナビを入力してくれて、なんとか道がわかりました。
2年生なのに子供は凄いと思いました。
パソコンでもスマートフォンでも、初めて触ったはずなのに、器用に使いこなしてしまうんですから。
この時は娘のおかげで本当に助かりました。
紙の地図も持っていましたが、パニックを起こしてしまったら、もう現在位置すら見つけられなかったでしょう。

会場に着くと、もう開会式が始まりそうな状況だったので、急いで体重を測って、コスチュームチェックを受け、ラックの高さを合わせました。
体重は74.00kgでした。あと10gでもオーバーしていたら失格でした!
72kg台だったはずなのに、なんで74kgもあるんだと不思議に思いましたが、とにかく体重がギリギリで冷や汗をかきました。

試合が始まるまでの間、娘は暇を持て余し、来たことを後悔していた様子でした。
試合が始まれば面白いそうなんですが、それまでのウォームアップなどは非常に退屈だと言います。
全くその通りです。
なので、どうしても娘の前で良いところを見せたいと思いました。

開会式では事務局長の方の挨拶がとても印象的でした。
話の要旨は以下の通りです。


今回は参加選手が史上最多の86名に達しました。
千葉県大会も初めて二面での開催となります。私どもが協会を引き継いだのが20年前で、そのときの参加選手は20名でした。
一番少ないときは13名という時もありました。
当時、どうやったらもっと競技人口を増やせるだろうか、どうやったらもっと競技に興味を持ってもらえるだろうかと必死に考えていた事が思い出されます。
パワーリフティングが国体の公開競技になって四年、団体戦では千葉県は三位、一位、二位、二位という成績を収めています。
毎年代表選手が変わる中で常に三位以内に入れたことは千葉県のレベルの高さと層の厚さを証明していると思います。
来年は三年ぶりの一位を取れるように皆さん頑張って下さい。
\end{quote}

近年、YouTubeでも筋肉系の人々が活躍しているので、ボディービルやフィジーク、パワーリフティングをする人が増えているのでしょう。
僕もその一人です。
特にこの大会は、若い人の参加がとても多かったです。
そして女子の参加も年々増えているように感じました。

第一種目、スクワット

試合が始まりました。
第一試技の170kgは、僕にとってはなかなか厳しい重さです。
果たしてちゃんと挙がるのだろうかと不安で不安で仕方ありませんでした。
試合会場に乗り込むまでは、500kgを達成してやるぜ!という勢いがあったんですが、実際に会場に行くと、臆病風が吹くんです。
道を間違えて遅刻しそうになったし、体重がオーバーしそうになったし、とにかく悪い条件が整ってしまいました。(全部自分のせいです)

第一試技。
重さは170kgです。これを挙げる事が出来るか、出来ないか、それで今日の運命は決まると思っていました。
バーベルを担いでラックから外すとあまりにも重くてバランスを崩しましたが、立て直して主審に顔を向けます。
これが準備ができたという合図なんです。
「スタート!」の合図がかかって、しゃがんで立ちます。
とても重くて、うめき声がもれましたが、立ち上がれました。
「やった。これで今日はもう大丈夫だ。」と思い、身体中に安心感が広がっていくのがわかりました。
後は「ラック!」の合図がかかってからバーベルをラックに戻すだけなんですが、いつまで経っても合図がかかりません。
おかしいな。ひょっとしたらもうラックの合図がかかったのかな?と思い、バーベルを戻そうとして右足を一歩前に出したところで、「ラック!」の合図がかかりました。
やってしまいました。
合図の前に動くと失敗になるんです。
せっかく170kgを挙げたのに、合図の前に動いて失敗になってしまいました。

なぜ、こんなにも長時間、合図が掛からなかったのか?
あとでビデオを見直してみたら、僕が立ち上がってから合図がかかるまでの時間はせいぜい1秒ぐらいでした。
なのにその時は、この1秒間がまるで10秒や20秒のように感じられたんです。

一本目で170kgを失敗したため、500kgの夢は打ち砕かれました。
二本目も170kgに挑戦です。
きちんとしゃがんで立ち上がり、ラックの合図がかかってからバーベルを戻しましたが、赤旗三本で失敗でした。
原因が全くわからず、放心状態になってしまいました。
もう脚がガクガクで、次の試技が出来るかどうかわからない状態でしたが、やるしかありません。

三本目も170kgです。重量を下げることはできないので、とにかくこの170kgを挙げるしかないんです。
他の選手はみんな、第一試技より第二試技、第二試技より第三試技と重さをあげて行きますが、僕だけが三本とも同じ重さでした。
三本目はバーベルがとても重く、大きな唸り声を出して立ち上がりましたが、またしても失敗でした。
とうとうやってしまいました。
これで記録なしです。
このあとベンチプレスやデッドリフトに参加することはできますが、何kgを挙げても記録には残りません。

後でビデオを見て失敗の理由がわかりました。
主審、副審は失敗と判定した後に必ずその理由を示します。
赤、青、黄色のカードがあり、各種目ごとにそのカードが意味を持ちます。
スクワットの場合は黄色が、「合図無視」で、赤が「しゃがみが浅い」です。
僕の場合は第一試技は黄色、第二試技と第三試技は赤でした。
つまり、最初の一本はちゃんとしゃがめていたけど、合図の前に動いたから失敗で、2本目と3本目はおそらく脚の疲れのためしゃがみが浅くなったんだと思います。
試合会場では、失敗になった時にその理由まで見極めている余裕はありませんでした。
ビデオに映っていたからわかったんです。

経験のない絶望感

客席に戻り、娘の隣に座って、やっちゃったよと言ってから、しばらくはお菓子を食べていました。
このまま最後まで試合に出続ければ、会場を出るのは夜の8時頃になるでしょう。
自己ベストを更新するどころか、失格で記録なしに終わってしまうのに、娘をそんなに遅くまで引っ張り回すわけにはいきません。
この時、僕は競技を棄権して帰る事を決めました。
当時の心境が日記に次のように書いてあります。



競技を終えて客席でお茶を飲み、弁当の残りを食べているとき、競技を棄権して帰ろうと思った。
精神的にずたずたに成っていて、完全に気持ちが折れていたので、ベンチプレスやデッドリフトで自己ベストを更新しようという気がなくなってしまった。
(娘)がわざわざ応援に来てくれているのに良いところを見せることが出来ず、一番格好悪いところを見せてしまった。
競技開始が11時で、スクワットが終わったときは1時になっていたので、このあとすべての競技が終わるのはかなり遅くなると思った。
ベンチプレス、デッドリフトでも三時間掛かったら終了は8時になってしまう。
そんな時間まで(娘)を引っ張り回す訳には行かないと思った。
もしぼくが目標を達成し500kg挙げられたなら、(娘)をその時間まで会場に引き止めても、悪くはないと思うのだが、失格になった後にさらに続けるのはどう考えても良くないと思った。
それに僕自身、もう会場にはいたくなかった。
他の選手に合わせる顔がなくて、とにかくそこから逃げ出したかった。
なので事務局長にきちんと事情を話して挨拶をして帰ってきた。
次は必ず良い結果を出すと宣言して帰ってきた。

(娘)は帰ると聞いて驚いていたが、すぐに帰ることに同意した。(妻)に電話して家にいるかどうかを確認した。
(妻)が家にいれば家に帰り、家にいないなら(娘)と二人でこどもの国にでも行こうと思ったのだ。
電話は(娘)にしてもらった。(妻)は家にいたが、二人でこどもの国に行くように言ってくれた。
僕は(妻)と話したい気分ではなかった。合わせる顔がなかった。(妻)が電話口で、「パパは泣いてるの?泣きそうになってるの?」と言っているのがわかった。

こんなことになるなら予備校で生徒達に試合に出ることは言わなければ良かったと思った。
500kgなんて威勢の良いことを言って、実際はただの失格だった。

ゼットエー武道場からこどもの国までは2.5kmしか離れておらず、すぐに着いた。
最初に釣り堀に行って(娘)が鯉を釣った。
体長20cm以上ある鯉を(娘)は6匹も釣った。これには驚いた。とても良く釣れる釣り堀だった。

僕は予備校で講師をしています。
生徒達にはいつも励ます言葉をかけています。
試合会場で絶望に追いやられている自分に対して、普段の自分だったら、次のように言うでしょう。
「まだ試合は終わっていない。記録が残らなくてもベンチプレスやデッドリフトに悔しさをぶつけるべきだ。」
それは百も承知していましたが、あの時はそういう考え方が出来ないほど、自分が惨めで仕方なかったんです。
完全に気持ちが折れてしまっていて、会場から逃げ出したい気持ちで一杯でした。

なまじ調子が良かっただけに欲が膨らんで、それで自制心が効かなくなり、無謀な挑戦をしてしまいました。
こともあろうに生徒達には500kgを達成するぞと勇ましく吹聴してしまい、会場には娘も連れて行きました。
もし、試合に出る事を人々に話さず、会場に娘もいなかったなら、ショックは受けても逃げ出したい気持ちにはならなかったでしょう。
全て冷静さを失った自分の責任でした。

この日の学び

この時、僕は一つの事を経験で学びました。
本当に絶望してしまった人には励ましても逆効果にしかならず、そっとしておいてあげるしかないという事です。
頑張れと言われて、理屈は百も承知でも、気持ちが伴わない事があるのだと、初めて経験してわかりました。
この日の僕の精神的打撃は、大学受験で浪人が決定した時よりも大きかったです。
誰にも会いたくない、逃げ出したいと思ったのは、本当にこの時だけでした。

前の年の11月の関東大会で自己ベストを更新できず、不甲斐ない結果に終わりましたが、今年はさらにひどい結果に終わってしまいました。
まだこの時は、次こそ頑張ろうという気持ちにもなれませんでした。
試合が終わったら1ヶ月ぐらいはトレーニングを休んでゆっくりしようと考えていましたが、そんな場合ではなくなりました。
早速次の試合に向けてトレーニングです。
そうしないと気持ちが持たなかったと思います。

翌日、娘に試合のことを聞いてみましたが、またこどもの国に連れて行ってくれるんだったら、試合を見にいくと言っていました。
次もスクワットで失敗して気持ちが折れてね、と言われ、実に複雑な気分になりました(笑)。

ありがとうございました。

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