こんにちは、鹿野一郎です。
今日は2023年3月25日の土曜日です。
長い休みも終わって、3月21日から仕事が始まりました。
2023年度の春期講習です。
昨日まで4日間働いて、今日と明日は休みです。
昨日はジムでトレーニングをしてから仕事に行きました。
昨日のスクワット
昨日はジムに行って、スクワット、ベンチプレス、懸垂、レッグエクステンション、レッグカール、リアレイズをやってきました。
僕は2016年からトレーニングの種目別にボリュームの集計をしているんですが、スクワットは今年から集計の方法を変えました。
去年までは100kg以上のバーベルでスクワットをした場合の回数を重さ別に集計していましたが、今年からは140kg未満は集計しないことにしました。
その結果、最近はスクワットは20kgのシャフトのみで5回やった後、60kgで5回やって、100kgで5回やった後、140kgと170kgのバーベルでセットを組んでいます。
20kgのシャフトの左右に20kgのプレートを3枚ずつつけると140kgです。
その140kgのバーベルを担いでラックから外し、後ろに2、3歩下がって足場を固めます。
まずゆっくりとしゃがんで立ち上がると、140kgがとても重く感じられました。
140kgって、こんなに重かったかな?
プレートをつけ間違えたかな?
と思いながらも続けます。
しゃがむと膝がボキっと鳴り、たまにスネもバリッと鳴ります、さらに続けると足首もゴキっと鳴ります。
140kgがやたらと重く、5回挙げるのが精一杯でした。
バーベルをラックに戻した後、重さを確認すると、それは確かに140kgのバーベルでした。
体が疲れているのかな?とも思いましたが、それはないと思います。
確かに春期講習の最終日とはいえ、このタームは90分授業を1つしかやっていないので、それで疲れるはずはないんです。
ただ、ひとつ言うなら勤務地が遠くて、車の運転が疲れました。
行きは3時間、帰りは1時間半のドライブをしていました。
仕事をしている時間より運転席に座っている時間の方がはるかに長かったです。
でも、だからと言ってスクワットの出力が落ちるはずはありません。
気づいてみたら、140kgのスクワットを、パワーベルトなしでやっていました。
いつもは140kgからパワーベルトを締めるんですが、うっかり忘れていました。
だから重かったのかも知れないです。
さて、140kgの次は170kgです。
140kgのバーベルの左右に15kgのプレートを足してから意識を集中します。
そしてパワーベルトを締めると、先週より少しきつくなっていました。
体重はわずかに軽くなっているんですが、ウエストは太くなっていたようです。
軽く凹みました。
気を取り直してバーベルの下に頭を通し、背中とバーベルシャフトをなじませてから、バーベルをラックアウトします。
170kgのバーベルは恐ろしく重かったです。
まるで200kgのバーベルぐらいに感じました。
こんな重さでしゃがんだら、絶対に立てないと思いました。
なので、ラックから外したばかりのバーベルをそのままラックに戻しました。
どうやら本当に体が疲れているようです。
しばらくベンチに座って、いろいろなことを考えてから、再びバーベルに向かう覚悟ができました。
また170kgです。
ラックから外してみると、今回はそんなに重くありませんでした。
いつもの170kgです。
お、これならいけるな。
と思ったので、まずは1発目をゆっくりしゃがみます。
膝関節よりも股関節が低くなって、大腿部が明確に下り勾配になったことを鏡で確認してから、「どすこいっ!!」と心の中で叫んで立ち上がりました。
いつもの170kgでした。
2発目は1発目よりさらに深くしゃがんでから立ち上がりましたが、これが仇になって、途中で止まってしまいました。
潰れるかも知れないと思いましたが、170kgなんかで潰れてたまるか!!!という気迫が勝り、立ち上がる事が出来ました。
とりあえず170kgが出来たのは一安心ですが、2回しか挙げられなかったのは悔しかったです。
せめて4発は挙げたかったです。
2セット目もやっぱり2発で終わりました。
今日は本当に力が出ないと落ち込みましたが、なぜか3セット目は4発挙げる事が出来ました。
同じ日なのに、同じ重さなのに、随分と調子が変わるようです。
昔の僕だったら、最初に170kgのバーベルを担いで重いと感じた時点でスクワットは取りやめにしていたと思いますが、やめずにやって良かったです。
3セット目が4発挙げられたので、気をよくして4セット目もやりました。
4セット目も2発だったので、昨日のスクワットは170kgで2発、2発、4発、2発となり、合計10回挙げる事が出来ました。
このトレーニングで、今年 170kgのバーベルでスクワットで挙げた回数は合計47回になりました。
去年は1年間で170kgを44回挙げています。
一昨年は35回で、その前は0回、2019年は4回、2018年は6回、2017年と2016年は0回です。
つまり、170kgを1年間で挙げた回数として自己ベストを更新しました。
このため来週からはスクワットは175kgでやる事にします。
本当はもっともっと170kgをやりこんで、170kgで連続10回ぐらい出来るようになってから重さをあげた方が良いのではないかと思っていますが、過去の自分に勝ちたいので、まずは175kgでの年間自己ベストの更新を目指します。
175kgを1年間で挙げた最高回数は、一昨年の14回(たった14回)なので、それを超える事を目指します。
スクワットの後は同じパワーラックで懸垂を5セットで合計40回やってからベンチプレス台に移りました。
昨日のベンチプレス
ベンチプレスは先週、成田市体育館で学生時代からの友達のPOSOとトレーニングをした時に、100kgの年間回数で自己ベストを更新しました。
1年間で100kgのバーベルでベンチプレスをした回数の自己ベストは、去年の46回でした。
(たったの、46回)
それが先週のトレーニングで48回になり、自己ベストを更新したので、昨日からメインセットの重さを105kgにしました。
105kgの年間最高回数は2021年の33回なので、これを超える事が次の目標です。
たったの33回なので、簡単に越えられるだろうと思っていましたが、そうではありませんでした。
ベンチプレスはまず20kgのシャフトだけでゆっくり8回やり、次は70kgで5回やりました。
続いで80kgで5回、90kgで5回やってウォームアップは終わりです。
バーベルを105kgに組み変えて、ベンチに寝ます。
最近の僕は100kgのバーベルだと4、5回は挙げられるので、105kgなら3回ぐらいは挙がるだろうと思っていました。
でも、ラックからバーベルを外そうと思ったら、びくともしませんでした。
嘘だろ?そんなはずはあるはずがないと思って、もう一度、えいやっ!と力を振り絞ってバーベルを持ち上げました。
バーベルはラックから外れましたが、異常に重たいです。
105kgとは思えません。
体感的には120kgぐらいに感じました。
こんな重さでベンチプレスをしたら潰れてしまうかも知れないと思いましたが、とりあえずやってみました。
ゆっくりとシャフトを胸まで下ろしてから押しあげます。
試合ではないので、胸で1秒静止させる「止め」は省略しました。
なのにバーベルはものすごく重くて、いきなり右が先行して左が遅れます。
なかなか左肘が伸びきらなかったですが、必死の形相で最後まで押し切り、バーベルをラックにガシャーンと下ろしました。
信じられないぐらい重いです。
プレートをつけ間違えたのかと思って見てみると、それは確かに105kgでした。
信じられません。
100kgと105kgの間に大きな壁があるように感じました。
つまり、これが今の僕の実力なのでしょう。
もしベンチプレスで150kgを挙げられる人だったら、100kgと105kgの違いなんてわからないと思います。
逆に自己ベストが80kgの人だったら、100kgも105kgもびくともしないので、重さの違いがわからないでしょう。
100kgと105kgがまるで別物に感じると言うことは、僕の実力は100kg程度なんだと思います。
ものすごくショックでしたが、受け入れるしかありません。
僕はこれまでのパワーリフティング、ベンチプレスの試合で105kgのベンチプレスの試技で失敗した事はありません。
105kgは止めアリでも確実に成功させられる重さなんですが、昨日の僕には無理だったようです。
去年のある時期に、右肩の怪我を繰り返さないためにグリップ幅をワイドからミドルに変更し、使用重量は落ちました。
でも、それ以来怪我をしなくなったので徐々にパワーアップしています。
次の試合は10月のつもりなので、今の調子で10月までトレーニングしていけば、きっと念願の110kgを成功させられるのではないかと思っています。
昨日のベンチプレスは結局以下のような感じでした。
ベンチプレス
20kg5回、70kg5回、80kg5回、90kg5回、
105kg1回、1回、2回
105kgでのベンチプレスは結局合計4回に終わりました。
こんな調子では、一昨年の33回を超えるのに結構時間がかかりそうです。
昨日の経験で思ったんですが、100kgと105kgの間にあんなに差があるならば、90kgの次は105kgに進むのではなく、100kgを2セットぐらい挟んでから105kgに進んだ方が良いと思いました。
次からそうしたいと思います。
左腕を見ろ!
僕は最近、右の前腕の周囲が30cmに達し、上腕の周囲が40cmに達しました。
これにはとても満足しています。
鏡の前で力こぶを作ると、自分の右腕の太さにうっとりしてしまいます。
(ほとんど病気ですが、ほっといてください。)
でも左腕で力こぶを作って見ると、幻滅してしまいます。
右と左では同じ人間の腕とは思えないぐらいに差があるからです。
左の前腕周囲は28cmで、右より2cm少ないです。
左の上腕周囲は38cmで、これも右より2cm少ないです。
右腕を見ると、自分で自分をすごいと思えるんですが、左腕を見ると情けなくなります。
でも、この左腕の太さが本当の自分の実力なのだと考えるべきなのでしょう。
得意なところだけに目を向けて「おれってすげえぜ!」と思っているようでは、先が見えてしまいます。
それよりも弱点分野に注視してまだまだ頑張らなければ!と自分を奮い立たせるべきなんだと思います。
これまでの人生を振り返ると僕は常に前者の立場で、自分を甘やかし、自滅してきました。
大学受験の時は数学や物理が得意なため、自分で自分のことを頭が良いと思っていました。
化学は平均点も取れていなかったのに、そのことには目を瞑って、数学や物理ができるから自分はすごいんだと思うようにしていました。
じゃあ、その数学や物理は本当にすごかったのかというと、そうでもないです。
おれは数学は大得意だぜ!
ただし、確率統計は除く。
おれは物理は大得意だぜ!
ただし交流と原子は除く。
という感じでした。
得意科目の中にも苦手分野があるのに、それには目を向けず、得意科目の得意分野だけを見て自分はすごいと思っていました。
全くもって自分に甘い話で、それでは受験で良い結果を出せるはずがありません。
僕は体力に自信がある人間ですが、スポーツは全般的に苦手です。
野球、サッカー、バスケットボール、バレーボールなどの球技はどれも絶望的に苦手で、運動神経ははっきり言って人並み以下です。
中学の体育の授業では剣道をやりましたが、これは得意でした。
ぼくは中学の時はいじめに遭っていて、体のでかい数人の悪党によって日常的に暴行を受けていました。
学校に行くのが嫌で嫌で仕方なかったです。
でも、竹刀を握ると僕は彼らよりもはるかに強くて、彼ら悪党を滅多打ちにしていました。
一番スカッとしたのは悪党に1人が僕と打ち合った時、悪党が劣勢になり、最後は竹刀を床に落としてしまい、僕に叩かれるままになり、最後は頭を抱えてしゃがみ込んでしまった時でした。
あの時ほど自分が強いと感じた時はありませんでした。
その日は有頂天でしたが、後日悪党達が集団で復讐に来て、酷い目に遭わされました。
簡単に書くとキーロックで首を絞められ、腹にフォームを刺され、倒されたところに体重90kgの悪党のニードロップを2発も喰らわされて、その後、顔面にパンチを10発ぐらい喰らいました。
本当に学校に行くのが嫌でした。
その悪党達は全員別のクラスで、同じクラスにはアニメ好きの気の合う仲間が3人いたので、なんとか卒業まで通う事が出来ました。
アニメといってもあの当時は今のような萌え系のアニメはなかったので、機動戦士ガンダム、伝説巨人イデオン、太陽の牙ダグラム、戦闘メカザブングル、装甲騎兵ボトムズ、超時空要塞マクロスなどに凝っていました。
話が逸れてしまいましたね。
僕はスポーツは苦手で運動神経が鈍い人間ですが、筋トレをしていて年齢の割に健康なためか、運動神経が良いのに運動不足で中年部取りになってしまった同僚達からトレーニングの仕方や減量の仕方のアドバイスを求められる事が多いです。
本当に筋トレをやっていてよかったです。
ここで満足せずにさらに自分を成長させるためには、右腕を見てうっとりするのではなく(気持ち悪いですが)、左腕を見て闘志を燃やすべきだと思っています。
得意なジャンルで自分を評価するな!
一番苦手な分野で自分を評価しろ!
今年はこれを自分に言い聞かせていきたいです。
新学期の準備なのでしょう。まぶしかったです。
今日、妻と二人で千葉ニュータウンのジョイフル本田に行ってきました。
カーテンレールを買う事が目的でした。
カーテンは普通窓につけますが、僕と妻はふすまにカーテンをつけるためにカーテンレールを買いに行きました。
ふすまにカーテンというと、異常な話に聞こえると思いますが、ふすまのところに防音カーテンを吊るすつもりです。
理由は妻の安眠のためです。
僕はどこでも寝られる人間で、多少の物音では起きません。
でも、妻はなかなか寝付けない人で、わずかな物音でも起きてしまいます。
去年の10月から、中学一年生の娘が不登校になり、自宅に引きこもっているんですが、とうとう昼夜逆転の生活になってしまいました。
明け方に寝て、夕方に起きます。
僕も大学時代はそういう生活をしていましたが、中学生がそういう生活をしているのは信じられないです。
親ならば注意しろよ!と思う方もたくさんいらっしゃると思いますが、なかなかそうも行かないんですよ。
娘はスマートフォンの使用、ゲームの使用について妻と争った事が三度あり、1回目は妻が暴行を受けて救急車を呼ぶ騒ぎになりました。
2回目も妻が娘から暴行を受けましたがその時は救急車は呼ばずに済みました。
3回目は娘が自殺未遂を働き、警察と救急車がうちにくる大騒ぎになりました。
これらの経験から、娘に注意をするにしても、よほど慎重にうまくやらないと、大変な事になってしまうと思っているんです。
静岡県ではスマートフォンの使用をめぐって中学1年生の女の子が母親を刺し殺してしまうという痛ましい事件も起こりました。
なので、今の僕と妻のスタンスは、娘には気が済むまで自由にやらせるというものです。
親が少しでも口出しをして行動に制限をかけると、それに反発し、「親のせいでこうなった。」と考えてしまうだろうから、何もかも全て自由にさせて気が済むまでやらせるしかないと思っています。
で、娘は昼夜逆転の生活をしています。
夜中にお風呂に入り、夜中に自分で食べるものを作って食べています。
僕は全く気づかないんですが、この時に結構な音が出るようで、妻は起こされてしまうそうです。
妻は妻で医者からうつ病と診断され、薬をもらっているんですが、睡眠薬を飲んでも娘の音で夜中に起こされてしまうそうです。
なので妻は娘に懇願しているそうです。
うるさくされると眠れないから静かにして頂戴とお願いすると、「一生起きてろ!」という返事が返ってきたそうです。
あなたの音のせいで本当に困っているのと伝えると、「子供が親に迷惑をかけるのは当たり前のことだ。そんな覚悟もなしに親になった自分を恨みな。」と言われたそうです。
娘は僕にはそんな口は聞かないのでちょっと信じられないですが、娘と妻の間はそのぐらいに悪化しています。
ちょっと話が逸れてしまいますが、もう少しそれます。
最近まで僕と妻は八千代市の村上団地の部屋を探索していました。
団地というのは広々とした土地にゆったりと建物が作られていて、店は中央商店街にしかなく、他はすべて住居です。
公園もたくさんあり、幼稚園、小学校、中学校、高校も団地内にあります。
妻がどうしても耐えられなくなった時に避難先として団地の部屋をひとつ借りて、いつでも泊まれるようにしておこうと思って行動していました。
実際に村上団地のUR賃貸センターに訪ねていき、部屋も見せてもらいました。
築40年以上の古い団地なので、畳は擦り切れ、障子は破れているような、廃墟寸前のところを想像していましたが、全然違いました。
綺麗にリフォームしてあり、リフォーム後はまだ誰も住んでいないのではないかと思うぐらい綺麗でした。
見せてもらったのは1DKで35平米の部屋でしたが、風呂もキッチンも綺麗でした。
トイレはちょっと古い感じはしましたが、トイレにコンセントがあったので、自分でウォシュレットをつける事は出来ます。
部屋は壁が一面全部収納になっていて、収納スペースに関しては全く問題なかったです。
あれだけの設備がそろっていて月42000円なら素晴らしく良いではないかと思いました。
なので、内見の後は仮押さえをして帰ってきました。
1週間は他に人が部屋を見られないように押さえておいてくれます。
それまでに必要種類を整えて、期日までに申し込めば部屋を借りる事が出来ます。
村上団地まではうちから車で15分ぐらいなので、妻がそこで暮らす事になったら僕は毎日会いに行こうと思っていました。
その部屋を借りるべきか借りざるべきか、妻はずっと悩んでいました。
そして今回は借りないという結論を下しました。
まずはその前に、妻の寝室の防音の工夫をして、娘にもなんとかお願いを続け、それでもどうしてもダメだったら、その時に部屋を借りるという事にしました。
妻が寝ている部屋はもともとは僕の寝室でした。
4畳半の和室です。
僕はいびきがものすごいので、この家は最初から防音加工がしてあります。
僕のいびきが万が一にも隣の部屋で寝ている妻を起こさないように、まずは押し入れと押し入れを背中合わせにして、僕の部屋の壁と妻の部屋の壁を180cm離しました。
そしてアパートのように界壁を作って、断熱材を詰めました。
界壁というのは1階の天井から2階の天井まで届く長い壁で、これを作ることにより僕のいびきが床下や天井裏を回り込んで妻の部屋に侵入しないようにブロックするんです。
そのおかげで、僕のいびきは妻の部屋に全く聞こえなくなったんですが、やがて問題が発生しました。
元々妻の寝室は娘の部屋と壁一枚で仕切られた隣です。
娘が小学校に上がって自分の部屋で寝るようになると、娘が寝返りを打って壁を蹴飛ばす音などがダイレクトに妻の部屋に伝わるようになり、妻は眠れなくなりました。
その結果、僕の4畳半の寝室は妻に取られ、僕は代わりに6畳の寝室を与えられました。
これは僕にとっては棚からぼたもちでした。
元々4畳半の狭い和室が寝室兼トレーニングルームでしたが、6畳になったので随分と広くなりました。
僕は隣の部屋で娘が壁を蹴飛ばそうが、ベッドから落ちようが全く気にせず寝続ける事が出来るで、それで我が家の騒音問題は解決したはずでした。
ところが今度は娘が昼夜逆転の生活を始めて夜中に1階で音を出すようになったので、再び妻は眠れなくなってしまったのです。
ちなみに僕はそんな音は全く聞こえず、朝までぐっすり眠るんですが、妻は睡眠薬を飲んでも眠れないそうです。
で、まずはその4畳半の和室の防音加工です。
考えているのは2つです。
ふすまの防音と床の防音です。
4畳半の和室の隣は、ふすまを隔てて3畳の僕の書斎があります。
書斎の扉は引き戸で、引き戸を開けると廊下に出ます。
廊下から1階に行く時は、階段と廊下の境目にある引き戸を開けてから階段を降ります。
なんでそんなところに扉をつけたのかというと、我が家の階段はリビングイン階段になっているからです。
階段を降りるとそこがリビングなので、冬にリビングに暖房をつけても全部階段を通して2階に熱が逃げてしまいます。
なのでそれを防ぐために階段の上端に扉をつけたんです。
下から来る音は、床を通り抜けてやって来る音と、階段から回り込んで来る音に分けられると思います。
階段から回り込んで来る音は、階段上部の引き戸を通過して、書斎の入り口の引き戸を通過して、書斎と4畳半の和室の間のふすを通過して妻の寝室に入ってきます。
音を防ぐには引き戸よりドアの方が良いんですが、ドアだと障害物があると開閉できないので、我が家の扉はほぼすべて引き戸にしました。
今となってはこれが裏目に出ている形です。
引き戸にはほとんど防音効果がないので、音が伝わりやすいんです。
こういう理由からふすまにカーテンをつける事にしたんです。
ただのカーテンではなく、防音カーテンというものです。
ジョイフル本田で実物を見てきましたが、ただものではないです。
おそろしく分厚くて、重たいカーテンです。
確かにあのカーテンだったら音を防げるかも知れないと思いました。
カーテン自体はネットで買った方が種類も豊富なので、今日はカーテンレールだけを買う事にしました。
それとさらに、ふすまとふすまの隙間を防ぐために、ゴム性の波型テープも買ってきました。
ふすまを2枚締め切っても、2枚の襖が重なっている部分に数ミリの隙間が出来ていて、そこから音が入ってくるので、それを塞ぐためにゴム性の波型テープを貼りました。
厚さが5mmあるので、それを貼ると一部ひっかかってしまって、開閉がスムーズに行かなくなりました。
なので、紙やすりで削ってスムーズに開閉できるようにしました。
おそらくこれで少しは音が軽減されると思います。
夕飯の時に僕から娘に、風呂に入るなら12時までには出てくれと話しましたが、娘はそれには素直に応じました。
ですが、4時になったらもう朝だから、4時以降は風呂に入るかも知れないという信じがたい反論をしてきました。
あまり意味がないですが、とりあえず12時から4時の間は風呂に入らないでくれるようです。
今後、ふすまの上に防音カーテンをつけ、さらに畳の下に防音シートを二重に敷くつもりです。
防音シートを敷くのは大変な力仕事です。
まずは妻のベッドと布団を運び出して、畳をすべて剥がして、一応掃除機をかけて、防音シートをカットして敷き詰めて、畳を戻し、ベッドと布団を戻します。
これをする時は、娘にも手伝わせるつもりです。
自分の手で防音シートを敷けば、少しは夜中に音を出すのをやめようと思ってくれるだろうと期待するからです。
おそろしく前置きが長くなりましたが、ここからが本題です。
こういう事情で妻と二人でジョイフル本田に行きました。
雨が降っていたので2階の駐車場に車を停めました。
駐車場は1階と2階と屋上にありますが、2階の駐車場だけ屋根があるからです。
2階に車を停めたので、2階から店に入りました。
ジョイフル本田の2階は、ジョイフル2と言って、文房具や絵の具、彫刻関係、パズル関係の品物がとても豊富に置いてあります。
おそらく品揃えは日本有数のレベルだと思います。
そこを通り抜けてオートスロープで1階に降りてカーテンレール売り場に行ったんですが、ジョイフル2ではこれまでに見た事がないぐらい、レジに行列が出来ていました。
何かと思ったら妻が次のように言いました。
新学期だからね。
新学期が始まるから、家族で学用品を一通り揃えに来ているようです。
確かにピカピカの1年生みたいな子供を連れた家族連れが多かったです。
これから小学校に入学するので、学用品を買いに家族で来ているんでしょう。
何気ない日常の1コマですが、娘が不登校で昼夜逆転のひきこもりで、娘の騒音で眠れない妻のためにカーテンレールを買いに来た我々には、その光景があまりにも眩しすぎて、まっすぐ見られないぐらいでした。
闇の中にいる人間から見ると何気ない日常の1コマがこんなにも眩しく見えるのかと、思い知らされました。
我が家は今は闇の中にいますが、必ずいつかは終わると信じています。
僕も大学では2年留年して母には随分と苦労と心配をかけました。
あの当時の母は絶望的な気分だったかも知れないですが、当の僕自身は自分が悪い事をしている実感はありませんでした。
2年留年したら、大学の学費を2年分余計に親に払わせる事になるんですが、そんな事すら分からずに、自分のやりたい事(バイトと麻雀)だけをやっていました。
今はそれが間違いだったとわかります。
娘もいつかきっと目を覚ましてくれると信じています。
なので、僕は妻ほどは娘の状況を悲観していないです。
今回はこんなところです。
ありがとうございました。